- 歴史探索
- 平安時代
- 絵師~平安時代に登場した「大和絵」、源氏物語は後に絵巻となりそれはコミカライズの原点とも言われています。
- さわ~紫式部(まひろ)の友人、史実では平維将の娘である従姉妹の筑紫の君の可能性あり。
- 藤原忯子(弘徽殿の女御)~花山天皇の寵愛を受けた女御、懐妊するも夭逝し寛和の変の引き金となる。
- 藤原義懐~花山天皇の外叔父として権勢を振るうが寛和の変後に出家し引退する。
- 那須神田城~那須氏最初期の居城であり、那須与一宗隆の生誕の地とされています。
- 多気城 (常陸国)~伝承では大掾氏の平維幹が築城した「多気の山城」、現時点は戦国時代に築城とされる謎の城。
- 御門御墓(平将門居館?)~平将門の供養塔とされる五輪塔があり付近には妻を祀る后神社があります。
- 后神社(桜川市)~平将門の妻で平真樹の娘とされる「君の御前」を祀っています。
- 大国玉神社 (桜川市)~平将門の妻「君の御前」の父である平真樹の館がありました。
- 伝・平良兼館(竜ケ井城・竜崖城) ~平良兼は平将門の叔父にあたりこの地は「弓袋山の対陣」の舞台です。
- 藤岡城~平将門が弟に築かせ、藤姓足利氏の始祖・足利成行が再興したとのことです。
- 小山城~小山氏の始祖である小山政光が平安時代に築城、下野国最大の武士団を率いていました。
- 御殿城(御殿内遺跡)~「小栗十郎重成小栗御厨八田館」と考えられているそうです。
- 直秀~町辻で風刺劇を披露する散楽の一員、散楽とは奈良時代に大陸から移入された大衆芸能の起源
- いと~まひろ(紫式部)と弟の惟規の乳母、平安朝の乳母について
- 乙丸~まひろ(紫式部)に仕えている従者、平安貴族の女性の暮らしは?
- 百舌彦~藤原道長の従者、平安時代中期以降の貴族に仕える家臣・従者について
- 藤原寧子(藤原道綱母)~藤原兼家の妻の一人で、女流日記の先駆けと評されている「蜻蛉日記」の作者です。
- 藤原道綱~藤原道長の異母兄で母は「蜻蛉日記」の作者、おっとりとした性格で才に恵まれず。
- 藤原秀郷公墳墓と藤原秀郷~関東武士の憧れであり平将門の乱を平定した人物です。
- 一条天皇(懐仁)~「叡哲欽明」と評された賢王は笛の名手で皇后との「純愛」を育み、やがて平安王朝文化が開花。
- 花山天皇~藤原氏の策略で19歳で出家、独創的な発想の持ち主で好色、観音巡礼が後に「西国三十三所巡礼」として継承。
- 円融天皇~政治に関与し兼家と疎隔・対立するも、藤原詮子との間に後の一条天皇が誕生します。
- 大弐三位(紫式部娘・藤原賢子)~母からは和歌や文才を、父からは明朗で自由快活な気性を受け継ぎ、行動力溢れ長寿を全うしました。
- 藤原教通~同母兄の頼通への卑屈なまでの従順と確執、やがて藤原摂関家の衰退を招いていきます。
- 藤原頼通~藤原氏の栄華の象徴である平等院鳳凰堂を造営、摂関政治から院政と武士が台頭する時代へ。
- 伊勢大輔~「小倉百人一首」にもある「いにしへの」の歌が有名な平安時代の女流歌人です。
- 赤染衛門~理知的で優美な諷詠の女流歌人、おしどり夫婦であり良き妻良き母、「栄花物語」正編の作者とも。
- 和泉式部~和歌の才能にあふれた恋多き自由奔放な女性、娘への哀傷歌が有名です。
- 藤原隆家~藤原道隆の四男、「刀伊の入寇」で武勇を挙げ政敵・道長も一目置いた気骨ある人物です。
- 藤原伊周~藤原道隆の嫡男、急速に出世するも叔父・道長との政争に敗れ失意のうち世を去る。
- 藤原彰子~真面目で努力家で控えめな少女は成長して国母となり政治力を発揮し「賢后」となりました。
- 藤原定子~朗らかで才気に満ち華やかで美しい女性、父道隆の死で状況は一変し若くして散る。
- 源明子(源高明の娘)~藤原道長の妾妻で源俊賢の異母妹、明子の家系はやがて五摂家に繋がっていくのです。
- 源俊賢~一条朝の四納言の一人、父の源高明が政変で失脚するもバランス感覚に優れ権大納言まで昇進します。
- 藤原行成~世尊寺流の祖、実務に高い能力を発揮し人徳高く当代の能書家として後世「権蹟」と称されました。
- 藤原斉信~藤原道長の従兄弟で当初は道隆に仕えるも後に道長の腹心へ、清少納言との交流があり「枕草子」に登場します。
- 藤原公任~藤原北家小野宮流で政治的・芸術手的にも名門の出で「お坊ちゃま」、藤原道長とは同い年で四納言。
- 藤原実資~藤原北家嫡流の小野宮流の家領を継ぎ「賢人右府」と呼ばれ、貴重な資料である「小右記」を残す。
- 藤原頼忠~従兄弟の兼通とは親しく兼家とはライバル、天皇の外戚になれず失意のうちに世を去る。
- 源雅信~皇室の血筋で源倫子の父、藤原兼家にとっては邪魔な存在、宇多源氏の始祖で子孫は近江源氏・出雲源氏へと繋がっていく。
- 藤原穆子~源倫子の母親で藤原道長の才能を見抜き結婚を勧めた女性で紫式部とは遠縁です。
- 源倫子~6人の子供に恵まれ、夫である藤原道長の外戚政権を 実質的に完成させた女性です。
- 藤原宣孝~性格も女性関係も華やかで20歳以上も年上であった紫式部の夫。
- ちやは(藤原為信の娘)~紫式部の生母、藤原為時との間に一男二女を授かりますが若くして亡くなります。
- 藤原為時~漢詩の才能に長け、人格形成で紫式部に影響を与えたとされており、子らに先立たれる。
- 藤原惟規~紫式部の兄弟で和歌の才能があったが、越後にて父より先に亡くなる。
- 清少納言~末娘で父親からとても可愛がられて育ち、定子に仕え世界最古の随筆である「枕草子」を執筆します。
- 藤原時姫~藤原兼家の妻で藤原道隆・道兼・道長・超子・詮子の生母、一条・三条両天皇の祖母です。
- 高階貴子~身分は高くないが和歌と漢詩に秀でた才媛で藤原道隆の嫡妻、百人一首54番の情熱的な和歌が有名。
- 藤原詮子~藤原道長の姉、国母となりやがて日本最初の女院となって、権力を握り政治に介入する。
- 藤原道兼~父は藤原兼家、兄は藤原道隆、弟は藤原道長、待望の関白に就くも数日でこの世を去る。
- 藤原道隆~藤原道長の長兄、容姿端正、明朗で豪快、気配り上手な優れた跡継ぎでしたが病で急逝します。
- 藤原兼家~熾烈な権力闘争に勝ち、のちの藤原氏最盛期を築いた人物です。
- 藤原道長~初めは目立たずも後に政権を掌握、「一家立三后」をなし「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠む。
- 紫式部~世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を執筆した女流小説家で平安時代きっての才女。
- 武田氏
- 江戸時代
- 蔦屋重三郎~江戸のメディア王と呼ばれ、その時代の文化を華々しくプロデュースした快男児。
- 本居宣長と旧宅~国学の四大人であり、文献学者で医師で源氏物語をこよなく愛した人物です。
- 武州檜原村口留番所跡の木戸~江戸時代に「甲州中道」の大切な場所の為に設置されました。
- 徳川秀忠~江戸幕府2代将軍、幕藩体制の基礎を固め政権運営方針を次代に引き継ぐ。
- 名古屋城~日本100名城、特別史跡、日本三大名城、名勝、金鯱、起源は今川氏が築城し織田信秀・信長が居城した那古野城でした。
- 大浜陣屋~大浜藩の藩庁として築かれた陣屋で以前は大浜古城、羽城跡でした。
- 絵島(江島)囲み屋敷~江戸城大奥御年寄であった江島が「江島生島事件」後に幽閉された屋敷です。
- 木曽福島関所~中山道にあった関所で東海道の今切関所や箱根関所と同等の扱いでした。
- 石川数正~徳川家康の懐刀として西三河の家老になるも豊臣家に出奔、その真相は如何に?
- 江戸城~武蔵国江戸の最初の館は江戸氏、太田道灌が築城しやがて徳川家康が入城し開府しました。
- 伝通院~徳川将軍家の菩提寺次席、徳川家康の生母の於大の方、孫の千姫の墓があります。
- 桃林寺~八重山列島で最古の仏教寺院、山門の仁王像は津波で流されたものの、戻ってきました。
- 徳川家康~「麒麟」を連れて戦国時代を終わらせた天下人~その生涯を手短に!
- 徳川家臣
- ウィリアム・アダムス(三浦按針)~徳川家康に外交顧問として仕えたイギリス人のサムライです。
- 福島正則~秀吉の子飼い、武勇に長ける荒武者だが地元では英雄扱いされ行政面でも功績を残す。
- 伊奈忠次~松平信康の家臣で伊賀越え貢献で帰参、利根川東遷や荒川西遷、江戸幕府の財政基盤の確立に寄与。
- 蜂須賀家政~豊臣秀吉の友・小六の息子でやがて親家康大名、阿波踊りをはじめさせた徳島藩祖。
- 浅野長政~豊臣秀吉の姻戚で五奉行筆頭、政治面で手腕を発揮、関ヶ原では徳川家康を支持します。
- 黒田長政~朝鮮出兵で活躍するも石田三成と対立、徳川方になり関ケ原では一番の功労者となる。
- 藤堂高虎~渡り奉公人の代表格で主君とは対等に近し、築城三名人と称され藩政も長けていました。
- 阿茶局(雲光院)~徳川家康の厚い信頼を受け表裏共々活躍した戦国後期~江戸初期のバリキャリ女性。
- 稲(小松姫)~本多忠勝の愛娘で真田信幸(信之)の正室、男勝りで利発で良妻賢母という戦国期の理想の女性。
- 真田信幸(信之)~真田昌幸嫡男で真田家存続の功労者、信濃松代藩は江戸期を続き明治維新を迎えました。
- 中牧城(浄古寺城)~武田信玄時代に築城、後に徳川家康家臣が城代、遺構規模が多い城跡。
- 大岡弥四郎(大賀弥四郎)~民政や算術に長け岡崎の町奉行であったが武田と通じ謀反を画策する。
- 久松源三郎勝俊(松平康俊)~徳川家康の異父弟「久松三兄弟」、甲斐から三河へ脱出成功するも代償を払う。
- 奥平信昌~攻防最前線である奥三河の国人、徳川家康の娘婿となり、武田軍猛攻の中長篠城を死守する。
- 鳥居強右衛門~奥平家の家臣で長篠の戦いで英雄となった戦国時代の「走れメロス」
- 加藤清正~多くの戦功、治水事業、農業、商業に手腕を発揮し築城の名手であり「清正公さん」として信仰されています。
- 徳川秀忠~江戸幕府2代将軍、幕藩体制の基礎を固め政権運営方針を次代に引き継ぐ。
- 茶屋四郎次郎(初代は茶屋清延)~三代に渡って徳川家康に仕え、多方面より支えた京都の豪商です。
- 穴山信君(穴山梅雪)~武田氏の家臣で御一門衆、信玄から厚い信頼がありましたが、勝頼の代になると裏切ります。
- 小幡景憲~甲州流軍学の創始者で「甲陽軍鑑」成立に携わった人物、墓所は厚木市にある蓮生寺。
- 中山家範館~武蔵七党の丹党、中山家範は八王子城で戦死、子の中山信吉は水戸藩附家老に出世。
- 木曾義昌(木曽義昌)~妻は信玄の娘、武田勝頼を裏切った代償、やがて木曽から下総国阿知戸へ行きます。
- 結城秀康~徳川家康の次男、父から冷遇され兄の信康の計らいで対面を果たし、秀吉、結城氏の養子となる。
- 池田輝政~徳川家康の婿殿で寡黙ながら大活躍し、姫路城を現在ある姿にしました。
- 本多正信~一度は袂を分かつも盟友として家康を支え、徳川政権樹立の陰の立役者とされています。
- 今川氏真~お坊ちゃま育ちで蹴鞠の名手、家は失えど強かに生き抜き明治まで子孫を繋ぎました。
- 渡辺守綱~家康とは同い年で「槍半蔵」と呼ばれ「鬼半蔵」の服部正成と並び称されました。
- 久松長家(俊勝)~徳川家康の母の再婚相手、水野信元暗殺事件に激怒して隠遁しました。
- 松平昌久~元々は岡崎城を領し、松平清康に敗れた大草松平家の4代当主です。大草松平氏とは?
- 夏目広次(吉信)~三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなり戦死、夏目漱石のご先祖様でもあります。
- 本多忠真~本多忠勝の叔父で甥の本多忠勝を最強の武士に育て上げ、三方ヶ原の戦いで散ります。
- 松平信康(徳川信康)~将来を有望されていた嫡男でしたが、築山殿と共に非業の死を遂げます。
- 服部正成(服部半蔵)~家柄は松平清康からの家臣で伊賀衆と甲賀衆を指揮、彼自身は忍者の頭領にあらず。
- 平岩親吉~徳川家康に幼年から仕え、嫡男の松平信康の傅役、名古屋城築城の総指揮官となりました。
- 井伊直政~徳川四天王の最年少、小柄で容顔美麗ながら井伊の赤鬼として勇猛果敢に生涯を駆け抜ける。
- 鳥居元忠~竹千代時代からの側近で伏見城にて玉砕、その最期は血染め畳と血天井として後世に伝えられています。
- 榊原康政~徳川四天王、部隊の指揮に優れ能筆家で、井伊直政・本多忠勝とは特に仲が良かったとされています。
- 酒井忠次~東三河の旗頭で徳川家康第一の功臣、嫡男の信康切腹事件では防げなかったとありますが果たして?
- 本多忠勝~徳川四天王の中でも屈折の剛勇者で愛槍の「蜻蛉切」で主君を救いました。
- 石川数正~徳川家康の懐刀として西三河の家老になるも豊臣家に出奔、その真相は如何に?
- 大久保忠世~家柄は松平清康からの家臣で、武功を上げ武田信玄からも称賛されたほどでした。
- 鳥居元吉~岡崎譜代の忠臣で徳川家康を支え「三河武士の鑑」と称された人物です。
- 江戸太郎重長と武蔵江戸氏について~武蔵国の武家で秩父氏一族であり所領のあった場所が東京の地名に今も残っています。
- 井田城~徳川四天王の一人である酒井忠次の出生の城で、酒井氏の先祖は松平氏です。
- 松平家
- 久松源三郎勝俊(松平康俊)~徳川家康の異父弟「久松三兄弟」、甲斐から三河へ脱出成功するも代償を払う。
- 奥平信昌~攻防最前線である奥三河の国人、徳川家康の娘婿となり、武田軍猛攻の中長篠城を死守する。
- 鳥居強右衛門~奥平家の家臣で長篠の戦いで英雄となった戦国時代の「走れメロス」
- 万~於万の方(小督の局、長勝院)、徳川家康の次男である結城秀康の生母となります。
- 松平広忠~戦続きで敵だらけ、幼き頃に父を失い妻子とも別れ若い命を散らした悲運の生涯でした。
- 安祥城~織田・松平・今川で激しい戦闘が幾度もあった城で三河安祥之七御普代の発祥地。
- 松平昌久~元々は岡崎城を領し、松平清康に敗れた大草松平家の4代当主です。大草松平氏とは?
- 松平信光と岩津城~三河松平氏3代目当主で戦国大名・松平氏の基礎を築いた人物です。
- 鎌倉殿の13人
- 多気城 (常陸国)~伝承では大掾氏の平維幹が築城した「多気の山城」、現時点は戦国時代に築城とされる謎の城。
- 羽黒城~梶原景時の孫である梶原景親が築城し尾張梶原氏として存続するも「本能寺の変」にて殉じ、滅亡しました。
- 源頼茂~摂津源氏で在京御家人で鎌倉と朝廷を仲介する立場、後鳥羽院に追討され自害。
- 藤原秀康~承久の乱での朝廷側の大将軍ですが、後鳥羽上皇に見捨てられ京で斬られます。
- 三浦光村~三浦義村の四男で公暁の門弟、将軍派で反北条であり宝治合戦で三浦宗家が滅亡。
- 聖眼寺(厚木市三田)~安達盛長屋敷跡、厚木市で最も古い宝篋印塔があります。
- 金子家忠~大剛勇の強者として活躍した武蔵七党・村山党の金子一族で入間に墓と屋敷跡があります。
- 長沼宗政~結城朝光の兄で「荒言悪口の者」と評された暴れん坊ですが所領も沢山ありました。
- 三浦胤義~三浦義村の弟で妻は源頼家の側室、承久の乱では京方として三浦一族と激闘の末、自害します。
- 徳音寺にある木曽(源)義仲公之墓と小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓、義仲館と巴淵
- つつじ(辻殿)~源頼家の正室で「吾妻鏡」では公暁の生母、父は足助重長、祖父は源氏の勇者と名高い源為朝です。
- 源仲章~後鳥羽院の廷臣であり鎌倉幕府の在京御家人という二重スパイ的立場で実朝と共に散ります。
- 慈円~歴史書「愚管抄」の著者で九条兼実は同母兄、天台座主を務め小倉百人一首にも選出されています。
- 藤原兼子~後鳥羽天皇の乳母で院政で権勢をふるい朝幕関係に手腕を発揮するも承久の乱後に権力を失う。
- 平賀朝雅~源氏門葉の一族で妻は北条時政と牧の方の娘、故に権力争いの渦中に巻き込まれていきます。
- 土御門通親~村上源氏の嫡流で九条兼実を失脚させ、やがては朝廷政治を掌握します。
- 稲毛重成と枡形城~秩父一族で畠山重忠とは従兄弟、相模川の橋を架橋したと伝わる人物です。
- 清光寺~豊島清元(豊島清光)開基で居館が近くにあり豊島氏発祥の地に建つ寺院です。
- 藤原国衡~藤原秀衡の長庶子で藤原泰衡の異母兄、蝦夷の血を引く彼は武勇に優れており家中の期待も高かった。
- 藤原 泰衡~奥州藤原氏最後の当主、源義経や身内の命を犠牲にしても彼が守りたかったものとは何か?
- 一条忠頼~甲斐源氏棟梁である武田信義の長男、駿河を掌握するも源頼朝の命を受けて誅殺された。
- 矢部禅尼~三浦義村の娘で北条泰時の正室、子供達は相模三浦氏や戦国大名の蘆名氏につながる。
- 平知盛~入道相国最愛の息子、一門の最後を見届け散り行く様は歌舞伎になりました。
- 梶原景季~梶原景時の嫡男で治承・寿永の乱や宇治川の先陣争い、箙に梅花の枝など軍記で華やかな逸話がある人物。
- 運慶~日本彫刻史上最も有名な人物でその作風は力強く躍動的で写実的です。
- 海野幸氏~弓馬の宗家と讃えられ曾我兄弟の仇討ちの際には源頼朝の護衛役、滋野氏の嫡流の家柄です。
- 渋川館について~梶原景時及び梶原一族と合戦になり自害に追い込んだ入江一族。
- 梶原山公園~梶原景時及び梶原一族の終焉の地、現在は大パノラマと夜景が素晴らしい静岡きっての眺望の地です。
- 公暁~源頼家の息子で源頼朝の孫、叔父であり義理の父親でもある源実朝暗殺の実行犯となった。
- 九条兼実~九条流の祖、正しき政治体制を目指した厳格さを持つ人物で「玉葉」の著者。
- 川和城跡~源義経の郎党であり、武蔵武士である熊井太郎忠基の名が刻まれた碑があります。
- 郷御前(里)~父は河越重頼で祖母は比企尼、源義経に寄り添い最期を共にした正妻です。
- 北条時房~初代連署で六波羅探題南方、北条義時の弟で甥の北条泰時とは最高の相棒であり好敵手でした。
- 小笠原長清~弓馬四天王と称され、武家の有職故実を伝える小笠原一族の始祖です。
- 秋山光朝~加賀美遠光の長男、甲斐源氏の勢力拡大を恐れた源頼朝に疎まれ謀殺されます。
- 御所五郎丸~曽我兄弟の仇討事件で源頼朝の危機を救ったとされている人物です。
- 板額御前~鎌倉時代初期に実在した女武将、後に弓の名手の浅利与一の妻になりました。
- 浅利与一義成(浅利義遠)~甲斐源氏の一族で弓の名手であり武田信義・加賀美遠光とは兄弟です。
- 大弐局 ~加賀美遠光の娘で兄弟には小笠原氏・南部氏がおり、源頼家・源実朝の養育係を務めた女性です。
- 加賀美遠光~甲斐源氏で武田信義の叔父又は弟、小笠原氏・奥州南部氏の祖でもあります。
- 武田信義館跡~甲斐武田氏の祖である武田信義が館を構え、縁の地名も伝えられています。
- 武田信義~甲斐源氏であり武田氏の初代当主となり、武田信玄の遠いご先祖様です。
- 平維盛~平清盛の嫡孫で桜梅少将と称される美貌の貴公子でしたが、最期は自ら散ります。
- 義円~源義朝の八男で源義経と阿野全成とは同母兄弟で源頼朝の異母弟、墨俣川の戦いで散る。
- 堤信遠~山木兼隆の後見人で伊豆の権守、源氏が平家を征する最初に放った矢となりました。
- 足立遠元~十三人の合議制のメンバー、平治の乱で活躍し、東国武士ながらも文官の素養を持つ人物でした。
- 二階堂行政、13人の合議制のメンバーで初期の鎌倉政権を支えた実務官僚でした。
- 八田知家~小田氏の始祖であり十三人の合議制の一人で源氏4代に仕えた人物です。
- 平知康~後白河法皇からの信任篤き人物でしたが木曾義仲、源義経、源頼家と源氏との相性はイマイチでした。
- 一戦場古戦場 ~安房に逃れた源頼朝が奇襲にあい、合流した三浦義澄が討ち取った古戦場
- 佐原義連と相模・佐原城、一ノ谷の合戦「鵯越の逆落とし」一番乗りの武勇で有名、会津・蘆名氏の祖です。
- 三浦義明と衣笠城合戦~長老は自らの命を盾に三浦一族の未来を守りました。
- 三浦義澄~源頼朝を支えた宿老の一人で13人の合議制のメンバーで相模守護。三浦一族の栄枯盛衰。
- 静御前~源義経の愛妾、儚い幸せとその後の寂寞たる足跡は今に語り継がれています。
- 上総広常~房総平氏の惣領家で源義朝の郎党~平家政権の打倒よりも関東の自立を目指し殺される
- 曽我兄弟の縁の地・富士宮市~井出の代官屋敷・曽我八幡宮・曽我兄弟の供養塔・曽我の隠れ岩・音止の滝
- 曽我兄弟の縁の場所(富士市)~化粧坂少将(姫宮神社)・曽我寺・曽我八幡宮・五郎の首洗い井戸
- 富士塚城址~飯田五郎家義の居館跡で、石橋山の戦いで源頼朝を救った武将で渋谷重国の子です。
- 渋谷氏長後居跡~河崎基家が館を構え、その子である河崎重家、さらに孫である渋谷重国が居住しました。
- 比企朝宗~比企一族で源頼朝と朝廷に仕えており才色兼備である姫の前の父親です。
- 横山党館~八幡八雲神社(八王子)・横山党は武蔵七党の一つで関東最大勢力の武士団です。
- 糟屋有季~糟屋(糟谷)氏の所領は伊勢原市一帯で横山党とも繋がりがあります。糟屋氏一族の城所城跡があります。
- 中村宗平~中村党の祖で源頼朝を支えてきた武士団で、鎌倉党とは大庭御厨を巡る対立がありました。
- 岡崎義実~代々源氏の家人で特に忠義心厚い人物。三浦一族だが中村党とも深い関係で真田与一の父親です。
- しとどの窟(湯河原)・(真鶴)、隠れながら追手をかわして岩海岸から安房国へ船出しました。
- 石橋山の戦い~源頼朝旗揚げの地!300VS敵3000!大敗するも真鶴から安房へ逃れて再挙を図る。
- 佐奈田霊社~石橋山の戦いで壮絶な死を遂げた真田(佐奈田)与一を祀っています。
- 河内源氏の栄枯盛衰~形成から興隆、衰退、初の武家政権となった鎌倉幕府と次の室町時代。
- 比企掃部允~比企尼の夫、ナゾ多き人物で居住していた三門館跡にもナゾがあります。
- 真田城~神奈川県平塚市にある真田の郷、真田與一義忠(佐奈田義忠)について。
- 虎御前~曽我兄弟の兄・曽我十郎祐成の愛妾、山下長者屋敷(住吉要害)で生まれ育ったとされています。
- 満江(万劫)御前~曽我兄弟を含めて5人の子供のお母さんで狩野茂光の孫娘です。屋敷跡やお墓があります。
- 結城朝光~誇り高く抜け目ない政治力と巧みな弁舌で鎌倉幕府に重きを成していきます。
- 寒河尼(網戸尼)~源頼朝の乳母で結城朝光の母、女地頭となり長寿を全うしました。
- 三善康信~鎌倉幕府の初代問注所執事で母は源頼朝の乳母の妹です。問注所とは裁判機関のことです。
- 平賀義信~源氏御門葉及び御家人筆頭として権勢を誇る。平賀氏は2つの系統があります。
- 足利義兼~足利宗家2代目で足利尊氏のご先祖様さま、源頼朝の門葉で妻は北条時子で足利公方邸を構えました。
- 北条時子~足利義兼の正室で北条政子の同母妹、身の潔白の為に自害。お腹が膨れた原因は寄生虫の可能性あり。
- 泉親衡(泉小次郎)~泉親衡の乱は和田一族の炙り出し?泉小次郎館跡と小次郎馬洗いの池が泉区にあります。
- 伊賀の方~北条義時の継室で7代執権の北条政村の生母、伊賀氏の変は政子との女性の戦か?
- 伏見広綱~源頼朝の有能な右筆、のハズが頼朝の兄嫁への恋文の使いと亀の前を匿って遠江に流罪となりました。
- 由比若宮(元八幡)、河内源氏の源頼義が前九年の役の勝利で勧請したお社です。
- 北条氏常盤亭跡と北条政村について~鎌倉幕府第7代執権、連署も務め北条得宗家を支えた人物。
- 勝長寿院跡、源頼朝が建立した源氏の菩提寺で大御堂といいます。当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。
- 武蔵坊弁慶~紀伊国出身の荒法師だったが源義経の郎党となり、多くの創作や伝説を生んだ人物。
- 白幡神社(藤沢)・源義経首洗塚・伝義経首洗い井戸・弁慶塚、旧藤沢宿の源義経にまつわる史跡
- 梶原景時一之宮館跡(寒川)、鎌倉幕府の重臣である梶原景時の最初と最後の住まいでした。
- 天野遠景~工藤氏の一族で天野氏の祖~初代の鎮西奉行に就任。子孫が各地で根付き繁栄します。
- 天野政景、承久の乱で活躍し、遠江・武蔵・安芸国・信濃国等の各地に多くの所領を得ます。
- 比企能員の妻~「鎌倉殿の13人」では道、渋河氏、三浦氏と比企氏、そして源氏との深い関係と安房国
- 後鳥羽院(後鳥羽上皇)、承久の乱を起こし文武両道多芸多能で怨霊伝説もあるスゴイ人物。
- 北条義時~鎌倉幕府2代執権~冷酷無情・現実を客観視して行動できる理想家なのか?
- 河津三郎祐泰と血塚・伊東祐親の嫡男で曽我兄弟の父親であり曽我兄弟の仇討はここから始まりました。
- 阿野全成~源頼朝の異母弟で源義経の同母兄~妻の実家側について甥の源頼家とやがて対立する。
- 平清盛~平家の黄金期を築いた棟梁~先見性と革新的思考で時代を切り開き後世に託す。
- 平宗盛~最後の平家の棟梁~偉大なる父の跡はいばらの道だらけ、イクメンで家族思いのパパでもありました。
- 藤原秀衡~奥州藤原三代当主にて最も平泉を繁栄させ、源義経を二度庇護した人物です。
- 後白河院(後白河院天皇)(後白河法皇)「治天の君」の地位を保持した「日本一の大天狗」の異名をとる人物。
- 1分でわかる比奈(姫の前)~北条義時の正室、源頼朝お気に入りの女官で絶世の美女だが、比企一族の乱で離縁。
- 岩殿観音正法寺 ・開基1300年の古刹、源頼朝の庇護の下比企能員が再興し北条政子の守り本尊となる。
- 安楽寺(吉見観音)、比企三山の一つで源範頼が身を隠したと伝わる名刹です。
- 山吹御前~木曾義仲(源義仲)の妻妾で木曾義高(源義高)の生母とも伝えられています。
- 比企尼~源頼朝の乳母~ずっと支え続けた偉大なゴッドマザーで鎌倉幕府創立の陰の功労者。
- 巴御前~強弓の名手で荒馬乗りの美貌の女武者、常に木曾義仲の傍にいたが最期の時だけは叶わず。
- 山内首藤経俊~源頼朝からは無益な者との評価でも母のお陰で地位は保全されました。
- 文覚~元は北面の武士だが恋する女性を殺めて19歳で出家、源頼朝に挙兵を促した型破りな怪僧
- 木曾義仲(源義仲)河内源氏で源頼朝とは従兄弟、美男子で信義と情を備えていたが武骨で公家文化に疎かった。
- 千葉常胤~桓武平氏の流れをくむ千葉氏の中興の祖~鎌倉幕府成立に大きく貢献した人物です。
- 牧宗親~北条時政の継室である牧の方の兄(もしくは父)、源頼朝と北条時政に仕えており板挟みでツライよ?
- 大庭景親~坂東八平氏の鎌倉氏の一族~最期まで平家に忠誠を尽くした人物です。
- 伊東佑清~八重姫の兄で曽我兄弟の叔父、親交のあった源頼朝を父から助けるが平家方につく。
- 工藤佑経~復讐の連鎖の果てに~曽我兄弟の仇討の相手で後見人の伊東祐親に所領と妻を奪われてしまった人
- 源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。
- 北条泰時~第3代執権で道理の人~北条執権政治の中興の祖で御成敗式目を制定した人物
- 源実朝~3代将軍にて天才歌人~繊細で思慮深く秘めた志あり、やがて雪の中に散っていく。
- 宇佐美氏について~祖は工藤佑経の弟の宇佐美祐茂~宇佐美城と宇佐美一族の墓に行ってきました。
- 源行家~平治の乱から熊野に隠れて20年、交渉力はあるが戦下手で、武将よりも別の才能があった人物。
- 源義経~戦略家且つ戦術家であった若き天才~その悲運な生き様はやがて伝説となった。
- 中原親能~朝廷と幕府の交渉役のエキスパート~実務官吏でありながら戦にも従軍する
- 実衣(阿波局)(北条時政の娘)、梶原一族滅亡の火付け役?夫は阿野全成で源実朝の乳母となります。
- 北条政子~いちずに恋した乙女は幾多の悲しみと困難を乗り越え尼将軍となった。
- 大江広元~四男の毛利季光は毛利氏の祖となりやがて戦国大名の毛利氏へと続きます。
- 北条時政~先見性を持ち才腕を振るって幕府の実権を掌握するが暴走して寂しく去る。
- 梶原景時~鎌倉ノ本体ノ武士~文武両道で実務能力の高さ故に疎まれやがて滅ぶ。
- 丹後局(高階栄子)~中流官僚の妻から後白河法皇の寵愛を受け、政治家として権勢を振るった美女
- 丹後局(丹後内侍)、源頼朝の妻妾で比企一族ともされています。供養塔が横浜にあります。
- 源(木曽)義高~大姫の婚約者~幼くも純粋な愛を育むが源頼朝により命を散らす
- 大姫~源頼朝と北条政子の長女~生涯をかけて愛を貫いた儚くも一本気な姫、静御前と心を通わせる
- 三幡(乙姫)~源頼朝と北条政子の次女、父親と同じ年に14歳にて早世した姫
- 三浦義村~鎌倉幕府の創設期から執権政治の確立まで仕え権謀術数に優れた策略家
- 鐙摺山(鐙摺城址)とは?小坪合戦(畠山VS三浦)・伊東祐親終焉の地・亀の前居住・源実朝が一句・三浦道寸が物見
- 畠山重保~畠山重忠の嫡男「六郎さま」・訳も知らぬまま謀反の疑いをかけられあえなく散る。
- 比企能員~源頼朝を支え有力御家人として権勢を握るも北条氏に嵌められ1日で滅ぶ。
- せつ(若狭局)~比企一族で源頼家の妻で一幡と竹御所の母~大蛇となり比企ヶ谷を護る存在となった。
- 一幡~一幡之君袖塚~源頼家の長男として誕生するもわずか6歳で人生の幕を閉じる。
- 竹御所・源媄子(源鞠子)~源頼朝の孫で幕府の権威の象徴だったが赤子と共に散る
- 源頼家~悲劇の2代目~北条VS比企、時々朝廷、そして東国武士の権力闘争が渦巻く時期。
- 十三士の墓~源頼家の家臣たちの眠る場所
- 指月殿~伊豆で最古の木造建築~北条政子が我が子である源頼家の菩提所として建立。
- 城願寺~神奈川県指定文化財となっている土肥一族のお墓と国指定天然記念物・ビャクシンがあります。
- 土肥実平とその妻~武士団「中村党」の中心であり頼朝から厚い信頼を受けた宿老~小早川家の祖。
- 冷川(ひえかわ)不動尊~高源寺の不動院と伝わる場所~優しい雰囲気の滝があります。
- 北条宗時~北条時政の嫡男で北条政子、北条義時の兄であったが石橋山の戦いで散る、異説有り。
- 工藤(狩野)茂光~伊豆半島最大の勢力を築いた狩野氏~末裔に絵師集団「狩野派」がいます。
- 加藤景廉~頼朝挙兵以来の側近で承久の乱まで生き残る。長男は遠山氏の祖で有名となった子孫あり!
- 伊東佑親~源頼朝の配流地の監視役で八重姫の父であり、北条義時・曽我兄弟・三浦義村の祖父。
- 伊豆山神社~頼朝が伊東祐親より逃げ込み、政子との逢瀬を重ねた伊豆の地名の発祥の地
- 頼朝一杯水~源頼朝が伊豆山への逃避中に休息し水を飲んだと伝わる場所です
- 稚児ケ淵~頼朝と八重姫の子・千鶴丸が沈められたと伝わる場所~松川の上流です。
- 日暮八幡神社~源頼朝が八重姫に会うために待ったひぐらしの森~日暮遺跡(弥生時代)の場所でもあります。
- 音無神社~源頼朝が八重姫との逢瀬を重ねた伝承の地~ひぐらしの森で待ちわびて音無の森で密会♪
- りく(牧の方)~北条時政を操り?陰謀を巡らせジャマな将軍や御家人たちを消したヤバすぎる人
- 亀の前~頼朝が流人時代から寵愛していた女性~そして政子の諸事情について
- 山木判官平兼隆館跡~伊豆目代平兼隆の襲撃~源氏再興の狼煙はここから始まりました。
- 北条氏邸跡(円成寺跡)~北条氏の本拠地で鎌倉幕府滅亡後は尼寺として一族の冥福と鎮魂を祈った地
- 安達盛長~源頼朝を流人時代からの側近で生涯に渡って支え続け厚い信頼を得た人物。
- 源範頼~ひそやかに育てられ、兄の源頼朝のために尽力するも嵌められて消えてゆく
- 真珠院・八重姫御堂~八重姫とは?父親たちの選択によって明暗を分けた娘たち。
- 女塚史跡公園~八重姫の5人の侍女たちの終焉の場所と伝わる処です
- 堀藤次親家館跡~源頼朝の挙兵当初からの側近で源頼家の信頼が厚かった人物
- 仁田館跡~慶音寺に今も残る土塁と堀。仁田忠常について。
- 大見城跡(伊豆)~鎌倉御家人の大見氏はやがて越後に行き、水原氏から杉原氏となる。
- 相良城跡~相良氏館⇒相良古城⇒相良御殿⇒相良陣屋⇒老中・田沼意次の近世相良城。
- 大田和城址~大多和氏は三浦義明の三男である大多和三郎義久が築城しました。
- 小山田城址・築城は小山田氏の祖である小山田有重、小山田神社に小山田氏の足跡あり。
- 河村城跡~平安時代から鎌倉時代、南北朝、戦国の世に在り続けた山城と河村氏。
- 藤原範茂卿~墓所は範茂史跡公園~承久の乱の勝利で鎌倉武家政権は盤石となる。
- 七尾城跡~国史跡の日本五大山城~能登畠山氏の本拠地。上杉謙信、前田利家も登場する能登の歴史攻防の城。
- 時国家(本家・上時国家)~能登平家の郷~祖先は平大納言時忠。源義経との関係は??
- 時國家(下時国家)~能登平家の郷~ご先祖様は平大納言時忠
- 能登・野崎城(野崎砦)~天野氏が築城~能登天野氏とは?先祖は承久の乱で活躍した天野政景。
- 穴水城跡~畠山七人衆で、加賀八家である長一族の元々の本拠地~ご先祖は長谷部信連
- 津幡城~平維盛が砦を築き、富樫氏が戦い、上杉謙信が布陣、前田利家が末森城の合戦の軍議を開いた城。
- 山田城山~源義朝の家臣である鎌田政清の居館とされる場所
- 河崎氏館について~渋谷氏の祖でありやがて近江源氏の佐々木氏を援助し間宮氏に続く
- 鎌倉幕府の政所跡について
- 和田義盛と和田合戦~三浦一族~鎌倉幕府創始の功臣だが北条義時に嵌められる
- 蛭ヶ小島~源頼朝が20年間過ごし北条政子と夫婦となった配流地~
- 渋谷城~都会の繁華街の片隅にひっそりと存在する古城跡~城主は渋谷氏
- 高崎城跡~井伊直政が築城し改修は安藤重信~元は鎌倉時代から存在し戦国時代を耐えた和田城
- 女性
- さわ~紫式部(まひろ)の友人、史実では平維将の娘である従姉妹の筑紫の君の可能性あり。
- 藤原忯子(弘徽殿の女御)~花山天皇の寵愛を受けた女御、懐妊するも夭逝し寛和の変の引き金となる。
- お江(崇源院)~2代将軍・徳川秀忠の正室は浅井三姉妹の三女、波乱万丈な人生を送りその血筋は現代の皇室に繋がっています。
- 寧々(おね・高台院)~豊臣秀吉の正室、夫を内助の功で支え続けやがて天下人にさせた「おかか」
- 千姫~織田の血を引く将軍家の超お嬢様、祖母譲りの美貌、波乱万丈の人生でも自分らしさを貫きました。
- 阿茶局(雲光院)~徳川家康の厚い信頼を受け表裏共々活躍した戦国後期~江戸初期のバリキャリ女性。
- 淀殿~母はお市で浅井三姉妹の長女、波乱万丈の人生を烈火の如く駆け抜けました。
- 稲(小松姫)~本多忠勝の愛娘で真田信幸(信之)の正室、男勝りで利発で良妻賢母という戦国期の理想の女性。
- いと~まひろ(紫式部)と弟の惟規の乳母、平安朝の乳母について
- 藤原寧子(藤原道綱母)~藤原兼家の妻の一人で、女流日記の先駆けと評されている「蜻蛉日記」の作者です。
- 大弐三位(紫式部娘・藤原賢子)~母からは和歌や文才を、父からは明朗で自由快活な気性を受け継ぎ、行動力溢れ長寿を全うしました。
- 伊勢大輔~「小倉百人一首」にもある「いにしへの」の歌が有名な平安時代の女流歌人です。
- 赤染衛門~理知的で優美な諷詠の女流歌人、おしどり夫婦であり良き妻良き母、「栄花物語」正編の作者とも。
- 和泉式部~和歌の才能にあふれた恋多き自由奔放な女性、娘への哀傷歌が有名です。
- 藤原彰子~真面目で努力家で控えめな少女は成長して国母となり政治力を発揮し「賢后」となりました。
- 藤原定子~朗らかで才気に満ち華やかで美しい女性、父道隆の死で状況は一変し若くして散る。
- 源明子(源高明の娘)~藤原道長の妾妻で源俊賢の異母妹、明子の家系はやがて五摂家に繋がっていくのです。
- 藤原穆子~源倫子の母親で藤原道長の才能を見抜き結婚を勧めた女性で紫式部とは遠縁です。
- 源倫子~6人の子供に恵まれ、夫である藤原道長の外戚政権を 実質的に完成させた女性です。
- 五徳(徳姫)~織田信長の長女で徳川(松平)信康に嫁ぎ二人の娘が誕生、が夫と義母の罪状を出す。
- 万~於万の方(小督の局、長勝院)、徳川家康の次男である結城秀康の生母となります。
- 督姫~徳川家康の次女、和睦の為に北条氏直に嫁ぎ、その後は池田輝政と再婚して5男2女を授かりました。
- お葉(西郡局)~家康の次女で北条氏直及び池田輝政の妻となった督姫の生母で姉妹にはお田鶴の方(椿姫)がいます。
- お田鶴の方(椿姫)~今川一族で祖母は寿桂尼、夫亡き後の城を守り緋威の甲冑を纏い家康と最期まで戦った烈女。
- 於大の方~徳川家康の生母、戦国の動乱の中を逞しく生き抜いた女性です。
- お市~織田信長の自慢の妹、聡明で戦国一の美女と謳われた女性の激烈な人生。
- 糸(早川殿)~政略結婚で今川氏真の正室になりましたが、最期まで添い遂げました。
- 登与(酒井忠次の妻)~正室ならば徳川家康の叔母である碓井姫であり、側室は数人おりました。
- たね(築山殿侍女)~西郷局暗殺疑惑の侍女か、伊奈忠基の娘か、河井某か、藤原南家流の川井氏か、それとも?
- 巴~家康の正室である築山殿(瀬名)の生母で今川義元の妹とされていますが実は?
- 築山殿(瀬名)~徳川家康の正室で松平信康と亀姫の生母ですが、後に非業の死を遂げます。
- 於愛の方(西郷局)~徳川家康の側室で2代将軍となる徳川秀忠の生母となります。
- つつじ(辻殿)~源頼家の正室で「吾妻鏡」では公暁の生母、父は足助重長、祖父は源氏の勇者と名高い源為朝です。
- 藤原兼子~後鳥羽天皇の乳母で院政で権勢をふるい朝幕関係に手腕を発揮するも承久の乱後に権力を失う。
- お万(養珠院)~徳川家康の側室で紀州徳川家祖の頼宣と水戸徳川家祖の頼房の母です。
- 矢部禅尼~三浦義村の娘で北条泰時の正室、子供達は相模三浦氏や戦国大名の蘆名氏につながる。
- 亀姫(徳川家康の長女)、母は築山殿で夫の奥平信昌との間には4男1女を授かりました。
- 郷御前(里)~父は河越重頼で祖母は比企尼、源義経に寄り添い最期を共にした正妻です。
- 板額御前~鎌倉時代初期に実在した女武将、後に弓の名手の浅利与一の妻になりました。
- 大弐局 ~加賀美遠光の娘で兄弟には小笠原氏・南部氏がおり、源頼家・源実朝の養育係を務めた女性です。
- 宝福寺~坂本龍馬が脱藩を許され飛翔之地、唐人お吉が眠る下田のお寺です。
- 静御前~源義経の愛妾、儚い幸せとその後の寂寞たる足跡は今に語り継がれています。
- 虎御前~曽我兄弟の兄・曽我十郎祐成の愛妾、山下長者屋敷(住吉要害)で生まれ育ったとされています。
- 満江(万劫)御前~曽我兄弟を含めて5人の子供のお母さんで狩野茂光の孫娘です。屋敷跡やお墓があります。
- 寒河尼(網戸尼)~源頼朝の乳母で結城朝光の母、女地頭となり長寿を全うしました。
- 北条時子~足利義兼の正室で北条政子の同母妹、身の潔白の為に自害。お腹が膨れた原因は寄生虫の可能性あり。
- 伊賀の方~北条義時の継室で7代執権の北条政村の生母、伊賀氏の変は政子との女性の戦か?
- 1分でわかる比奈(姫の前)~北条義時の正室、源頼朝お気に入りの女官で絶世の美女だが、比企一族の乱で離縁。
- 山吹御前~木曾義仲(源義仲)の妻妾で木曾義高(源義高)の生母とも伝えられています。
- 比企尼~源頼朝の乳母~ずっと支え続けた偉大なゴッドマザーで鎌倉幕府創立の陰の功労者。
- 巴御前~強弓の名手で荒馬乗りの美貌の女武者、常に木曾義仲の傍にいたが最期の時だけは叶わず。
- 実衣(阿波局)(北条時政の娘)、梶原一族滅亡の火付け役?夫は阿野全成で源実朝の乳母となります。
- 北条政子~いちずに恋した乙女は幾多の悲しみと困難を乗り越え尼将軍となった。
- 丹後局(高階栄子)~中流官僚の妻から後白河法皇の寵愛を受け、政治家として権勢を振るった美女
- 丹後局(丹後内侍)、源頼朝の妻妾で比企一族ともされています。供養塔が横浜にあります。
- 大姫~源頼朝と北条政子の長女~生涯をかけて愛を貫いた儚くも一本気な姫、静御前と心を通わせる
- 三幡(乙姫)~源頼朝と北条政子の次女、父親と同じ年に14歳にて早世した姫
- せつ(若狭局)~比企一族で源頼家の妻で一幡と竹御所の母~大蛇となり比企ヶ谷を護る存在となった。
- 竹御所・源媄子(源鞠子)~源頼朝の孫で幕府の権威の象徴だったが赤子と共に散る
- りく(牧の方)~北条時政を操り?陰謀を巡らせジャマな将軍や御家人たちを消したヤバすぎる人
- 亀の前~頼朝が流人時代から寵愛していた女性~そして政子の諸事情について
- 真珠院・八重姫御堂~八重姫とは?父親たちの選択によって明暗を分けた娘たち。
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- 深芳野とは 斎藤道三の側室になった稲葉家の女性 みよしの
- 光秀の妻・明智煕子と明智一族の墓がある西教寺~互いを支え合い深い絆で結ばれた夫婦~
- 城跡
- 赤見城~藤姓足利氏である足利俊綱が平安時代末期に築城、戦国期は赤見氏の城で400年の歴史があります。
- 御城~梶原景時の六男である梶原景則が築城したとの伝承、近くには梶原氏の菩提寺があります。
- 徳次郎城(宇都宮市)~宇都宮氏家臣の新田徳次郎昌言が日光山僧兵対策で築城。
- 中里城(宇都宮市)~氏家公頼の二男である中里高信が鎌倉時代に築城し主家は宇都宮氏でした。
- 大宮城(塩谷町)~千葉常胤の子孫である大宮胤景が築城、その後は城主が変遷したと考えられています。
- 玉生城~塩谷朝業の曾孫の玉生忠景(忠昌)が鎌倉時代に築城、慶長2年まで玉生氏の城でした。
- 下野・川崎城~藤姓塩谷氏の塩谷朝業が鎌倉時代初期に本拠地として築城、塩谷(しおのや)氏とは?
- 矢板城~源姓塩谷氏の重臣矢板重郎盛兼が築城との伝承、川崎城の北の守りの支城でした。
- 大田原城~武蔵七党・丹党の一族である大田原氏が築城、326年間外様城主大名として存続。
- 黒羽城~大関高増が戦国期に築城し、黒羽藩として明治まで存続、松尾芭蕉も城下に滞在しました。
- 白旗城(本城山)~「白旗」の地名は源頼義の前九年の役の戦揃えが由来、築城者の大関氏について。
- 那須神田城~那須氏最初期の居城であり、那須与一宗隆の生誕の地とされています。
- 大蔵ヶ崎城(喜連川城)~平安時代の末期に塩谷氏が築城し400年統治後は足利氏の後裔である喜連川氏の居城。
- 喜連川足利氏館~足利氏後裔の喜連川頼氏が築いた陣屋で喜連川藩の政庁として幕末まで利用されました。
- 祖母井城(芳賀城)~代々宇都宮氏の家臣であった祖母井吉胤が築城、往時は大城郭だったとのこと。
- 飛山城~宇都宮氏の家臣である芳賀氏の居城で築城は鎌倉時代、国指定の史跡です。
- 下野・横田城~宇都宮一族の横田氏の居城、のちに上三川城に移りました。
- 多気城 (常陸国)~伝承では大掾氏の平維幹が築城した「多気の山城」、現時点は戦国時代に築城とされる謎の城。
- 海老ヶ島城~室町時代に結城成朝が築城、子が海老原氏と名乗り、やがて結城氏と小田氏で城の争奪戦となり勝者は佐竹氏。
- 谷貝城~築城は室町時代でその後は真壁氏の家臣である藤田氏の居館でした。
- 坂戸城(常陸国)~宇都宮氏家臣の小宅氏の居城、この城を巡り宇都宮氏と小田氏で激戦が繰り広げられました。
- 常陸・富岡城~坂戸城主小宅氏の家臣である稲川土佐氏が城主とされています。
- 岩瀬城~茨城県桜川市にある城で詳細や歴史は不明、益子氏或いは笠間氏の支城の可能性あり。
- 伝・平良兼館(竜ケ井城・竜崖城) ~平良兼は平将門の叔父にあたりこの地は「弓袋山の対陣」の舞台です。
- 真壁城~大掾氏の一族である真壁氏が支配、江戸時代に浅野長政が真壁藩5万石を与えられます。
- 館林城~戦国時代は北条氏が支配、江戸時代は守りの城沼に浮く「将軍の城」となりました。
- 藤岡城~平将門が弟に築かせ、藤姓足利氏の始祖・足利成行が再興したとのことです。
- 小山城~小山氏の始祖である小山政光が平安時代に築城、下野国最大の武士団を率いていました。
- 網戸城と寒川尼墓~網戸郷の地頭となった寒河尼と築城した孫の網戸朝村。
- 結城城~結城朝光が築城、室町時代の結城合戦の舞台、その後廃城になるも水野宗家が入り幕末まで続きました。
- 中久喜城~平安末期に小山政光が築城、小山氏城跡として国の史跡に指定されています。
- 小栗城~坂東平氏の流れをくむ常陸小栗氏が築城、室町期の関東地方の激動の渦にのまれていきました。
- 御殿城(御殿内遺跡)~「小栗十郎重成小栗御厨八田館」と考えられているそうです。
- 下館城~藤原秀郷が築いた三館の下館との伝承あり、江戸時代は下館藩でした。
- 伊佐城~伊達氏の祖とされる一族の伊佐氏が築城し、南北朝時代には南朝側について戦いました。
- 笠間城~鎌倉時代に笠間氏が築城し18代治めた後、江戸時代は笠間藩庁が置かれました。
- 水戸城~馬場氏が平安時代に築城し、江戸氏、佐竹氏が居城、その後は御三家・水戸徳川家の居城になりました。
- 烏山城~下那須氏が築城した北関東有数の巨大城郭で国の史跡、蛇姫伝説があります。
- 茂木城(桔梗城)~宇都宮一族の茂木氏の居城で現在は綺麗に整備されています。
- 益子古城と益子城~宇都宮氏の家臣である 益子氏の居城でした。
- 真岡城~宇都宮氏の家臣であった芳賀氏の居城、江戸時代には陣屋がありました。
- 上三川城~多功城と共に宇都宮城の南方の防衛の支城で現在は城址公園です。
- 多功城~宇都宮氏の一門である多功氏の居城で宇都宮城の南方防衛でした。
- 壬生城~壬生氏が築城し、江戸時代に鳥居氏が城主となり先祖の鳥居元忠公を祀りました。
- 唐沢山城~藤原秀郷の築城と伝わる「関東一の山城」と称される関東七名城。
- 甲斐・琵琶城~武田氏第13代当主武田信満の庶子である倉科信広が築城したとのことです。
- 御坂城(甲斐)~標高1500mの峠に小田原北条氏が築城、徳川方の鳥居元忠らが黒駒合戦で勝利しました。
- 小田野城(小田野山城)(甲斐国)~甲斐源氏である安田義定が築城したと伝わる山梨県内最古の部類の山城。
- 中牧城(浄古寺城)~武田信玄時代に築城、後に徳川家康家臣が城代、遺構規模が多い城跡。
- 荒子城跡~築城は前田利春、四男であった前田利家が家督を継ぎ城主となりました。
- 蜂須賀城と蜂須賀氏~羽柴秀吉の与力として活躍した蜂須賀小六正勝が生まれた城とされています。
- 勝幡城~織田信長誕生の城、二重の堀に囲まれた館城で尾張の中近世史上、重要な城跡と見られています。
- 清洲城~織田信長の天下統一への出発地、「清州同盟」「清州会議」と歴史上重要拠点となった天下の名城です。
- 古木江城~伊勢長島の一向宗の抑えとして織田信長の弟である織田信興が築城しました。
- 伊勢・長島城~鎌倉時代に藤原氏による築城が起源、元亀元年に長嶋一向一揆の拠点となる。
- 松坂城~蒲生氏郷が築城し、中でも壮大な石垣が実に見事な日本100名城及び国の史跡です。
- 桑名城~築城の起源は永正10年、関ヶ原の戦いの後に本多忠勝が入封し城郭を建造しました。
- 伊勢・亀山城~伊勢平氏の流れをくむ関氏が亀山古城を築城し、岡本良勝が近代亀山城を築城しました。
- 伊勢・千種城~後醍醐天皇に仕えた千種氏の子が築城、中世の典型的な山城の形状が残っています。
- 釆女城 ~伊勢平氏の流れをくむ後藤氏15代居城で300年の栄華を極めました。
- 伊勢・神戸城~神戸具盛もしくは神戸利盛が築城、織田(神戸)信孝により修築され江戸時代は神戸藩がおかれました。
- 沢城~築城は関盛澄で神戸氏を称し約200年間神戸氏代々の居城でした。
- 伊勢・上野城~津城の仮城で織田信包が分部光嘉に築城させ、伊勢湾を一望できる眺めの良い城跡です。
- 安濃城~中世末期として県内最大級の丘陵城郭、築城は長野一族の細野氏、出自は工藤祐経の三男。
- 木造城~北畠氏領域の最北端に位置し木造氏は北畠一族だが織田信長に従い北畠氏攻略の先駆けとなった。
- 大河内城~大河内御所と呼ばれた北畠三御所の中でも代々の筆頭格で、 宗家が絶えた際には継ぐ立場でした。
- 田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。
- 岩出城~北畠氏の一族である田丸直昌が築城、後に蒲生氏郷に従い、会津へ付き従いました。
- 新宮城~源行家の姉の丹鶴姫が住んでいた地、続日本100名城で国の史跡。
- 鵜殿城~三河の鵜殿長照やお田鶴(椿姫)のご先祖の地、鵜殿氏は熊野別当が出自とされています。
- 赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。
- 川瀬城~赤木城から5km余、立派な城址碑と傍らに小さな五輪塔がある城主不明の城跡。
- 有馬本城~鎌倉時代に熊野別当家の出という有馬氏が築城したと伝わります。
- 紀伊・長島城~北畠氏の家臣である加藤氏が南北朝に築城、奥村氏に時を超えて数度裏切られる。
- 鬼ヶ城本城~有馬忠親の隠居城でしたが攻城され熊野水軍を率いた堀内氏善が治めました。
- 尾鷲・中村山城~仲氏の本拠の城でしたが、堀内氏善に攻略され和睦し降伏しました。
- 浜田城(伊勢国)~田原忠秀が築城し四日市の地名も誕生、後に滝川一益に攻略され落城、子は小牧・長久手の戦いで討死
- 金井城(北金井城)~種付千代次秀信の居城、遺構が良好に残っています。
- 二宮城~木曽義仲の末裔である大石信重によって築城との記録あり、現在の二宮神社、武蔵守護代の大石氏とは?
- 武蔵・小川城 (宝清寺)~築城は武蔵七党・西党の小川氏で寺の開基は甲斐武田氏縁者の青木氏。
- 武蔵・引田城~甲斐武田氏家臣で北条氏の庇護を受けた志村景元の居城でした。
- 阿伎留野城~武州南一揆の三宮氏(三内氏)が築城との推定、南一揆の統率者は平山氏、小宮氏、梶原氏など。
- 檜原城~鎌倉武士の花形の末裔で武蔵七党・西党の一族の平山氏が築城、豊臣方には徹底抗戦しました。
- 武蔵・戸倉城~築城は小宮氏で後に八王子城の支城として大石定久の隠居地の一つと伝わります。
- 網代城~戸倉城と高月城を結ぶ 烽火台として築城された支城の可能性があります。
- 武蔵・戸吹城(根小屋城)~滝山三城の一つで滝山城の支城群の一つ、崩落が進み関東一危険の城とも。
- 高月城~滝山三城の一つ、築城は武蔵国の守護代・大石顕重で後に大石氏は北条氏の家臣となります。
- 滝山城~続日本100名城、国の史跡で中世城郭の最高傑作の一つであり遺構がよく残されています。
- 亀井城(川崎 月讀神社)~伝亀井六郎(源義経四天王)の居城、戦国時代には領主は小島佐渡守、古墳もあり。
- 名古屋城~日本100名城、特別史跡、日本三大名城、名勝、金鯱、起源は今川氏が築城し織田信秀・信長が居城した那古野城でした。
- 犬山城 ~現存天守12城・日本100名城・国の史跡で国宝、木曽川沿いの丘上にある美しい城です。
- 小牧山城(小牧城)~織田信長が初築城し、小牧・長久手の戦いでは徳川家康が本陣を置きました。
- 長久手城~長久手の戦いの前哨戦の岩崎城の戦いで奮戦した加藤忠景(加藤景常)の居城です。
- 刈谷城~元は「刈屋城」、水野忠政が築城、信元が後を継ぎ於大の方はこの城から岡崎に嫁いでいます。
- 羽黒城~梶原景時の孫である梶原景親が築城し尾張梶原氏として存続するも「本能寺の変」にて殉じ、滅亡しました。
- 末森城(尾張国)~織田信秀が東方防御の為に築城、小牧長久手の戦いで織田信雄が整備。
- 安祥城~織田・松平・今川で激しい戦闘が幾度もあった城で三河安祥之七御普代の発祥地。
- 三河・小川城~それぞれの生誕地の一つで小川的場丘城は本多正信、小川志茂城は石川数正となります。
- 本證寺~三河一向一揆の拠点で城郭寺院(城郭伽藍)で国の史跡です。
- 西尾城~城独自の特徴として二ヶ所の屏風折れがある土塀があります。
- 沢山城(三輪城)~北条氏照の書簡があることから小田原北条氏の支城の可能性あり。
- 上野上村城~戸田氏が築城し、戦に勝った松平家の居城となり榊原康政誕生地です。
- 牟呂城(室城)~東条吉良氏の譜代家臣である富永氏の居城、富永伴五郎忠元について。
- 三河 ・東条城~東条吉良氏・東条松平氏の居城、藤波畷の戦いで吉良氏が松平元康に敗れました。
- 三河・岡山城~西条吉良氏の流れをくむ岡山氏の居城、その後は吉良氏家臣の富永伴五郎忠元が管理。
- 三河・今川城~今川氏発跡地、今川一族の足跡は常に鎌倉・室町幕府の歴史の渦中にいました。
- 河和城~戸田宗光が築城、孫の守光没後にその遺児が母方の水野姓を名乗り河和水野氏となります。
- 常滑城~常滑水野氏の代々の居城、後に大目付の起源の惣目付に水野守信が就任。
- 尾張・大野城~築城は一色氏でその後は佐治氏が4代支配、お江(崇源院)が佐治一成に嫁いできた城です。
- 尾張・大草城(尾張国知多郡)~織田有楽斎(長益)が入城予定の幻の城、遺構が完全な形で残りました。
- 緒川城~水野氏五代の居城、徳川家康の生母である於大の方の出生地です。
- 坂部城~久松氏の居城で家康が生母である於大の方と感動の再会を果たした城となります。
- 浄福寺城~築城は大石氏で由井城の説あり、後に八王子城の出城として運命を共にしました。
- 八王子城~日本100名城で日本遺産となった関東屈指の山城、城主は北条氏照でした。
- 七沢城(神奈川県厚木市)~関東不双の案者らが築城したと伝わる扇谷上杉氏の要害です。
- 丸山城跡~横山党の糟屋氏の居館跡を伊勢盛時(北条早雲)対策で扇谷上杉氏が改修し築城しました。
- 臼井城~築城は平安時代で千葉氏の一族の臼井氏、上杉謙信が攻め落とせなかったお城です。
- 尾附城 ~山中衆の土屋山城守高久が築城、武田の武将小幡氏の重臣である熊井土氏の配下です。
- 千石墻の砦~小幡信真の配下であった浅香播磨守重明が秩父地方の攻略時に築いた砦とのことです。
- 下原城~金仙寺北側に位置する南北朝時代に築城された城で戦国期には小田原北条氏の支配下か?
- 花園城~築城は平安末期、猪俣党の一族で山内上杉氏の重臣を代々務めた藤田氏の居城です。
- 大築城~上田朝直が慈光寺攻略の為に築城した埼玉県随一の山城で、街道監視のために再現された大木戸もあります。
- 腰越城~上田直朝の重臣を務めた山田氏が城主、山城の特徴が凝縮された城跡とのこと。
- 上野・諸城~峠の番所と街道の物見を兼ねた城か?築城者は不詳で武田氏?今井氏?
- 真下城(上野国)~平将門伝説がありますが、確定しているのは天文年間に児玉党系統の真下氏が築城したことです。
- 飯盛山城~武蔵御嶽城の物見台・烽火台として使用されていた可能性あり。円錐形の山です。
- 越生館(越生神社)と高取山城~武蔵七党の一つ児玉党の一族であった越生氏が築城。
- 武蔵・村山城~福正寺の境内は武蔵七党・村山党の城跡・推定地、最後の当主村山土佐守義光。
- 鉢形城~数万の敵に1か月も籠城した頑強な要害で日本100名城で国の史跡です。
- 雉岡城~山内上杉氏による築城で後に小田原北条氏、竹谷松平氏の居城となりました。
- 小見川城~千葉氏の一族である粟飯原氏の居城、現在は小見川城山公園となっています。
- 森山城~鎌倉時代初期に千葉常胤の子である東胤頼が築城し東氏が居城、常陸国との水運の要地でした。
- 大友城~千葉氏の祖である平良文の居城と伝わり、平常持、常将、常長、常兼が居城したとのことです。
- 桜井城~千葉常胤の六男・東胤頼の最初の居城と伝わる城跡で廃城は江戸時代初期でした。
- 坂田城~千葉氏によって築城され、周辺には支城が複数あり当時は要害の地でした。
- 成東城~築城は応永年間で千葉氏家臣の印東氏、比較的遺構が残っているとのことです。
- 東金城~上総酒井氏の祖とされる酒井定隆が築城し三男の酒井隆敏が継ぎました。
- 大椎城~築城主と築城時期は二通りあり、平安中期の千葉氏と室町期の士気酒井氏となります。
- 本納城~里見氏の支城から士気酒井氏が統治した中世山城の遺構が多くある貴重な城址。
- 一宮城(上総国)~築城は南北朝との伝承で戦国期には正木氏の支配下でした。
- 勝見城~上総広常の弟の金田頼次が築城と伝えられており、戦国期は庁南武田氏の所領となりました。
- 富喜楽城~前方後円墳を取り込んだお城、すぐ近くには大柳館があり、古墳時代から人々の営みがありました。
- 大柳館~代々の上総氏居館との伝承あり、上総広常死去後は千葉氏が拝領しました。
- 平蔵城~築城は室町期に土橋氏による築城とのこと、のちに阿弥陀堂で有名な西願寺も建立しました。
- 上総・笹子城~築城は室町時代に真里谷信興によって築かれ、真里谷武田氏の内紛に記されているとのことです。
- 万喜城~築城は上総土岐氏と伝えられており、本多忠勝が一時居城していました。
- 石神井城跡~豊島氏の後期の本拠地であり、太田道灌によって落城となりました。
- 豊田城(常陸国)(常総市)~桓武平氏の豊田氏が築城、平安時代から戦国時代まで豊田郡を本拠としました。
- 平将門公本據豊田館跡~平将門誕生の地と伝わる場所、後に豊田氏の向石毛(向石下)城址となりました。
- 木原城~土岐氏の家臣であった近藤氏の居城と伝えられており、城主の近藤利勝の肖像画が発見されました。
- 江戸崎城~常陸土岐氏である土岐原氏が築城し約200年の統治後に、蘆名氏(佐竹氏)、丹羽長重が入封しました。
- 古渡城(常陸国)~築城は山岡景友、後に丹羽長重が大名再スタートとなった城です。
- 常陸・長山城~大掾氏の庶流行方氏の一族の長山氏が居城し、同族の島崎氏に攻められました。
- 島崎城~常陸大掾氏の一族である島崎氏の居城、よく整備され遺構もわかりやすく登城しやすい城です。
- 塚原城~大掾氏一族で鹿島氏分流の塚原氏が居城し、剣聖として有名な塚原卜伝も城主となりました。
- 鹿島城(常陸国)~平安時代末期に鹿島氏によって築城されました。築城者の平姓鹿島氏とは?
- 大宝城(茨城県)~関東最古の八幡宮である大宝八幡宮境内にあり下妻氏によって築城された城です。
- 藤沢城~小田城主の小田氏の支城であり、小田城を奪われた際には何度も拠点とした城です。
- 神宮寺城(常陸国)~南北朝時代に築城された南朝方の城で遺構が良好な状態で残っています。
- 阿波崎城~南北朝時代に南朝方の北畠親房が転戦した古城跡です。
- 土浦城~伝説上では平将門の砦、文献上では八田知家後裔の若泉氏が築城、戦国期を経て土浦藩となる。
- 小田城跡(つくば市)~鎌倉初期に八田知家が築城し、戦国時代の小田氏15代の居城でした。
- 大多喜城~築城は真里谷信清、徳川四天王の本多忠勝が城主となり今日の大多喜城となります。
- 真里谷城~武田信長が築城し真里谷武田氏の本拠地となった城と云われています。
- 関城跡(常陸国)~南北朝時代に南朝方であった関宗祐・宗政親子が北朝の標的に晒されながらも戦いました。
- 高遠城~国の史跡で日本100名城、春には珍しい品種の桜であるタカトオコヒガンが咲き誇ります。
- 木曽小丸山城~応永年間(1394年~1428年)に築かれた山城です。
- 木曽福島城~天文年間に木曽義康が築城、後に小笠原氏に攻め込まれました。
- 上之段城~小丸山城に代わる居城として木曽義在によって築城されました。
- 須原城~木曽氏が築城し須原宿として栄え馬籠宿から洗馬宿までの街道を整備しました。
- 二俣城~水運に恵まれた街道上の要衝で武田VS徳川の激しい攻防の舞台となり、徳川信康が切腹を遂げた城です。
- 水巻城~天竜川の河岸段丘上にあった奥山氏の一族が築城したと伝わる城です。
- 三河黒川城~熊谷氏が築城したと伝わる古城跡で、麓には国指定重要文化財である熊谷家屋敷があります。
- 吉岡城~下條氏が7代112年間に渡って居城し、下條村の文化の中心地でありました。
- 設楽城跡~鎌倉時代初期に設楽氏が築城した愛知県で最も古い城跡であるそうです。
- 江戸城~武蔵国江戸の最初の館は江戸氏、太田道灌が築城しやがて徳川家康が入城し開府しました。
- 伝通院~徳川将軍家の菩提寺次席、徳川家康の生母の於大の方、孫の千姫の墓があります。
- 稲毛重成と枡形城~秩父一族で畠山重忠とは従兄弟、相模川の橋を架橋したと伝わる人物です。
- 滝野川城~豊島氏一族の滝野川氏が築城するも太田道灌によって滅ぼされました。源頼朝の布陣地としても有名です。
- 中曽根城(渕江城)~武蔵千葉氏の本拠地である赤塚城の支城で、築城者は千葉勝胤とされています。
- 喜多見城及び喜多見陣屋跡~23区に存在した唯一の藩、須賀神社や慶元寺のある辺りがお城の主な推定地です。
- 元木山城~元禄時代の面影が残る瑞香殿館や日本庭園があり、一般公開が待たれます。
- 長篠城 (日本100名城)~城をめぐる激しい攻防戦で有名、国の史跡に指定されています。
- 大高城~松平元康(徳川家康)が兵糧を届け守備につき、本多忠勝が初陣及び元服しました。
- 鳴海城~築城は足利義満の時代、戦国期は織田信秀から今川義元直轄となり、織田信長が手にする。
- 沓掛城~9代目城主の近藤景春の時、桶狭間の戦の為に今川義元本隊が出陣した城です。
- 浜松城(続日本100名城)~前身は今川氏が築城した曳馬城、野面積みの石垣が有名で出世城ともいわれています。
- 井田城~徳川四天王の一人である酒井忠次の出生の城で、酒井氏の先祖は松平氏です。
- 頭陀寺城跡~松下氏の居館跡、若き豊臣秀吉が仕え、井伊直政が養子に入り徳川家康に出仕。
- 古宮城 (日本続100名城)~武田信玄が三河侵攻の拠点として築城させ、徳川・奥平氏によって 攻められ落城。
- 塞之神城~古宮城に隣接する山城で築城は奥平氏とも奈良時代の米福長者とも武田氏とも云われています。
- 亀山城~群馬からやってきた奥平氏が築城し、やがては山家三方衆と呼ばれる有力土豪になった。
- 上ノ郷城 と鵜殿長照~伯父は今川義元、その子らは築山殿・松平信康・亀姫と身柄交換となった。
- 掛川城 (日本100名城)~東海の名城と謳われた程で日本初の本格木造天守閣が復元されたお城です。
- 駿府城(日本100名城)~最初は今川氏による領国支配の中心地、そして徳川家康大御所時代の居城となりました。
- 奥平貞勝と亀穴(滝山)城~松平氏・今川氏・織田氏・徳川氏・武田氏と戦国の世を渡り歩き84歳まで生きた。
- 久野城~築城は久野宗隆、戦国時代の戦の為の城から周辺を統治する城へと変化しました。
- 松平信光と岩津城~三河松平氏3代目当主で戦国大名・松平氏の基礎を築いた人物です。
- 深溝城~五代続いた深溝松平氏家の城でしたが、江戸時代初期に廃城になり現在は工場用地となっています。
- 高天神城(続日本100名城)~武田信玄・武田勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた要衝
- 丸子城~駿河西部における重要地であり今川時代は守りとして、武田時代は攻略地点、江戸時代は東海道の丸子宿となりました。
- 岡崎城(日本100名城)~徳川家康の誕生地の城で岡崎公園は日本さくら名所100選でもあります。
- 躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。
- 積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100名城です。
- 湯村山城~躑躅ヶ崎館の西の守りの詰めの城として武田信虎が築城しました。
- 甲斐・須沢城~南北朝・観応の擾乱にて落城、須沢城の悲劇として後世に語られる逸話があります。
- 甲斐・上野城(甲斐・椿城)~築城は小笠原氏の子供の上野氏でその後に秋山氏、大井氏の居城となります。
- 中野城・雨鳴城~秋山光朝築城の連郭式山城で、悲劇の武将の物語が今も残っています。
- 甲斐・白山城~武田信義が築城し、戦国時代にはその子孫が城主となった山城で国史跡です。
- 勝浦城~築城は真里谷氏、後に正木氏の城で、最後の城主はお万と三浦為春の父の正木頼忠。
- 峰上城~真里谷氏が築いた歴戦の城で登城するには高難度、七つ堀切が有名です。
- 造海城~真里谷氏が築城、里見水軍の拠点として活用、灯籠坂大師の切通しトンネルは必見です。
- 佐貫城~室町中期から幕末まで 城主が替わりながら存続、経済交通の重要地でもありました。
- 館山城と八遺臣の墓~安房里見氏最後の城であり、南総里見八犬伝のモデルとなった8人の家臣が眠っています。
- 鹿野岡城~鴨川富士に築かれ、近年になって城址と判明された城跡で登山道整備。
- 金谷城~上総と安房の国境の城、天文の内訌で謀殺された里見実堯が在城していたと云われています。
- 安房勝山城~里見水軍の本拠地の海城、安房に逃れた源頼朝を迎え入れた安西氏の出城との伝承有り。
- 岡本城(安房国)~里見氏城跡として国の史跡に指定、里見水軍の拠点として改修されています。
- 稲村城 (安房国)~天文の内訌の舞台の城、古代以来安房国内で 最も生産性の高い地域。
- 白浜城 (安房国)~安房里見氏の始まりの城、里見義実が拠点としました。
- 会津若松城(鶴ヶ城)~日本100名城、蘆名氏が築城、伊達・上杉・蒲生・加藤・保科・松平と続いた天下の名城。
- 笹下城・笹山城~横浜市にある土地開発等で消え去った小田原北条氏の城です。
- 今井城(今井砦)~木曾義仲家臣で巴御前とは兄弟である今井四郎兼平の居城という伝承があります。
- 平作城~衣笠城の支城、三浦義明の弟の孫である平佐古(蘆名)為重の所領でした。
- 怒田城・大矢部城・小矢部城~三浦一族の本拠地である衣笠城の支城です。
- 佐原義連と相模・佐原城、一ノ谷の合戦「鵯越の逆落とし」一番乗りの武勇で有名、会津・蘆名氏の祖です。
- 芦名城~戦国大名・蘆名氏の発祥の地であり、三浦一族の本拠地である衣笠城の支城でした。
- 下田城~小田原北条氏の水軍の拠点の海城、豊臣1万VS小田原北条600余で50日間籠城!
- 白河小峰城(日本100名城)~東北三名城、東北では珍しい総石垣造りのお城です。
- 二本松城~国史跡、日本100名城・日本さくら名所100選、二本松少年隊の悲話があります。
- 高久田~二階堂氏の家臣だった高久田氏の館跡~南高久田館・ 鏡石鹿嶋神社(南高久田館)・鹿島舘
- 向羽黒山城(続100名城)~蘆名盛氏が築き、上杉景勝・伊達政宗・蒲生氏郷も改修した東北最大級の要害です。
- 三春城(続100名城)~仙道地域の拠点として戦国時代に田村氏が築城し、江戸時代は三春藩となりました。
- 猪苗代城 ~三浦一族で蘆名氏と同族の猪苗代氏が築城し約400年間支配、江戸時代は会津藩の重要拠点でした。
- 鴫山城~約600年前に築城された長沼氏の城跡、自然の地形を巧みに利用した山城です。
- 須賀川城跡~二階堂氏が室町時代に築城、やがて伊達氏と争い去っていきます。
- 白川城(搦目城) ~国の史跡で築城は伝・結城祐広であり、白河結城氏の旧本拠地でした。
- 岩瀬山城(愛宕山城)~鎌倉時代に築城され、須賀川城が移るまで二階堂氏の本拠地でした。
- 保土原館跡(福島県須賀川市)、二階堂氏の平時の居館跡で現在は須賀川市立博物館です。
- 離室城~築城は室町時代で城主の君島氏は千葉氏族である大須賀氏の一族でした。
- 塩原城(塩原要害)~築城は平安時代末期で約420年間続いた城郭でした。
- 小田山城~蘆名氏が築城し詰城として数百年機能、戊辰戦争時には会津若松城への砲撃場所となりました。
- 守山城(福島県郡山市)~築城は坂上田村麻呂、蒲生氏時代の野面積みの石垣が見事です。
- 本宮城(福島県本宮市)、二本松畠山氏の一族である鹿子田氏が築城した城です。
- 黒川西館~会津若松城下町の発祥の地にあった伊達政宗が母と弟に毒殺されかけた館跡。
- 神指城跡~上杉景勝が新たな城下町を築こうとした幻の城、大ケヤキが思いを今に伝えます。
- 藤倉舘~三浦一族の佐原盛蓮の三男・藤倉盛義の居館と伝えられています。
- 会津・北田城跡~三浦一族・佐原盛蓮の次男の佐原広盛が築城し、北田氏を名乗り7代続きました。
- 会津新宮城跡~三浦一族の佐原盛蓮の六男である新宮氏が築城、国の史跡です。
- 花岳城跡~平安末期に土肥一族の小早川氏が居館、室町期に大森頼春が築城したが伊勢盛時に奪われた。
- 糟屋有季~糟屋(糟谷)氏の所領は伊勢原市一帯で横山党とも繋がりがあります。糟屋氏一族の城所城跡があります。
- 真田城~神奈川県平塚市にある真田の郷、真田與一義忠(佐奈田義忠)について。
- 蓮華山城 ~毛利家臣となった椙杜氏の本拠地、 ご先祖様は初代問注所執事の三善康信です。
- 安芸木村城~竹原小早川家の本拠地で築城は鎌倉時代中期、戦国時代に小早川隆景が養子に入りました。
- 賀儀(かぎ)城~小早川隆景の水軍の将である浦宗勝の城で交通上の要地でした。
- 長尾城跡(大船)・鎌倉氏系長尾氏発祥の地、南北朝から戦国時代おいて長尾氏は上杉氏の家宰職でした。
- 広島城~日本100名城で三大平城~毛利氏、福島氏、浅野氏、そして明治~昭和の戦争・復興・平和を体感した城。
- 福山城~日本100名城、2022年に築城400周年を迎えます。撮影スポットは駅の新幹線ホームがおススメです。
- 安芸高木山城について・沼田荘の開発領主であった沼田氏の居城であり、平家と共に壇ノ浦で滅びました。
- 興国寺城~国指定史跡~(伝)伊勢盛時の旗揚げの城であり今川・小田原北条・武田・豊臣・徳川と領地争奪戦の城。
- 鎮海山城、能島村上氏の当主である村上武吉の城、嫡男の村上元吉の墓があります。
- 安芸草津城~古代から水運の重要拠点であり、児玉氏が城代となって毛利水軍の基地となった城です。
- 岩国城~築城は毛利氏一族の吉川広家で日本100名城、錦帯橋とお城の景観が特徴的です。
- 周防瀬田城、大内氏に属していましたが、毛利氏に従った小方氏の城でした。
- 鞍掛山城と鞍掛合戦千人塚~毛利氏の防長経略・鞍掛合戦の舞台となった処です。
- 本佐倉城~続日本100名城・国指定史跡で千葉氏の最後の拠点、下総の名族から戦国大名となった千葉氏の歴史とは?
- 鐙摺山(鐙摺城址)とは?小坪合戦(畠山VS三浦)・伊東祐親終焉の地・亀の前居住・源実朝が一句・三浦道寸が物見
- 三太刀(みたち)城跡~小早川氏の祖である土肥遠平の御館か?~相模から安芸国沼田荘へ。
- 高山城~小早川(本家)氏の居城で隠れた人気のある山城です。
- 新高山城 (続日本100名城)小早川隆景築城の断崖絶壁のお城です。
- 備後桜山城(三原市)~三原城の詰城~山頂から三原市街や瀬戸内海が一望できるそうです。
- 三原城 (続日本100名城)・小早川隆景が築城した三原の街歩きをしたくなるほど大規模な海城。
- 金山城(城山 (伊豆の国市))~畠山国清が籠った城ですが今はハイキングとロッククライミングで有名です。
- 修善寺城~南北朝時代の関東管領及び伊豆守護であった畠山国清の乱
- 韮山城跡(伊豆)~小田原北条氏の伊豆支配の中心地、戦国時代の幕開けと終わりを示す城
- 伊豆守山城跡~堀越御所の詰城として築城され、其の後は小田原北条氏、豊臣軍が利用。
- 北条氏邸跡(円成寺跡)~北条氏の本拠地で鎌倉幕府滅亡後は尼寺として一族の冥福と鎮魂を祈った地
- 大見城跡(伊豆)~鎌倉御家人の大見氏はやがて越後に行き、水原氏から杉原氏となる。
- 田中城(田中城下屋敷)~円形輪郭式の縄張をもつ徳川家康が鯛の天ぷらを食した城です。
- 相良城跡~相良氏館⇒相良古城⇒相良御殿⇒相良陣屋⇒老中・田沼意次の近世相良城。
- 小山城跡(こやまじょう)(遠江国)~武田VS徳川家康との激戦の地・赤い口の蛙伝説
- 朝日山城跡~岡部氏の居城~
- 横地城跡・横地氏城館群として~初代は八幡太郎義家の庶子~「横地」様の発祥の地 国の指定史跡で桜の名所です。
- 勝間田城跡~かつての名門一族の支配地は茶畑が広がる丘陵地
- 月山富田城~出雲国守護の城、170年間尼子氏6代の本拠地で別名は天空の城、日本五大山城です。
- 三笠山城・島根県~尼子十砦~山中鹿介が祈った三笠山の月の場所。
- 松江城~天守は国宝、城跡は国の史跡。天守からは宍道湖が見えます。
- 石見・福光城(物不言城)~吉川経安の拠点で悲劇の武将である2代目城主の吉川経家とは?
- 権現山城~京急「神奈川」駅より徒歩2分。青木城跡と併せて訪れたい街中の古戦場・城跡です。
- 青木城跡~横浜市街地にある「多米氏」の城。権現山城と併せて訪れたい街中の城跡。
- 三笠(牛尾)城跡・島根県~尼子十旗で尼子再興軍の拠点の城。城主は牛尾氏。
- 熊野城~尼子十旗のひとつで月山富田城の防衛の要
- 満願寺城・松江~城主の湯原春綱は毛利水軍の将、目の前には宍道湖が広がります。
- 宇龍城跡~奥出雲産の鉄の積出港として大変栄えた宇龍の湊。
- 玉造要害山城・城主の湯氏は、宇多源氏佐々木一族で、戦国の知将にて辣腕大名の亀井茲矩のご先祖です。
- 石見・亀山城 、城主は都野氏で都野家頼から都野元勝への家督継承の逸話有り。
- 周布城・鎌倉時代築城の古城~源平の争乱や南北朝、戦国時代を生きてきた周布氏の城
- 鵜丸城(うのまる)・温泉津~当時の最先端技術で築城された毛利水軍の拠点~櫛島城と笹島城と連携。
- 石見城~世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」、芋代官「井戸平左衛門正明」とは?
- 神西城~尼子十旗・城主の神西氏は武蔵七党の小野氏が先祖です。最後の城主は神西元通。
- 高瀬城(出雲)、鳶ヶ巣城・平田城と同じく宍道湖の水軍の要衝として重用された城で尼子十旗。
- 平田城跡~鳶ヶ巣城・高瀬城と同じく宍道湖の水軍の要衝として重用された城
- 鳶ケ巣城~宍道湖の水運を押さえる戦略的重要性のある要害。登山口に駐車場あります。
- 出雲・鶴ヶ城(別名は田儀城)~築城年が諸説あるも尼子36城の一城でした。
- 熊谷家住宅 ~世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一つ
- 横田山城跡について・秋上宗信とは?尼子十勇士の秋宅庵助のモデルとされています。
- 鈴垂城~尼子氏家老の亀井武蔵守安綱の居城、大同寺の伝承有り
- 十神山城 、中海の水軍を抑える要害~尼子十砦~
- 米子城 (続日本100名城) ・国指定史跡~2つの天守がかつて存在した稀有な城
- 石見浜田城 ・続日本100名城~立派な石垣、自然の地形を生かした縄張り、絵になる本丸からの眺めと良港。
- 山吹城 ・石見銀山遺跡に登録の城跡~石見銀山の利権で大内氏・尼子氏・毛利氏が争奪戦を繰り広げた要害山城
- 新井城址・相模三浦氏とは?伊勢盛時から3年間持ちこたえた断崖の要害
- 大田和城址~大多和氏は三浦義明の三男である大多和三郎義久が築城しました。
- ユクエピラチャシに行ってきました。チャシでは最大級の規模の大きさで国指定遺跡です。クマ注意!!
- リンナイチャシに行ってきました。チャシはアイヌ語で「砦」のことです。
- ウェンベツチャシに行ってきました。
- 蜷川館跡~蜷川氏の発祥の地~蜷川氏とはアニメ「一休さん・蜷川新右エ門」のモデル、明智光秀の家臣など。
- 小山田城址・築城は小山田氏の祖である小山田有重、小山田神社に小山田氏の足跡あり。
- 小田原城跡~小田原北条五代~近世城郭と中世城郭の両方の遺構が残る城。
- 河村城跡~平安時代から鎌倉時代、南北朝、戦国の世に在り続けた山城と河村氏。
- 深沢城跡~今川氏が築城し、北条氏と武田信玄の攻防最前線となった要害
- 生土城跡~大森氏が築城した支城~鎌倉公方・足利持氏が滞在したと伝わる中世の城。
- 湯船城跡~平安時代の築城と伝わるも、宝永の富士山大噴火の遺跡として有名となった城。
- 相模沼田城~波多野氏の一族の沼田氏が築城し、後に大森氏の所領となる。
- 七尾城跡~国史跡の日本五大山城~能登畠山氏の本拠地。上杉謙信、前田利家も登場する能登の歴史攻防の城。
- 金沢城~加賀百万石の城~歴史的建造物と再建造物の素晴らしさを堪能できるお城です。
- 神岡城跡(東町城)~築城は飛騨の国人である江馬氏~父は武田、子は上杉、孫は金森氏を頼るも復帰ならず。
- 高岡城(越中国)~「高岡」の地の名付け親、前田利長公が築いた城、日本100名城です。
- 富山城~築城は畠山氏家臣の神保氏、上杉氏や佐々氏との攻防を経て富山加賀藩として明治まで存在。
- 石浜城跡~武蔵千葉氏の拠点の城~所在地候補は二つあります。
- 能登・野崎城(野崎砦)~天野氏が築城~能登天野氏とは?先祖は承久の乱で活躍した天野政景。
- 穴水城跡~畠山七人衆で、加賀八家である長一族の元々の本拠地~ご先祖は長谷部信連
- 越中・朝日山城跡(氷見城跡)~築城は南北朝~畠山七頭の争いに身を投じてしまった鞍川清房・鞍川清経。
- 津幡城~平維盛が砦を築き、富樫氏が戦い、上杉謙信が布陣、前田利家が末森城の合戦の軍議を開いた城。
- 末森城跡~末森城攻防戦の地~前田利家VS佐々成政、前田利家の加賀・能登統治の基礎構築の場。
- 下野・藤沢城~下野の島津氏~佐野氏家臣、鍋山衆としての小曾戸氏
- 不摩城(下野・秋葉城)について~戸矢子有綱が築城したと伝わる古城~藤姓足利氏と源姓足利氏。
- 鹿沼城~宇都宮家臣の壬生氏が支配を任された場所
- 皆川城~皆川氏の本拠地として鎌倉時代頃から戦国時代末期まで存在した城
- 西方城~宇都宮一族の西方氏~皆川氏との激戦が繰り広げられた城
- 栃木城~築城は皆川広照~小勢力ながら譜代大名として生き残りに成功した人物
- 宇都宮城~800年の歴史を誇る関東七名城~宇都宮氏が築城し本多正純が築いた城下町
- 高幡城跡~新選組・土方歳三の菩提寺である高幡不動尊~分倍河原の戦いにて上杉憲秋の終焉の地
- 由木城跡(柚木城跡)~大石氏館跡・大石定久公の像とお墓~永林寺にて
- 山田城山~源義朝の家臣である鎌田政清の居館とされる場所
- 有馬城山~小田原北条氏家臣・窪田又五郎が築いた城
- 小机城跡~長尾景春の乱と豊島氏の滅亡、小田原北条氏の時代へ~戦国時代の神奈川県を見つめてきた城
- 関宿城跡~利根川と江戸川に囲まれた関東の水運の拠点~北条が上杉を制した場所。
- 和田城址~和田義盛の居城跡~三浦半島にある平城
- 小金城跡~下総国、最大規模の平山城~現在は宅地開発が進むも面影はあり
- 国府台城~下総国の大激戦の地~国府台合戦、里見氏VS小田原北条氏
- 花輪城~小金城の支城として~高城氏の滅亡と共に役割を終える
- 葛西城~葛西氏が築城し、遠山綱景へ~鎌倉時代から下総国への拠点の城
- 高津戸城~高津戸渓谷、断崖絶壁の城~悲話や不思議な云い伝えあり
- 宿毛城跡(すくもじょう)~長宗我部氏の西の拠点となった城
- 岡豊城跡~四国を統一した長宗我部氏の本拠地の城~
- 浦戸城跡~桂浜の丘陵にある長宗我部氏の最後の城~浦戸一揆で旧臣が壮絶な抵抗をした場所
- 中村城~高知の小京都・四万十市街を一望できる眺めの良い城~
- 深谷城址~深谷市の中心部に存在する深谷上杉氏の居城~
- 庁鼻和城址と国済寺~深谷上杉氏の祖である上杉憲英
- 渋谷城~都会の繁華街の片隅にひっそりと存在する古城跡~城主は渋谷氏
- 小泉城~結城一族である富岡氏の居城~土塁や水堀が良好に残っている市街地の城
- 高崎城跡~井伊直政が築城し改修は安藤重信~元は鎌倉時代から存在し戦国時代を耐えた和田城
- 江田館跡~江田行義の館~築造時の姿を留める遺跡、湊川の戦いとは?
- 反町館跡~新田義貞公の館の跡~新田庄遺跡
- 生品神社~新田義貞公鎌倉幕府倒幕の旗揚げの地~新田庄遺跡
- 大胡城跡~上杉氏と小田原北条氏の攻防、そして徳川家康の天下の狭間で紡ぐ歴史
- 伊勢崎城跡・築城者の那波氏について
- 毒島城跡~沼の小島にあった城~大蛇伝説あり
- 足利氏館跡~日本百名城~鑁阿寺について
- 足利学校・ザビエルも海外に伝えた日本最古の大学
- 新田金山城跡~日本百名城~関東地方にある石垣の山城、築城主は岩松家純
- 女渕城址~城主は真田昌幸の策略で謀殺された沼田景義~上杉VS北条攻防の地も現在は女渕城跡公園。
- 神梅城跡~阿久沢氏の居城~山間にあった城と集落、上杉謙信、小田原北条氏と渡り歩く
- 三好長慶~最初に天下統一を成し遂げた武将~大阪一帯を見渡せる飯盛山城
- 北条家
- 北条時房~初代連署で六波羅探題南方、北条義時の弟で甥の北条泰時とは最高の相棒であり好敵手でした。
- 伊賀の方~北条義時の継室で7代執権の北条政村の生母、伊賀氏の変は政子との女性の戦か?
- 北条義時~鎌倉幕府2代執権~冷酷無情・現実を客観視して行動できる理想家なのか?
- 北条氏康~小田原北条3代目~相模の獅子 ・関東八州にその名を轟かした猛将は戦国随一の民政家。
- 北条氏綱~小田原北条2代目~北条氏を名乗り、小田原北条氏の礎を築き、先進的な領国経営をした当主。
- 北条氏政~小田原北条4代目~最大の領土を築くも、生きた時代と合わなかった慎重派で愛妻家で家族思い。
- 北条氏直~小田原北条家最後の当主~30年の短き人生は戦国後期、激動の関東と共に。
- 北条幻庵(北条長綱)~小田原北条五代の全ての当主に仕えた多芸多才のオールラウンダー。
- 伊勢盛時(北条早雲・伊勢宗瑞)の登場~小田原北条初代~名門一族の出自で関東に覇を唱えに行く!
- 朝廷
- 藤原忯子(弘徽殿の女御)~花山天皇の寵愛を受けた女御、懐妊するも夭逝し寛和の変の引き金となる。
- 藤原義懐~花山天皇の外叔父として権勢を振るうが寛和の変後に出家し引退する。
- 藤原寧子(藤原道綱母)~藤原兼家の妻の一人で、女流日記の先駆けと評されている「蜻蛉日記」の作者です。
- 藤原道綱~藤原道長の異母兄で母は「蜻蛉日記」の作者、おっとりとした性格で才に恵まれず。
- 一条天皇(懐仁)~「叡哲欽明」と評された賢王は笛の名手で皇后との「純愛」を育み、やがて平安王朝文化が開花。
- 円融天皇~政治に関与し兼家と疎隔・対立するも、藤原詮子との間に後の一条天皇が誕生します。
- 藤原秀康~承久の乱での朝廷側の大将軍ですが、後鳥羽上皇に見捨てられ京で斬られます。
- 伝・源護館跡陣営~平将門の乱の始まりの戦と嵯峨源氏である源護という人物について。
- 安倍晴明の生誕地の一つを訪ねて~平安時代に実在した陰陽師で現在でいう天文博士です。
- 源仲章~後鳥羽院の廷臣であり鎌倉幕府の在京御家人という二重スパイ的立場で実朝と共に散ります。
- 藤原兼子~後鳥羽天皇の乳母で院政で権勢をふるい朝幕関係に手腕を発揮するも承久の乱後に権力を失う。
- 和気清麻呂~皇統の断絶の危機を救い、平安京建都事業や財政職務に尽力した人物。
- 正倉院~聖武天皇・光明皇后を中心とした天平時代の多数の文化財の一大宝庫で世界遺産に登録されています。
- 九条兼実~九条流の祖、正しき政治体制を目指した厳格さを持つ人物で「玉葉」の著者。
- 平知康~後白河法皇からの信任篤き人物でしたが木曾義仲、源義経、源頼家と源氏との相性はイマイチでした。
- 河内源氏の栄枯盛衰~形成から興隆、衰退、初の武家政権となった鎌倉幕府と次の室町時代。
- 伝源経基館跡、源経基とは経基流清和源氏の初代で孫の代から摂津・大和・河内源氏へと分かれていきます。
- 後鳥羽院(後鳥羽上皇)、承久の乱を起こし文武両道多芸多能で怨霊伝説もあるスゴイ人物。
- 後白河院(後白河院天皇)(後白河法皇)「治天の君」の地位を保持した「日本一の大天狗」の異名をとる人物。
- 誠仁親王(さねひとしんのう)~織田信長と信頼かつ親密な関係にあった天皇の子
- 三条西実澄~明智光秀と正親町天皇の縁を結んだ人物で細川幽斎の師匠。孫の三条公広は春日局を養育。
- 覚恕法親王(かくじょほうしんのう)~正親町天皇の異母弟、比叡山焼き討ちの時の天台座主。
- 正親町天皇とは?どん底の朝廷を立て直し、天皇家の権威を復活させた天皇。本能寺の変の関与説も。
- 吉田兼見~「兼見卿記」の著者~明智光秀と親交深く「今度の謀反の存分」を話し合った人物
- 近衛前久 行動力抜群のスーパー関白~織田信長・上杉謙信・徳川家康と親交のあった流浪の公家
- 室町幕府
- 網戸城と寒川尼墓~網戸郷の地頭となった寒河尼と築城した孫の網戸朝村。
- 伊達行朝(伊達行宗)~伊達氏7代当主で南朝側の武将として各地を転戦、独眼竜・伊達政宗のご先祖です。
- 聖眼寺(厚木市三田)~安達盛長屋敷跡、厚木市で最も古い宝篋印塔があります。
- 七沢城(神奈川県厚木市)~関東不双の案者らが築城したと伝わる扇谷上杉氏の要害です。
- 太田道灌~扇谷上杉氏の家宰で多彩で非凡な才能故に主君に疎まれ暗殺された悲劇の武将。
- 塚原卜伝~剣聖と謳われ、室町幕府将軍の指南役にもなった剣士の生涯について。
- 江戸城~武蔵国江戸の最初の館は江戸氏、太田道灌が築城しやがて徳川家康が入城し開府しました。
- 花岳城跡~平安末期に土肥一族の小早川氏が居館、室町期に大森頼春が築城したが伊勢盛時に奪われた。
- 大森氏頼~兄弟親子の分裂を経て当主になり西相模で勢力をのばしました。居館跡(矢崎城)は紫雲寺です。
- 河内源氏の栄枯盛衰~形成から興隆、衰退、初の武家政権となった鎌倉幕府と次の室町時代。
- 扇谷上杉管領屋敷跡~扇谷上杉氏の遠祖は足利尊氏の叔父。鎌倉公方を補佐する関東管領家として鎌倉に居住。
- 足利公方邸跡(鎌倉)、鎌倉時代初期に足利義兼が構えた屋敷は足利尊氏も住みやがて激動の室町時代を迎えます。
- 足利茶々丸~堀越公方の2代目、室町時代の不良少年と呼ばれた短い生涯について。
- 伝堀越御所跡~堀越公方が居住していた場所と伝わる。伊勢盛時に攻められる。
- 摂津晴門(せっつはるかど)~足利義輝と足利義昭に仕えた幕府政所執事(頭人)。
- 今井宗久~茶湯の天下三宗匠~祖先は近江源氏の佐々木氏、織田信長の天下統一を支えた人物。
- 戸ノ本古戦場 (長浜の戦い)・長宗我部元親の初陣
- 細川晴元とは 名門・細川吉兆家の血筋ゆえに覇権争いの波乱万丈の生涯となる
- 東大寺大仏殿の戦いについて~松永久秀&三好義継VS三好三人衆&筒井順慶&池田勝正~
- 細川藤孝(細川幽斎)~武道・文芸・芸術・コミュ能力と多才多芸な武将~巧みに世を渡り、運も引き寄せる
- 足利義昭・最後の室町幕府将軍、懲りずに粘って兄の分まで生きる!歴代足利将軍の中で最も長生き!
- 槇島城・足利義昭が籠城し、室町幕府の実質的な終焉の地~忘却の城跡~巨船出現す!!
- 三淵藤英とは 細川藤孝の異母兄・足利幕府の奉公衆の立場を貫く
- 石谷頼辰とは 明智光秀と長宗我部元親の関係を結ぶキーパーソン
- 若狭武田氏の本拠地であった後瀬山城について、若狭武田氏の始まりと滅亡。
- 興聖寺と足利庭園~朽木氏岩神館跡~室町幕府12代将軍義晴、13代将軍・足利義輝の安全地帯
- 織田家
- 織田信雄~織田信長の次男、散々な目に遭うも長生きしその血筋は明治維新まで受け継がれました。
- 古木江城~伊勢長島の一向宗の抑えとして織田信長の弟である織田信興が築城しました。
- 五徳(徳姫)~織田信長の長女で徳川(松平)信康に嫁ぎ二人の娘が誕生、が夫と義母の罪状を出す。
- 池田恒興~織田信長とは乳兄弟で育ち幼馴染、最古参の家臣となり、長久手にて戦死します。
- 佐久間信盛~織田家筆頭家老として30年間織田家に身を粉にして仕えるも追放される。
- 羽黒城~梶原景時の孫である梶原景親が築城し尾張梶原氏として存続するも「本能寺の変」にて殉じ、滅亡しました。
- 末森城(尾張国)~織田信秀が東方防御の為に築城、小牧長久手の戦いで織田信雄が整備。
- お市~織田信長の自慢の妹、聡明で戦国一の美女と謳われた女性の激烈な人生。
- 西山本門寺・織田信長公の首塚~感銘を受けた富士山の麓で眠っています。
- 前田利家とまつ~加賀百万石の礎を築いた二人は従兄妹同士~まつの生き方が凄い!!
- 斯波義統(しば-よしむね)とは 尾張守護となるも清洲織田家に裏切られる
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- 不破光治・不破直光(不破彦三勝光)親子~戦国の世をしぶとくゆったりと生き抜く~
- 安藤守就~西美濃三人衆~娘婿は竹中半兵衛、最期は稲葉一鉄に滅ぼされる
- 氏家直元(氏家卜全)~西美濃三人衆~美濃国人衆の中で最大の勢力、次男は家康に惜しまれながらも大坂夏の陣で果てる
- 稲葉良通~稲葉一鉄・頑固一徹の語源である西美濃三人衆~多才な人物で信長に好かれる
- 濃姫(帰蝶)~織田信長のナゾ多き正室で明智光秀の従兄妹~
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- 逸見昌経(祖は甲斐源氏)が築いた高浜城・足利義満も訪れた「八穴の奇勝」で策を練る
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- 四王天政孝 四王天政実 明智光秀家臣~先祖は武蔵武士団・児玉党の党祖、青木氏から家康次男・結城秀康の家臣となる
- 土田御前~織田信長の生母~信長を疎んじた理由とは?信長の側室・吉乃との繋がり、更には明智氏の家臣とも。
- 柴田源左衛門勝定~明智光秀家臣~勝定と勝全は同一人物か別人か?柴田氏の出目は尾張?
- 諏訪盛直(諏訪飛騨守)~明智光秀家臣~山崎の戦いでの激闘で華々しく散る!淀古城・京都諏訪氏とは?
- 阿閉貞征・阿閉貞大父子~元は浅井家の家臣~秀吉への不信感!!光秀に組して秀吉に一族もろとも滅亡させられる
- 溝尾茂朝~明智五宿老~またの名を三沢秀次?最期まで光秀を支えて介錯をする
- 猪飼昇貞(猪飼野昇貞)~明智家臣で堅田水軍棟梁~琵琶湖の自治都市・堅田を任される
- 藤田行政(藤田伝吾)~明智五宿老の一人~常に明智光秀に寄り添い、やがて散る
- 伊勢貞興~名門・伊勢宗家の若き武将で明智家重臣~二条城で織田信忠を攻める
- 石谷頼辰とは 明智光秀と長宗我部元親の関係を結ぶキーパーソン
- 幕末・維新
- 徳川慶喜公屋敷跡 ~現在の静岡市にあった屋敷跡2箇所をご紹介します。
- 西郷頼母~家老として幕末の会津藩を支え家族の悲劇に遭遇、終生政治と縁のあった人物です。
- 会津武家屋敷~会津藩家老の西郷頼母邸・藩米精米所など、江戸期の会津の歴史が学べます。
- 宝福寺~坂本龍馬が脱藩を許され飛翔之地、唐人お吉が眠る下田のお寺です。
- 了仙寺~開山は江戸時代初期で下田条約締結の地で有名ですが古墳時代の遺跡もあります。
- 渋沢平九郎について~幕末のイケメンで渋沢栄一の見立養子で義兄弟、墓と終焉地は越生にあります。
- 筑波山事件及び天狗党の乱について、幕末の水戸藩の大悲劇~水戸幕末争乱について。
- 筑波山神社~万葉集にも登場する「筑波」~山頂からの眺め良し!日本史を見守ってきた山。
- 戸定邸・戸定が丘歴史公園~富士見百景~戸定邸は重要文化財で庭園は国の名勝。
- ジョン万次郎の生涯を手短に!~漁師から国際人へ!14歳で漂流~
- 青天を衝け
- 史跡・城跡
- 寒竹囲いの家~喜連川ならではの城下町の佇まいを伝えている寒竹の生垣です。
- 早乙女坂古戦場~那須氏と宇都宮氏が争い那須氏が勝利した古戦場跡です。
- 山王堂の戦い~上杉謙信VS小田氏治の野戦で激戦、上杉勢の「神速」で小田勢は敗退し小田城が陥落。
- 海老ヶ島城~室町時代に結城成朝が築城、子が海老原氏と名乗り、やがて結城氏と小田氏で城の争奪戦となり勝者は佐竹氏。
- 御門御墓(平将門居館?)~平将門の供養塔とされる五輪塔があり付近には妻を祀る后神社があります。
- 后神社(桜川市)~平将門の妻で平真樹の娘とされる「君の御前」を祀っています。
- 伊達行朝(伊達行宗)~伊達氏7代当主で南朝側の武将として各地を転戦、独眼竜・伊達政宗のご先祖です。
- 大石氏邸跡~大石内蔵助の祖父で笠間藩家老だった大石良欽の居館跡です。
- 武田氏館と湫尾神社~ひたちなか市武田は甲斐武田氏発祥の地でした。
- 西山御殿(西山荘)~自然豊かで理想郷であった徳川光圀公の隠居所、国の史跡および名勝です。
- 太平寺(那須烏山市)~創建約1200年の天台宗の古刹で蛇姫様こと於志賀姫の墓があります。
- 壬生城~壬生氏が築城し、江戸時代に鳥居氏が城主となり先祖の鳥居元忠公を祀りました。
- 藤原秀郷公墳墓と藤原秀郷~関東武士の憧れであり平将門の乱を平定した人物です。
- 本居宣長と旧宅~国学の四大人であり、文献学者で医師で源氏物語をこよなく愛した人物です。
- 恵林寺~1330年に開山された武田氏の菩提寺である臨済宗の古刹、庭園は国の名勝に指定されています。
- 旧高野家住宅 甘草屋敷~国の重要文化財に指定された民家建築で江戸幕府御用の甘草の栽培と管理を担ってきました。
- 栗原氏館跡(甲斐国)~甲斐守護・武田信成の子である武続が始祖となる栗原氏の館跡です。
- 武田信春公館~甲斐源氏第12代及び武田氏9代当主であった武田信春の居館跡です。
- 清正公誕生之霊地 ~妙行寺は加藤清正公の縁の寺院で秀吉清正公園傍にあります。
- 木下勝俊と木下長嘯子宅跡~中村公園(秀吉清正公園)(名古屋)にあります。
- 豊太閤産湯の井戸~もう一つの豊臣秀吉公生誕地 、常泉寺にあります。
- 豊国神社及び豐公誕生之地(豊臣秀吉公生誕地)の碑~中村公園(秀吉清正公園)にあります。
- 中村公園(秀吉清正公園)(名古屋)について~秀吉・清正に関する史跡があります。
- 三瀬館 ~北畠具教の隠居所で北畠氏が滅亡する「三瀬の変」 の舞台になった場所です。
- 三瀬砦~北畠家の家臣である三瀬氏歴代の居城跡とされ、三瀬館を守護していました。
- 北畠具教胴塚 ~三瀬館跡の谷を隔てた南側の小高い所にあります。
- 田平子峠処刑場~新領主に抵抗した旧来の北山の国人士豪達が処刑された刑場の跡。
- 堀内氏屋敷~堀内新宮城とも呼ばれた熊野水軍の将であった堀内氏善の居城跡です。
- 笠木館~笠木御所とも呼ばれ北畠氏の一門である坂内氏の居館、県内屈指の中世の居館跡となります。
- 幸神神社~国の天然記念物で国内で唯一の幸神神社のシダレアカシデが有名です。
- 幸神屋敷~平山左衛門尉綱景の屋敷とも土豪の幸神氏の屋敷跡とも伝わります。
- 武州檜原村口留番所跡の木戸~江戸時代に「甲州中道」の大切な場所の為に設置されました。
- 亀井城(川崎 月讀神社)~伝亀井六郎(源義経四天王)の居城、戦国時代には領主は小島佐渡守、古墳もあり。
- 長久手古戦場公園~徳川家康VS羽柴秀吉の小牧・長久手の戦いのうち主戦場となった長久手の戦いの場所。
- 八柱神社~祐傳寺に葬られた築山御前の首塚が移されひっそりと眠っています。
- 祐傳寺~石川数正が葬った築山御前の首塚があります。
- 若宮八幡宮~徳川信康(松平信康)の首塚が祀られてある神社です。
- 椎の木屋敷~徳川家康の生母である於大の方が松平広忠との離縁後に住んだ屋敷跡です。
- 本證寺~三河一向一揆の拠点で城郭寺院(城郭伽藍)で国の史跡です。
- 善明堤の戦い・鎧ヶ淵古戦場 (黄金堤)~東条吉良氏と松平元康の攻防戦の一つ、一族の多くを失い敗北。
- 藤波畷古戦場~東条吉良氏VS松平元康の攻防戦の一つで元康が勝利しました。
- 大浜陣屋~大浜藩の藩庁として築かれた陣屋で以前は大浜古城、羽城跡でした。
- 長田屋敷跡と長田父子磔の松~野間大坊近くにある源義朝を裏切り討ち取った親子です。
- 大御堂寺野間大坊~真言宗豊山派の寺院で野間美浜で最期を遂げた源義朝の墓があります。
- 日向薬師~日本三大薬師の一つで開山は奈良時代、薬師如来の霊場として信仰を集め源頼朝も自ら参詣しました。
- 聖眼寺(厚木市三田)~安達盛長屋敷跡、厚木市で最も古い宝篋印塔があります。
- 中山家範館~武蔵七党の丹党、中山家範は八王子城で戦死、子の中山信吉は水戸藩附家老に出世。
- 毛呂山城跡(毛呂氏館跡)と毛呂一族の墓~源頼朝に仕えた在地領主で、戦国時代まで存続しました。
- 金子家忠~大剛勇の強者として活躍した武蔵七党・村山党の金子一族で入間に墓と屋敷跡があります。
- 金鑚神社~武蔵国五宮、社名は砂鉄からとの伝承があり、神体山を祀る古代祭祀の面影を残す神社です。
- 西願寺 阿弥陀堂(千葉県)~金色に輝いていたことから光堂の別名を持つ重文のお堂です。
- 増上寺~創建は室町時代で徳川将軍家の菩提寺、本堂と東京タワーが1枚に収まります。
- 泉岳寺~徳川家康が創建の曹洞宗の寺院で赤穂義士の墓所がある忠臣蔵の聖地です。
- 鎧橋・鎧の渡し跡~名称の由来は源義家の東征からですが、平将門伝説もあります。
- 鎧神社~日本武命や平将門公にまつわる伝承があり人々の崇敬を集めてきた東京のお社です。
- 兜神社~平将門公にまつわる言い伝えがあり証券界の守り神でもある東京のお社です。
- 國王神社~平将門公終焉の地に三女如蔵尼によって創建されたと伝わる古社です。
- 延命寺~「島の薬師」と親しまれているお寺で、平将門公持護仏の薬師如来像が祀られています。
- 石井の井戸跡(坂東市岩井)~平将門が拠点である石井営所を決めた伝説がある古井戸です。
- 伝・源護館跡陣営~平将門の乱の始まりの戦と嵯峨源氏である源護という人物について。
- 塚原卜伝の墓~鹿島新當流を開いた剣聖は北浦の畔で静かに眠っています。
- 東漸寺(旭市)と木曽義昌公 水葬跡石塔~木曽義昌公と正室の真理姫の供養塔及び水葬跡石塔を訪ねました。
- 忠勝公園~本多忠勝公、正室、次男で大多喜藩の第2代藩主である本多忠朝公の墓があります。
- 星ヶ丘城~扇谷上杉氏が築城したとされている伝説及び幻の城、日枝神社の鎮座場所です。
- 絵島(江島)囲み屋敷~江戸城大奥御年寄であった江島が「江島生島事件」後に幽閉された屋敷です。
- 木曽福島関所~中山道にあった関所で東海道の今切関所や箱根関所と同等の扱いでした。
- 木曽義仲公館跡(旗挙八幡宮)~治承4年(1180年)千余騎を従え平家打倒の旗挙をした地です。
- 興禅寺にある木曽義仲公之墓、木曾義康・木曽義昌父子、山村氏歴代の墓地もあります。
- 徳音寺にある木曽(源)義仲公之墓と小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓、義仲館と巴淵
- 三方ヶ原(三方原)古戦場~徳川家康の生涯において「伊賀越え」と並ぶ人生の危機となった戦です。
- 天王山龍華院(掛川古城跡)~築城は朝比奈氏で徳川家康が掛川城攻めの本陣とした説があります。
- 掛川・碧岩山観音寺跡(構江遊園地)~西郷局の生誕地と西郷氏の菩提寺がありました。
- 清龍寺(浜松)~徳川信康(松平信康)の墓所となる信康廟があります。
- 西来院・月窟廟~徳川家康の正室である築山御前の墓所となります。
- 唐人墓~「ロバート・バウン号事件」の哀しい犠牲者、今は夕陽の眺めが良い場所で静かに眠っています。
- オヤケアカハチ~琉球の侵攻から石垣島を守ろうとした豪族の首領で先島諸島では英雄です。
- フルスト原遺跡~国の史跡で八重山の英雄であるオヤケアカハチの居城跡とも云われてきました。
- 桃林寺~八重山列島で最古の仏教寺院、山門の仁王像は津波で流されたものの、戻ってきました。
- 将門塚~平将門公の首を祀る塚で大都会の超一等地に鎮座し、現在も静かに見守っています。
- 面影橋(俤橋)~山吹の里に住んでいた紅皿と太田道灌との逸話や縁の地を紹介します。
- 清光寺~豊島清元(豊島清光)開基で居館が近くにあり豊島氏発祥の地に建つ寺院です。
- 滝野川城~豊島氏一族の滝野川氏が築城するも太田道灌によって滅ぼされました。源頼朝の布陣地としても有名です。
- 築土神社と世継稲荷~平将門信仰の象徴的神社と徳川秀忠が称賛した神社です。
- 長篠・設楽原の戦いの古戦場~織田・徳川連合軍と武田軍の決戦の地です。
- 正倉院~聖武天皇・光明皇后を中心とした天平時代の多数の文化財の一大宝庫で世界遺産に登録されています。
- 手向山八幡宮~かつては東大寺の鎮守神、紅葉の名所で菅原道真も詠んでいます。
- 氷室神社と氷室城跡(奈良市)~氷室を祀る古社の氷室神社は氷みくじが大人気で、戦国期は氷室城の伝承有り。
- 藤ノ木古墳~国の史跡、盗難にあわず大切に守られてきた円墳で被葬者は2人の男性です。
- 亀石~亀ですが蛙や上下逆さま説もある明日香村観光のシンボル的な石造物です。
- 高松塚古墳~築造年代は終末期古墳で飛鳥美人に代表される極彩色の壁画が有名です。
- キトラ古墳~国の特別史跡で壁画は国宝となっており、天井には東アジア最古の天文図が描かれています。
- 飛鳥寺と蘇我入鹿の首塚~飛鳥寺の開基は蘇我馬子で日本最古のお寺です。
- 石舞台古墳~国内最大級の方墳で埋葬者は蘇我馬子だと有力視されています。
- 飛鳥京跡~複数の都市遺跡であり大化の改新で中大兄皇子や中臣鎌足らが 蘇我入鹿を討ち果たした場所。
- 桶狭間古戦場公園~桶狭間の戦いの中心地の一つ、合戦当時の地形、城、砦がジオラマ化されています。
- 高徳院~桶狭間古戦場伝説地の横にあり、今川義元本陣及び墓、重臣の松井宗信の墓があります。
- 桶狭間古戦場伝説地~国指定史跡、「桶狭間の戦い」の合戦が繰り広げられた伝説地です。
- 丸根砦~織田信長が今川義元との争いの前線として 整備した砦とされています。
- 鷲津砦~織田信長が今川方の大高城と鳴海城の往来を遮断するために築いたとのこと。
- 善照寺砦~織田信長が今川義元との戦に備えて築いた三砦の一つです。
- 瀬名氏俊陣跡~桶狭間の戦いで今川一族・家臣の瀬名氏俊が先発隊として着陣。
- 大樹寺~徳川将軍家及び松平氏の菩提寺で歴代将軍の位牌が安置、岡崎城と大樹寺を結ぶビスタラインが有名です。
- 亀姫(徳川家康の長女)、母は築山殿で夫の奥平信昌との間には4男1女を授かりました。
- 石橋城(慈昌院)~石橋奥平氏の居館跡で奥平貞勝に対して謀反を企むも逆に討ち取られる。
- 奥平貞勝と亀穴(滝山)城~松平氏・今川氏・織田氏・徳川氏・武田氏と戦国の世を渡り歩き84歳まで生きた。
- 誓願寺~創建は源頼朝公で武田信玄が再建したお寺で片桐且元の墓があります。丸子城への登城口があります。
- 臨済寺~今川家の菩提寺で幼き徳川家康が教育を受けた場所、2代目住持は名軍師の太源雪斎。
- 吐月峰柴屋寺~今川氏に仕えた「急がば回れ」を唱えた連歌師宗長ゆかりの寺、紅梅と月が有名です。
- 渋川館について~梶原景時及び梶原一族と合戦になり自害に追い込んだ入江一族。
- 光鏡院~瀬名一族の発祥の地であり今川(瀬名)一秀公の墓があります。お寺の裏山は 瀬名砦 の説があります。
- 徳川慶喜公屋敷跡 ~現在の静岡市にあった屋敷跡2箇所をご紹介します。
- 山本勘助晴幸屋敷~隻眼・片足不自由だが摩利支天のようだと称えられた軍師の屋敷跡。
- 土屋惣蔵昌恒~出自は金丸氏で武田家最後の家臣にて忠臣、子供は大名になります。
- 土屋右衛門昌続とその屋敷跡~武田24将の一人で武田信玄死後3年間遺体を隠した場所とのことです。
- 積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100名城です。
- 武田信成~武田信時の系統で安芸守護武田氏から甲斐国守護武田宗家となりました。
- 甲斐・須沢城~南北朝・観応の擾乱にて落城、須沢城の悲劇として後世に語られる逸話があります。
- 石積出(いしつみだし)~武田信玄が築いたとされている治水工事で国指定遺跡です。
- 甘利氏館と扇子平山城~甘利氏は甲斐源氏で、戦国時代には武田家臣の譜代家老を務めました。
- 武田義清(源義清 (武田冠者))~常陸国出身で配流となった先の土地に根差して甲斐源氏の祖となりました。
- 小笠原長清~弓馬四天王と称され、武家の有職故実を伝える小笠原一族の始祖です。
- 御所五郎丸~曽我兄弟の仇討事件で源頼朝の危機を救ったとされている人物です。
- 法善寺(加賀美遠光館跡)~開創より1200年、武田八幡宮の別当寺であった古刹。
- 武田八幡宮~創建は平安時代、甲斐武田家の氏神として尊崇されてきました。
- 武田信義館跡~甲斐武田氏の祖である武田信義が館を構え、縁の地名も伝えられています。
- 江川邸及び旧韮山代官所跡、世襲代官の江川家は900年続く清和源氏で日本の歴史に関わっています。
- 赤山地下壕(館山海軍航空隊赤山地下壕跡)、太平洋戦争末期に造られたとされる戦争遺跡
- 清澄寺 ・日蓮宗四霊場~地理的には安房と上総の分水界、本土で最も早く初日の出が拝める場所です。
- 大福寺(崖観音)~千葉県最古の摩崖仏、漁師の安全と豊漁を祈願して奈良時代に彫刻と伝わります。
- 三舟山(三船山)古戦場~北条氏政VS里見義弘の激闘の結果、里見氏の勝利で勢力挽回の契機
- 造海城~真里谷氏が築城、里見水軍の拠点として活用、灯籠坂大師の切通しトンネルは必見です。
- 館山城と八遺臣の墓~安房里見氏最後の城であり、南総里見八犬伝のモデルとなった8人の家臣が眠っています。
- 仁右衛門島~源頼朝が身を隠し潜んだ場所で、頼朝一行を洲崎から案内したとも伝わる平野仁右衛門氏の島です。
- 一戦場古戦場 ~安房に逃れた源頼朝が奇襲にあい、合流した三浦義澄が討ち取った古戦場
- 源頼朝公上陸地の碑と矢尻の井戸と洲崎神社~館山市洲崎、「義経記」に書かれています。
- 源頼朝上陸地の碑と神明神社~ 安房郡鋸南町竜島、吾妻鏡に記載されています。
- 野島崎・伝説の岩屋~安房に逃れた源頼朝が武運再興の願掛けをした「隠れ岩屋」です。
- 名熊の二本杉~源頼朝が地にさした箸が立派に成長して日本の杉になりました。
- 硯山長福寺~開山1200年の歴史を持つ古刹で源頼朝伝説と伊八彫刻のお寺で有名です。
- 会津武家屋敷~会津藩家老の西郷頼母邸・藩米精米所など、江戸期の会津の歴史が学べます。
- ペリー上陸記念碑の建設とペリー一行が久里浜に上陸した経緯について~ペリー公園。
- 浦賀城~東叶神社境内、安房里見軍に備えて小田原北条氏が水軍を配置、浦賀水道から房総半島が一望できる。
- 怒田城・大矢部城・小矢部城~三浦一族の本拠地である衣笠城の支城です。
- 宝福寺~坂本龍馬が脱藩を許され飛翔之地、唐人お吉が眠る下田のお寺です。
- 了仙寺~開山は江戸時代初期で下田条約締結の地で有名ですが古墳時代の遺跡もあります。
- 摺上原(磨上原)古戦場跡~蘆名氏VS伊達政宗の決戦地!会津の歴史が大きく変わりました。
- へいほう石と小平城(小平館)、怪力きこりの玄蕃は長沼氏家臣の後裔の大竹玄蕃とのことです。
- 若獅子神社~若獅子とは戦時中の少年戦車兵の愛称、帰還戦車・九七式中戦車があります。
- 西山本門寺・織田信長公の首塚~感銘を受けた富士山の麓で眠っています。
- 駿河大宮城跡~築城は国衆で神社大宮司の富士氏、武田信玄・今川氏真の駿河甲斐の国境の重要な城。
- 延命寺地蔵堂(藤倉二階堂)~国の重要文化財、創建は平安時代初期となります。
- 会津さざえ堂 (円通三匝堂)~不思議な二重構造のらせん階段(回廊)で国の重要文化財です。
- 白虎隊十九士の墓と自刃の地と戸ノ口堰洞穴~飯盛山にある白虎隊の足跡を訪ねました。
- 旧滝沢本陣~国の重要文化財、会津藩主の休息所であり白虎隊の出陣の地でした。
- 阿弥陀寺御三階~かつては若松城(鶴ヶ城)本丸にあった殿様密談の場所。
- 如来堂・斉藤一本陣跡、新選組殉難の地~斎藤一は会津に残り、土方歳三は北へ向かった。
- 白河関跡(関ノ森遺跡)~縄文時代に始まり古代から中世に至る複合遺跡です。
- 皆鶴姫の碑~源義経に恋した悲恋の姫の墓、源義経が逃亡中に馬を繋いだ駒繋石・暦応の碑
- 上浜田中世建築遺構群(浜田歴史公園)、渋谷一族の大谷館の可能性があります。
- 富士塚城址~飯田五郎家義の居館跡で、石橋山の戦いで源頼朝を救った武将で渋谷重国の子です。
- 渋谷氏長後居跡~河崎基家が館を構え、その子である河崎重家、さらに孫である渋谷重国が居住しました。
- 花岳城跡~平安末期に土肥一族の小早川氏が居館、室町期に大森頼春が築城したが伊勢盛時に奪われた。
- 大森氏頼~兄弟親子の分裂を経て当主になり西相模で勢力をのばしました。居館跡(矢崎城)は紫雲寺です。
- 横山党館~八幡八雲神社(八王子)・横山党は武蔵七党の一つで関東最大勢力の武士団です。
- 中村宗平~中村党の祖で源頼朝を支えてきた武士団で、鎌倉党とは大庭御厨を巡る対立がありました。
- 石橋山の戦い~源頼朝旗揚げの地!300VS敵3000!大敗するも真鶴から安房へ逃れて再挙を図る。
- 佐奈田霊社~石橋山の戦いで壮絶な死を遂げた真田(佐奈田)与一を祀っています。
- めだかの学校~日本全国で世代を超えて親しまれている童謡はここで生まれました。
- 遊行寺(清浄光寺)~藤沢宿、箱根駅伝のコース「遊行寺の急坂」にある鎌倉時代後期創建のお寺です。
- 華厳山 金剛寺(厚木市飯山)、創建は空海で平安時代前期です。伝安達盛長の五輪塔があります。
- 虎御前~曽我兄弟の兄・曽我十郎祐成の愛妾、山下長者屋敷(住吉要害)で生まれ育ったとされています。
- 大乗院~土屋氏屋敷跡、土屋宗遠を祖とする土屋氏は北条氏・足利氏・武田氏・北条氏政・徳川家に仕えました。
- 相模国大友郷~和田義盛の和田屋敷跡があり、戦国大名の大友氏の発祥の地です。
- 善栄寺(小田原市)~北条氏康夫人・木曾義仲・巴御前・二宮尊徳のお墓があります。
- 満江(万劫)御前~曽我兄弟を含めて5人の子供のお母さんで狩野茂光の孫娘です。屋敷跡やお墓があります。
- 曾我城跡~曾我兄弟が育った曽我氏の館。北条氏康に滅ぼされたが嫡流は足利将軍や徳川家に仕え出世した。
- 城前寺~曽我兄弟の菩提寺、曽我兄弟のお墓と養父・曽我祐信と母・満江御前の墓があります。
- 草戸稲荷神社~広島県で2番目に参拝者が多い神社で有名、門前町として300年存在した草戸千軒町遺跡があります。
- 明王院(広島)~歴史ある古刹で国宝の本堂と五重塔が自然の中に調和して並んでいます。
- 泉親衡(泉小次郎)~泉親衡の乱は和田一族の炙り出し?泉小次郎館跡と小次郎馬洗いの池が泉区にあります。
- 由比若宮(元八幡)、河内源氏の源頼義が前九年の役の勝利で勧請したお社です。
- 足利公方邸跡(鎌倉)、鎌倉時代初期に足利義兼が構えた屋敷は足利尊氏も住みやがて激動の室町時代を迎えます。
- 報国寺~鎌倉で特に大人気の竹寺、歴史では鎌倉における足利公方の終焉の地です。
- 北条氏常盤亭跡と北条政村について~鎌倉幕府第7代執権、連署も務め北条得宗家を支えた人物。
- 勝長寿院跡、源頼朝が建立した源氏の菩提寺で大御堂といいます。当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。
- 源義朝の墓(鎌倉)、忠臣の鎌田政家(政清・政長)と共に眠るもう一つのお墓。
- 白幡神社(藤沢)・源義経首洗塚・伝義経首洗い井戸・弁慶塚、旧藤沢宿の源義経にまつわる史跡
- 梶原景時一之宮館跡(寒川)、鎌倉幕府の重臣である梶原景時の最初と最後の住まいでした。
- 海蔵寺・安芸の古刹~山中鹿介次女の盛江,北条氏直,東城浅野家,江戸幕府と長州藩の談判の場所にもなりました。
- 福山城~日本100名城、2022年に築城400周年を迎えます。撮影スポットは駅の新幹線ホームがおススメです。
- 村上武吉夫妻の墓(宝篋印塔)~能島村上水軍の当主で「日本最大の海賊」と評された人物
- 通化寺~天野隆重夫妻の墓・天野元嘉の墓・繁沢元氏の墓(毛利元氏の墓)及び天野氏館跡
- 岩国城~築城は毛利氏一族の吉川広家で日本100名城、錦帯橋とお城の景観が特徴的です。
- 周防源氏武田氏屋敷跡・周防武田氏の祖である武田宗慶は毛利元就に仕え今日に至っています。
- 杉本寺(鎌倉)鎌倉最古のお寺で創建は天平時代で源頼朝寄進の十一面観音が安置されています。
- 岩殿観音正法寺 ・開基1300年の古刹、源頼朝の庇護の下比企能員が再興し北条政子の守り本尊となる。
- 安楽寺(吉見観音)、比企三山の一つで源範頼が身を隠したと伝わる名刹です。
- 常栄寺(鎌倉)通称は牡丹餅寺、むかし源頼朝が「千羽鶴の放生会」を展望するための桟敷がありました。
- 英勝寺(鎌倉)太田道灌公の屋敷跡にある水戸家の尼姫たちの水戸御殿と呼ばれたお寺です。
- 海蔵寺(鎌倉)鎌倉奥の静かな佇まいの花と井戸、そして数々の伝説を秘めた寺です。
- 畠山重保~畠山重忠の嫡男「六郎さま」・訳も知らぬまま謀反の疑いをかけられあえなく散る。
- 十三士の墓~源頼家の家臣たちの眠る場所
- 城願寺~神奈川県指定文化財となっている土肥一族のお墓と国指定天然記念物・ビャクシンがあります。
- 冷川(ひえかわ)不動尊~高源寺の不動院と伝わる場所~優しい雰囲気の滝があります。
- 葛見神社~神の手のような巨大なクスノキが鎮座する伊東家守護の古社で樹齢は全国第2位!
- 頼朝一杯水~源頼朝が伊豆山への逃避中に休息し水を飲んだと伝わる場所です
- 最誓寺(伊東市)~伊東家のお墓及び千鶴丸の菩提寺として~伊東七福神巡りは寿老人です。
- 日暮八幡神社~源頼朝が八重姫に会うために待ったひぐらしの森~日暮遺跡(弥生時代)の場所でもあります。
- 伝堀越御所跡~堀越公方が居住していた場所と伝わる。伊勢盛時に攻められる。
- 山木判官平兼隆館跡~伊豆目代平兼隆の襲撃~源氏再興の狼煙はここから始まりました。
- 女塚史跡公園~八重姫の5人の侍女たちの終焉の場所と伝わる処です
- 堀藤次親家館跡~源頼朝の挙兵当初からの側近で源頼家の信頼が厚かった人物
- 仁田館跡~慶音寺に今も残る土塁と堀。仁田忠常について。
- 田代砦と田代信綱~「田代」様の姓の発祥地のひとつともされています。
- 能満寺(遠州臨済の三名寺)と能満寺の大ソテツ~国の天然記念物で日本三大ソテツ(蘇鉄)
- 深草館跡~武田氏家臣の逸見光長の居館と伝わるが平安時代築城説もあり。
- 石見銀山の歴史・日本最大の銀山~世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」
- 龍源寺間歩 ・世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一つ
- 塩見縄手・武家屋敷~松江城下にあります。
- 須我神社~日本初之宮で和歌発祥の地と伝わっています。かつては海潮(うしお)郷でした。
- 出雲阿国墓所・出雲阿国とは?
- 石見銀山資料館~大森代官所跡・世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一つ
- 井出の沢古戦場跡~中先代の乱~南北朝黎明期、足利直義と北条時行が激突した合戦の場
- 金時公園~伝・坂田金時の誕生の地、静岡県駿東郡小山町~源頼光に見いだされて四天王となる。
- 藤原範茂卿~墓所は範茂史跡公園~承久の乱の勝利で鎌倉武家政権は盤石となる。
- 竹之下合戦古戦場~足利尊氏が新田義貞に大勝した地~時代は南北朝へ入っていきます。
- 江馬氏館跡公園~国の史跡~中世武家館の様相がわかります。
- 時国家(本家・上時国家)~能登平家の郷~祖先は平大納言時忠。源義経との関係は??
- 時國家(下時国家)~能登平家の郷~ご先祖様は平大納言時忠
- 越中国守館跡~越中国~大伴家持が赴任し暮らした館、万葉集を中心に良く歌に詠まれた国
- 津幡城~平維盛が砦を築き、富樫氏が戦い、上杉謙信が布陣、前田利家が末森城の合戦の軍議を開いた城。
- 高岡山 瑞龍寺~前田利長公の菩提寺~国宝、江戸初期の禅宗寺院建築が見事です。
- 大谷摩崖仏~日本のシルクロード~国の特別史跡及び重要文化財、宇都宮家や亀姫が援助してきた古刹・大谷寺
- 高幡城跡~新選組・土方歳三の菩提寺である高幡不動尊~分倍河原の戦いにて上杉憲秋の終焉の地
- 河崎氏館について~渋谷氏の祖でありやがて近江源氏の佐々木氏を援助し間宮氏に続く
- 古河公方館跡~古河公方の存在とは?関東における戦国時代の幕開けの存在でした。
- 筑波山神社~万葉集にも登場する「筑波」~山頂からの眺め良し!日本史を見守ってきた山。
- 鎌倉幕府の政所跡について
- 今福薬医門公園に行ってみよう!祖先は武田氏家臣。四季折々のお花見が楽しめます。
- 戸定邸・戸定が丘歴史公園~富士見百景~戸定邸は重要文化財で庭園は国の名勝。
- 蛭ヶ小島~源頼朝が20年間過ごし北条政子と夫婦となった配流地~
- 紀貫之邸跡~「土佐日記」の著者・紀貫之の館跡
- お雪供養塔~一条兼定の想い人~
- 戸ノ本古戦場 (長浜の戦い)・長宗我部元親の初陣
- 一條神社~土佐一条氏の中村御所跡~四万十に残る室町時代の京文化を今に伝える神社
- 四万十川の戦い~渡川の古戦場~長宗我部元親の土佐統一、一領具足とは?
- 新田義貞公と妻の勾当内侍の墓~花見塚神社~つつじに見守られてひっそりと佇む
- 江田館跡~江田行義の館~築造時の姿を留める遺跡、湊川の戦いとは?
- 反町館跡~新田義貞公の館の跡~新田庄遺跡
- 生品神社~新田義貞公鎌倉幕府倒幕の旗揚げの地~新田庄遺跡
- 三箇城~畠山義就が築城されたと伝わる城~河内キリシタン本拠地で明智光秀に味方した三箇氏の居城
- 明智城址と天龍寺と明智一族、築城主の明智頼兼(土岐頼兼)とは?
- 大桑城~美濃国守護である土岐氏の最後の居城~
- 一乗谷館跡と朝倉氏~一乗谷朝倉氏遺跡・国の三重指定、103年間の栄華の跡
- 朝倉義景の墓~義景清水~孤独を纏う朝倉家最後の当主・戦よりも芸事と内政が得意
- 越前大野城址~雲海に浮かぶ天空の城~一向一揆平定の恩賞として金森長近が築城
- 柴田勝家~鬼柴田~武骨で勇猛果敢、幾多の戦を潜り抜け、潔く北ノ庄城にて死す
- 鳥越城跡と二曲城跡~加賀一向一揆の終焉の地~金板片が出た!
- 今江城~加賀一向一揆出陣の城~時を経て織田軍との対戦し、落城する
- 苗木城と苗木遠山氏~天然の巨岩を配し木曽川を従える天空の山城~遠山七頭
- 土岐高山城跡(土岐高山城跡の森)・甲斐や尾張との境界を巡っての攻防の地
- 美濃金山城跡~森蘭丸の生誕地~森可成・森長可・森乱丸(蘭丸)・森忠政と斎藤正義
- 久々利城跡~土岐久々利氏・遺構がわかりやすい土の城~斎藤正義を暗殺するもその孫に謀殺された久々利頼興
- 福知山城~初代城主は明智光秀~領民に慕われた証の御霊会、城代は婿で重臣の明智秀満
- 荒木村重と残された女性や家臣たちの悲惨な最期~有岡城の戦い~
- 槇島城・足利義昭が籠城し、室町幕府の実質的な終焉の地~忘却の城跡~巨船出現す!!
- 興禅寺~黒井城の下館~明智光秀の重臣・斎藤利三が治めた春日局の生誕地
- 黒井城~丹波三大山城~250年間続いた中世から戦国時代の貴重な城郭
- 内藤如安~明智光秀の丹波攻め~ナゾに包まれた八木城と丹波内藤氏の栄枯盛衰
- 天橋立~九世戸~明智光秀が細川藤孝・細川忠興の招きで訪れた日本三景、同行者には愛宕百韻の里村紹巴も
- 諏訪盛直(諏訪飛騨守)~明智光秀家臣~山崎の戦いでの激闘で華々しく散る!淀古城・京都諏訪氏とは?
- 岸信周・岸信房父子~中濃衆~妻も勇猛で往年の女武将の如く・堂洞城を枕に壮絶に散る
- 長井道利~中濃衆~義龍に父との決別を促し明智を滅ぼす・出自も最期もナゾ残す人物
- 佐藤忠能・佐藤忠康父子と娘の八重緑と加治田城攻防~織田信長の東美濃攻略~琵琶湖・百足退治も
- 毛受勝照(毛受兄弟)・柴田勝家の身代わりとなって若き命を散らす~賤ケ岳の戦い~
- 丹羽長秀~米五郎左~及び石田三成が城主となった佐和山城跡・龍潭寺
- 羽柴秀吉と石田三成の運命の出会い・光秀と三成の接点とは?~三成の縁の地~
- 織田信長 人生の結晶~安土城~琵琶湖・水上ネットワークの完成
- 小谷城~浅井家三代~浅井亮政・浅井久政・浅井長政
- 若狭武田氏の本拠地であった後瀬山城について、若狭武田氏の始まりと滅亡。
- 京極高次から酒井忠勝へ~八百比丘尼伝説の場所~小浜城
- 逸見昌経(祖は甲斐源氏)が築いた高浜城・足利義満も訪れた「八穴の奇勝」で策を練る
- 興聖寺と足利庭園~朽木氏岩神館跡~室町幕府12代将軍義晴、13代将軍・足利義輝の安全地帯
- 朽木元網~信長の窮地を助けた武将~高島七頭の一族の名門、現在も系統は続く
- 織田信長の撤退戦である金ケ崎退き口・古墳もあり平安時代から繰り返す金ケ崎古戦場跡
- 蜂屋頼隆~美濃出身、信長の天下布武に貢献した家臣~大谷吉継も城主となった敦賀城の歴史
- 明智光秀・織田家臣初の築城許可の功績~比叡山延暦寺焼き討ち~
- 光秀の妻・明智煕子と明智一族の墓がある西教寺~互いを支え合い深い絆で結ばれた夫婦~
- 織田信長・天下の奇祭「左義長まつり」がある日牟禮八幡宮、近江八幡の古社
- 豊臣秀次が築いた八幡山城と八幡堀~近江八幡~
- 聖衆来迎寺・森可成の墓~織田家の重臣で森乱丸(森蘭丸)の父~
- 坂本城・要所かつ豪壮華麗な明智光秀の居城~琵琶湖の浮城~
- 膳所城~琵琶湖の浮城~瀬田の唐橋を管理した藩。測量及び基本設計は藤堂高虎
- 瀬田城~琵琶湖の浮城~甲賀衆を祖とする山岡景隆。本能寺の変後、光秀の行く手を阻む。
- 大津城~琵琶湖の浮城~関ヶ原の戦いの前哨戦・京極高次、京極竜子
- 清水山城・高島七頭惣領・高島氏の居城
- 五番領城~高島七頭・山崎氏(愛智氏系)の城~
- 近江・田中城、明智光秀・文献初登場の舞台とされる城
- 大溝城・打下城~城主は津田信澄(織田信澄)、岳父は明智光秀 京極高次とお初の新婚時代
- 玄葉尾城~賤ケ岳の戦いの柴田勝家の本陣~築城は柳ヶ瀬氏?朝倉方?佐久間盛政?朝倉家大敗の刀根坂のそば
- 疋壇城~越前国境守備~刀根坂の戦い 斎藤龍興終焉の地
- 国吉城~難攻不落の落ちない城~朝倉攻防10年間・粟屋勝久守りぬく!
- 熊川城~沼田麝香(細川マリア)の出身地・細川藤孝正室で細川ガラシャの姑~
- 肥田城・野良田の戦い~浅井長政の華々しい初陣と六角氏衰退のはじまり~
- 山崎山城~下街道監視のための城~時流を掴み戦国後期を駆け抜けた山崎片家。
- 鎌刃城跡~攻防の境目の城~最後の城主は堀秀村、家老は樋口直房。
- その他
- 大野治長(大野修理)~淀殿とは乳母子の間柄、豊臣家が滅するまで淀殿と豊臣秀頼の傍にいました。
- 小西行長~商人の子として生まれるが才能を見出され武将になりキリシタン大名となる。
- 徳善院玄以(前田玄以)~もとは僧侶、織田家の家臣から秀吉に仕え豊臣政権の五奉行となる。
- 浅野長政~豊臣秀吉の姻戚で五奉行筆頭、政治面で手腕を発揮、関ヶ原では徳川家康を支持します。
- 豊臣秀長~豊臣秀吉の実弟で右腕以上の存在、兄の天下統一に大きく貢献、惜しまれながら52歳で他界する。
- 藤堂高虎~渡り奉公人の代表格で主君とは対等に近し、築城三名人と称され藩政も長けていました。
- 大谷吉継~石田三成とは深い友情で結ばれ真田信繁の岳父であり秀吉から才能を認められた知将。
- 豊臣秀頼~従来は暗君だったとされているが実はカリスマ性があり明君の器があった故に滅亡させられた?
- 岡部元信~今川家の忠臣で歴戦の武将、後に甲斐武田家に仕え、徳川家康の前に立ちはだかり高天神城で散る。
- 阿月~浅井家侍女、ある事とは「小豆袋」の逸話か?そして侍女「盛秀」伝説。
- 加藤清正~多くの戦功、治水事業、農業、商業に手腕を発揮し築城の名手であり「清正公さん」として信仰されています。
- 歩き巫女~梓巫女、熊野比丘尼、くの一、信濃巫、甲斐武田氏では女性のみの集団で巫女頭の望月千代女がいました。
- 茶屋四郎次郎(初代は茶屋清延)~三代に渡って徳川家康に仕え、多方面より支えた京都の豪商です。
- 穴山信君(穴山梅雪)~武田氏の家臣で御一門衆、信玄から厚い信頼がありましたが、勝頼の代になると裏切ります。
- 佐久間信盛~織田家筆頭家老として30年間織田家に身を粉にして仕えるも追放される。
- 空誓上人~徳川家康の三大危機の一つである三河一向一揆の中心人物です。
- 北条氏照~北条氏政の同母弟、文武両道で外交手腕に長けており、兄を補佐し盛衰を共にしました。
- 中山家範館~武蔵七党の丹党、中山家範は八王子城で戦死、子の中山信吉は水戸藩附家老に出世。
- 平将門~困っている人を放っておけない面倒見の良い大将は東国に新国家を創ろうとした。
- 伝・源護館跡陣営~平将門の乱の始まりの戦と嵯峨源氏である源護という人物について。
- 木曾義昌(木曽義昌)~妻は信玄の娘、武田勝頼を裏切った代償、やがて木曽から下総国阿知戸へ行きます。
- 武田勝頼~甲斐源氏・戦国大名としての甲斐武田氏最後の当主、素質と環境が合わず悲劇が訪れます。
- 山県(飯富)昌景~武田家重臣の筆頭格で部隊の軍装「赤備え」が有名です。
- 水野信元~徳川家康のかなり頼れる伯父だが、最期は織田信長から殺害命令が下る。
- 今川氏真~お坊ちゃま育ちで蹴鞠の名手、家は失えど強かに生き抜き明治まで子孫を繋ぎました。
- たね(築山殿侍女)~西郷局暗殺疑惑の侍女か、伊奈忠基の娘か、河井某か、藤原南家流の川井氏か、それとも?
- 巴~家康の正室である築山殿(瀬名)の生母で今川義元の妹とされていますが実は?
- 関口氏純(親永)~築山殿の父親であり出自は今川一門の瀬名氏であり今川家の有力家臣でした。
- 鵜殿長照~今川家臣、長照の子供達と築山殿・信康・亀姫と人質交換になりました。
- オヤケアカハチ~琉球の侵攻から石垣島を守ろうとした豪族の首領で先島諸島では英雄です。
- 清光寺~豊島清元(豊島清光)開基で居館が近くにあり豊島氏発祥の地に建つ寺院です。
- 武田義清(源義清 (武田冠者))~常陸国出身で配流となった先の土地に根差して甲斐源氏の祖となりました。
- 若獅子神社~若獅子とは戦時中の少年戦車兵の愛称、帰還戦車・九七式中戦車があります。
- 河内源氏の栄枯盛衰~形成から興隆、衰退、初の武家政権となった鎌倉幕府と次の室町時代。
- 明王院(広島)~歴史ある古刹で国宝の本堂と五重塔が自然の中に調和して並んでいます。
- 高源寺~源頼朝が石橋山合戦出陣旗揚げ及び挙兵の密議をしたという場所です
- 玉造要害山城・城主の湯氏は、宇多源氏佐々木一族で、戦国の知将にて辣腕大名の亀井茲矩のご先祖です。
- 大谷摩崖仏~日本のシルクロード~国の特別史跡及び重要文化財、宇都宮家や亀姫が援助してきた古刹・大谷寺
- 前田利家とまつ~加賀百万石の礎を築いた二人は従兄妹同士~まつの生き方が凄い!!
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