城跡

岩国城~築城は毛利氏一族の吉川広家で日本100名城、錦帯橋とお城の景観が特徴的です。

岩国城 模擬天守



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岩国城

岩国城(いわくにじょう)は、
山口県岩国市横山に存在した日本の城(山城)です。

江戸時代初期は岩国領の居城となり、
山城である横山城は本丸を中心として
南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、
ほかに水の手などの曲輪が配置され、
麓には、「御土居」が築かれていたとのことです。
本丸には4重6階の天守などがありましたが、
廃城後は天守は破却されて
土居が陣屋として存続しました。
城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、
特徴的な景観を作り出しています。
城下町はこの錦帯橋の道筋を
基準に整然と整備されました。

錦帯橋と錦川

現在、御土居跡は、
吉香公園(きっこうこうえん)として整備され、
横山山頂には再建天守があります。

【別名】
横山城

【城郭構造】
連郭式山城

【天守構造】
複合式望楼型4重6階(1608年築 非現存)
(1962年RC造復興)

【築城主】
吉川広家

【築城年】
慶長6年(1601年)

【主な城主】
吉川家

【廃城年】
元和元年(1615年)

【遺構】
隠居所長屋、石垣、水堀、空堀

【指定文化財】
なし

【再建造物】
天守、旧天守台(発掘復元)

【城の歴史】
【江戸時代】
慶長5年(1600年)、
関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元
領地を大幅に削減され、
広島城から萩城に移封となりました。
。同時に一族であり毛利家存続に注力した
(結果的に毛利家は領土を大幅に削減された)
吉川広家も同時に米子城から
この岩国の地に3万石で封じられました。

慶長5年10月には家臣団が、
慶長6年(1601年)には
吉川広家がこの地に赴任しました。
吉川広家赴任と同時に
岩国城の築城が開始されたのでした。
麓に平時の居館となる「土居」と、
戦時の城「横山城」が横山山上に築かれました。
築城には8年の歳月が費やされ、
翌年の慶長7年(1602年)に
まず土居が完成しました。
土居完成とほぼ同時期に
横山城の築城が開始され、
慶長13年(1608年)に竣工しました。
本丸には4重6階の唐造りの天守が建造されました。

けれども、完成からわずか7年後の
元和元年(1615年)に
幕府の一国一城令により
横山城が破却され廃城となりました。
これは、周防国にはこの岩国城のみが
存在していましたが、
長府藩の毛利秀元が居城の櫛崎城を
破却したことに合わせざるを
得なかったことによるものとされています。
その後、麓の土居は岩国領の陣屋として、
また慶応4年の立藩後はその陣屋として、
明治維新まで存続しました。




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【岩国領の事情】
岩国領は本藩である長州藩より
長期にわたって独立した支藩として
認められず、陪臣として扱われていました。
これは、関ヶ原の合戦時に
吉川家のとった行動が、
毛利家中で評価されなかったことと
深く関わりがあるとする説がありますが、
実際には長府藩や徳山藩が
長州藩主の子孫による分家として
宗家継承権を有していましたが、
吉川家にはそれがなかったなどの
事情があったとみなされています。
当藩は明治維新の年、
慶応4年(1868年)にようやく
独立の藩として認められ諸侯に列しましたが、
明治4年(1871年)には
廃藩置県によって廃藩とされたため、
正式に独立した藩の藩庁として
機能した時期はわずかでした。

【近現代】
明治18年(1885年)、
居館「土居」跡が吉香公園となり、
堀端に絵馬堂である
錦雲閣(きんうんかく)が
旧藩時代の櫓を模して建造され、現存しています。
また、藩政時代の建造物として
寛政年間(1789年 – 1800年)
に建てられた昌明館
(7代当主経倫の隠居所)の長屋が現存しています。

岩国城と錦帯橋

昭和37年(1962年)3月21日、
本丸南側に「天守構造図」という
絵図を元に鉄筋コンクリート構造によって
復興天守が建てられました。
本来の天守台は約30m離れた
本丸北側にありましたが、
麓からの見栄えを重視して建設されました。
現在見られる、本来の天守台は
平成7年(1995年)に
発掘復元されたものです。
山上には、他に石垣や堀の遺構があります。

2006年(平成18年)4月6日、
日本100名城(74番)に選定されました。
<スタンプ設置場所>
◆岩国城受付窓口

日本100名城 城カード第3弾が
岩国城で販売しています!
来城記念にどうぞ。

【販売場所】
岩国城入口

【販売価格】
1枚:300円
※購入方法は現地窓口での販売のみです。

【御城印】
全国の城郭で登場記念として人気を集めている
「御城印」が岩国城で販売しています。

【販売場所】
岩国城入口

【販売価格】
1枚:300円(1人5枚まで購入可能)
※来場記念のため、郵送等による販売は行っていません。

2012年(平成24年)現在、
山上と吉香公園のある山麓は
ロープウェイ(岩国城ロープウェー)で
結ばれており、2013年4月から
岩国市の指定により錦川鉄道が運営管理しています。




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【岩国城(天守閣)入城料金】
(2021年8月現在)
大人: 個人270円 団体200円
(中学生以上 団体は15名以上)
小学生:個人120円  団体90円
セット割引
(錦帯橋・岩国城ロープウエー・岩国城の3つのセット 
所要時間 約1時間30分〜2時間)
大人個人1140円⇒970円(団体760円)に割引
小学生個人530円⇒460円(団体350円)に割引
その他割引 ※障がい者手帳等
【開館時間】
午前9時~午後4時45分
(入館は午後4時30分まで)
問い合わせ先 錦川鉄道株式会社 岩国管理所
【電話】
0827-41-1477

【所在地】
〒741-0081 山口県岩国市横山3丁目

【交通アクセス】
山陽本線「岩国駅」または
山陽新幹線「新岩国駅」からバス約20分
「錦帯橋バスセンター」~徒歩10分
「山麓駅」乗換~ロープウエー「山頂駅」~徒歩5分

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