史跡・城跡

将門塚~平将門公の首を祀る塚で大都会の超一等地に鎮座し、現在も静かに見守っています。

将門塚(平将門首塚)



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将門塚

将門塚(しょうもんづか・まさかどづか)とは、
京都千代田区大手町にある、
平将門公の首を祀る塚です。
東京都指定の旧跡となっています。
かつては盛土と、内部に石室ないし
石廓とみられるものがあったので、
古墳であったと考えられています。

【平将門公とは?】
平安時代中期の豪族です。
関東の八ヶ国の国府を攻撃し
各国司を追放した平将門の乱を起こしました。
平将門の乱の後、
平将門は自らを「新しい天皇」
を意味する「新皇」と称し始めました
朝廷に反逆したとみなされた平将門は
平貞盛の軍と交戦し、下総の地で討死します。
その首は藤原秀郷により
平安京の七条河原でさらされることになりました。

【将門塚の由緒】
平安京でさらされた平将門の首は、
数ヶ月経った後も目を開いたり
閉じたりを繰り返したとのことです。
ときには「首を繋げて再戦したい」
と叫ぶなどしたとか。
その後、平将門の首は怨念により
故郷の東国に向かって飛んでいき、
その途中の土地土地に落ちた、
という伝説があります。
その首が落ちた場所の一つが、
ここ大手町の「将門の首塚」ということです。

【将門の怨霊と時宗】
将門塚のある地はかつて
武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれていました。
住民は長らく平将門の怨霊に
苦しめられてきたということです。
諸国を遊行回国中であった
遊行二祖他阿真教が徳治2年(1307年)、
平将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って
首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、
かたわらの天台宗寺院日輪寺を
時宗(じしゅう)芝崎道場に
改宗したということです。
日輪寺は、平将門の「体」が訛って
「神田」になったという
神田明神の別当として
将門信仰を伝えてきました。
その後江戸時代になって
日輪寺は浅草に移転させられましたが、
今なお神田明神とともに
首塚を護持しています。
時宗における怨霊済度の好例といえます。

【伊達騒動】
付近一帯は江戸時代には
姫路藩雅楽頭酒井家の上屋敷の敷地となり、
山本周五郎の歴史小説「樅ノ木は残った」で知られる、
仙台藩原田宗輔による
刃傷沙汰が発生しています。

【関東大震災後の発掘調査】
関東大震災による被災後、
周辺跡地に大蔵省仮庁舎が
建てられることとなり、
石室など首塚の大規模な
発掘調査が行われました。
昭和2年(1927年)に
平将門鎮魂碑が建立され、
神田神社の宮司が祭主となって
盛大な平将門鎮魂祭が
執り行われたとのことです。
この平将門鎮魂碑には
日輪寺にある他阿真教上人の
直筆の石版から「南無阿弥陀仏」が
拓本されたとのことです。




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【平将門名義の口座】
数十年にわたり、
地元のボランティア団体が浄財を元に、
周辺の清掃・整備を行っていますが、
その資金の預金先として、
隣接する三菱UFJ銀行に
「平将門」名義で口座が開かれていました。

【第6次目の改修工事】
2016年から2020年にかけて
隣接地で大手町再開発事業
大手町ワンの建築が行われました。
この工事終了に合わせて2020年、
平将門没後1081年にあたって
1961年の第1次整備工事以来、
数えて第6次目の改修工事が実施されました。
関係各所の総意として、
「敷地内の安全性と管理性の向上を
目指すと共に、これからの時代に
ふさわしい新しい将門塚として
皆様に愛されることを目指し」て実施。
2020年(令和2年)11月から
2021年(令和3年)4月末まで工事が行われました。

将門塚(第6次工事後)

【供物】
2021年の第6次目の改修整備以降、
一般参詣者の敷地内に供物、物品の寄進、
お線香台の利用は禁止となっており
注意が必要とのことです。
平将門命への奉納希望者は、
平将門塚を管理している
外神田の神田神社社務所にて
受け付けているとのことです。
お賽銭に限り以前と同様に
将門塚敷地内、九曜の家紋が掘られた
賽銭箱にて受け付けているとのことです。

【蛙の置物】
第6次目の改修工事以前、
首塚の境内には多数の蛙の置物が
奉納されていました。
平将門公の首が京都から
飛んで帰ったことから、
必ず「帰る(カエル)」にひっかけ、
左遷に遭った会社員が、
元の会社に無事に戻ってこられるように、
あるいは誘拐されたり行方不明になった子供が、
無事帰ってこられるように、
といった願いをかけて
供えられたものであったとのことです。

【祟りの伝説】
築土神社や神田神社同様に、
古くから江戸の地における霊地として、
尊崇と畏怖とが入り混じった
崇敬を受け続けてきました。
この地に対して不敬な行為に及べば
祟りがあるという伝承が語り継がれてきました。

【第1次若槻内閣の連続不審死】
大正12年(1923年)の
関東大震災後に
都市再開発(復興計画)として
大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、
工事関係者や省職員、
さらには時の大蔵大臣(第1次若槻内閣)・
早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで、
平将門の祟りが省内で噂されることとなり、
省内の動揺を抑えるため
仮庁舎を取り壊して
鎮魂碑を立てました。

なお国税庁のウェブサイトでは、
「大正15年、
第一次若槻礼次郎内閣で
大蔵大臣であった早速整爾が突然亡くなり、
管財局技師で工事部長だった
矢橋賢吉が亡くなるなど続けて
不幸があったため、
仮庁舎建設に際する祟りが
噂されるようになり、
昭和2年に鎮魂碑を立てたといわれています。
大蔵省に関わる祟りが事実か否かは
確かめようもありませんが、
昭和15年6月には、
落雷による大蔵省庁舎焼失を含む
大手町官庁街の火災が起こり、
また、太平洋戦争後、
米軍が塚を整地しようとした時に
ブルドーザー横転事故が起きて
運転者が亡くなっています。」
と記述されています。




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昭和3年(1928年)3月には
大蔵省が主催して鎮魂祭を行っています。
早速が大蔵大臣に就任、
それから程なくして亡くなったのは
仮庁舎建設の3年後の
大正15年(1926年)です。
また、工事部長だった
矢橋賢吉が死亡したのは
建設から4年後の昭和2年(1927年)です。
さらに、大蔵省庁舎が
落雷による火災で焼失したのは、
17年後の昭和15年(1940年)の事でした。

【GHQが平将門塚を撤去しようとする】
また、第二次世界大戦後に
戦災復興都市計画として、
GHQが丸の内・大手町周辺
の区画整理にとって障害となる
この地を撤去・造成しようとした時、
不審な事故が相次いだため、計画を取り止めました。

【塚の撤去が中止となる】
アメリカ軍のブルドーザーが作業中に横転し、
運転手が投げ出されて死亡しました。
それまでも事故があり
日本人の労務者に
怪我人が出ていたので
付近を調査したところ、
転覆したブルドーザーの前に
半分埋まっている
墓のようなものが見つかり
大騒ぎとなりました。
当時町内会長であった遠藤政蔵により、
平将門の首塚の碑であることが判明し、
GHQ当局に陳情を重ねた結果、
塚の取り壊しが中止されました。

それから、
大手町周辺が高層ビル街へと
発展する過程においても、
平将門公の首塚は取り壊しや
移転を免れて残ることとなり、
現在でも毎日、香華の絶えない程の
崇敬ぶりを示しており、
近隣の企業が参加した
「史蹟将門塚保存会」が設立され、
維持管理を行っているとのことです。

将門塚

【交通アクセス】
東京メトロ・都営地下鉄「大手町」駅
C5出口すぐ(閉鎖中の可能性あり)。
C6a出入口からすぐ。

【近くの史跡】
江戸城跡(皇居)
江戸城跡(皇居) 大手町

【所在地】
〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目2−1外

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