平安時代

大国玉神社 (桜川市)~平将門の妻「君の御前」の父である平真樹の館がありました。

大国玉神社 (桜川市)



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大国玉神社桜川市)】

大国玉神社(おおくにたまじんじゃ)は、
茨城県桜川市にある大国主命をご祭神とする神社です。
愛称は明神さま。
旧名は鹿島大明神(鹿島明神)。
式内社(常陸国真壁郡、小社)。
旧社格は郷社。
旧字体で大國玉神社とも表記します。
大国玉神社 (桜川市)
説明

【ご由緒】
創建は不詳です。
社伝では養老年間
(717年⇒724年)の
創建としされています。
一説には天長年間
(824年⇒834年)とも
いわれています。

六国史及び延喜式神名帳に
記載がある古社です。

【続日本後紀】
巻六。仁明天皇の代、
承和4年(837年)3月、
新治郡佐志能神とともに
「眞壁郡大國玉神」として
「並預官社。以比年特有靈驗也」
(霊験甚だ大であったために官社に預る)
とあります。
巻十五。同12年(846年)、
「奉授常陸國无位大國玉神從五位下」
(従五位下を授けられた)。

【日本三代実録】
巻五。清和天皇の代、
貞観3年(861年)9月、
「授常陸國從五位下主玉神從五位上」
(従五位上に昇叙)。
歴史書のうち、唯一日本三代実録は
神名を「主玉神」としていますが、
この神が大國玉神と同一神で
あるかははっきりしないとのことです。
茨城県内には「主玉神」の比定社を称する
神社は3社存在するため
(鉾田市の主石神社、
桜川市の鴨大神御子神主玉神社)、
日本三代実録の見在社としては
論社となっています。




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【延喜式神名帳】
延喜5年(927年)、
常陸国真壁郡小一座「大國玉神社」
(常陸国28社の一つ)。

元禄12年(1699年)11月、
徳川光圀は四神の幡、
日月の幡鉾を奉納。

明治5年(1872年)4月、
郷社列格。

平成4年(1992年)10月、
社殿改修。

古い地誌には名所
「大国玉七井」として
「宮前の井、久々津井、庚申前井、
后の井、福泉甑井、福泉米井、
福泉酒井」の紹介があるとのことです。
大国玉神社(桜川市)

【ご祭神】
<主祭神>
大国主命

<配祀神>
武甕槌命、
別雷命

ご祭神については
「鹿嶋大神を祭れるにやあらん、
又本社に伝ふる処の歌23首あり、
何れも鹿島神の威霊を
称へまつれるものなるをも証とすべし」といい、
「大國玉神」あるいは「国神」とは
各国を平治した神の尊称であり、
常陸国においては
武甕槌命の異名であったとされているとのことです。

【二社一対の構図】
「新編常陸国誌」に
「鹿島大明神と云、社伝によりて
考えふるに、祭神二座あり、
東を男体宮と云ひ、
西を女体宮、又物忌宮と云ふ」
とあり、
往古は鹿島大明神と呼ばれ、
男体宮と女体宮による
二社一対の構図があったとのことです。

東を男体宮、西を女体宮として
二人の神官で奉祀していたことになります。
9月9日の大例祭(現在は11月15日)では、
女体宮の神輿が男体宮に
神幸する習わしがあったとのことです。

女体宮の統合は
「明治の始西の宮神官の職を解かれ
東の宮の神官襲職し」あり、
明治期に行われました。
現社地は男体宮の継承ということです。
大国玉神社 (桜川市)

【后神社】
女体宮の旧址は不詳です。
境内社の后神社は
大国主命の正后である
須勢理比女命を祀っています。
なお、大國玉神社の東にも
后神社(単立社)がありますが、
こちらのご祭神は平将門夫人「君の御前」です。
「君の御前」は
平真樹(たいらのまたて)の娘です。
平真樹が治めた荘園の中心地付近には、
大国玉神社があり、付近には
館跡があったということです。
そして平真樹は
大国玉神社の神官であったそうです。

【祭礼】
<1月1日> 
元旦際

<1月3日> 
鍬の祭
五穀豊穣を祈願

<1月4日> 
さやど廻り祭
毎年正月4日早朝に
行われる神事です。
詳しい名称は
「大國玉神社末社七十五社御宮渡巡行」
と呼ばれるものです。
大国玉地内に祀られて
当社の末社を氏子崇敬者の有志が
大榊と大太鼓を先頭にして
走りながら巡行し、
家内安全と五穀豊穣を
祈願する お祭りです。
帰社後、甘酒を頂き、
「神宝日出五穀豊熟福田之祓」
の御神符を受けます。
この行事に参加すると
年間無病息災であると
いわれています。




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<2月3日> 
節分追薙祭

<7月15日>
神庭薙祭・八坂神社祭

<11月15日> 
例大祭

<12月31日> 
大祓い

【所在地】
〒309-1244 茨城県桜川市大国玉1

【交通アクセス】
JR水戸線「大和」駅下車徒歩15分程度。

【駐車場】
2台分ほど。

【平真樹】

平 真樹(たいらの まき/まさき)は、
平安時代中期の荘園領主・豪族。
常陸国新治郡の土豪であったとされています。
平氏の姓を冠していますが、
同地域の高望王系の平氏としては
確認できないとのことです。
平将門にとっては
「強力な同盟者」という評価があり、
平真樹の娘は将門の正妻(君の御前)
として嫁いだとされています。
新治郡にある大国玉に住む領主で、
真壁・新治・筑波の広い範囲に
領地を保有していたといわれています。
源護と土地を巡る確執から
度々争っていたとされています。
平真樹はこの紛争の調停を平将門に頼み、
平将門はそれを受けて平真樹を援護したとのことです。
平真樹が源護に敗れてしまうと
今度は自らの領地が危うくなる
可能性が高いので、
しぶしぶ承知したともいわれています。
これにより源護と姻戚関係である
伯父の平国香らが
源護側の味方であったので、
元々因縁があったとされる伯父らと更に
深く対立する事となってしまい、
ついには源護の子である
源扶・源隆・源繁らが将門を襲撃、
平将門と一族・源家との争いは
益々激しさを増していく事と
なってしまったのでした。




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承平6年(936年)、
源護は朝廷に平将門と
平真樹についての告状を提出。
朝廷はこれにもとづいて
平真樹らに召喚の官符を発します。
が、承平7年(937年)4月7日の
朱雀天皇元服の大赦によって
全ての罪を赦されて平真樹らは帰国しました。
後の承平7年(937年)9月23日には、
平将門と共に弓袋山
平良兼と戦いました。
「将門記」によりますと、
この戦いの前に平将門が平良兼に敗戦した際に
「妻子が殺された」とあり、
これが平真樹の娘であったとする説があります。
平真樹が治めた荘園の中心地付近には、
大国玉神社があり、館跡があったということです。

伝・平良兼館(竜ケ井城・竜崖城) ~平良兼は平将門の叔父にあたりこの地は「弓袋山の対陣」の舞台です。

平将門~困っている人を放っておけない面倒見の良い大将は東国に新国家を創ろうとした。

后神社(桜川市)~平将門の妻で平真樹の娘とされる「君の御前」を祀っています。

御門御墓(平将門居館?)~平将門の供養塔とされる五輪塔があり付近には妻を祀る后神社があります。

真壁城~大掾氏の一族である真壁氏が支配、江戸時代に浅野長政が真壁藩5万石を与えられます。

谷貝城~築城は室町時代でその後は真壁氏の家臣である藤田氏の居館でした。

筑波山神社~万葉集にも登場する「筑波」~山頂からの眺め良し!日本史を見守ってきた山。

平将門公本據豊田館跡~平将門誕生の地と伝わる場所、後に豊田氏の向石毛(向石下)城址となりました。

國王神社~平将門公終焉の地に三女如蔵尼によって創建されたと伝わる古社です。

大宝城(茨城県)~関東最古の八幡宮である大宝八幡宮境内にあり下妻氏によって築城された城です。

伊佐城~伊達氏の祖とされる一族の伊佐氏が築城し、南北朝時代には南朝側について戦いました。

小栗城~坂東平氏の流れをくむ常陸小栗氏が築城、室町期の関東地方の激動の渦にのまれていきました。

築土神社と世継稲荷~平将門信仰の象徴的神社と徳川秀忠が称賛した神社です。

兜神社~平将門公にまつわる言い伝えがあり証券界の守り神でもある東京のお社です。

鎧神社~日本武命や平将門公にまつわる伝承があり人々の崇敬を集めてきた東京のお社です。

将門塚~平将門公の首を祀る塚で大都会の超一等地に鎮座し、現在も静かに見守っています。

石井の井戸跡(坂東市岩井)~平将門が拠点である石井営所を決めた伝説がある古井戸です。

伝・源護館跡陣営~平将門の乱の始まりの戦と嵯峨源氏である源護という人物について。

延命寺~「島の薬師」と親しまれているお寺で、平将門公持護仏の薬師如来像が祀られています。

岩瀬城~茨城県桜川市にある城で詳細や歴史は不明、益子氏或いは笠間氏の支城の可能性あり。

常陸・富岡城~坂戸城主小宅氏の家臣である稲川土佐氏が城主とされています。

坂戸城(常陸国)~宇都宮氏家臣の小宅氏の居城、この城を巡り宇都宮氏と小田氏で激戦が繰り広げられました。

真壁城~大掾氏の一族である真壁氏が支配、江戸時代に浅野長政が真壁藩5万石を与えられます。

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