史跡・城跡

築土神社と世継稲荷~平将門信仰の象徴的神社と徳川秀忠が称賛した神社です。

築土神社



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【築土神社】

築土神社(つくどじんじゃ)は、
京都千代田区九段にある神社です。
通称は築土明神です。

創建時のご祭神である平将門に因み、
武勇長久の神社として親しまれ、
千代田区北の丸公園にある
日本武道館の氏神でもあります。

例年ですと毎年正月に授与される勝守(かちまもり)は
有名となっているとのことです。

【ご祭神】
現在は
天津彦火邇々杵尊
(あまつひこほのににぎのみこと)
を主祭神としています。
平将門公、
菅原道真公を配祀しています。

【将門信仰の象徴的神社】
江戸時代の文献によりますと、
築土神社内には平将門公の首
(頭蓋骨や髪の毛)そのものが
安置されていたといわれており、
数ある平将門ゆかりの社寺の中で、
将門信仰の象徴的神社となっていました。
明治に入って教部省の指示により
平将門は相殿に格下げされ、
現在は天津彦火邇々杵尊が
築土神社の主祭神となっています。

築土神社 鳥居

戦災で築土神社が焼失するまで、
平将門公の首を納めたという首桶、
平将門の肖像画(束帯姿)、
木造の束帯坐像等が
社宝として伝わっていました。
昭和20年4月、
戦災により社殿とともにそれらは焼失し、
現在は一部の写真が
残るのみとなっています。




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なお、御神体の「首桶」なるものは、
「東京市史稿」市街篇第2巻186頁に
写真が残されています。
蓋上面に「江戸/上平川」、
側面に「江戸郷/上平河村」と墨書されており、
何らかの神宝を納めるために
作られた中世の曲物(まげもの)
ではないかとのことです。

拝殿の装飾や絵馬などには、
巴紋のほか平将門に因んだ
繋ぎ馬(つなぎうま)の紋が使用されています。
これは神社境内にある
天水桶(文政元年)の
彫刻を模したもので、
築土神社の登録商標です(平成23年現在)。

【築土神社の歴史】
天慶3年(940年)6月、
江戸の津久戸村(上平川村、
現:千代田区大手町一丁目将門塚付近)に
平将門の首を祀り、
塚を築いたことから
「津久戸明神」として創建されたということです。

室町時代(「江戸名所図会」では
天正7年(1580年))に太田道灌により
田安郷(現:千代田区九段坂上)へ
移転させられて以降は
「田安明神」とも呼ばれるようになりました。
日枝神社、神田明神とともに
江戸三社の一つにも
数えられることもあったとのことです。
なお、江戸三社のうち、
日枝神社、神田明神以外は
固定していないそうです。

元和2年(1616年)に
江戸城の拡張工事により
筑土八幡神社隣接地
(現:新宿区筑土八幡町)へ移転し、
「築土明神」と呼ばれるようになりました。

明治7年(1874年)、
天津彦火邇々杵尊を主祭神として
「築土神社」へ改称します。
300年以上の間、筑土八幡神社と並んで
鎮座していましたが、
昭和20年(1945年)の
東京大空襲によって全焼し、
1954年、
現在の九段中坂の途中にある
世継稲荷境内地へ移転しました。

【「掘兼の井」の故地】
なお、昭和20年(1945年)まで、
氏子地域から離れた
新宿区筑土八幡町にあり、
筑土八幡神社と並んで鎮座していた築土神社。
この一帯は筑土八幡神社の氏子地域となっています。
市谷船河原町の外堀通りから
アンスティチュ・フランセ東京
(旧東京日仏学院)への入口にある摂社は、
古代の「さねかずら」という美女にまつわる
「掘兼の井」の故地であるとする伝承があります。
「江戸名所記」所収「掘兼の井」の記述は
ここをさすと見られています。
当町にはかつて氏子総代をつとめた旧家があり、
平安時代に京都でさらされていた
平将門の首級を密かに奪い取って
持ち帰った者の子孫であったと
言い伝えられていたということです。

平成6年(1994年)、
境内地にオフィスビルを
建設するとともに、
鉄筋コンクリート造の社殿を新築しました。
平成18年(2006年)の築土祭では、
安政6年(1859年)の神田明神以来、
実に147年振りに
神輿渡御行列の江戸城入りを果たしています。

ビルに囲まれている築土神社

境内に区指定有形民俗文化財の力石、
狛犬があります。
本殿前の狛犬は、安永9年(1780年)奉納の
区内最古のものです。

【祭事・年中行事】
例年ですと9月15日の
例大祭に至る一週間の行事を
「築土祭」と呼び、
節目の年には神輿渡御などが
行われるとのことです。




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【所在地】
〒102-0073東京都千代田区九段北1-14-21

【交通アクセス】
九段下駅1番出口より徒歩2分程度。

【社務所】
<営業時間>
午前9時~午後5時迄
(時間帯により職員不在の場合があります)
※毎年1月1日は午前0時~午後8時頃迄

【世継稲荷】

倉稲魂神をご祭神として、
嘉吉元年(1441年)頃、
飯田町に創建された稲荷神社です。
当時はこの辺一帯を田安村といったことから、
「田安稲荷」と称されていたそうです。
江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が社に参内し
「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、
これ以降「世継稲荷」と
称されるようになったと
伝えられています。

世継稲荷

元禄10年(1697年)の大火で
被害を受け翌年に再建した頃より、
地域町人の守護神になっていったのでした。
享保15年(1730年)以降、
田安家の鎮守神としても崇拝されました。
また、文久2年(1862年)に
14代将軍家茂の正妻である
和宮が子宝を願って参詣したとあります。
そして現代も子宝や後継者を願う人々に
信仰されています。

【主なご利益】
子宝・後継者

【祭日】
<春祭>
4月11日
<秋祭>
10月11日

【所在地】
〒102-0073 東京都千代田区九段北1丁目14−14

【交通アクセス】
●半蔵門線・都営新宿線九段下駅3番出口より
徒歩3分程度。
●東西線九段下駅7番出口より徒歩2分程度。

所要時間:10分~

<近くの神社・仏閣>
靖国神社
靖国神社
築土神社⇔靖国神社は片道で徒歩10分位です。

平将門~困っている人を放っておけない面倒見の良い大将は東国に新国家を創ろうとした。

平将門公本據豊田館跡~平将門誕生の地と伝わる場所、後に豊田氏の向石毛(向石下)城址となりました。

國王神社~平将門公終焉の地に三女如蔵尼によって創建されたと伝わる古社です。

兜神社~平将門公にまつわる言い伝えがあり証券界の守り神でもある東京のお社です。

鎧橋・鎧の渡し跡~名称の由来は源義家の東征からですが、平将門伝説もあります。

鎧神社~日本武命や平将門公にまつわる伝承があり人々の崇敬を集めてきた東京のお社です。

将門塚~平将門公の首を祀る塚で大都会の超一等地に鎮座し、現在も静かに見守っています。

徳川秀忠~江戸幕府2代将軍、幕藩体制の基礎を固め政権運営方針を次代に引き継ぐ。

太田道灌~扇谷上杉氏の家宰で多彩で非凡な才能故に主君に疎まれ暗殺された悲劇の武将。

江戸城~武蔵国江戸の最初の館は江戸氏、太田道灌が築城しやがて徳川家康が入城し開府しました。

石井の井戸跡(坂東市岩井)~平将門が拠点である石井営所を決めた伝説がある古井戸です。

延命寺~「島の薬師」と親しまれているお寺で、平将門公持護仏の薬師如来像が祀られています。

伝・源護館跡陣営~平将門の乱の始まりの戦と嵯峨源氏である源護という人物について。

伝・平良兼館(竜ケ井城・竜崖城) ~平良兼は平将門の叔父にあたりこの地は「弓袋山の対陣」の舞台です。

大国玉神社 (桜川市)~平将門の妻「君の御前」の父である平真樹の館がありました。

后神社(桜川市)~平将門の妻で平真樹の娘とされる「君の御前」を祀っています。

御門御墓(平将門居館?)~平将門の供養塔とされる五輪塔があり付近には妻を祀る后神社があります。

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