史跡・城跡

星ヶ丘城~扇谷上杉氏が築城したとされている伝説及び幻の城、日枝神社の鎮座場所です。

日枝神社 星ヶ丘城跡



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【星ヶ丘城】

霞ヶ関坂、茱萸坂(グミ坂)を登り、首相官邸を過ぎ、
山王坂を下ったところにある山王日枝神社。
この場所には「星ヶ丘城」の伝承があります。

星ヶ丘城は扇谷上杉氏が築いたと見られており、
江戸城太田道灌は南西の押さえとして
使用していた可能性があるとのことです。

星ヶ丘城に関しては、一次資料が存在せず、
全くの伝承となってしまっています。
現ザ・キャピトルホテル東急が城の第一郭、
山王日枝神社が第二郭、
都立日比谷高校が第三郭との説があり、
大きな規模を有していたともされています。

【所在地】
京都千代田区永田町2-10-5(日枝神社)

【城主】
扇谷上杉氏か?

【遺構】
土塁、堀跡

【城郭形態】
平山城

【駐車場】
あり(日枝神社)

【日枝神社】

日枝神社(ひえじんじゃ)は、
東京都千代田区永田町二丁目にある神社です。
江戸三大祭の一つ、山王祭が行われています。
旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。

大山咋神(おおやまくいのかみ)を主祭神とし、
相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、
伊弉冉神(いざなみのかみ)、
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)が祀られています。




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【歴史】
創建の年代は不詳です。
文明10年(1478年)、
太田道灌江戸城築城にあたり、
川越の無量寿寺
(現在の喜多院・中院)の鎮守である
川越日枝神社を勧請したのに
始まるといわれています。
徳川家康公が江戸に移封されたとき、
城内の紅葉山に遷座し、
江戸城の鎮守としました。

慶長9年(1604年)からの
徳川秀忠公による江戸城改築の際、
社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、
庶民が参拝できるようになりました。
社地は徳川家康により5石、
元和3年(1617年)に徳川秀忠により100石、
そして寛永12年(1635年)に
徳川家光公からの寄付を加えて600石となりました。

明暦3年(1657年)、
明暦の大火により社殿を焼失したため、
万治2年(1659年)、
将軍徳川家綱公が赤坂の
松平忠房の邸地を社地にあて、
現在地に遷座しました。
この地は江戸城から見て
裏鬼門に位置しています。

明治元年(1868年)11月の
東京奠都の際に准勅祭社に指定されました。
その後明治3年(1871年)に
神祇官直下から東京府管轄に移され、
明治5年(1873年)の
官国幣社の選定時にも漏れ、
そのまま東京府の府社となりました。
1881年(明治14年)に、
氷川神社宮司で
日枝神社の祠官を兼ねていた平山省斎が、
皇城鎮護の神社が
府社であっていいはずがないので、
官幣大社にしてほしいと願い出たとのこと。
この時は官幣大社にはならなかったのですが、
東京府・内務省の賛成を得て
1882年(明治15年)1月9日に
官幣中社になったのでした。
大正元年(1912年)には
官幣大社に昇格しました。

昭和20年(1945年)の
東京大空襲で社殿が焼失し、
昭和33年(1958年)に再建されました。

【神猿(まさる)のご夫婦】
日枝神社の社殿には、
境内に狛犬ではなく「猿」が置かれています。
猿は御祭神の大山咋神の使いとされており、
神様の使いの猿「神猿(まさる)」と言われ、
敬われていました。
その「まさる」という音から「勝る(まさる)」
「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、
勝運の神や魔除けの神として置かれています。
また音読みの「えん」という音から、
猿が「縁(えん)」を運んできてくれると考え、
商売繁盛や縁結びの祈願を
受けに来る方も多くいらっしゃるとのことです。

<母親のおさるさん>
母親のまさるさん(日枝神社)
「家内安全」や「子授け」「安産」

<父親のおさるさん>
父親のまさるさん(日枝神社)
「商売繁昌」「社運隆昌」「厄難消除」

本殿向かって左には子供を抱いた
母親の神猿像(まさるぞう)が、
右には父親の神猿像が安置されています。
猿は群れを大切にし、
子宝に恵まれ安産であることから、
「家内安全」や「子授け」「安産」を願い母猿を、
「マサル」の語呂から
「商売繁昌」「社運隆昌」「厄難消除」
を願って父猿を撫でていく方が多いとのことです。

【交通アクセス】
<東京メトロ千代田線>
「赤坂駅」(出口2)から徒歩3分程度。

<東京メトロ南北線・銀座線>
「溜池山王駅」(出口7)から徒歩3分程度。

<東京メトロ千代田線>
「 国会議事堂前駅」(出口5)から徒歩5分程度。

<東京メトロ銀座線・丸ノ内線>
「 赤坂見附駅」(出口11)から徒歩8分程度。




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【おまけ・日枝神社でのプチ不思議な体験】
おまけの話です。
訪れた日は強風で、晴れて暑いのですが
風がごうごうとうなりをあげ
吹き荒れていました。
ところが日枝神社の境内に入ったとたんに
その風はなくなり木々も大人しくなり、
風の音もせず別世界のようでした。
日枝神社は城跡と推定されているくらいなので
高台にあり、長い階段やエスカレーターで昇ります。
風もよく通るだろうと思うのですが、
訪れた日は真逆でした。
神社を去ると再びの強風でした。

ご祭神は男性神で、
境内の周囲は「男坂」があるくらいなので
男性的なのですが、
境内の中の雰囲気などは、
女性的な柔らかさを感じました。

「赤坂」周辺とは確かに
纏っているものが
違うかなとも感じられました。
確かに何かしらの
パワースポットなのだと実感しました。

扇谷上杉管領屋敷跡~扇谷上杉氏の遠祖は足利尊氏の叔父。鎌倉公方を補佐する関東管領家として鎌倉に居住。

江戸城~武蔵国江戸の最初の館は江戸氏、太田道灌が築城しやがて徳川家康が入城し開府しました。

太田道灌~扇谷上杉氏の家宰で多彩で非凡な才能故に主君に疎まれ暗殺された悲劇の武将。

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