平安時代

絵師~平安時代に登場した「大和絵」、源氏物語は後に絵巻となりそれはコミカライズの原点とも言われています。

高階隆兼 春日権現験記絵巻より(皇居)



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絵師

2024年NHK大河ドラマ
光る君へ」では絵師として
三遊亭小遊三(さんゆうてい こゆうざ)さんが
キャスティングされています。

役柄紹介として
NHK公式サイトの文章を引用しますと
「絵を描くかたわらで、
文や歌の苦手な者のために代筆業を営む男。
実は、まひろが文や歌を作っている。
まひろが創作することへの、
最初の入り口となる。」
となっています。

そこで平安時代における
絵師と絵画について調べてみました。

大和絵(やまとえ)
大和絵(やまとえ)は、
日本絵画の分野のひとつです。
中国風の絵画「唐絵」(からえ)
に対する呼称であり、
平安時代以来発達した
日本風の絵画のこととなります。
「陸絵」「和絵」などとも表記され、
「倭絵」「和画」と書いて
「やまとえ」と読むこともあるとのことです。
これら漢字表記の揺れを嫌い、
ひらがなで「やまと絵」と
表記することが多いそうです。
中世を通じて描き続けられ、
近代・現代の日本画にも
影響を及ぼしています。
狩野派は大和絵の伝統と、
漢画の技法・主題を
統合したと自称しているとのことです。
(「本朝画史」)

なお「やまと絵」の語義は、
時代によって3度変化しているそうです。
そのなかで平安時代には、
画題についての概念とされています。
日本の故事・人物・事物・風景を
主題とした絵画のことで
あったそうです。
対立概念としての「唐絵」は
唐(中国)の故事人物・事物・山水に
主題をとったものであり、
様式技法とは関係がないそうです。
また「唐絵」も「やまと絵」も
障子絵や屛風絵のような
大画面の絵画について
いわれた用語であり、
絵巻や冊子の絵は「紙絵」と
呼ばれていました。
平安時代に「やまと絵」と
いわれることはなかったそうです。




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【平安時代の絵画】
【やまと絵の登場】
それまでの絵画は、
中国の風物が描かれていました。
しかしながら、平安時代半ばに入ると、
中国絵画に学んだ技法を用いて、
日本の風物を描いた絵画が登場します。
それまでの中国的な主題を描いたモノを
「唐絵」と呼ぶのに対し、
日本を主題に描いたモノを
「やまと絵」と呼ぶようになったとのことです。

【絵巻物】
絵巻物は、中国から輸入された
画巻などの影響を受けて
成立したと考えられています。
絵巻物に描かれた絵画は、
当時のやまと絵の作風を
現在に伝えているとのことです。
絵巻物では、屋根を外して
建物の中を見えるようにする
「吹抜屋台」や、同一画面内に
同じ人物が何度も登場して
時間の経過を表す
「異時同図法」など
日本独自の表現が生まれました。

【絵巻物ブームの到来】
平安時代後期には
絵巻物がかなり盛り上がりました。
これまでの一枚絵ではなく、
紙・絹をつなげたものに
絵を描くことで物語を見せるものです。

【四大絵巻】
このうち、「四大絵巻」と
称されるのが
源氏物語絵巻」
「伴大納言絵巻」
「信貴山縁起」
「鳥獣人物戯画」となります。
ただし「鳥獣人物戯画」4巻のうち
2巻は鎌倉時代制作となります。

【伴大納言絵巻】
「伴大納言絵巻」は866年に起きた
応天門の変をめぐる
大納言・伴善男の陰謀と
失脚までの物語を描いています。

【信貴山縁起絵巻】
現代でいうファンタジー物です。
いろんな奇跡を起こす「命蓮」という
修行僧が主人公であり全3巻のお話です。
1巻では命蓮が空に飛ばした鉄鉢が、
山麓の長者の倉を持ち上げ
信貴山上まで運んでしまう、
という衝撃的な場面で始まります。
簡素な線で少し誇張気味に描く感じが、
割と現代の漫画に近いといわれています。
実際に線のタッチも人物描写も
軽々としています。

【日本最古の漫画】
日本最古のマンガと呼ばれるのが
「鳥獣人物戯画」となります。
作者は鳥羽僧正(とばそうじょう)
といわれています。
それまでの技法とはまったく異なり、
話も完全に笑わせにきています。
この画風は当時は
「鳴呼絵(おこえ)」と
いわれていました。




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コミカライズの原点?】
また「源氏物語絵巻」は、
紫式部のベストセラーである
「源氏物語」を絵巻にしたものです。
本を読んで頭のなかで構築した物語を
絵で見せるという手法は
最近のコミカライズに
近い感覚であるとも
言われているとのことです。

【源氏物語絵巻】
源氏物語絵巻の制作は
12世紀前半といわれており、
物語絵巻の代表的作品となっています。

<竹河>
春三月、場所は玉鬘邸。
玉鬘の娘・大君と
中の君の姉妹を垣間見る蔵人少将。
姉妹(左手の邸内)は壺前栽
(中庭)の桜を賭け物にして碁を打っている。
簀子にいる盛装の女性は女房たち。

<宿木>
今上帝は薫を囲碁の相手に召す。
囲碁に勝った薫に対し、
帝は和歌に託して女二の宮降嫁をほのめかす。
碁盤を挟んで奥が帝、手前が薫。

【釈迦金棺出現図(国宝)】
やまと絵と仏教絵画の融合に
よって生まれた日本的な
仏教絵画の初期の作品です。

【写実的になる似顔絵】
鎌倉時代
日本古代の肖像画は、
唐から持ち帰った画像の模写が
多かったのでした。
けれども平安時代後期以降、
直接本人を写生する、
頂相や似顔絵といった
リアルな物が生まれました。

【平安時代の絵画の変遷歴史】
【9世紀前半】
唐から真言密教を持ち帰った空海が、
曼荼羅(まんだら)や密教の仏たちなど、
新しい図録を伝えました。
これらの図像が日本の仏画に
強い影響を与えていきます。

【唐の滅亡と国風文化
東アジア一帯に強力な
政治的・文化的影響を及ぼした唐は、
907年に滅亡しました。
日本においては894年に
遣唐使が停止され、
10世紀には唐の影響が薄れて、
いわゆる国風文化が興っていきます。
その具現化としては
漢字をもとに仮名が考案され、
和歌や物語文学が興隆し、
和様書道が成立したことなどです。
やまと絵の出現も
この頃と推量されています。

【9世紀後半】
遣唐使が廃止された9世紀後半から、
日本的な表現に意識が向き、
日本の風物を描く「やまと絵」が
増えていきます。
中国的な表現を用いる「唐絵」に対して、
日本の自然や風物を描く絵です。
日本らしいおおらかな表現で、
立体感が少なく、
開放感のある構図が特徴となります。

【「やまと絵」の語の初出】
唐絵に対する「やまと絵」の語の初出は、
藤原行成の日記「権記」の
長保元年(999年)10月30日条とされ、
そこには「倭絵四尺屛風」に、
当時能書として評判の高かった
藤原行成が文字を書き入れたことが
記録されています。
同時期の制作である「源氏物語」の
「絵合」の巻には
「竹取物語」「うつほ物語」
「伊勢物語」などの
物語絵が登場しています。
当時の宮廷・貴族社会において、
日本の物語文学を題材にした絵画が
享受されていたことが見て取れます。




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【10世紀末】
藤原氏による摂関政治の頃、
貴族たちの間では、
仏事に熱中して
徳を積むことが
極楽往生につながるとされ、
浄土宗や法華経信仰が
流行しました。
貴族たちは華麗で繊細な装飾を、
経典や仏画に
もとめるようになっていきます。
その為、装飾や美を重視した、
美術品が多く制作されていきました。

【11世紀】
絵巻は、後白河法皇の時代に
盛んに制作されました。
後白河法皇が絵巻好きで、
多くの作品を作らせました。
宮中の祭事を描いた
「年中行事絵巻」や
歴史的な事件を題材にした
「伴大納言絵巻」など、
数多くの名作が残されています。
前述にもありますが、
日本最古の漫画と言われている
「鳥獣人物戯画」も
平安時代に描かれています。

【平安時代の世俗画】
平安時代の絵画作品で
仏教以外の世俗画としては、
邸宅内の調度や間仕切りのための、
障子、屛風など大画面の作品が制作されました。
現存するものは社寺関係の
遺品のみとなりますが、
屛風について詠まれた
多数の屛風歌により画題がわかるとのことです。
それによりますと、
やまと絵の主要な主題は、
四季絵・月次絵(つきなみえ)と名所絵でした。

【平安時代前期~中期の絵師】
平安時代前期から中期にかけての
絵師としては、巨勢派(こせは)の
巨勢金岡(こせのかなおか)と
その子である巨勢相覧(おうみ)、
飛鳥部常則(あすかべのつねのり)
などの名が伝わっていますが、
これらの絵師には
現存する確実な遺品はなく、
実作品からその作風の変遷を
たどることはできません。
絵巻にしても、現存するものは
「源氏物語絵巻」など
12世紀の作品が最古であり、
11世紀以前にさかのぼる
物語絵の実物は現存しないため、
その実態や様式の変遷については
今なお不明な点が多いとのことです。

紫式部~世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を執筆した女流小説家で平安時代きっての才女。

藤原道長~初めは目立たずも後に政権を掌握、「一家立三后」をなし「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠む。

藤原詮子~藤原道長の姉、国母となりやがて日本最初の女院となって、権力を握り政治に介入する。

一条天皇~「叡哲欽明」と評された賢王は笛の名手で皇后との「純愛」を育み、やがて平安王朝文化が開花。

藤原定子~朗らかで才気に満ち華やかで美しい女性、父道隆の死で状況は一変し若くして散る。

藤原彰子~真面目で努力家で控えめな少女は成長して国母となり政治力を発揮し「賢后」となりました。

藤原行成~世尊寺流の祖、実務に高い能力を発揮し人徳高く当代の能書家として後世「権蹟」と称されました。

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