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駒について~大河ドラマ「麒麟がくる」ヒロイン~今後を考えてみた!

明智光秀 桔梗




【駒(こま)】

京の医師である望月東庵の助手。
繊細で両親を亡くし、
戦火の中から名も分からぬ武士に
命を救われます。
そして、その命を恩人が語ってくれた
伝説の生き物である
麒麟の存在を信じるようになります。
幼少期を旅芸人の一座と共に過ごし、
其の後、京の医師である望月東庵に引き取られていきます。
東庵の下で薬草の知識を育み、
やがて頼もしい助手へと成長します。
名医を求めて京を訪れた明智光秀と出会い、
その誠実な人柄に惹かれていくのです。

(引用元:NHK大河ドラマ・ガイド「麒麟がくる」前編より)

なお、駒の命を救ってくれた武士は、
幼少の駒にある昔話を語ってくれ、
それと同じ話を帰蝶明智光秀の母である牧から聞かされ、
それは美濃に伝わる昔話であることが判明します。
自分を救ってくれたお武家様は美濃の人?
更に、第10回で、
駒を一座に連れてきた侍の紋が「桔梗」であったことを
伊呂波太夫から聞かされます。
そして、礼として牧からもらった
立派な扇子を開くと・・・桔梗の花が咲きました。
明智光秀より、せの扇子は父の形見の一つであると
教えてもらっています。
そう・・・駒の命を救ってくれた侍は
明智家の侍だったと判明するのです。

(参考:NHK大河ドラマ・ガイド「麒麟がくる」前編より)

大河ドラマのヒロインである駒はオリジナルキャラクター、
つまり架空の人物となります。

オリジナルキャラクターなので、
ドラマに中では制約も少なく
自由に描くことが可能となります。
けれどもその反面、
その存在理由が曖昧になりがちになって
「その設定、必要だったの?」
と思ってしまう怖さもあります。

実際に自分が過去に見た大河ドラマの中で
そうしたオリジナルキャラクターのヒロインがいました。
その役を演じた女優さんは前半は生き生きと、
そしてドラマが進むにつれて落ち着いていき
丁寧に演じられていただけに残念だな・・
という印象がありました。

なので、本作のヒロインである駒も
「ああ、そうだったんだ」と
この作品になくてはならない
重要な存在であってほしいという
願いもあります。

駒を演じているのは門脇麦(かどわきむぎ)さんです。

【駒のポイント】
◆命を救ってくれた侍が明智家の人。
◆明智光秀と出会い、惹かれていくが叶わぬ切ない恋で終わる。
⇒今後、明智光秀にとって何らかの支えとなりうる存在。

◆医師である望月東庵より薬草の知識を育む。
⇒のちに医術の心得があったと判明した明智光秀に
薬の知識などを伝授する?

◆ナゾの旅一座伊呂波大夫のもとにいた。
⇒今後、明智光秀と深く関わっていくであろう
伊呂波太夫と光秀を結び付けていく役目?
なお、伊呂波太夫は望月東庵とも面識があるのです・・。

【明智光秀にとって要となる人物を引き合わせる】
まずはこれに尽きるでしょう。
望月東庵との出会いも、
駒と先に出会い、駒なくては
望月東庵と会う事すらできなかったのですから。
今後も明智光秀にとって要となる人物を
結び付けていくことでしょう。
「縁結び」の女神さんですかね。





木下藤吉郎との縁】
今後、駒は木下藤吉郎(のちの羽柴秀吉)と出会い、
文字を教え、また再会します。
駒は木下藤吉郎とも出会い、
その駒を通した、明智光秀と木下藤吉郎が
のちのちどんな風に変化していくのか
興味があります。

そして・・・再会した場所は駿府です。
そこには名前を変えた菊丸もいます。

【駒の役名】

後半になるにつれて、
駒の役名が変化してくのかな?と当初は考えてみました。
真っ先に思い浮かんだのが「オツマキ」です。
明智光秀の妹とも義妹とも言われていますが、
よくわかっていません。
ドラマでは「妹」らしき登場人物が
まだ出てきていないので今後はどうなるのでしょうか?
NHKの歴史番組でも取り上げられたので
まさかドラマには登場しない、なんてことは・・・??

お妻木~明智光秀の妹(義妹の説あり)~明智光秀と織田信長を結んでいた女性とは?

けれども「オツマキ」は本能寺の変が起こる前に
この世を去っているので、
「オツマキ」の可能性はないと思いました。
ヒロインの駒は明智光秀の最期は
見届けると思うのです。

次に明智光秀の「継室」です。
実は、正室の煕子が没した後に
「継室」もしくは「側室」がいたのではないか?
という説があります。
更に嫡男の明智光慶は年齢から鑑みると
煕子が産んだのではないともされています。

けれども、この頃の「駒」の年齢を考えると
まず子供を産む適齢期は過ぎているので
「側室」はありえないな、と思いました。
次に「継室」ですが、
戦国時代、「正室」や「継室」はある程度の
家柄が必要なので(どのくらい家臣を連れてこれるか等)、
これもないな、と思いました。
そもそも、駒なら薬草の知識があるので、
「継室」という立場ではなく、
自由に動ける職業に就いている、と考えます。

ちなみにこの時代の「正室」「継室」「側室」は
職業だな・・と自分は思っています。

【結婚する?独身?】

これもまだわかりませんが、
自由に動ける立場が変わらなければ、
誰かと結婚するかもしれないと思いました。
途中で別れるかはまだわかりませんが、
この時代の別れはよくあることなので、
ならば、一度は結婚した駒も見たいと思います。
その場合、夫候補は・・・
今のところ「菊丸」かな?
はい、何となく夫婦になるなら
「菊丸」のような気がします。
夫婦で明智光秀と関わっていく・・・。
いいですねぇ。

菊丸の正体とは?~滝川一益?服部半蔵?石川五右衛門?~いろいろ考えてみました。

織田信長と伊吹山の薬草園】

織田信長はポルトガル宣教師に
伊吹山での薬草園の開設を許可しました。

これは織田信長が安土城にいた永録年間に、
ポルトガルの宣教師と謁見した際、
宣教師から
「人の病を治すには薬が必要であり、
そのためには薬草栽培が必要である」
との進言を受けたためだと言われています。

【薬草と鉄砲火薬の原料】
更に、鉄砲火薬の原料となる植物も含め
移植したとも言われていますが、
50ヘクタールという広大な薬草園には、
西洋からもってきた薬草が
3000種類も植えられていたと言われています。
江戸時代初期に
「南蛮荒廃記」「切支丹宗門本朝記」
「切支丹根元記」などに
薬草園の記事が記録されているとことです。

まさに駒と明智光秀がここで
つながりますね。
駒の最大の武器ともいえる
薬草の深い知識。
そして明智光秀は鉄砲の名人。
鉄砲に関することなら達人であったともいわれています。
当然、鉄砲の火薬についても研究して
かなりの知識を蓄えていたことでしょう。
何せ医術や薬に関しても専門的知識を
身についていたそうですから。

・・・もしかしたら、
2人はこの薬草園に関わっていくのかもしれません。

それぞれが得意とする専門分野で
「麒麟」がくるために
協力していくことになるかもしれませんね。
この頃はその「麒麟」を連れてくる人物が織田信長だと
信じていたことでしょうね。





【伊吹山の薬草の歴史】
伊吹山は古くから「薬草の宝庫」として有名でした。
古くは日本武尊とトリカブトにはじまります。
そして、「諸国進年料雑薬」です。
これは、
延長5年(927年))醍醐天皇の頃、完成した
延喜式50巻の中に見える
「諸国進年料雑薬」です。
この中には貢進する薬物の種類、数量の一覧表があります。
これは日本における
薬草の種類と生薬の生産に関する
最も古い記録なんだそうです。
その中で近江国73種、美濃国63種と
この二国が抜群に多かったのでした。
この理由として
近江国、美濃国が薬草の宝庫である伊吹山を
共有ししていたことだと考えられています。

【薬草調査のための美濃潜入?】
もしかしたら・・・
この薬草調査のためにも
菊丸は美濃に潜入したのかもしれませんね。

【伊吹山は薬草の宝庫】
伊吹山にはシダ植物以上の維管束植物は
1300種類が分付していて、
そのうち薬用植物は280種類と言われています。
漢方薬や民間薬として特に伊吹山周辺部での人々が
現在も用いているものは100種類を越えており
これは全国的にも珍しいそうです。

徳川家康の薬つくり】

そして・・・織田信長の次が徳川家康です。
繰り返しますが駒の設定が「薬草の深い知識」です。
実は最初にピン!と来たのが徳川家康です。

徳川家康の趣味の一つに薬作りがありました。
特に、腎臓や膵臓によいとされている
八味地黄丸を特に好んで処方して
日常服用していたといたそうです。
また、この薬が、
俗に「八の字」とよばれていたことから、
頭文字の八になぞらえ、
八段目の引き出しに保管していたそうです。
駿府城外には家康が開いた薬園があり、
徳川家康の死後に一度は廃れましたが
享、保年間に復興したとのことです。

その他の和漢の生薬にも精通し、
その知識は専門家も驚くほどであったそうです。
海外の薬学書である本草綱目や
和剤局方を読破し、
慶長12年(1607年)から、
本格的な本草研究に踏みだしたそうです。
調合の際に用いたという小刀や、
青磁鉢と乳棒も現存しています。
松前慶広から精力剤になる海狗腎(オットセイ)
を慶長15年(1610年)と
慶長17年(1612年)の
2回にわたってり献上されています。
そして徳川家康の薬の調合に使用されたという
記録も残っているとのことです。
欧州の薬剤にも関心を示しており、
関ヶ原の戦いでは、
怪我をした家来に石鹸を使用させ、
感染症を予防させたりもしていました。





致命的な病を得た際にも自己治療を優先し、
異を唱えた侍医の与安を追放するほど、
見立に自信を持っていそうです。
それは専門的な知識に裏付けられたものでした。
本草研究も、
後の幕府の薬園開設につながることとなっていきました。

【駒が唱える麒麟を連れてくる人物】
このように薬作りに関して、
趣味を超えた知識と実技を
身に着けていた徳川家康です。
そしてやが駿府に開く薬園。
これが駒の薬草の知識と結びつき、
駒も駿府にいた描写も出てくることから
駒はやがては「薬草」関係で徳川家康に関わっていくのかな?
と想像してしまいます。
そして・・・「麒麟」を連れてきた人物は・・・徳川家康だと。

また新たな考察がでましたら更新させていただきます。

このつたない記事を読んで下さった
みなさまも何かご意見などございましたら、
コメントに入れていただけると嬉しいです。

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