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「麒麟がくる」~語りは純粋な語りなのか~著者?歌舞伎役者?それとも石田三成?

佐和山城下 庭園




【「麒麟がくる」の語り】

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の語りは
市川海老蔵さんです。
2020年5月に十三代目 市川團十郎 白猿
(じゅうさんだいめ いちかわ だんじゅうろう はくえん)
を襲名予定されています。

この語り・・・
本当に「語り」だけなのでしょうか?
実は後の世に出てくる「誰か」だったら面白いな、
と思い、あれこれ考えてみました。
また「語り」がなにゆえ歌舞伎役者の
市川海老蔵さんであるのかも
併せて考えていこうと思います。

純粋な「語り」であるならば、
NHKのアナウンサーが最も良いし、
滑舌もより良くて、
何しろ聞き取りやすいですしね。
しかもNHK職員なので、
「出演料」もかからないので
その分制作費に回すことができる・・。
何より、
市川さんと言えば、
「おんな城主 直虎」での
織田信長役が強烈且つカッコよすぎて、
まさしく「魔王・織田信長」に相応しい配役でした。
まだまだその印象が濃く残っています。

しかしながら、
歌舞伎役者の市川さんが起用された意図が
何かしらあるはずです。
そうした「仕掛け」を考えていきたいと思います。

【惟任退治記】

惟任謀反記とも称します。
本能寺の変から山崎の戦いを経て、
織田信長の葬儀に至るまでを記述しているものです。
天正10年(1582年)成立。
著者は大村 由己(おおむら ゆうこ)です。

【大村由己】

大村 由己(おおむら ゆうこ、天文7年(1536年)? ⇒
慶長元年5月7日(1596年6月2日))は、
戦国時代から安土桃山時代にかけての学者・著述家。
播磨国三木の出身。号は藻虫斎梅庵。
初め僧籍にありましたが、
還俗して豊臣秀吉に御伽衆として仕えました。
豊臣秀吉の伝記である「天正記」
の著者として知られてます。

青柳山長楽寺(三木大村金剛寺の塔頭)の僧、
頼音房が大村由己の前身でした。
若年の頃、京の相国寺において
仁如集尭より漢学を学び、
諸家の門を叩いて歌道を修め、
その深い学識で世に知られたということです。
羽柴秀吉の三木城攻めで
大村一帯が羽柴秀吉の勢力圏となっていた時に、
羽柴秀吉の祐筆となったといわれています。
天正10年(1582年)の
羽柴秀吉の中国大返しの際、
姫路城における軍議にも参加していることから、
この時期には既に羽柴秀吉の側近としての地位を
確立していたものと思われます。
同年、大坂・天満宮の別当となっています。





天下統一に邁進する豊臣秀吉に近侍して、
彼の軍記である「天正記」などを記述しました。
いずれも豊臣秀吉の偉大さを
殊更強調して書かれたものであり、
大村由己は豊臣政権の正統性を訴える
スポークスマンとしての役割を
担っていたのではないかと推察されているそうです。

文禄の役では豊臣秀吉に従って
肥前名護屋まで従軍しました。
当時の豊臣秀吉は能に傾倒すること甚だしく、
既存の作品を演じるだけでは飽き足らず、
大村由己に自身の偉業を後世に伝える
新作能の作成を命じたといわれています。
吉野花見」「高野参詣」「明智討」
「柴田討」「北条討」は
いずれも豊臣秀吉を主役にとった
大村由己作の新作能です。
特に「明智討」は
文禄3年(1594年)3月15日に大坂城で、
4月12日に禁中で、
それぞれ豊臣秀吉本人の手によって
披露されており、
豊臣秀吉のお気に入りであったことが伺えます。

更に上記の軍記物や新作能以外に、
謡曲・和歌・連歌・俳諧・狂歌などに
多彩な才能を発揮しました。
藤原惺窩や山科言継・里村紹巴など、
同時代の知識人たちとの交友も知られています。
また、「梅庵古筆伝」を著すなど、
古筆への造詣も深かったとのことです。

慶長元年(1596年)に
摂津国天満天神で死去しました。
享年は60歳でした。

果たして、「惟任退治記」の作者である
大村由己なのでしょうか?
けれどもそれでは、
豊臣秀吉の都合の良い解釈となり、
真実は見えてこない可能性が高くなります。
・・・おそらくはちがうと考えています。

【時桔梗出世請状】

(ときも ききょう しゅっせの うけじょう)。
【歌舞伎の演目】
「時今也桔梗旗揚」(ときは いま ききょうの はたあげ)は、
歌舞伎の演目。
通称「馬盥の光秀」(ばだらいの みつひで)。
全五幕・時代物・勝諺蔵(四代目鶴屋南北)作で、
文化5年7月(1808年8月)
江戸市村座初演。
初演時の本外題が
【時桔梗出世請状】
(ときも ききょう しゅっせの うけじょう)です。

外題の「時」は明智光秀
土岐家の末裔であった説と、
謀反の直前愛宕山の宿坊で詠んだ連歌
「天正十年愛宕百韻」における、
明智光秀作の冒頭の第一句
「時は今天が下知る皐月かな」に、
「桔梗」は明智家の家紋に
それぞれ由来しているとのことです。

【作品の世界・あらすじ】
戦国武将・明智光秀が本能寺
主君である織田信長を討ち取る物語です。
義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん)の
「絵本太功記(えほんたいこうき)」
十段目「尼ケ崎(あまがさき)」
(通称「太十(たいじゅう)」
とならぶ名作とのことです。
初演時の台本は5幕の長編ですが、
現在はそのうち「饗応(きょうおう)」
「馬盥(ばだらい)」
「愛宕山(あたごやま)」の
3幕が上演されています。
江戸幕府をはばかって
史実の明智光秀を武智光秀と書替えたのは、
近松半二(ちかまつはんじ)作
「三日太平記(みっかたいへいき)」
(明和4年[1767年]初演)
にならったものであるそうです。





【作品の概要】
この作品での武智光秀は、
実悪(じつあく)の名優であった
5代目松本幸四郎の時代物を代表する当り役です。
「饗応」は通称を
「眉間割り(みけんわり)」といいます。
光秀は森蘭丸(もりらんまる)に
鉄扇(てっせん)で叩かれて額を割られます。
「馬盥」では馬盥を盃(さかづき)にして
酒を飲まされます。
小田春永から繰り返し辱めを受けても、
光秀はじっと我慢をします。
白塗りの顔に紫紺(しこん)の
美しい裃(かみしも)の衣裳、
「燕手(えんで)」という
敵役の鬘(かつら)を使うのが
特色であるとのことです。
「愛宕山」で謀反(むほん)を決意すると、
白装束(しろしょうぞく)の下には
素網(すあみ)を着込んでいます。
このとき燕手の鬘も仕掛けで乱れ髪になります。
幸四郎の型は、
7代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が継承して、
現在に受け継がれたとのことです。  
現在では
「時今也桔梗旗揚」」の外題(げだい)
(ときはいまききょうのはたあげ)
で上演されることが多く、
有名なシーンから
「馬盥の光秀(ばだらいのみつひで)」
と呼ばれているそうです。

【演目について】
勝俵蔵(かつひょうぞう)こと
鶴屋南北が54歳のときの作品です。
<主人公>
武智光秀⇒5代目松本幸四郎(まつもとこうしろう、45歳)
(たけちみつひで:史実の明智光秀[あけちみつひで])
<相手役>
小田春永⇒初代澤村源之助
(さわむらげんのすけ、25歳:のちの4代目澤村宗十郎)
(おだはるなが:史実の織田信長[おだのぶなが])
鶴屋南北の時代物を代表する名作とのことです。

【序幕 饗応の場(眉間割)】
主君である小田春永より、
祇園社に任官の
勅使世尊寺中納言饗応の役を仰せつかった
武智光秀は、心をこめて内装飾り付けを行い、
鷹狩りから帰った春永に検分してもらいますが、
しきたりどおり光秀の桔梗の紋の幕を飾ったことに
かえって不興を買い、
あれこれと無理難題を言われ叱責されます。

それでも、光秀は落ち着いて弁明しますが、
かえって主君の怒りが増し
森蘭丸によって鉄扇で討たれ、
眉間を傷付けられた末に
蟄居を命ぜられてしまいます。
口惜しさに涙を流す光秀でしたが、
殊勝な態度を示します。
春長は冷ややかに嘲笑される破目になります。

【二幕目 本能寺の場(馬盥の場)】
本能寺の客間には、
中国攻めに奮戦中の真柴久吉から
馬盥に轡に活けられた錦木、
光秀の妹桔梗から供せられた紫陽花と
昼顔の花駕籠があります。
春永は、久吉の活花を激賞しましたが
光秀のを見たとたん機嫌を損ね、
けなしています。
けれども、居合わせた桔梗や蘭丸のとりなしで
春永は仕方なく光秀に対面を許します。
嬉しそうに出てくる光秀。
けれども主君の態度は
痛烈な厭味を加え冷淡そのものでした。

光秀は、ひたすら主君にすがります。
春永はその心根を褒めて酒をふるまいますが、
馬の脚を洗う盥に酒を入れてさしだす有様でした。
気分を害しながらも、あくまで我慢する光秀でした。

けれども春永の陰湿ないじめは終わりません。
光秀が酒を飲むと、
昔中国に主君におなじ目にあわされた班水が、
のち主君に復讐した故事を持ち出し、
反逆を疑い、降格し久吉の命に従えと命じ、
近江、丹波の領地没収をほのめかしたり、
光秀がほしがっていた宝物と
名刀日吉丸を他人に下げたりと、
そのいじめは増長していきます。
光秀は必死に無念に耐えるばかりでした。

調子に乗った春永は光秀に白木の箱を渡します。
開けてみると女の黒髪、
これはと不審がる光秀に春永は、
かつて光秀が貧苦に苦しんでいた浪人時代に、
客をもてなすため光秀の妻である
皐月が髪を切った過去を
満座の中で暴露するのでした。
恥かしさと情けなさに
光秀は無念の思いを絞り出したのでした。

しかし春永は冷笑して言い棄てると奥へ向かいました。
一人残った光秀は復讐の念を抱いて去るのでした。

【三幕目 愛宕山連歌の場】
愛宕山の光秀の宿舎の一室。
妻の皐月と家臣の安田作兵衛
(四方天但馬の場合もあり)が
連歌師紹巴とともに
光秀の身を案じているところへ、
光秀がしょんぼりとした様子で帰ってきます。

光秀は思いつめた表情で
作兵衛に何事かささやき去らせます。
紹巴も去らせ、人払いをした後、
光秀は白木の箱を皐月に見せ、
恥辱を受けた苦渋を告白、
夫婦ともども涙にくれるのでした。
そこで最前の紹巴が出て謀反を吹き込みますが、
光秀は無言で切り捨て
「死骸をかたずけよ」
と命じます。

そこへ、春永の家臣である
浅山多三と中尾弥太郎が
主君の命を持ってやってきます。
浅山が文を読もうとすると
突如一陣の風が吹き明かりが消えます。
その間に光秀は死装束に着替え、
妹の桔梗に三宝に載せた
切腹用の短刀を運ばせます。
明かりがつきこれはと驚く二人に、

もはやこれ以上の恥辱に耐えきれないと
武士として死を持って抗議するのでした。
涙ながらすがる妻や妹を叱りつけ、
光秀は、
切腹の座につき浅山にどうせ首をはねるなら、
そなたがわが君より拝領なしたる日吉丸にて
お願いしたいと申し出、
短冊に辞世の句を詠むのでした。
そこには

「時は今 天が下知る皐月かな」

と書かれていました。

浅山が刀を抜き、
まさに光秀の切腹が行われようとした瞬間、
光秀は隠し持った手裏剣で浅山を倒し、
刀を奪い中尾も切ります。
そこで安田作兵衛が注進にかけつけ、
武智の軍が本能寺を包囲し作戦は成功し、
わが君様それよりすぐじご出馬との知らせ。
驚きあきれる皐月と桔梗に
「これよりすぐに出陣なすわ」
と言い放つ光秀でした。
二人の必死の慰留に対しても
一喝し取りつく島もありません。
もはやこれまでと自害する
二人にも眼もくれず、
光秀は高笑いとともに本能寺へ向かいます。





【九代目團十郎と七代目團蔵の型】
初演時の五代目松本幸四郎の
陰惨な演技が好評だったそうで、
当時の劇評に激賞されていたとのことです。
後、多くの名優に受け継がれていきました。
今日でも上演されているのは、
九代目市川團十郎の「からりと男性的」な型、
七代目市川團蔵の「陰に籠った反逆児」である型の
二つの型(演出)であるそうです。

【鶴屋南北?】
作者である鶴屋南北が、作品を
執筆するにあたり、
いろいろと調べているのが
「語り」となっているのでしょうか?

【5代目松本幸四郎?】
演目の主人公である「武智光秀」を演じるにあたり
様々な事を調べて研究している様子が
「語り」となっているのでしょうか?

【今回の大河ドラマは「群像劇」でもある】
けれども、これでは明智光秀と織田信長の関係に
特化してしまう事になります。
確かに「本能寺の変」では
被害者と加害者であるわけですが、
そこに至るまでの経緯は紆余曲折とあったはずです。
「麒麟がくる」は、
明智光秀が主人公ではありますが、
一方「群像劇」でもあるとの解説がある以上、
歌舞伎の視点はちょっと
違和感があるような気がします。
けれども、今日までの
明智光秀と織田信長の関係性を考えると、
この歌舞伎の演目の影響はかなり大きいですね。
なので、完全には「違う」とは言い切れません。

石田三成

明智光秀と石田三成には共通点があります。
頭脳明晰であり、ナンバー2でありながら
天下を取れずに敗れ汚名を着せられた人物であること。
私利私欲なく民のために尽くし、
領民には慕われた存在であったこと・・などです。

筒井順慶の家臣で、そのあと石田三成の家臣となった
島左近は、ある時、石田三成に二人の武将について
語ったというエピソードがあります。
その二人の武将は松永久秀と明智光秀です。
松永久秀は元の上司である
筒井順慶の宿敵或いはライバルでした。
そして明智光秀は、
筒井順慶が大和守護になる過程において
力を尽くしたといわれています。
最も、その恩ある明智光秀を
助けなかった筒井順慶でしたが・・。
その二人の武将について
島左近は、決断力と英知がある旨の評価をしていたそうです。
詳細はこちらをどうぞ⇓⇓

羽柴秀吉と石田三成の運命の出会い・光秀と三成の接点とは?~三成の縁の地~

元の上司の筒井順慶です⇓⇓
筒井順慶・松永久秀のライバルで、与力であり友人でもあった明智光秀に味方しなかった人物

元上司のライバルの松永久秀です⇓⇓
松永久秀~三好長慶に忠義を誓った人物~官僚であり武将として時代の中心で活躍するも信貴山城にて死す。

そして・・石田三成と言えば、
全くの不本意とはいえ、
細川ガラシャをあの壮絶な死に至らしめた張本人です。
なお最近の番組では、ガラシャは
あくまでも明智玉(珠)として最期を迎えた、
という説も紹介されていました。

細川ガラシャ(明智玉(珠))~父は明智光秀~聡明で気高く、愛と信仰に殉じた細川忠興の正室

そうした石田三成は、
やがて徳川家康と天下分け目の大戦である
関ヶ原の合戦」で争い、敗れてこの世を去ります。
こうして天下泰平の世となっていくのですが、
石田三成が、死の前、
関ヶ原の戦の前に何を思ったのか、
島左近がいう「松永久秀」と「明智光秀」は
いかなる人物であったか・・・。

ドラマの第1回から「松永久秀」も登場しているし、
今のところ、「準」主人公的な感じでもあるし、
強い印象を残しています。

明智光秀が唱えた「麒麟」をつれてくるのは
「織田信長」ではなく、
「器」のある「松永久秀」でもなく、
明智光秀でもなかった・・。

織田信長と明智光秀亡き後に
覇者となった「豊臣秀吉」でもなく、
自分にはその器がなかった・・。

あれほど「麒麟」がくることを切望していた
明智光秀はどうして
本能寺の変を起こしたのか?
島左近が高評価をした
「松永久秀」はどうして
織田信長を裏切り、
壮絶な最期を選んだのか・・。
どうして徳川家康に
「麒麟」が来ようとしているのか・・
などどあれこれ石田三成が考え、
考察している要素が
入った「語り」として聞くならば、
また違った見方が出来るかな・・・と。

そして視聴者は、石田三成と共に
壮大な謎ときに挑戦しているのだと。

いかがでしょうか?





【「語り部」として印象に残っているドラマ】
ちなみに「語り部」としてとても印象に残っているのは
2000年の大河ドラマ「葵 徳川三代」の
中村梅雀さんでした。
そして同時に徳川光圀役でもあったのでした。
徳川光圀が「大日本史」編纂に着手するにあたり、
ドラマの解説も行う、という設定でした。

面白おかしく、時に哀しく、
何よりわかりやすく、
得てして無機質になりがちな「語り」に
生命を吹き込んだ温かい「語り部」でした。
御供の「助さん」「格さん」との掛け合いも良かったです。

菊丸の正体とは?~滝川一益?服部半蔵?石川五右衛門?~いろいろ考えてみました。

駒について~大河ドラマ「麒麟がくる」ヒロイン~今後を考えてみた!

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