室町幕府

足利茶々丸~堀越公方の2代目~室町時代の不良少年と呼ばれた短い生涯

茶々丸の墓




【足利茶々丸】

足利 茶々丸(あしかが ちゃちゃまる)は、
室町時代後期の武将。
初代堀越公方の足利政知の子でした。
父の死後に一族間で内紛を起こして
家督を強引に相続しましたが、
伊勢盛時北条早雲)に攻められて
各地を転戦の果てに自殺し、
堀越公方家は滅亡しました。
なお、「茶々丸」は幼名であり、
元服をする前に死去したため、
成人としての実名である諱は
伝わっていないとされています。
なお、近世後期に
高松松平家が編纂した「歴朝要紀」には、
茶々丸の名を「政綱」としていますが、
その出典や根拠は明らかではありません。

【時代】
室町時代後期

【生誕】
文明年間(1469年ー1487年)

【死没】
明応7年(1498年)8月
延徳3年(1491年)説あり。
明応2年(1493年)説あり。

【戒名】
成就院福山広徳

【墓所】
静岡県伊豆の国市 願成就院の本堂裏手

【幕府】
室町幕府

【氏族】
足利氏(堀越公方)

【父】
足利政知

【兄弟】
茶々丸、義澄、潤童子、小田政治?

【足利茶々丸の短き人生】
足利政知の子として生まれ、
異母弟には室町幕府11代将軍となった足利義澄、
潤童子などがいます。

足利政知の嫡男でしたが、
素行不良の廉で父親である
足利政知の命により土牢に軟禁され、
代わりに異母弟の潤童子が後嗣とされたのでした。
足利茶々丸の実母は
彼が幼い時に亡くなってしまったようです。
父からも冷遇されて育った足利茶々丸には
味方となるものがおらず、
寂しくまた誰も信用することができなかったのでしょうね。

【茶々丸がグレてしまった一の理由】
一説によりますと、
潤童子の実母(茶々丸にとっては継母)の円満院が
足利政知に足利茶々丸のことを誹謗や中傷、
偽りの事を告げたために、
土牢に軟禁され、廃嫡も進めたともされています。
執事の上杉政憲は足利政知による
足利茶々丸の廃嫡を改めるように忠告しましたが、
聞き入れてもらえず、
それどころか自害させられたということです。
これで足利茶々丸の味方は
皆無となってしまったのです。
継母にしてみれば、
先妻の子など邪魔でしかないですからね。
潰される前に潰してしまえ!
ということなのでしょう。





【虐待されながらも強引に2代目となる】
延徳3年(1491年)4月、
父親の足利政知が死去します。
足利茶々丸は継母の円満院に虐待されていましたが、
逆に7月に牢番を殺して脱獄し、
堀越公方に決まっていた潤童子と継母を殺害して、
事実上の公方となったのでした。

【誰も信じられずに騙されて重臣を惨殺】
けれども、奸臣の讒言を信じて、
筆頭家老で韮山城主の外山豊前守の
秋山新蔵人などの重臣を斬殺してしまいます。
よって旧臣の支持を失い、
内紛は伊豆国内に波及していきます。

【混乱の中、伊勢盛時に攻められる】
明応2年(1493年)10月、
興国寺城にいた伊勢盛時(北条早雲)が混乱に乗じ、
鈴木繁宗や松下三郎右衛門尉、
大見の三人衆ら
伊豆の豪族を従えながら伊豆に攻め入ります。
そして新将軍となった
足利義澄の母(円満院)を殺めた
反逆者と見なされ、
求心力が低下した堀越公方は
あっというまに滅亡したのでした。

【足利茶々丸の死亡時期】
従来説では、この時点で伊勢盛時に敵せず、
伊豆韮山の願成就院で
自刃したとされていました。
しかしながら近年の研究で、
実際は明応4年(1495年)、
伊勢守時によって伊豆国から追放され、
山内上杉氏や武田氏を頼って
伊豆奪回を狙っていたことが
明らかとなっているとのことです。

明応7年(1498年)8月、
甲斐国(伊豆深根城とも)で伊勢盛時に捕らえられて
自害したとのことです。

【もしも・・・の話】
単に素行が悪いから、とはいえない
足利茶々丸の短く哀しい生涯。
粗削りな性格で
扱いにくい気質だったかもしれませんが、
愛情を注がれ、きちんと教育し、
家臣らとの信頼関係を構築できたなら、
生命力は強そうなので、
頼もしい主君になっていたかもしれませんね。
足利茶々丸は将軍足利家の
負の部分を一身に背負ってしまった
一人だったのかもしれません。

足利一門・・・
同族争いが絶えず、乗っ取りを繰り返し・・
という印象しかないです、はい。

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