城跡

伊勢・亀山城~伊勢平氏の流れをくむ関氏が亀山古城を築城し、岡本良勝が近代亀山城を築城しました。

伊勢・亀山城址



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【伊勢・亀山城

 
亀山城(かめやまじょう)は、
伊勢国鈴鹿郡亀山
(現在の三重県亀山市本丸町)
にあった日本の城です。
伊勢亀山城 説明

【別名】
粉蝶城

【城郭構造】
梯郭式平山城

【天守構造】
不明(1590年築)

【築城主】
関実忠

【築城年】
文永2年(1265年)

【主な改修者】
岡本良勝本多俊次

【主な城主】
関氏、岡本氏、本多氏、石川氏他

【廃城年】
明治6年(1873年)

【遺構】
多聞櫓、石垣、堀、土塁

【指定文化財】
多聞櫓(県指定史跡)

【再建造物】
模擬塀

【歴史】
鎌倉時代から安土桃山時代】
伊勢亀山城は、
文永2年(1265年)に
伊勢平氏の流れをくむ
関実忠によって
伊勢国鈴鹿郡若山に築城されました。
現在、その場所は亀山古城(若山城)
と呼ばれています。
亀山古城(若山城)
神戸、国府、鹿伏兎、峯、亀山の
各城を居城とする
関五家の宗家の居城として
重きをなしたのでした。
関氏は16代にわたって
居城していましたが、
関氏時代のうちに、
現在の伊勢・亀山城の場所に
遷されたとのことです。
築城期の伊勢・亀山城
永禄10年(1567年)の
織田信長の伊勢進攻以降は、
たびたび戦場となりました。
天正11年(1583年)には
蒲生氏郷が城主となっています。
天正18年(1590年)に、
豊臣秀吉に従った岡本良勝が入城後、
天守、本丸、二の丸、
三の丸などのその後の
亀山城の母体となる城が
形成されたとのことです。
伊勢亀山城 歴代城主

【江戸時代】
江戸時代においては、
亀山城は伊勢亀山藩
藩主の居城となりました。
江戸時代初頭には
丹波亀山城の天守を
解体するよう命じられた
堀尾忠晴の間違いによって、
寛永9年(1632年)、
三宅康盛の代に天守が下ろされ、
天守が取り壊されています。
またこの時期の亀山城は
幕府の宿所としての役割があり、
上洛する徳川家康徳川秀忠
徳川家光などが本丸を
休泊に利用していました。
完成した伊勢・亀山城
このように本丸は
たびたび利用されていたため、
城主居館は二の丸に
おかれていました。
寛永13年(1636年)、
城主となった本多俊次の手で
大改修が行われました。
伊勢亀山城 二の丸御殿(跡)付近

<伊勢亀山城 二之丸>
伊勢亀山城 二之丸
本丸北側には
天守代わりの三重櫓を、
天守を失った天守台には
現在の多聞櫓が築造されました。
伊勢亀山城 多聞櫓

【明治維新以降】
伊勢亀山城 古写真
【多聞櫓】
明治維新以降は、
明治6年(1873年)
のいわゆる廃城令によって、
ほとんどの構造物が取り壊されました。
このため現在は天守台・多聞櫓・
石垣・堀・土塁など一部が
残るに過ぎません。
ただし、多聞櫓は原位置のまま残る
中核的城郭建築として
三重県下では唯一の遺存例であり、
現存ある多聞櫓として
全国的にも数少ない存在
であるため、本丸南東の天守台と
多聞櫓本体を併せて、
「旧亀山城多聞櫓」の名称で
三重県の史跡に
指定されています。
伊勢・亀山城 多聞櫓
また、二の丸御殿玄関は、
西町の遍照寺本堂に移築されています。




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1999年9月、
亀山城最大の城門と言われる、
石坂門跡の遺構が
多聞櫓横の道路工事で出土しました。
出土したのは積み石7個と
石垣の裏込石でした。
石坂門石垣の底の部分と
想像されており、
その位置がはっきりと
裏付けられたとのことです。
近年、亀山城周辺保存整備事業が
立ち上がり、石垣修復や
多聞櫓の修復が行われています。
城址は多聞櫓以外は、
石碑をつないで歩き、
その規模を実感する城とのことです。
伊勢亀山城 全体図

【21世紀】
2001年より4月上旬に
「亀山城桜まつり」が
行われるようになりました。
亀山公園 案内図
(三重県亀山市)
2006年には
亀山城周辺保存整備事業の一環として、
二の丸帯曲輪および周辺部分が
江戸時代末期の状態に復元されました。
翌年の2007年4月15日に発生した
三重県中部地震により
天守台の石垣の一部が崩落しましたが、
崩落箇所は昭和47年(1972年)の
台風被害の補修で新たに
積んだ部分のみで、
江戸時代初めごろに
穴太衆(あのうしゅう)によって
築かれた古い部分には
一切被害はなかったとのことです。
伊勢・亀山城 天守台石垣
2011年8月から2012年3月の間、
多聞櫓の復元修理において
破損箇所の修理の他、
江戸末期の姿に戻すため
板壁から漆喰壁にするなどの
工事が行われました。
復元修理完了間際の
2012年12月14日夜、
火災が発生しました。
このため工期は延長され、
公開も延期されました。

2013年4月7日、
櫓の修復完成式典が行われ、
一般公開が開始されました。

【多聞櫓の説明】
平屋建白壁の塗込で
屋根は入母屋造り、
東西北の三方に破風があり、
平時は武器庫として
利用していました。
三重県内に唯一現存する
城郭建造物として、
昭和28年に県史跡に指定されました。
伊勢・亀山城
多聞櫓の説明

また、亀山城跡では県下初となった
お城の御城印を販売中です。
他に、伊賀、鳥羽、津、松阪の城・城跡でも
御朱印を販売しています。

<御城印販売場所>
(一社)亀山市観光協会
亀山市関町新所664-2 
TEL : 0595-97-8877

【交通アクセス】
JR(東海・西日本)「亀山」駅
(関西本線・紀勢本線)から北へ徒歩で約10分。

(車)
名阪国道「亀山」ICから約10分




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【駐車場】

【所在地】
〒519-0152 三重県亀山市本丸町575−2

滞在所要時間:30分~

【伊勢・亀山古城(若山城)】
伊勢・亀山古城(若山城)は
「関五家(せきごけ)」で知られる
関氏宗家の居城です。
文永2年に関実忠によって築城されました。
関実忠は、鎌倉に在住して
伊勢・亀山古城(若山城)には
目代を派遣していました。
正慶2年、鎌倉幕府が滅亡すると
関盛政は伊勢・亀山古城(若山城)へと
戻り城を修築しました。
その後、関盛政は伊勢国司となった
北畠氏に与して行動したとのことです。
伊勢・亀山古城(若山城)

<説明板>
伊勢・亀山古城(若山城)説明板
貞治6年、関盛政は、
長男神戸盛澄に神戸沢城を、
次男盛門に国府城を、
三男盛繁が関宗家を継承して
伊勢・亀山古城(若山城)を、
四男盛宗に鹿伏兎城を、
五男政実に川崎峰城をそれぞれ
分地したとのことです。

<宝篋印塔基礎部>
伊勢・亀山城 
宝篋印塔基礎部

<宝篋印塔基礎部・説明>
伊勢・亀山城
宝篋印塔基礎部・説明

永禄11年(1568年)、
織田信長が北伊勢に侵攻し、
織田信長の三男である信孝を
神戸氏の養子にすることで和睦すると、
関氏も織田信長に臣従しています。
その後、天正18年(1590年)に
関一政は陸奥白河5万石に移封され、
岡本宗憲が2万2千石で入城し、
亀山城(近世亀山城、亀山新城)
を築城したため
「亀山古城」とも呼ばれています。
若山城は廃城となりました。
史跡 亀山古城
(三重県亀山市)
城址の位置は現時点では
特定されていませんが、
近世亀山城の西側にある丘陵地に
案内板があります。

【亀山公園からの位置】
亀山公園から南へ坂を降りかけて
すぐに左の住宅地へ入る細い道があり、
この道路左手に亀山古城の案内板があります。
この辺の道は狭く
路上停車ははばかられます。
亀山公園 花しょうぶ園
看板

【所在地】
〒519-0151 三重県亀山市若山町2−4

蒸気機関車C58 414(三重県度会郡玉城町)・C58・359(三重県亀山市)、静態保存

沢城~築城は関盛澄で神戸氏を称し約200年間神戸氏代々の居城でした。

伊勢・神戸城~神戸具盛もしくは神戸利盛が築城、織田(神戸)信孝により修築され江戸時代は神戸藩がおかれました。

桑名城~築城の起源は永正10年、関ヶ原の戦いの後に本多忠勝が入封し城郭を建造しました。

釆女城 ~伊勢平氏の流れをくむ後藤氏15代居城で300年の栄華を極めました。

松坂城~蒲生氏郷が築城し、中でも壮大な石垣が実に見事な日本100名城及び国の史跡です。

織田信長について~駆け足で手短にわかる織田信長の49年の華麗で残酷な生涯

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