明智家

亀山城(丹波国)~明智光秀の丹波経営の拠点~やがて本能寺へ向かう

明智光秀公の像と南郷池






亀山城

亀山城(かめやまじょう)は、
京都府亀岡市荒塚町周辺、
旧丹波国桑田郡亀岡にあった日本の城です。
岡城とも称されています。
明智光秀によって、中世から既に
存在していたとされる砦を、
丹波統治の拠点として築城したとのことです。
江戸時代初頭には
近世城郭として整備されました。
大正時代に新宗教「大本」が購入。
現在、大本の本部が置かれており、
立ち入りは一部のみ許可されています。

【別名】
亀宝城、霞城、亀岡城

【築城年】
天正5年(1577年)頃

【築城者】
明智光秀(第一期)

【形態】
平山城

【遺構】
石垣・堀など

【所在地】
〒621-0851 京都府亀岡市荒塚町内丸1

【城名について】
伊勢の亀山と同名で紛らわしいので、
明治になってから
この土地の地名を
亀岡と改めることになりました。
城の名前も亀岡城とされました。
この判断には、
慶応4年(1868年)の
戊辰戦争が関与しています。
伊勢亀山藩は新政府側につき、
丹波亀山藩は幕府側についたのでした。
敗れた丹波のほうが
改名させられることになったということです。

【歴史】
【戦国時代】
織田信長の命を受けて、
丹波攻略中であった明智光秀が、
口丹波にある亀岡盆地の中心であった亀山に
天正6年(1578年)に築城し、
天正6年中に完成したと考えられています。
丹波の他の城と異なり、
総構が掘られており、
このことから一国の拠点となる城として、
それにふさわしい威容を
誇っていたと見られています。
丹波平定後は、
そのまま丹波経営の拠点となりました。

明智光秀は、天正5年(1577年)頃、
丹波攻略の拠点とするために
丹波亀山城を築城しました。
保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)
に築かれましたが、
正確な史料が残っていないため、
全容は判明していません。
明智光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、
城下町を形成したとのことです。
天正8年(1580年)に
丹波国を拝領した明智光秀は、
本格的な城下町の整備と
領国経営に着手しますが、
そのわずか2年後に「本能寺の変」が起こります。





亀山城はその後、
天下を統一した羽柴秀吉の重要拠点として
一門の羽柴秀勝(織田信長の子)、
豊臣秀勝(秀吉の甥・江の夫 )
豊臣秀俊(小早川秀秋)や
豊臣政権で五奉行の一人となった
前田玄以などが入城しました。

【江戸時代】
豊臣秀吉の死後に天下を手中にした
徳川家康もこの城を重要視しました。
慶長14年(1609年)に、
譜代大名である岡部長盛
(在任1609年⇒1621年)
を入封させ、丹波亀山藩主に任じました。
さらに「天下普請」により、
幕府が西国大名に命じて
近世城郭として亀山城を大修築させました。
藤堂高虎が縄張りを勤めます。

しかしながら、
亀山城の基本的構造は、
明智光秀が築いたものを引き継いだ形でした。

<亀山城(丹波国)絵図>
亀山城(丹波国)絵図

慶長15年(1610年)夏ごろに完成し、
本丸には5重の層塔型天守が上がったのでした。
慶長15年(1610年)、
岡部長盛の代に天下普請により
近世城郭としての亀山城が完成します。
この築城にあたっては、
城づくりの名手である藤堂高虎が縄張りを務め、
五重の層塔型天守が造営されました。

【廃城へ】
寛延元年(1748年)以降は、
形原松平氏が居城しました。
明治2年(1869年)に亀岡藩へ改称しました。
明治4年(1871年)に亀岡県が置県され、
亀山城は廃藩となったのでした。

【天守】
明治初年に撮影されたものは、
慶長14年(1609年)に建てられた
層塔型5重5階の大天守と
2重の小天守が複合した複合式天守です。

<明治5年頃撮影された古写真>
亀山城(丹波) 古写真

大天守の最上階には飾りの回り縁、
高欄を付け、最上重屋根に
入母屋破風と軒唐破風があるのみで、
それ以外の階や重には、
装飾的な窓や破風は一切ありませんでした。

亀山城の天守は、
創建当初では明智光秀によって
3重の天守が構えられていました。
後の小早川秀秋の時(文禄2年(1593年))に、
5重に改築されたということです。
以降この天守については不明ではありますが、
建築史においては、
破風の一切ない層塔型天守は
慶長14~15年(1609年~1610年)
以降に見られるものとされています。
それ以前の小早川時代に
改変されたという天守についてですが、
それ以降に再び改変されたものの解体され、
明治期に撮影された姿のものが、
其の後に新しく建造された、
と推察されています。





【明智光秀が創始の城下町】
一般的に戦国時代とは、
京都の寺社権門の所領の
荘園が地域の武家権力によって
浸食され、荘園制度が有名無実化していく
時期とされてきました。
けれども、丹波地域は、
この荘園制度が戦国時代に入っても
強く維持されてきたそうです。
朝廷や足利将軍の御料地などを
最後まで支えてきたそうです。
このため、丹波においての武家勢力は、
このような荘園制との格闘を続けながらの
勢力拡大にあったとされています。
また、丹波地域には、
室町幕府体制の基盤となった
禅宗の寺院が強く、
他の仏教宗派が勢力を広げることが
難儀であったとされています。
このため、他の宗派が勢力を伸ばし、
「寺内」と呼ばれる
農村集落や都市が形成されませんでした。
また、守護所の発達も見られませんでした。
すなわち、
戦国期の主要都市が
形成されなかった地域が
丹波であるのでした。
亀山城のある亀岡市や、
福知山城のある福知山市は
明智光秀が創始した城下町であったのです。

そして、明智光秀が築いた
城と城下町は、羽柴(豊臣)秀吉の時代を経て、
更に江戸時代に入り、
近世城下町として
存続されていくこととなります。

【亀山城は平山城】
明智光秀が領主として自ら築いた城は、
坂本城、福智(知)山城、そして亀山城と
いずれも領民の暮らしと一体になり、
領民の目線で統治するといった
考えがうかがえる「平山城」でした。
明智光秀は城を、単なる戦の砦ではなく
政務の館として考えていたと伺えます。

【城わりを行う】
明智光秀は、丹波国内で城わりを
進めていました。
城わりとは、城を破却することです。
支配下になった国衆たちが、
反乱を起こさないように、
その持ち城を破却していったのでした。
これは織田信長の権力下で行われていたことで
明智光秀も進めていたのでした。
特に「肝要な城」は残して、
不要な城は取り壊す姿勢を明確に
打ち出していました。
そしてこれは次の豊臣秀吉の時代にも
受け継がれて、
やがては後の時代の城下町への
武士集住などにつながっていったとされています。

【遺構】
天守台・石垣・堀・土塁などは
大本が買収した後に改変され、
宗教施設が築かれました。
昭和10年(1935年)には
大本事件の際に当時の日本政府によって
ほとんどが破却されてしまいました。
終戦後、教団によって修復されています。
1992年(平成4年)12月8日、
宗教的理由により旧神殿部分が
立ち入り禁止となりました。
新御殿門(長屋門)は
亀岡市立千代川小学校に移築されています。

<亀山城・内堀跡(現:通路)>
紅葉の季節になったら綺麗でしょう。
亀山城 内堀跡(現:通路)

<本丸への通路>
亀山城 本丸への通路

<天守台の石垣>
下から3分の1程の石垣は、
明智光秀時代の「穴太積み(あのうづみ」
の石垣なんだそうです。
亀山城 天守台の石垣

<亀山城の石垣>
亀山城の石垣

<天守台への階段>
これより先は禁足地になります。
無理矢理通ろうとしても、
赤外線センサーが作動しているので
わかってしまいます。
マナーは守りましょう。
天守台への道

<行き届いている清掃>
訪問した朝、「大本」の信者さんたちが
綺麗に清掃していました。
朝から真夏の太陽が照り付けていましたが、
お陰様で清々しくなりました。
亀山城の城内

<見学終点地>
これより先は神域となり立ち入りは厳禁です。
亀山城 城内見学終点地

<亀山城に咲く桔梗>
亀山城に咲く桔梗





【交通アクセス】
JR西日本嵯峨野線亀岡駅から
南へ徒歩10分です。
ただし城郭は宗教法人大本の敷地であるため、
見学には入口受付で
許可を取らなくてはなりません。
総合受付で見学を申し込むと内堀跡や
本丸付近の石垣を見学することは可能ですが、
禁足地があり、注意が必要です。
★午前9時過ぎに受付に行きました。

【受付方法】
駐車場の奥にある
「みろく会館」の1階で受付をします。
来訪の代表者が住所と名前を記帳します。
綺麗なパンフレットがいただけます。
1階の亀山城に関する展示コーナーは必見です。
また2階にはギャラリーがあり、
亀山城に関するDVD紹介などもあるそうです。
更にお時間がある場合は、
本丸跡の入り口付近にある
「万祥殿(ばんしょうでん)」
でのご祈祷ができます。

また、この先の見学をしたいと
再度申し出ると、
簡単なお祓いもして下さるそうです。
受付は「万祥殿」の右側にある
参拝者受付とのことです。

また「万祥殿」の奥にある
「花明山植物園」の見学もできます。

【花明山植物園】
日本の野生植物を主に約1000種類の
植物が植えられているそうです。
万葉集に詠まれた植物も多く、
万葉植物園とも呼ばれているそうです。
こちらも見学の際には
受付が必要となります。

【万祥池】
「万祥殿」の隣にある池です。
かつての内堀とのことです。
また、この万祥池には、
カキツバタが季節になると咲き誇ります。
このカキツバタは日本の野生種であり、
国の天然記念物とのことです。
一般に広く見られる
カキツバタは、江戸時代に品種改良された
園芸種が主で、
野生種は大変希少価値が高いとのことです。
カキツバタの季節に
是非訪れてみるのもよいですね。
見ごろは5月上旬です。
色は「こだいむらさき」です。

★時間が無くて駆け足的な見学でしたが、
それだけでも堪能できました。
有料拝観にするわけでもなく、
見学全面禁止にするわけでもなく、
亀山城に行って良かったです。

【移築門】
城門の移築先の千代川小学校へは
同千代川駅下車、西へ徒歩5分です。

<外堀>
亀山城 外堀





【南郷公園】
JR亀岡駅南口から歩いて
すぐのところにある南郷公園。
かつてここは、丹波亀山城の外堀として
敵の侵入を防いでいました。
公園内には、丹波亀山城の天守閣にあった
「鯱瓦」の複製や城跡を示す石碑が立っています。
石碑は、隠れたところにひっそりとあります。
2019年5月、
明智光秀公のブロンズ像が建立されました。

<明智光秀公の像>
明智光秀像

<石碑>
亀山城石碑

<南郷池>
南郷池

<南郷池のあらまし>
南郷公園のあらまし

<南郷池の案内図>
南郷公園案内図

外堀だった南郷池は、実際には雑水川(ぞうずがわ)でした。

【南郷公園に関する問合せ】
【名称】
公益財団法人 亀岡市都市緑花協会
【住所】
亀岡市吉川町穴川背戸田29番地
【連絡先】
0771-23-2289

【駐車場情報】
公共の駐車場はありません。
JR亀岡駅前周辺の
コインパーキングのご利用となります。

駐車場情報⇓⇓⇓
駐車場情報

そして・・・
天正10年(1582年)6月1日(6月20日)、
ここから明智光秀は出陣したのでした。

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明智光秀の墓所~京都府~

足利義昭・最後の室町幕府将軍、懲りずに粘って兄の分まで生きる!歴代足利将軍の中で最も長生き!

槇島城・足利義昭が籠城し、室町幕府の実質的な終焉の地~忘却の城跡~巨船出現す!!

天橋立ビューランド~飛龍観~かわらけ投げも出来ます。

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