鎌倉殿の13人

清光寺~豊島清元(豊島清光)開基で居館が近くにあり豊島氏発祥の地に建つ寺院です。

清光寺(北区豊島)



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【清光寺】

清光寺(せいこうじ)は、
京都北区にある真言宗豊山派の寺院です。
平安時代末期から鎌倉時代初期、
武蔵国豊島郡の豪族で
鎌倉幕府御家人だった豊島清光(清元)が開基です。
豊島清元(豊島清光)の館が
付近にあったといわれています。
なお、お寺がある東京都北区豊島は豊島氏の発祥地です。

清光寺(北区豊島)説明板

当寺には、江戸時代(1742年作)に作られた
豊島清光の木像があります。
この木像は北区の有形文化財に指定されてます。
本尊は不動明王像で、
行基に彫らせた豊島七仏の一つと伝えられています。
なお、土日・祝日の本堂内の見学は
事前に電話にて連絡が必要となるそうです。

【豊島氏発祥の地】
豊島氏は平安時代後期以降に
成立した武士団で、
本来は秩父盆地を本拠とする
桓武平氏の一族です。
現在の東京都北区豊島が
豊島氏発祥の地とされています。
北区の平塚神社が豊島舘跡と伝わり、
豊島氏初期の事績をつづった
「平塚神社縁起絵巻」が残っているとのことです。

【豊島氏発祥・平安時代】
桓武天皇の孫の高望王が
臣籍降下して平姓を賜り関東に土着しました。
その子である平良文の孫の平将常(将恒とも)は
武蔵権守となって
武蔵国秩父郡中村郷(埼玉県秩父市)に
土着して秩父氏を称し「秩父将常」となりました。
更に秩父氏は三浦氏、千葉氏、
鎌倉氏、大掾氏などに並ぶ
坂東八平氏に数えられる大きな勢力を持ったのでした。

【多くの氏族と武士団】
秩父氏からは畠山氏、稲毛氏、
河越氏、江戸氏などの多くの氏族が
武蔵国各地に進出して
秩父党と呼ばれる武士団を形成しました。
更に鎌倉時代に分かれた支流に
安土桃山時代まで陸奥国で
大きな勢力を持った葛西氏がいます。

【熊野との関り】
また、豊島氏は紀伊国や熊野三山との
師檀関係を受け入れ、紀伊国から熊野権現を勧請し、
郡内に多くの熊野神社を設けました。
その最大のものが王子神社です。
更に中央文化を積極的に
とりいれたことから
田楽などの民俗芸能が伝わり、
王子田楽として現在も演じられています。

【室町時代】
けれども室町時代に入ると、
鎌倉府の内部が分裂し、
関東公方)と
関東管領上杉氏の対立が激化し、
豊島氏など在地武士団にも
大きな影響が及んでいきます。

【豊島宗家の滅亡】
文明8年(1476年)に
長尾景春が主君に
山内上杉顕定
(やまのうちうえすぎあきただ)に
謀反したため、長尾景春に味方した
豊島氏は平塚城と石神井城で、
江戸城川越城を本拠地とする
太田道灌と対立することとなりました。
そして文明10年(1478年)、
江古田・沼袋の戦いで
太田道灌に敗れついに滅亡し、
今ではこの清光寺と豊島という地名が
残っているだけとなっています。

清光寺(北区豊島)入り口

【交通アクセス】
王子神谷駅より徒歩10分程度。

【駐車場】
参拝者用の駐車場があります。

【所在地】
〒114-0003 東京都北区豊島7丁目31−7

【電話番号】
03-3914-7794

【豊島清元(豊島清光)】

豊島 清元(としま きよもと)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。
武蔵国豊島郡を領有した豊島氏の当主でした。
下総国葛西御厨も領有しました。
代々、源氏の家人になり、
前九年の役や後三年の役で
源義家に保元の乱で
源義朝の配下で参陣しています。
父は豊島康家です。




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【生誕・死没】
不明

【別名】
三郎

【官位】
豊島権守

【氏族】
桓武平氏良文流 豊島氏

【父】
豊島康家

【兄弟】
清元、豊島俊経

【子】
有経(系図類では孫)、清康、葛西清重

諱は清光で知られていますが、
近年に発見された「桓武平氏諸流系図」
(鎌倉時代末期成立)などから
清元が正しいことが判明しています。
従って「豊島清元」と明記します。

【豊島清元(豊島清光)の生涯】
平治の乱の際、
豊島清元は武蔵滝ノ河で
山内家通を誅殺するという記録がありますが、
源氏方についた説
(元来同じく源氏方だった家通が
平家方についた為に誅殺した説)、
平家方についた説
(源氏方である家通を討ち取った説)
があり、定かではありません。

治承元年(11771)、
下総国香取神社の正神殿を造進しました。

源頼朝に参陣を促される】
治承4年(1180年)9月3日、
石橋山の戦いに敗れた源頼朝は
安房国で再挙し、源氏重代の家人である
豊島清元とその子の葛西清重に
陸路が塞がれているのなら
海路でもって参陣するよう求めています。
同族の江戸氏や河越氏は
石橋山の戦いで平家方でしたが、
豊島氏はこれに加わっておらず、
豊島清元、清重父子は
格別に信頼されていたとのことです。
また、在京中で不在の朝経
(江戸時代の系図類では豊島清元の長男。
近年の研究では孫と推定)
の妻女には綿衣の進呈を命じたとあります。

【豊島清元親子は御家人に】
この時は参陣できませんでしたが、
源頼朝は房総半島を進軍して
千葉常胤、上総広常がこれに加わり、
3万騎の大軍に膨れあがり、隅田川に達しました。
10月2日に豊島清元と葛西清重父子は
源頼朝の陣に参上します。
源頼朝が源氏の本拠である鎌倉を
占拠すると御家人に列しました。

【優秀な豊島清元の子や孫】
豊島清元の子の葛西清重は優れた武将で
源頼朝から重用され、関東制圧に武功を立て、
源範頼に従って九州まで渡っています。
長男の有経(系図類では孫)は
源義経に従い紀伊国へ進駐して
紀伊守護人に任じられています。

【葛西氏】
文治5年(1189年)7月、
豊島清元と葛西清重父子は
奥州合戦の遠征軍に加わります。
葛西清重はこの戦いで活躍して
戦後に奥州総奉行に任じられ、
葛西氏は陸奥国の大族として
安土桃山時代まで続くことになるのです。

【清光寺の開基】
荒川で水練中に誤って溺死し、
早世した二男清康のために
(娘の清姫のためとの説もあり)
豊島清元が開基した(祖父の豊島康家が開基とも)
清光寺(東京都北区)には
僧形の豊島清元の木像が残っています。
(江戸時代に製作)。

清光寺(北区豊島)本堂

【その後の豊島氏】
豊島氏は鎌倉幕府の有力御家人となり、
豊島・足立・多摩・児玉・新座の
諸郡に所領を持ち、室町時代まで続くことになります。




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【城郭】
<豊島清元(豊島清光)館>
隅田川の岸辺に建つ清光寺が
豊島清元(豊島清光)の館跡と言われています。

<平塚城>
現在の平塚神社が城跡といわれています。
豊島清元(豊島清光)とその子、あるいは孫の
有経、朝経の時の居城とも。
居城が石神井城に移ると、支城となりました。
現在の東京都北区豊島が豊島氏発祥の地とされる。
北区の平塚神社が豊島舘跡と伝わり、
豊島氏初期の事績をつづった
「平塚神社縁起絵巻」が残っています。

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