史跡・城跡

城前寺~曽我兄弟の菩提寺、曽我兄弟のお墓と養父・曽我祐信と母・満江御前の墓があります。

城前寺(小田原)



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【城前寺】

城前寺の本堂の裏手には
曽我十郎・五郎兄弟、
養父である曽我太郎祐信、
実母満江御前の墓と伝える
4基の五輪塔が立っています。また、
境内には、兄の十郎が恋人である
虎御前をしのび、腰を掛け笛を鳴らした
といわれる忍石があります。
なお、4人の墓が建つ墳丘は
曾我城の土塁跡とのことです。

曾我城 土塁跡

なお忍石と呼ばれる石は2つあります。

<忍石1>
向かって右側の小さい石が
忍石の一つだと云われています。
もう一つはわかりませんでした。
城前寺 忍石

【歴史】
城前寺は、建久4年(1193年)、
富士裾野で父の仇工藤祐経を討った
曽我兄弟の菩提寺となっています。
曽我兄弟の叔父である
宇佐美禅師が兄弟の菩提を弔うために
庵を結んだのがはじまりとされています。
その他に曽我兄弟遺跡碑(坪内逍遥筆)、
高浜虚子句碑などがあります。

【宇佐美禅師とは?】
調べても名前しか出てきません。
母である満江御前の兄弟かもしれませんが、
現在のところは不明です。
そして父方の場合、
曽我兄弟の叔父である
伊東佑清は死亡説と行方不明説、
そして行方不明になった後、
僧侶になった説があるそうです。
もしかしたらもしかして・・・
宇佐美禅師は伊東佑清、もしくは
その関係者である可能性もあるかもしれません。

養父である曽我祐信の兄弟の場合、
「宇佐美」ですから、それこそ
曽我祐信自身が伊東氏か工藤氏の一族の
関係者である可能性もあります。
曾我「祐」信で「佑」の字が入っていますし、ね。

【城前寺の名の由来】
寺の名前ですが、
曽我城の大手門がこの辺りだったことから、
城前寺となったそうです。

城前寺 曽我兄弟の碑

城前寺は、兄弟が、傘を松明にして、
親の仇を討ったという故事にちなみ、
仇討ちのあった5月28日には
「傘焼きまつり」が行われます。

隣接していた保育園は、
別の場所に移動しました。

<曽我兄弟の墓(宝篋印塔)>

曽我兄弟の墓(宝篋印塔)

<曽我曽我太郎祐信及び満江御前の墓(宝篋印塔)>

曽我曽我太郎祐信及び満江御前の墓(宝篋印塔)

【所在地】
〒250-0204 神奈川県小田原市曽我谷津592

【交通アクセス】
JR御殿場線「下曽我駅」下車 徒歩5分

【駐車場】
参拝者用の駐車場があります。
お寺は、駐車場から少し上った処にあります。
道が広くなく尚且つ坂になっているので
走行車両にご注意ください。




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<五郎の沓石(くついし)>
曾我五郎が足を患い、治療をしました。
自分の体力が衰えていないか
心配になり、試しにこの石の上で踏ん張った処、
石が足形にくぼんでしまい、
其の足形が医師の中央あたりに残っています。
そしていつしか、この石が、信仰の対象となり、
足を病んでしまった人々が祈願して治った礼として
草履や草鞋をお供えするようになったとのことです。
道が狭いためか、
現在は道端ではなく、目線の高さまで
挙げられています。

五郎の沓石

<所在地>
〒250-0204 神奈川県小田原市曽我谷津584
お寺の境内ではありませんが、
その周辺にあります。

なお、曽我太郎祐信の墓と
満江御前の墓は
それぞれ別の場所にもあります。

<伝曽我太郎祐信の墓(宝篋印塔)>
伝曽我祐信宝篋印塔は、
昔から土地の人々が
「祐信さんの供養塔」と呼んでいます。
銘を持たないので、造塔の意図、年次、
造立者等は一切不明です。
塔の総高は2.2m(下段一段目を除く)で、
基壇の上に蓮座、基礎、塔身、笠、相輪の順で
積み上げられた鎌倉時代の
関東における基本的な様式を備えた
宝篋印塔です。
小田原市指定文化財(建造物)となっています。

伝曽我太郎祐信の墓(宝篋印塔)

<所在地>
神奈川県小田原市曽我谷津
※道が狭く、傾斜がきついので
ご注意ください。
専用の駐車場はありませんが、
車1台分の停車スペースはあります。
停車される際には短時間で、
地元の方の迷惑にならないようにお願いします。

<満江御前の墓>
墓は、曽我別所・法蓮寺の裏山墓地にあります。

満江御前の墓

<所在地>
法蓮寺の所在地:
〒250-0205 神奈川県小田原市曽我別所54

<駐車場>
参拝者用の駐車場があります。

【満江御前にまつわるナゾ】
八王子を本拠地とした武士団である
横山党の横山時重の娘で狩野茂光の孫である説と
狩野親光の三女である説があります。
この場合、祖父は狩野茂光で一緒です。
更に、工藤佑経に嫁ぎ、
其の後土肥遠平に嫁いだ
伊東祐親の娘が「万劫御前」という名前で
名前が似ています。

曾我城跡~曾我兄弟が育った曽我氏の館。北条氏康に滅ぼされたが嫡流は足利将軍や徳川家に仕え出世した。

河津三郎祐泰と血塚・伊東祐親の嫡男で曽我兄弟の父親であり曽我兄弟の仇討はここから始まりました。

曽我兄弟の縁の地・富士宮市~井出の代官屋敷・曽我八幡宮・曽我兄弟の供養塔・曽我の隠れ岩・音止の滝 

曽我兄弟の縁の場所(富士市)~化粧坂少将(姫宮神社)・曽我寺・曽我八幡宮・五郎の首洗い井戸

伊東佑親~源頼朝の配流地の監視役で八重姫の父であり、北条義時・曽我兄弟・三浦義村の祖父。

伊東佑清~八重姫の兄で曽我兄弟の叔父、親交のあった源頼朝を父から助けるが平家方につく。

満江(万劫)御前~曽我兄弟を含めて5人の子供のお母さんで狩野茂光の孫娘です。屋敷跡やお墓があります。

工藤佑経~復讐の連鎖の果てに~曽我兄弟の仇討の相手で後見人の伊東祐親に所領と妻を奪われてしまった人

宇佐美氏とは?~祖は宇佐美祐茂・宇佐美城と宇佐美一族の墓

源範頼~ひそやかに育てられ、兄の源頼朝のために尽力するも嵌められて消えてゆく

仁田館跡~慶音寺に今も残る土塁と堀。仁田忠常について。

平賀義信~源氏御門葉及び御家人筆頭として権勢を誇る。平賀氏は2つの系統があります。

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