【曾我物語】
建久4年(1193年)に
源頼朝が富士の裾野で行なった
大規模な巻狩り(富士の巻狩り)の際、
現在の富士宮市上井出の地で、
兄である曽我十郎祐成と
弟である曾我五郎時致が
父の仇である工藤祐経を
討ち果たした伝説を基にしています。
<曽我兄弟 富士野狩場討入之図>
<曽我兄弟ゆかりの地・富士宮市>
今回訪れた場所の地図です。
【井出の代官屋敷と狩場の下馬桜】
建久4年(1193年)、
源頼朝が富士山麓で巻狩を行った時に
陣所となった所です。
その時の建物は江戸時代中期に
火災により焼失してしまいましたが、
現存する井出館は江戸時代中期の
上層農家の貴重な建造物です。
屋敷地には、源頼朝が馬をつないだといわれ、
昭和27年に、国の特別天然記念物に
指定されている「狩宿の下馬桜」があります。
別名は「駒止めの桜」とも呼ばれています。
この桜は学名を
アカメノシロバナヤマザクラといい、
花房4.5cm、花の直径3cm 、
樹齢800年以上で国内最古級となります。
例年4月10日前後に満開となります。
井出屋敷は個人所有で、オーナー様が
住んでいる個人宅との事なので、
門を外から見るだけとなります。
<井出家>
◆高麗門(こうらいもん)
◆長屋(ながや)
市指定文化財です。
井出家は中世には武士であり、
江戸時代には名主役を勤めた家柄です。
高麗門は城郭の門に用いられる様式のもの。
長屋は作業部屋や倉庫・厩などからなる
江戸時代の上層農家の建物です。
【交通アクセス】
(電車)
東海道新幹線「新富士」駅。
JR「富士宮」駅から白糸の滝行きバス
約20分「中井出」バス停下車徒歩10分程度。
(車)
◆東名高速道路「富士」IC⇒約30分程度。
◆新東名高速道路「新富士」IC
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【所在地】
〒418-0117 静岡県富士宮市狩宿91
【駐車場】
規模は大きくありませんが数台駐車できる
スペースがあります。
【トイレ】
男女別のトイレがあります。
【曽我八幡宮(富士宮市)】
社伝によりますと、源頼朝が曽我兄弟の孝心に感じ、
兄弟の英魂を祭るよう畠山重忠を遣わし、
建久8年(1197年)に上原の住人である
渡辺主水に祀らせたと伝えているとのことです。
この地は、新田(仁田)四郎忠常
(「平家物語」では「にたんのただつね」)
の陣所の近くであり、
曾我十郎祐成が
討たれた所であると伝えられています。
主神は応神天皇で、
曾我兄弟はその相伝として祀られています。
主神の応神天皇の尊像は、
源頼朝の命により文覚が
刻んだものだといわれる騎馬像です。
曾我兄弟の像は、
畠山重忠が丹波法眼に命じて
刻ませた像だといわれています。
近世になって、歌舞伎や芝居で、
「曽我物語」が盛んに上演されるようになると、
曽我八幡宮では曽我兄弟の木像や
兄弟ゆかりの品を持って
江戸で出開帳を行いました。
その出開帳の収入が、
神社の維持管理に
あてられたものと見られています。
【所在地】
〒418-0103 静岡県富士宮市上井出1781
【交通アクセス】
公式サイトより
(車)
西富士道路を北西方向(富士宮方面)へ進む
⇒
西富士道路「小泉」IC(小泉出入口)
⇒
国道139号(14.4km)
⇒
「上井出」ICで「白糸滝」方面へ(300m)
⇒
県道72号(260m)
⇒
朝霧霊園入口(交差点) を左折(900m)
⇒
第一町内会集会所を右折(64m)
⇒現地
【駐車場】
参拝者用の駐車場があります。
【曽我兄弟の霊地(供養塔)】
曽我八幡宮(富士宮市)から東方向に約250m、
道路より130m程上がった高台の
杉林の中にあります。
日本三大仇討ちのひとつである
「曽我兄弟の仇討ち」は、
源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、
曽我十郎宇祐成と曽我五郎時致の兄弟が
父親の仇である工藤祐経を
討った事件として知られています。
曽我兄弟の墓の辺りには
仁田忠常の陣所が置かれていたといわれ、
兄の曾我十郎祐成が
討たれた場所といわれております。
曽我兄弟の霊を弔うために
2基の五輪塔が建てられています。
現在ある五輪塔は
江戸時代に建てられたものを
復元したものであるとのことです。
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【所在地】
静岡県富士宮市上井出
【駐車場】
専用の駐車場はないので
曽我八幡宮(富士宮市)の
参拝者駐車場を
利用するとよいかと思います。
【曾我兄弟の隠れ岩】
源頼朝が、富士の裾で
盛大な巻狩り(軍事演習)を行った際、
父の仇討ちを果たそうとしていた曽我兄弟は、
巻狩に参加していた父の仇である
工藤祐経を狙い、
兄弟は、岩陰に隠れて密談をしたとの伝えがあります。
その隠れ岩です。
白糸の滝の公営駐車場を降りて、
直ぐ横の「曽我橋」を渡った所にあります。
遊歩道になっており、そこから少し先に
「工藤佑経」の墓があります。
【所在地】
〒418-0103 静岡県富士宮市上井出340
【交通アクセス】
(公共交通)
JR「富士宮」駅⇒富士急静岡バス白糸滝行きで
約30分程度。
バス停「白糸の滝入口」下車、徒歩5分程度。
(車)
◆東名高速「富士」IC⇒国道139号経由40分程度。
◆新東名高速「新富士」ICから国道139号経由40分程度。
<曽我兄弟の隠れ岩・工藤佑経の墓 入り口>
遊歩道になっております。
<駐車場>
こちらの駐車場ですと、曽我橋を渡らずに
駐車場から遊歩道に直ぐに行けます。
【工藤佑経の墓】
富士の巻狩のおり、この付近に
曽我兄弟のかたきである
工藤祐経の陣所が置かれ、
討ち入った曾我兄弟によって
工藤祐経が討たれたといわれています。
【所在地】
〒418-0103 静岡県富士宮市上井出351
<幕張の樅(もみ)(絵葉書)>
この辺りに、巻狩の時武将の宿舎が置かれ、
この樅の木を利用して幔幕を張ったとのことです。
昭和27年ころに枯死しました。
【音止の滝】
音止の滝(おとどめのたき)は
静岡県富士宮市にある滝です。
すぐ近くの白糸の滝とともに
日本の滝百選の一つです。
芝川本流の落差約25mの名瀑です。
豪快で雄雄しい滝であり、
白糸の滝とは対照的です。
音止の滝には、曽我兄弟が岩陰で討ち入り
の相談をしようとしたところ、
滝の音で声がさえぎられたため、
しばし神に念じたところ、
一瞬滝の音が止み、
相談が終わると再び滝の音が
鳴り響くようになったという伝説があります。
その伝説からこの名が残されています。
晴れた日にはよく虹がかかります。
【所在地】
〒418-0103 富士宮市上井出273-1
(白糸の滝駐車場)
2022年NHK大河ドラマ
「鎌倉殿の13人」では
曽我十郎祐成を田邊和也(たなべ かずや)さん
曽我五郎時致を田中俊介(たなか しゅんすけ)さん
がそれぞれ演じられます。
曽我兄弟の縁の場所(富士市)~化粧坂少将(姫宮神社)・曽我寺・曽我八幡宮・五郎の首洗い井戸
河津三郎祐泰と血塚・伊東祐親の嫡男で曽我兄弟の父親であり曽我兄弟の仇討はここから始まりました。
満江(万劫)御前~曽我兄弟を含めて5人の子供のお母さんで狩野茂光の孫娘です。屋敷跡やお墓があります。
城前寺~曽我兄弟の菩提寺、曽我兄弟のお墓と養父・曽我祐信と母・満江御前の墓があります。
伊東佑親~源頼朝の配流地の監視役で八重姫の父であり、北条義時・曽我兄弟・三浦義村の祖父。
三浦義明と衣笠城合戦~長老は自らの命を盾に三浦一族の未来を守りました。
三浦義澄~源頼朝を支えた宿老の一人で13人の合議制のメンバーで相模守護。三浦一族の栄枯盛衰。
伊東佑清~八重姫の兄で曽我兄弟の叔父、親交のあった源頼朝を父から助けるが平家方につく。
虎御前~曽我兄弟の兄・曽我十郎祐成の愛妾、山下長者屋敷(住吉要害)で生まれ育ったとされています。
工藤佑経~復讐の連鎖の果てに~曽我兄弟の仇討の相手で後見人の伊東祐親に所領と妻を奪われてしまった人
源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。
源範頼~ひそやかに育てられ、兄の源頼朝のために尽力するも嵌められて消えてゆく
北条時政~先見性を持ち才腕を振るって幕府の実権を掌握するが暴走して寂しく去る。
曾我城跡~曾我兄弟が育った曽我氏の館。北条氏康に滅ぼされたが嫡流は足利将軍や徳川家に仕え出世した。
御所五郎丸~曽我兄弟の仇討事件で源頼朝の危機を救ったとされている人物です。
海野幸氏~弓馬の宗家と讃えられ曾我兄弟の仇討ちの際には源頼朝の護衛役、滋野氏の嫡流の家柄です。
安濃城~中世末期として県内最大級の丘陵城郭、築城は長野一族の細野氏、出自は工藤祐経の三男。
文覚~元は北面の武士だが恋する女性を殺めて19歳で出家、源頼朝に挙兵を促した型破りな怪僧
西山本門寺・織田信長公の首塚~感銘を受けた富士山の麓で眠っています。
白糸ノ滝(静岡県富士宮市)~世界文化遺産、源頼朝が和歌を詠み「信長公記」にも名所と記されています。
若獅子神社~若獅子とは戦時中の少年戦車兵の愛称、帰還戦車・九七式中戦車があります。
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