鎌倉殿の13人

御所五郎丸~曽我兄弟の仇討事件で源頼朝の危機を救ったとされている人物です。

御所五郎丸の墓所(南アルプス市)



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【御所五郎丸】

御所 五郎丸(ごしょ の ごろうまる)は、
平安時代末期から
鎌倉時代初期にかけての武将です。
曾我兄弟の仇討ち事件で、
源頼朝の危機を救ったとして知られています。
歌舞伎では御所五郎蔵の名で知られています。
諱は重宗であり、
五郎丸は通称です。
五所五郎丸とも表記されるとのことです。

御所五郎丸 説明

【御所五郎丸の生涯】
「扁額規範」によりますと、
御所五郎丸は永万(1165年)頃に
平安京に生まれたとされています。
比叡山近辺に住んでいましたが、
16歳の時に師匠の仇を討って京都を離れ、
甲斐源氏の一条忠頼を頼って
甲斐国甘利庄にやってきたとされています。
元暦元年(1184年)に
一条忠頼が源頼朝に討たれたのを機に、
源頼朝の家臣になりました。

建久4年(1193年)5月、
源頼朝に近習していた
御所五郎丸は
源頼朝主催の富士の巻狩りに参加します。

同年5月28日、
富士の巻狩り最後の夜に
曾我兄弟は工藤祐経を殺害します。
この後、兄の曾我祐成は
駆けつけた工藤祐経の部下の
仁田忠常に討たれましたが、
弟の曾我時致は源頼朝の御前を目指して、
向かってきた武士たちをことごとく
倒して源頼朝の宿所に押し入りました。
けれども、源頼朝の宿所の中にいた
御所五郎丸は曾我時致の身を一人で取り押さえ、
源頼朝の危機を救ったということです。

御所五郎丸は、すぐれた荒馬乗りをこなす
荒武者で、75人力の猛者であったと云われています。
「十番切」の詞書は「十八歳になりけるが、
八十五人が力なり」と
御所五郎丸のことを述べています。

御所五郎丸墓所入り口

「曾我物語」には、
御所五郎丸が腹巻の上に
女物の薄衣を被って
女装して曾我時致を油断させたと書かれています。
これは武士道に反したとされ、
御所五郎丸は鎌倉を追放され
甲斐国野牛島に流されたと伝えられています。
けれども、鎌倉時代の「吾妻鏡」や
初期の「曾我物語」には
女装のことは書かれていないため、
後世の脚色である可能性が高いとのことです。

・・・もしかしたら何かしら別の理由で
追放された可能性があるとの事ですかね?
やはり真の目的は源頼朝暗殺で黒幕は・・・。

この事件でこれから出世できるかもしれない
のにあえて自ら一線を引いて
甲斐源氏の元に戻っていった真相とは・・。
やはり「曽我兄弟仇討事件」はミステリーですね。




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【系統】
御所氏の本姓は
藤原鎌足を祖とする藤原姓であり、
御所五郎丸の先祖は
尾張国の熱田神宮の代官として
熱田宮の御所に住んでいたことから
御所と称したとされています。

豊前国宇佐郡の名族は
御所五郎丸の子孫であり、
建久7年(1196年)に
御所五郎丸と同じく源頼朝の御家人であった
豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行となった
大友能直と共に九州に下ったとされています。
その後、熱田神宮の総奉行や
惣検校などの職を奉じたとあります。
徳川時代には、
一時御の字を五所と改めたとのことです。

五郎丸の子孫は、
守部宿禰が代々掌った
正六位大内人の職を継ぎ、
建武元年(1334年)には
御所五郎丸の二代目である
祭主・幡屋大夫、
嘉吉2年(1442年)には
守部五郎丸がいます。
文明2年(1470年)には
守部保富が五位所被職に補されました。
守部宿禰は、朱鳥元年(686年)から
明治4年(1872年)まで
約1200年に渡り初代の守部宿彌孫谷より
備前守・守部清延まで24代に及び
熱田神宮の大内人を奉じたのでした。

御所五郎丸の墓所 敷地(野牛島)

【遺跡と墓所】
<鎌倉市>
神奈川県鎌倉市腰越の
御所ヶ丘にある御所五郎丸公園には、
御所五郎丸の館があったと伝える
伝御所五郎丸屋敷跡があります。
石碑と屋敷の庭石と伝える
大きな石がいくつか残っています。
御所ヶ丘の地名は
御所五郎丸の屋敷が
あったことに由来しているとのことです。
同所腰越御所には、御所たぬき公園もあります。

<横浜>
神奈川県横浜市西区御所山町には、
御所五郎丸のお墓があり、
地元の御所山町会に守られています。
御所山地区は
御所五郎丸が居住していたと伝えられています。
お墓の祠は街の人80名で1年かけて作ったそうです。

<南アルプス市>
山梨県南アルプス市野牛島には
鎌倉御所五郎丸の墓があります。




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【鎌倉御所五郎丸の墓】 
野牛島集落の中心に、
御所五郎丸の墓があります。
安山岩の墓石に
「鎌倉御所五郎丸の墓」と
陰刻されています。
墓所の前には観音堂が建っており、
御所五郎丸の肌守りと
言い伝えられる
観音菩薩座像
(実際は地蔵菩薩座像)が祀られています。

御所五郎丸の墓(野牛島)

例年ですと毎年8月末には、
地元の人々によって
御所五郎丸の慰霊祭が行われています。

【所在地】
〒400-0205 山梨県南アルプス市野牛島2076

【交通アクセス】
「甲府」駅バスターミナルよりバス。
山梨交通「御勅使方面行き 御勅使」行に乗車。
バス停「野牛島」下車、徒歩10分程度。

【駐車場】
お墓の敷地に駐車スペースがあります。
出入り口と付近の道路が狭いのでご注意ください。

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

工藤佑経~復讐の連鎖の果てに~曽我兄弟の仇討の相手で後見人の伊東祐親に所領と妻を奪われてしまった人

曽我兄弟の縁の地・富士宮市~井出の代官屋敷・曽我八幡宮・曽我兄弟の供養塔・曽我の隠れ岩・音止の滝 

曽我兄弟の縁の場所(富士市)~化粧坂少将(姫宮神社)・曽我寺・曽我八幡宮・五郎の首洗い井戸

河津三郎祐泰と血塚・伊東祐親の嫡男で曽我兄弟の父親であり曽我兄弟の仇討はここから始まりました。

満江(万劫)御前~曽我兄弟を含めて5人の子供のお母さんで狩野茂光の孫娘です。屋敷跡やお墓があります。

仁田館跡~慶音寺に今も残る土塁と堀。仁田忠常について。

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