史跡・城跡

江川邸及び旧韮山代官所跡、世襲代官の江川家は900年続く清和源氏で日本の歴史に関わっています。

江川邸及び旧韮山代官所跡



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【江川邸及び旧韮山代官所跡】

【史跡 韮山役所跡】
韮山役所跡とは
静岡県伊豆の国市韮山町の東部の丘陵端に位置し、
江戸幕府の世襲代官で歴代、
太郎左衛門を名のった江川家の幕府代官役所跡です。

【江川氏】
江川氏は清和源氏である宇野頼親を祖とします。
当初は大和国奥之郷宇野を本拠にしていました。
のちに伊豆国八牧(山木)郷江川に移りました。
10台当主の治長は源頼朝の挙兵を助けて
江川荘に居住し、21代当主の英信の時に
姓を江川に改めたとのことです。

【戦国時代から江戸幕府の江川氏】
戦国期以降は小田原北条氏の配下にありました。
28代当主の江川英長が
小田原攻めの際に徳川家康に従い、
慶長元年(1596年)に
世襲代官に任用されました。
初期の幕府代官は在地領主的な者が多く、
江戸中期までに多くは職を解かれましたが、
江川家は幕末まで世襲代官として残りました。

江川邸 門

【お万を養女にして徳川家康に目通りさせる】
なお、江川英長は正木頼忠の娘で
母が再婚し蔭山氏広の一族となった
お万の方を養女にします。
そしてお万を徳川家康に目通りさせて、
お万の方は側室になったのでした。
紀州徳川家の家祖徳川頼宣、
水戸徳川家の家祖徳川頼房を産んだのでした。

【江川氏の所轄地】
所管地も元禄期(1688~1704年)ごろには
伊豆や相模、武蔵を支配したとされています。
36代当主の江川英龍の時には駿河を加え、
その後、甲斐幕領を加えて12万石余、
晩年の安政元年(1854年)には
武蔵を拡大して26万石余を支配していました。

韮山代官の役所は江戸と韮山に分かれ、
江戸では武蔵、相模、甲斐を、
韮山では伊豆、駿河を管轄していました。
韮山代官としては伊豆の島方支配、
御林山管理、代官貸し付け金融、
綿羊、甘藷(かんしょ)などの
殖産興業の仕事も行いました。
ことに号を坦庵(たんあん)と称した
36代江川英龍は幕府の軍事顧問として
軍制改革に関わり、
反射炉による大砲の鋳造や
農兵設置に尽力するとともに、
敷地内に江川塾(後の旧制韮山中学校)
を開設するなど地域の子弟教育にも
力を注いできました。

江川邸 敷地 

【明治維新後】
明治維新後も、韮山役所跡は
韮山県庁として引き継がれました。
廃藩置県による韮山県解体後も
伊豆管轄のための役所が置かれ、
伊豆地域の政治の中心として機能しました。

現在、敷地内には
江戸時代初期に建造された
江川家住宅の主屋や中期の仏間、鎮守社、
後期の門、武器庫、書院など、
重要文化財指定の建物が残り、
代官役所跡としての佇まいを今に残しています。

江川邸 倉庫

【国の史跡に指定】
このように、わが国の近世の地方支配のあり方や
歴史を考えるうえで極めて重要な
遺跡であることから、
2004年(平成16年)に
国の史跡に指定されました。




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【江川邸】
国指定史跡「韮山役所跡」の中にあり、
国指定重要文化財です。

江川邸 内から外

<構造など>
主屋は単層入母屋造りの壮大な建物です。
「小屋組づくり」と呼ばれる
幾何学的な屋根裏の木組みは、
今日でいう免震構造になっています。

江川邸 内部

日蓮聖人>
三和土の土間には立ち木を
そのまま柱にしたと伝えられる「生き柱」や、
伊東に居住していた日蓮聖人を
お迎えした際に聖人より
贈られた直筆の「火伏せの護符」を
納めた棟札箱が見られます。

これまで一度も火災にあっていないことから、
文書類・書画・武具を始めとする
様々な品が残っており、
その一部は屋内に展示されています。

江川邸 展示物(一部)

千利休作の「園城寺」>
また、千利休が豊臣秀吉
小田原攻めに同行した際に作ったといわれる
竹一重切花入 銘「園城寺」は
韮山竹を使用しています。
毎年春と秋に一般公開される内庭には
この韮山竹が自生しています。

江川邸 庭

<治安維持と民政>
江川家は42代・900年続く
大和源氏(清和源氏)の末裔です。
江戸時代には旗本として
11代273年間、
天領伊豆の代官を務めました。
歴代の代官はいずれも
治安維持と民政に意を注ぎ、
百姓一揆は一度も起きたことがないとのことです。

江川邸 西蔵

<名代官・江川英龍>
特に36代江川太郎左衛門英龍(坦庵)は
名代官として知られています、
海防の必要性から沿岸測量、
韮山反射炉やお台場の建設、
わが国最初の洋式帆船建造や種痘の実施、
パン製造など多大な業績を残しました。
邸内には「パン祖の碑」が立てられています。

江川英龍 人脈 エピソード

【料金】
<入場料>
一般:650円
小・中学生:300円
韮山反射炉との共通券:
一般800円
小・中学生250円

【営業時間】
午前9時~午後4時30分
(受付は午後4時15分5まで)
但し、水曜日は
午前9時30分~午後3時
(受付は午後2時45分まで)
となります。

江川邸 受付 

【定休日】
・年末年始(12/31・1/1)
・第3水曜日


江川裏門

【所在地】
〒410-2143 静岡県伊豆の国市韮山韮山1

【交通アクセス】
(電車など)
東海道新幹線「三島駅」にて下車
伊豆箱根鉄道・駿豆(すんず)線
「韮山」駅から徒歩20分程度。
「韮山」駅からタクシーで6分程度。

(電車と自転車)
伊豆箱根鉄道駿豆線「伊豆長岡」駅の
駅前観光案内所にて
レンタサイクルを行っております。

(電車とバス)
観光周遊バス「歴バスのる~ら」。
「伊豆長岡」駅から
韮山反射炉、蛭ヶ島、江川邸、
韮山駅、北条の里(願成就院のある地区)
などを巡ります。
※運行日にご注意ください。

(車)
沼津IC⇒伊豆縦貫道「函南IC」⇒
国道136号線⇒ 修善寺方面に左折。
(25分程度)




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【駐車場】
江川邸の駐車場は無料で利用できます。
乗用車:30台
大型バス:6台
※なお大型バス等の利用の際は、
事前にご連絡ください、とのことです。
<TEL>
055-940-2200
<FAX>
055-940-2201

<注意事項>
主屋屋根工事中のため、
現在通常とは異なる動線で
案内しているとのことです。
現地の案内や受付などでご確認下さい。

所要時間:30分~50分程度

山木判官平兼隆館跡~源氏再興の狼煙はここから始まりました。

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