史跡・城跡

手向山八幡宮~かつては東大寺の鎮守神、紅葉の名所で菅原道真も詠んでいます。

手向山八幡宮



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【手向山八幡宮】

手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、
奈良県奈良市にある神社で旧社格は県社。
手向山神社とも称します。
奈良市街東部の手向山麓に位置しています。
東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、
すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)があります。
手向山は紅葉の名所として知られています。
菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山
紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいます。

手向山八幡宮 ご由緒

菅原道真が歌を詠む】
菅原道真による「このたびは幣もとりあへず手向山
紅葉の錦神のまにまに」
(新古今和歌集)(百人一首24番)という和歌は
この手向山八幡宮の紅葉の美しさを
詠んだものとして知られております。
当時と神社の位置は異なり、
菅原道真がこの和歌を詠んだ
正確な場所は実は定かではありませんが、
手向け山八幡宮には菅原道真が
詠んだ場所とされる石があり、
何よりその紅葉の美しさを読んだ通りに、
秋には周辺は美しい紅葉で彩られます。
また秋以外の季節でも
初夏の新緑や夏の鮮やかなみどりが
神社を包み込む姿も
実に美しい風景となっています。

【二つの鳥居】
参道入り口の鳥居とは別に、
神社の入り口には、
南北二か所に立派な鳥居が設けられています。
北側の鳥居は神社側から眺めると
すぐ後ろに東大寺三月堂があり、
まるで三月堂に入るための
鳥居のように見える存在でもあります。

一方南側の鳥居は
若草山麓からすぐの位置にあり、
北側と比べると少し薄暗い雰囲気は
神社の入り口らしい雰囲気を漂わせています。
鳥居の周辺にはお店があり、
鹿さんたちがよく寛いでいます。

<南側の鳥居>
手向山八幡宮 南側の鳥居

【歴史】
勝宝元年(749年)、
東大寺及び大仏を建立するにあたって
宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として
勧請されました。
当初は平城宮南の梨原宮に
鎮座したということです。
梨原宮の所在地は現在では未詳ですが、
奈良市役所近くにある
平城京左京三条二坊宮跡庭園が
その跡ともいわれています。
後に東大寺大仏殿南方の
鏡池付近に移座しましたが、
治承4年(1180年)の
平重衡による南都焼討で焼失してしまいました。

文治4年(1188年)に
東大寺大勧進職の重源によって
仮殿が建てられ、
建久8年(1197年)に
社殿が再建されました。
その後、建長2年(1250年)に
鎌倉幕府第5代執権の北条時頼によって
境内地が東大寺千手院の跡地である
現在地に移されました。




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江戸時代の元禄4年(1691年)に
本殿が再建されています。

創建以来、東大寺に属し
その鎮守社とされてきました。

【明治維新後に独立】
たが、明治4年(1871年)の神仏分離の際に
東大寺から独立し、県社に列せられています。
また、東大寺塔頭の東南院(現・本坊)に
あった東照宮は天皇殿とされ、
東照宮の社殿とご祭神は
手向山八幡宮に移されました。

【ご祭神】
<主祭神>
応神天皇
姫大神
仲哀天皇
神功皇后
仁徳天皇

【境内】
<本殿>
(奈良県指定有形文化財)
元禄4年(1691年)再建。

<拝殿>
<武内神社>
ご祭神:武内宿禰

<菅公腰掛石>
菅原道真がこの石に座ったとされる。

<若宮神社>
(奈良県指定有形文化財)
ご祭神:仁徳天皇。摂社。

<拝殿>
<高良神社>
祭神:大伴健将

<若殿神社>
ご祭神:菟道稚郎子

<四社合殿>
明武神社
劔神社
八子神社
松童神社

<二社合殿>
阪本神社、恵比寿神社

<住吉社>
(重要文化財)
ご祭神:住吉三神。
鎌倉時代の建立。

<宝物殿>
<東照宮>
ご祭神:徳川家康
現在の東大寺本坊にある天皇殿は
かつての東大寺東照宮です。
神仏分離によって当社に社殿が移されました。

<神楽所>
(奈良県指定有形文化財)

<南門>
<大黒殿>
ご祭神:大黒天

<社務所>

<北門>

<北御廊>
(奈良県指定有形文化財)

<神門>
(楼門、奈良県指定有形文化財)

<南御廊>
(奈良県指定有形文化財)

<宝庫>
(重要文化財)
奈良時代の建立。
校倉造。
もとは東大寺油倉の上司倉。
すぐ北には規模・形式とも類似した
「東大寺法華堂経庫」が建っています。

<白山神社>

<鑰取神社>

<五百立神社>
東大寺の塔頭・真言院の北にある。

<境内>
春日大社方面から歩いてきた時。
手向山八幡宮 境内(春日大社側)

【文化財】
<国宝>
◆唐鞍 一具
内訳:黒漆螺鈿鞍 1背、
鞍褥(くらしき) 1枚、
障泥(あおり) 1双、
雲珠(うず) 2箇、
轡(くつわ) 1口、
手綱 1懸、
面繋(おもがい) 1懸、
胸繋(むながい) 1懸、
銀面 1面、頚総(くびふさ) 1懸、
八子(はね) 10条、
鐙(あぶみ) 1双、
力革 1双、
尻繋(しりがい) 1懸、
腹帯 1懸、
尾嚢(おぶくろ) 1口、
差縄 2条




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<重要文化財>
◆境内社住吉社本殿
◆宝庫
◆木造舞楽面 21面
(皇仁庭、崑崙八仙、地久4、
新鳥蘇、退宿徳、胡徳楽5、胡徳楽勧杯、
胡徳楽瓶子取、胡飲酒、
二ノ舞、貴徳、散手、納曽利、採桑老)[1]
◆木造菩薩面 1面(附 菩薩面1面)
◆木造獅子頭 2面(附 木造鼻高面3面)
◆木造狛犬 1躯(附 木造獅子1躯、木造獅子狛犬2対)
◆赤銅造太刀 銘備前国長船住長光
◆黒漆四枚居木鞍
◆唐鞍
(黒漆宝相華尾長鳥螺鈿鞍1背、
金銅装障泥1双、銀面1面、
面繋(杏葉付)1懸、胸繋(杏葉付)1懸、
尻繋(杏葉付)1懸、附 木製輪鐙1双)
◆唐鞍
(黒漆宝相華尾長鳥螺鈿鞍1背、
金銅装障泥1双、轡1口、銀面1面、
面繋(杏葉付)1懸、
胸繋(杏葉付)1懸、
尻繋(杏葉付)1懸、
輪鐙1双、
雲珠2箇、八子6条)
◆移鞍
(黒漆鞍2背、轡2双、厚総面繋2懸、
厚総胸繋2懸、厚総尻繋2懸、
壺鐙1双、鎖面連2懸)
◆素木鞍
◆黒漆海松円文螺鈿鞍
(くろうるし みるえんもんらでんくら)
◆壺鐙
(鉄宝相華唐草金銅象嵌壺鐙1隻、
鉄宝相華唐草金銅象嵌壺鐙1隻、
鉄骨木製黒漆半舌鐙1隻、
鉄骨木製黒漆半舌鐙1隻、
鉄骨革張半舌鐙1隻、鉄半舌鐙1双)
◆錦貼神輿
◆桐竹鳳凰蒔絵瓶子
舞楽で使用する小道具。
◆鉦鼓
◆彩絵鼓胴
康平4年(1061年)銘
典拠:2000年までの指定物件については「国宝・重要文化財大全 別巻」
(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)
(毎日新聞社、2000)。

なお、東大寺勧進所八幡殿にある
木造僧形八幡神像(快慶作、国宝)は、
もと手向山八幡宮にあり、
明治の神仏分離の際に東大寺に
移されたものです。

<奈良県指定有形文化財>
◆本殿
◆若宮本殿
◆楼門
◆南御廊
◆北御廊
◆神楽所
◆能楽装束
(迦陵頻羽根・胡蝶羽根)2組、残欠2枚

<奈良市指定有形文化財>
◆手向山神社文書および記録 官宣旨(左弁官下文) 1巻、
後宇多上皇院宣 1巻、
足利義満下知状(過書) 1通、
後奈良天皇宣命 1通、東大寺絵所日記 1冊

<奈良市指定無形民俗文化財>
◆手向山八幡宮の御田植(オンダ)
付:
平城八幡宮御田植神事之図 1巻、
八幡宮御田式次第書 1冊

【神楽所について】
神門の南側にある大変古めかしい建築の
「神楽所」の内部には、
かつて現在の「東大寺天皇殿」の場所が
徳川家を守護する「東大寺東照宮」として
使用されていた際に用いられていた
社殿建築が現在も保存されています。

更に神楽所内部には、
平安時代の武将「源頼光」が
重厚な甲冑を着て鬼退治をする
様子を描いた絵も保存されております。

かつての東照宮が納められている空間である
「神楽所」の建物本体は、
神門などの周辺の建物と比較すると
ひときわ古めかしい風情となっています。
「手つかず」の雰囲気も醸し出しており、
夕方になると薄暗くなった空間に
わずかな西日が差し込む風景が
驚くほど美しく感じられるとか。
まるでさながら
数百年前の空間にタイムスリップしたような
感覚になった等の感想などもあります。
なので隠れた名所になっている、
という情報もあります。

<神楽所>
手向山八幡宮 神楽所

お時間がある方は是非ともこの神社を訪れ、
ゆっくりと散策してみて下さい。




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【主な祭礼】
お田植祭(2月節分の日)>
能楽の舞と謡いの形式で行われる
古式ゆかしい農耕儀礼で、
「おんだ祭り」とも呼ばれています。
御幣(ごへい)をつけた笹竹を先頭に、
巫女、牛童(牛に扮した童)、
翁の面をつけた田主、
神職等が境内を一周します。その後、
稲田にみなされた拝殿に上がり、
田主が御幣を畦に立てて鍬で苗代を耕し、
牛童が鋤を引き回して、
種籾蒔き等の所作を行います。
奈良市の無形民俗文化財に指定された、
五穀豊穣を祈願する行事です。
(奈良市観光協会HPより)

転害会(てがいえ)>
(10月5日 午前9時ころより開始予定)
毎年10月5日に執り行われる
手向山八幡宮の例大祭です。
東大寺大仏造立のため、
守護神として大分県にある
宇佐八幡宮より神様を招いた際、
東大寺の「転害門(てがいもん)」に
神輿が遷座され御旅所としたことが
「転害会」の名の由来とされています。
手向山八幡宮で神事を行った後、
転害門にて神輿を迎える神事や
東大寺僧侶による法会が行われます。
また、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈により
東大寺に移されたご神体、国宝・僧形八幡神坐像が
東大寺の勧進所八幡殿にて法要終了後に
特別開扉されます。
(奈良市観光協会HPより)

所要時間:20分~

【交通アクセス】
JR「奈良」駅から奈良交通の市内循環バスに乗車、
「大仏殿春日大社前」下車。徒歩15分程度。
近鉄「奈良」駅から徒歩30分程度。

【所在地】
〒630-8211 奈良県奈良市雑司町434

【問合せ】
(手向山八幡宮)
0742-23-4404
FAX:
0742-23-4410

東大寺に行ってきました!~朝がおススメです!午前7時30分より

興福寺~藤原鎌足・不比等ゆかりの寺で世界遺産に登録されており阿修羅像が著名です。

春日大社~藤原氏の氏神を祀る全国の春日神社の総本社で世界遺産に登録されています。

正倉院~聖武天皇・光明皇后を中心とした天平時代の多数の文化財の一大宝庫で世界遺産に登録されています。

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