城跡

積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100名城です。

要害山城 甲府



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【積翠寺】

積翠寺(せきすいじ)は、
山梨県甲府市上積翠町にある寺院です。
宗派は臨済宗妙心寺派で、
山号は万松山です。
ご本尊は釈迦如来です。

所在する甲府市上積翠町は
甲府盆地北縁のほぼ中央で、
甲府市街地北部に隣接する
武田神社の北北東方向に位置しています。
積翠寺は要害山の南西麓の標高
約530mに立地しています。
開祖は行基とされており、
「甲斐国志」によりますと古くは
石水寺と呼ばれていたとのことです。
「甲斐国社記・寺記」によりますと、
南北朝時代に夢窓疎石の
高弟竺峰を中興開山としたということです。

積翠寺 庭園

「高白斎記」では、戦国時代には
要害山に武田信虎
甲府市武田の躑躅ヶ崎館の詰城として
要害山城が築城し、
武田信虎嫡男の晴信(信玄)は
永正18年(1521年)11月3日に
要害山城において誕生したとされています。
寺の境内には産湯を汲んだとされる
井戸である産湯天神が残されています。

産湯天神

寺宝として天文15年7月26日に
後奈良天皇勅使として下向した
三条西実澄・四辻季遠を招いて
行われた句会の記録である
「武田晴信和漢聯句帳」や、
江戸時代に後陽成天皇皇子の
八宮良純法親王が愛用したと伝わる
硯箱・煙草盆が伝来しています。

積翠寺 武田不動尊

近世には慶長8年(1603年)に
徳川四奉行から
積翠寺村内に寺領を安堵されていますが、
判物は火災で失われています。




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武田信玄公産湯の井戸跡】
積翠寺の本堂左裏にあります。

武田信玄公産湯の井戸跡

【所在地】
〒400-0011 山梨県甲府市上積翠寺町984

【交通アクセス】
(電車・バス)
JR中央本線「甲府」駅より
山梨交通バスで約20分程度。
最寄りバス停「上積翠寺」

(車)
中央自動車道「甲府昭和」ICから約20分程度。

【駐車場】
お寺の参拝者用の駐車スペースがあります。

【要害山城】

要害山城
(ようがいやまじょう・ようがいざんじょう・
ようがいさんじょう)は、
山梨県甲府市上積翠寺町
(かみせきすいじまち)にあった日本の城です。
躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の
詰城として築かれた山城です。
1991年(平成3年)に
国の史跡に指定されました。
要害城、積翠山城とも呼ばれています。
なお、甲府名山にも選定されています。

要害山城

【立地】
所在する甲府市上積翠寺町は
甲府盆地周縁の中央北部、
相川扇状地の扇頂部に位置しています。
標高770mの丸山と呼ばれる
要害山中腹の傾斜地を中心に築かれています。

【別名】
要害城、積翠山城

【城郭構造】
山城

【天守構造】
なし

【築城主】
武田信虎

【築城年】
永正17年(1520年)

【主な改修者】
武田勝頼加藤光泰

【主な城主】
武田氏、徳川氏、加藤光泰

【廃城年】
慶長5年(1600年)

【遺構】
堀切、竪堀、石垣、虎口、
土塁、井戸、郭、土橋

【指定文化財】
国の史跡

【要害山城について】
「高白斎記」によりますと、
築城は武田信虎時代の
永正17年(1520年)6月であるとのことです。
武田氏は前年に居館を
石和の川田館(甲府市川田町)から
躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)へ移しています。
駒井政武の領地であった
積翠寺郷の丸山が
城として取り立てられ、
館の詰城として砦や
狼煙台が築かれたということです。

要害山城 MAP

同年には駿河の今川氏勢の武将である
福島正成が駿州往還(河内路)を
甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、
武田信虎は正室の大井夫人を避難させ
福島勢を駆逐しています。
そして夫人はその最中に
城中で嫡男(後の武田晴信)を出産したということです。

要害山(770m)案内図

武田勝頼期の天正4年(1576年)6月1日付
武田家朱印状によりますと、
武田氏は要害城から
西方に位置する帯那郷(甲府市上帯那町・下帯那町)
に対して要害城の普請への
召し出しを命じており、
帯那郷への河除(堤防普請)と
他の諸普請の一切を免除しています。
甲陽軍鑑』や「甲斐国志」によりますと、
武田氏時代の城番は
駒井次郎左衛門・武藤山城・
駒井昌直(右京亮)が務めたということです。

要害山城 登城入り口

武田氏滅亡後、
徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、
加藤光泰により修築が行われました。
文禄年間の修築を示す遺構として
穴太積みの石垣が見られるとのことです。

「甲斐国志」によりますと、
慶長5年(1600年)の
関ヶ原の戦いの後に
甲斐は再び徳川氏が領し、
廃城となったということです。




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【熊城】
要害城の支城として
熊城(くまじょう)があります。
要害山城の東側を
ガードするように築かれています。
熊城は標高730m付近に立地し、
一直線上の小規模な郭と
堀切・竪堀、石垣が遺構として
残されていますが、
その中には連続竪堀や
登り石垣状の遺構もあります。
熊城に至る案内板は一切無い為、
訪城には注意が必要であるとのことです。

要害山城と熊城案内マップ

【史跡指定】
主郭に至る通路や枡形、曲輪、堀切、
見張台等の遺構のほか、
要所をかためる石垣も
ほぼ完全に遺存しているとのことです。
戦国大名武田氏の築いた城郭として、
また、中世豪族の居住形態を示すものとして
極めて重要であるとして、
1991年(平成3年)3月30日、
「要害山(ようがいさん)」の名称で
国の史跡に指定されました。
けれども主郭以外の整備は
行き届いておらず、
郭は藪化している所も多いとのことです。
登上口に説明板が有りますが、
それ以外、主郭などには解説、説明板等はありません。
なお土塁、門跡、等のサインは有るようです。
城に至るまでの案内板は無く、
また観光案内所にも
要害山城としてのパンフレットはありません。

積翠寺温泉(要害)

【交通アクセス】
甲府駅からバスで 
積翠寺下バス停まで約20分弱、
そこから要害温泉と要害山城登山口まで、
徒歩約15分程度とのことです。
登山口から主郭まで
約30~40分とのことです。
なお、バスの本数は極めて少なく、
時勢柄、運行の有無などの
事前確認が必要かもしれません。

【駐車場】
あります。
土地の傾斜があるのでご注意ください。

【所在地】
〒400-0011 山梨県甲府市上積翠寺町

【クマ出没注意】
支城の名の通り(?)、
クマの出没地域です。
真冬以外は注意が必要です。

続日本100名城
2017年(平成29年)4月6日、
「続日本100名城」(128番)に選定されました。
スタンプ設置場所は甲府市藤村記念館です。

【甲府市藤村記念館】
藤村記念館は、明治8年に
現在の甲斐市亀沢(旧睦沢村)に
建てられた睦沢学校校舎です。
昭和41年、
藤村式旧睦沢学校校舎保存委員会の手によって
武田神社境内に移築復元され、
「藤村記念館」として甲府市に寄贈されました。
翌年の昭和42年には国の重要文化財に指定され、
長い間、郷土の民俗・歴史・教育・
考古資料の展示館として
市民・県民に親しまれてきました。
そして平成22年10月1日
甲府駅北口に移転し、
交流ガイダンス施設として新たに開館しました。
この建築様式は、山梨県令藤村紫朗が
奨励したとされる擬洋風建築で、
県内では、藤村式建築と呼ばれています。

ばらの花(96種類、242本)の見ごろ:
5月上旬、10月下旬




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【開館時間】
午前9時~午後5時
但し当面の間、
入館最終時間を午後4時30分としています。

【定休日/休業日】
月曜、祝日の翌日、年末年始

【続日本100名城(要害山城)のスタンプについて】
(1)
藤村記念館開館中:
館内にスタンプが置いてあります。
(2)
藤村記念館休館時:
藤村記念館の正面玄関向かって
右側にある黒色のポストの中に、
スタンプを押した紙を入れてありますので
お取りください。

【日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」
三十三番土偶札所巡りについて】

(1)
三十三番土偶札所巡りの御朱印帳を販売しています。
1冊1980円(税込)
(2)
御朱印をご希望の際はスタッフまでお声がけください。
※朱印帳をお持ちでない希望者には置き紙を用意しております。
(1枚100円)

【所在地】
〒400-0024 山梨県甲府市北口2丁目2−1

【交通アクセス】
(電車)
JR中央本線「甲府」駅から徒歩3分程度。
JR身延線「甲府」駅から徒歩3分程度。
(車)
中央自動車道「甲府昭和」ICから20分程度。
中央自動車道双葉スマートインターから25分程度。

【駐車場】
普通:20台

躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。

武田義清(源義清 (武田冠者))~常陸国出身で配流となった先の土地に根差して甲斐源氏の祖となりました。

武田信義~甲斐源氏であり武田氏の初代当主となり、武田信玄の遠いご先祖様です。

甘利氏館と扇子平山城~甘利氏は甲斐源氏で、戦国時代には武田家臣の譜代家老を務めました。

石積出(いしつみだし)~武田信玄が築いたとされている治水工事で国指定遺跡です。

武田信成~武田信時の系統で安芸守護武田氏から甲斐国守護武田宗家となりました。

甲斐・上野城(甲斐・椿城)~築城は小笠原氏の子供の上野氏でその後に秋山氏、大井氏の居城となります。

湯村山城~躑躅ヶ崎館の西の守りの詰めの城として武田信虎が築城しました。

土屋右衛門昌続とその屋敷跡~武田24将の一人で武田信玄死後3年間遺体を隠した場所とのことです。

土屋惣蔵昌恒~出自は金丸氏で武田家最後の家臣にて忠臣、子供は大名になります。

山本勘助晴幸屋敷~隻眼・片足不自由だが摩利支天のようだと称えられた軍師の屋敷跡。

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