城跡

稲村城 (安房国)~天文の内訌の舞台の城、古代以来安房国内で 最も生産性の高い地域。

稲村城跡(安房国)



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【稲村城】
稲村城(いなむらじょう)は、
安房国安房郡
(現在の千葉県館山市稲付近)にあった
日本の城です。
2012年(平成24年)1月24日に
岡本城(南房総市)とともに
里見氏城跡」として国の史跡に指定されました。

稲村城(安房国) 説明

【城郭構造】
山城

【天守構造】
なし

【築城主】
里見義実

【築城年】
文明18年(1486年)

【主な城主】
里見義豊

【標高(比高)】
64m( 40m )

【廃城年】
天文3年(1534年)

【遺構】
曲輪、堀切、土塁、切通し、虎口

【指定文化財】
国の史跡(「里見氏城跡」として)

館山平野・鏡ヶ浦を見下ろせる
標高64mの丘陵上に築かれ、
東西・南北ともに500m規模を
持つと推定されています。
また、主郭部分の東側を削り、
西側の尾根を盛土した痕跡が
うかがえるとのことです。

<主郭土塁>
稲村城跡案内板より。
稲村城跡 主郭土塁

<堀切>
稲村城跡案内板より。
稲村城跡 堀切

<切岸>
稲村城跡案内板より。
稲村城跡 切岸

伝承では文明18年(1486年)に
里見義実が築城し、
延徳3年(1491年)に
完成したとされていますが、確証はありません。
ただし、築城が15世紀後半と推定されること、
里見氏最初の本拠地とされる
白浜城との間で道が
整備されていたことが
知られていることから、
一次史料からは確認はされてはいませんが、
稲村城が里見氏当主の居城であったこと、
また同時代の人々に
そう認識されていたことは
間違いない事実であるとのことです。

<稲村城跡 航空写真>
稲村城跡案内板より。
稲村城跡 航空写真

稲村城に本拠を構えることで
里見氏のその後の飛躍を
決定づけたともいえます。
稲村城の立地は国府一帯を一望できる
絶好の構えであったのでした。
このことから稲村への進出は、
まさに守護の掌握する
国衙領=守護領及び国衙機構への
守護支配体制を継承する意味を
持つとされています。

稲村城跡

けれども、戦国時代には国衙機能が
喪失されていることから、
里見氏の稲村城進出が
国府を意識したものだと捉えるのは
不適切であるとの反論もあるとのことです。
また稲村城は、古代以来安房国内で
最も生産性の高い地域、
およびその水系を管理・掌握する
位置にあったと推測され、
館山平野の農業生産構造における
稲村城の位置を
重要視するべきとする指摘もあるとのことです。




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天文2年(1533年)から
翌年にかけて発生した天文の内訌
稲村の変」と呼ばれているように、
同城が舞台となっています。
最も、伝承として伝えられている
内訌の経緯と現存の文献などから
推定される内訌の経緯は
大きく異なっています。
この内訌で稲村城主であった
4代当主里見義豊は、
従兄弟である里見義堯に滅ぼされて
家督を奪われて稲村城も
そのまま廃城となったのでした。

稲村城は里見義通と里見義豊、
いわゆる前期里見氏の居城だと
考えられています。
里見義豊が里見義堯に攻め滅ぼされた
「天文の内訌」の舞台となった城であり、
この結果、里見氏の嫡流は途絶えました。
そして里見義堯を祖とする
後期里見氏がはじまり、
稲村城は廃城となりました。
城址には土塁や堀切、切通しなどの遺構を
確認することができます。

<登城口>
稲村院阿弥陀堂そばにある道が確実なようです。
内房線・稲踏切のそばに登城口があるようです。

<西柵堂・西柵>
防火水槽の近くにあった道です。
頂上の城山まで道が続いているかは
確認できませんでした。
稲村城跡(安房) 西柵堂・西柵

【所在地】
〒294-0012 千葉県館山市稲115

【交通アクセス】
(電車)
JR内房線「九重」駅から徒歩10分

(車)
館山自動車道・木更津南ICから90分

【駐車場】
専用の駐車場はありません。
案内板が設置されている「西柵」と呼ばれる
辺りの駐車スペースは
4輪車1台、バイクは2~3台駐車できます。
ただしむきだしの防火水槽があるので、
消防車が停車できるようにご配慮下さい。
また上記の駐車場から田畑を挟んで
向かい側には撮影のみなど短時間でしたら
停車できそうなスペースがあります。

<登城・見学の際の注意事項>
稲村城跡 登城・見学の際の注意事項

【トイレ】
城跡にはトイレはありません。
内房線を挟んで反対側には、
・セブンイレブン
・ローソン
・おどや(スーパーマーケット)
がありますので先に済ませて
おくのがよろしいかと存じます。

白浜城 (安房国)~安房里見氏の始まりの城、里見義実が拠点としました。

三舟山(三船山)古戦場~北条氏政VS里見義弘の激闘の結果、里見氏の勝利で勢力挽回の契機 

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佐貫城~室町中期から幕末まで 城主が替わりながら存続、経済交通の重要地でもありました。

造海城~真里谷氏が築城、里見水軍の拠点として活用、灯籠坂大師の切通しトンネルは必見です。

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