城跡

伊佐城~伊達氏の祖とされる一族の伊佐氏が築城し、南北朝時代には南朝側について戦いました。

伊佐城址(筑西市)



スポンサーリンク



伊佐城

伊佐城(いさじょう)は、
常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市)にあった
伊佐氏の日本の城です。
その城域は、東側に勤行川をのぞむ
台地上の施無畏山延命院観音寺境内と
その周辺で、「伊佐城跡」の名称で
茨城県の史跡に指定されています。

【築城主】
伊佐氏
藤原実宗

【築城年】
不明
天永2年(1111年)か?

【主な城主】
伊佐氏

【廃城年】
興国4年(1343年)

【遺構】
曲輪跡、堀切跡

【指定文化財】
茨城県史跡

【城の歴史】
築城年は不明です。
築城者は、藤原北家山陰流の
伊達朝宗(常陸入道念西)との説があります。
また、天慶3年(940年)、
下野押領使の藤原秀郷(俵藤太)が
平将門追討の際に
上館(元館)・中館・下館の
三館築いたという伝説があります。
この三館のうちの中館を
伊佐氏が改修したものが
伊佐城との説もあります。
関城や大宝城とともに
南朝方の関東六城のひとつにも
数えられています。
5代・藤原朝宗のときに
奥州征討で功をたて与えられた
奥羽伊達郡に移り、
伊達氏を名のるようになりました
朝宗のあとは次男・宗村が相続しました。
そのとき長男・為宗らは伊佐に残り、
伊佐氏を名乗りましたが、
南北朝の争乱で敗れ、廃城となりました。
なお三館のうち下館は、
室町時代後期から江戸時代にかけ
下館城として水谷正村など
歴代城主が居住しました。
上館は下館城の支城である
下田城となりました。
現在の観音寺境内が二の丸跡といわれ、
城跡のおもかげは五行川崖に残っています。
観音寺客殿前には
昭和12年秋に建立された
伊佐城跡の碑があります。




スポンサーリンク



【伊佐城の概要】
南北朝時代までの伊佐城については
記録がなく、その詳細は不明です。
伊佐城のあった常陸国伊佐郡は、
平安時代末期から鎌倉時代まで、
伊佐氏の領地でありました。
伊佐城跡(観音寺)
南北朝の争乱が常陸国に及ぶと、
城主の伊佐氏が同族の伊達行朝を迎え、
南朝方の北畠親房が拠る小田城に呼応します。
大宝城、関城など南朝方諸城とともに戦いました。
北朝方高師冬軍の攻撃に長く耐えましたが、
興国4年(1343年)に落城し、
以後廃城となりました。
観音寺境内に伊達行朝の供養塔
(筑西市指定文化財 伊達行朝廟)があります。
伊達行朝の供養塔 (観音寺)

下館藩主石川総管の墓もあります。
下館藩主石川総管の墓
(観音寺)(筑西市)

【交通アクセス】
(電車)
真岡鐵道真岡線「折本」駅から徒歩約20分
真岡鐵道真岡線「折本」駅からタクシーで5分
(車)
北関東自動車道「真岡IC」から約25分
常磐自動車道「谷和原」ICから約60分弱

【駐車場】
観音寺参拝者駐車場(無料)

【所在地】
〒308-0005 茨城県筑西市中舘456−2
〒308-0005茨城県筑西市中舘522-1
(観音寺)

【伊佐氏(常陸伊佐氏)】

常陸伊佐氏(いさし・いさうじ)は、
平安時代から南北朝時代まで
常陸国伊佐郡(現・茨城県筑西市)に住した
伊達氏の祖とされる一族です。
同族に中村氏(中村城主)があります。
この中村氏は戦国時代までは
下野国の中村城を拠点とし、
戦国時代以降は宇都宮を拠点とした一族です。




スポンサーリンク



【出自】
天永2年(1111年)、
藤原定任の長男実宗が
常陸介に任じられ、
常陸国伊佐郡に住し
伊佐氏を称したことより
始まるとのことです。
観音寺(伊佐城跡) 境内
従来は藤原氏の藤原北家山蔭流と
されてきましたが、
下毛野朝臣とする説も
提唱されているとのことです。
また、桓武平氏繁盛流常陸大掾氏族の
多気氏の一族とする説もありますが、
これは刀伊の入寇で活躍し
肥前国を賜った伊佐為賢を
始祖とする肥前伊佐氏(鎮西平氏)であり、
別系統であるとのことです。

【歴史】
文治5年(1189年)、
常陸入道念西の4人の息子である
常陸冠者為宗(伊佐為宗)、
同次郎為重、同三郎資綱、
同四郎為家が源頼朝による
奥州合戦に従軍しています。
4兄弟は石那坂の戦い
(現・福島市飯坂)で
藤原泰衡の兵と戦い、
長子為宗の活躍により、
信夫佐藤庄司(佐藤基治)及び
宗徒の兵18の首を得る戦功をあげました。
この戦功により念西は伊達郡と
信夫郡を賜わり、同地に住して
伊達氏を称しましたが、
為宗は本領の常陸国伊佐郡にとどまり、
伊佐氏を称したとのことです。

後鳥羽上皇鎌倉幕府が争った
承久3年(1221年)の
承久の乱では、
為宗(伊佐大進太郎)が
北条泰時に従い上皇側と戦いましたが、
宇治川で戦い戦死(溺死)したと
伝わっています。

為宗の跡は念西四男為家が
相続したと伊達氏の系図に
みられるとのことです。
為綱以降は宗行⇒行方⇒時方と続きました。

また、「吾妻鏡」には
文治3年(1189年)から
承久5年(1221年)条に
伊佐三郎行政の名前も見え、
北条氏の系図(「系図纂要」)では
北条有時の母に
伊佐二郎朝政女とあるとのことです。




スポンサーリンク



南北朝の対立が始まると
伊佐太郎(行資)は南朝方に属し、
実父の伊達行朝、
同族の中村経長等と共に
北畠顕家に従って、
北朝方の高師冬等と戦いました。
伊佐城に籠り、小田城や関城、
大宝城と連携しつつ善戦しましたが、
興国4年(1343年)11月に落城。
伊佐氏は没落し、伊達氏もまた
常陸国における勢力を失ったのでした。

戦国時代には
下総結城氏の家臣の中に
伊佐姓の家臣が見受けられるとのことです。

下館城~藤原秀郷が築いた三館の下館との伝承あり、江戸時代は下館藩でした。

小栗城~坂東平氏の流れをくむ常陸小栗氏が築城、室町期の関東地方の激動の渦にのまれていきました。

伝・平良兼館(竜ケ井城・竜崖城) ~平良兼は平将門の叔父にあたりこの地は「弓袋山の対陣」の舞台です。

伊達行朝(伊達行宗)~伊達氏7代当主で南朝側の武将として各地を転戦、独眼竜・伊達政宗のご先祖です。

伊達政宗~独眼竜・東北の覇者~内向的だった子供が成長し、とことん人生を楽しんだ生涯!

北条泰時~3代執権で道理の人~北条執権政治の中興の祖で御成敗式目を制定した人物。

藤原秀衡~奥州藤原三代当主にて最も平泉を繁栄させ、源義経を二度庇護した人物です。

藤原国衡~藤原秀衡の長庶子で藤原泰衡の異母兄、蝦夷の血を引く彼は武勇に優れており家中の期待も高かった。

藤原 泰衡~奥州藤原氏最後の当主、源義経や身内の命を犠牲にしても彼が守りたかったものとは何か?

水戸城~馬場氏が平安時代に築城し、江戸氏、佐竹氏が居城、その後は御三家・水戸徳川家の居城になりました。

武田氏館と湫尾神社~ひたちなか市武田は甲斐武田氏発祥の地でした。

笠間城~鎌倉時代に笠間氏が築城し18代治めた後、江戸時代は笠間藩庁が置かれました。

袋田の滝~日本の滝百選のひとつで別名は四度の滝、徳川光圀公も訪れたとのことです。

常陸大子駅の静態保存のC12蒸気機関車~C12187号

筑波山事件・天狗党の乱について~幕末の水戸藩の大悲劇~水戸幕末争乱

小田城跡(つくば市)~鎌倉初期に八田知家が築城し、戦国時代の小田氏15代の居城でした。

筑波山神社~万葉集にも登場する「筑波」~山頂からの眺め良し!日本史を見守ってきた山。

関城跡(常陸国)~南北朝時代に南朝方であった関宗祐・宗政親子が北朝の標的に晒されながらも戦いました。

大宝城(茨城県)~関東最古の八幡宮である大宝八幡宮境内にあり下妻氏によって築城された城です。

土浦城~伝説上では平将門の砦、文献上では八田知家後裔の若泉氏が築城、戦国期を経て土浦藩となる。

阿波崎城~南北朝時代に南朝方の北畠親房が転戦した古城跡です。

神宮寺城(常陸国)~南北朝時代に築城された南朝方の城で遺構が良好な状態で残っています。

安倍晴明の生誕地の一つを訪ねて~平安時代に実在した陰陽師で現在でいう天文博士です。

鹿島城(常陸国)~平安時代末期に鹿島氏によって築城されました。築城者の平姓鹿島氏とは?

塚原城~大掾氏一族で鹿島氏分流の塚原氏が居城し、剣聖として有名な塚原卜伝も城主となりました。

島崎城~常陸大掾氏の一族である島崎氏の居城、よく整備され遺構もわかりやすく登城しやすい城です。

藤原秀郷公墳墓と藤原秀郷~関東武士の憧れであり平将門の乱を平定した人物です。

唐沢山城~藤原秀郷の築城と伝わる「関東一の山城」と称される関東七名城。

平将門~困っている人を放っておけない面倒見の良い大将は東国に新国家を創ろうとした。

大国玉神社 (桜川市)~平将門の妻「君の御前」の父である平真樹の館がありました。

龍門の滝~大蛇伝説に相応しい壮観な滝で、列車と大滝が一緒に撮影できる貴重なスポットです。

真岡鐡道「SLキューロク館」に行ってきました!

真岡鐡道「SLもおか」に乗ってきました!C12形蒸気機関車です。動画ありです

飛山城~宇都宮氏の家臣である芳賀氏の居城で築城は鎌倉時代、国指定の史跡です。

関連記事

  1. 能登・野崎城(砦)跡 能登・野崎城(野崎砦)~天野氏が築城~能登天野氏とは?先祖は承久…
  2. 平将門公本據豊田館跡 平将門公本據豊田館跡~平将門誕生の地と伝わる場所、後に豊田氏の向…
  3. 横田山城跡(遠景) 横田山城跡について・秋上宗信とは?尼子十勇士の秋宅庵助のモデルと…
  4. 佐原城址(相模) 佐原義連と相模・佐原城、一ノ谷の合戦「鵯越の逆落とし」一番乗りの…
  5. 伊勢・神戸城址 伊勢・神戸城~神戸具盛もしくは神戸利盛が築城、織田(神戸)信孝に…
  6. 小机城址 小机城跡~長尾景春の乱と豊島氏の滅亡、小田原北条氏の時代へ~戦国…
  7. 沓掛城址 沓掛城~9代目城主の近藤景春の時、桶狭間の戦の為に今川義元本隊が…
  8. 鐙摺山と小浜海岸 鐙摺山(鐙摺城址)とは?小坪合戦(畠山VS三浦)・伊東祐親終焉の…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 国吉城~難攻不落の落ちない城~朝倉攻防10年間・粟屋勝久守りぬく! 国吉城・上の道

ピックアップ記事

  1. 岩船地蔵堂 鎌倉 扇ケ谷
  2. 琵琶湖 近江大橋
  3. 正倉院
  4. 畠山重保邸跡
  5. 御城(小山市)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP