城跡

唐沢山城~藤原秀郷の築城と伝わる「関東一の山城」と称される関東七名城。

唐沢山城 鏡石



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唐沢山城

唐沢山城(からさわやまじょう)は、日本の城。
所在地は栃木県佐野市富士町、栃本町。
別名は栃本城、根古屋城、牛ヶ城。
「関東一の山城」と称されています。
城跡は国の史跡に指定されています。
2017年には続日本100名城(114番)に
選定されています。
唐沢山城 沿革

【別名】
栃本城、根古屋城、牛ヶ城
唐沢山城 縄張り図
※この縄張り案内図が設置されている所に
山頂縄張図の資料が無料で置いてあります。

【城郭構造】
連郭式山城

【天守構造】
なし

【築城主】
藤原秀郷

【築城年】
延長5年(927年)

【主な改修者】
佐野成俊、佐野盛綱

【主な城主】
佐野氏

【廃城年】
慶長7年(1602年)

【遺構】
石垣、大手枡形、土塁、
縦堀、堀切、土橋、復元井戸
唐沢山城 石垣

【指定文化財】
国の史跡

関東七名城の一つ】
川越城河越城)>
(埼玉県川越市)

忍城
(埼玉県行田市)

前橋城厩橋城)>
(群馬県前橋市)

<金山城>
(群馬県太田市)

<唐沢山城>
(栃木県佐野市)

<宇都宮城>
(栃木県宇都宮市)

多気城
(茨城県つくば市)
あるいは
<太田城>
(茨城県常陸太田市)

【概要】
佐野市街地の北方約5キロメートル所在の
唐沢山(247メートル)山頂を本丸として
一帯に曲輪が配された連郭式山城です。
戦国時代において、
佐野氏第15代当主である
佐野昌綱による唐沢山城の戦いで有名です。
上杉謙信の10度にわたる攻城を受けましたが、
度々撃退して上杉謙信を悩ませたとのこと。
関東地方の古城には珍しく
高い石垣が築かれているのが
特徴となっています。
続日本100名城に選ばれました。
唐沢山城 遠景

現在は栃木県立自然公園の一部となっています。
本丸に築城主と伝えられている
藤原秀郷を祀る唐沢山神社が鎮座しています。
唐沢山神社

杉郭跡には栃木県唐沢青年の家が
建てられましたが、
平成19年(2007年)3月31日に
閉所しています。
遺構として石垣、大手枡形、土塁、堀切、
土橋、近世に復元された
井戸などが残っています。
<くい違い虎口>
唐沢山城 くい違い虎口

<井戸>
唐沢山城 井戸

<井戸・花の季節>
唐沢山城 井戸 花の季節

<神橋>
唐沢山城 神橋

<四つ目堀>
唐沢山城 四つ目堀

【城の歴史】
築城は平安時代の延長5年(927年)に、
藤原秀郷が従五位下・下野国押領使を叙任、
関東に下向し唐沢山に
城を築いたのが始まりとされています。
唐沢山城 桝形から神橋へ
天慶3年(940年)に
平将門による天慶の乱が起こりましたが、
藤原秀郷らの活躍で乱を鎮圧したとのことです。
この功績により藤原秀郷は従四位、
武蔵・下野両国鎮守府将軍を拝領しました。
また、一説には、
この乱を鎮圧した天慶3年から築城が開始され
天慶5年(942年)に完成したと
伝えられています。
その後、5代にわたりここに居城した後、
6代成行は足利荘に移り
一時廃城となったとのことです。




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平安時代末期の治承4年(1180年)、
9代俊綱の弟成俊は再びここに城を再興し、
佐野氏を名乗ったとのことです。
鎌倉時代に入った建保元年(1213年)、
成俊は30余年の歳月をかけて
城を完成させたとのことです。
唐沢山城 さくらの馬場付近

以上のような伝承がある一方で、
最近の研究によりますと、
唐沢山城の起源は15世紀後半までしか
遡らないことが明らかにされています。
藤原秀郷築城が伝承された背景には、
唐沢山城主の佐野氏の先祖が
藤原秀郷であるからであると
いわれています。

<竜神宮>
唐沢山城 竜神宮

<竜神と藤原秀郷伝説>
竜神と藤原秀郷伝説

室町時代中期の延徳3年(1491年)には
佐野盛綱が城の修築を行っています。
唐沢山城 本丸へ

戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、
越後の上杉氏の二大勢力に挟まれ
どちらに付くか苦悩しました。
当初、越後の上杉謙信と結んだ佐野昌綱は、
永禄2年(1559年)、
北条氏政に3万5千の大軍をもって
城を包囲されました。
上杉謙信は即座に援軍を差し向け
北条軍を撤退させたのでした。

唐沢山城(佐野)は上杉謙信においては
関東における勢力圏の東端であり、
佐竹氏をはじめとする北関東の
親上杉派諸将の勢力圏との
境界線でもあったので、
特に重要視されていたと
考えられているとのことです。

昌綱の子・宗綱は弟で
上杉氏の養子に入った虎松丸と
不和になり、一族間で
「唐沢山天正の乱」と呼ばれる
争いが起こりました。
これにより佐野氏は
上杉氏と決別することになりました。
天正4年(1676年)、
虎松丸に加勢した上杉謙信は
1万5千の兵をもってこの城を攻めてきますが、
上杉軍を撤退させたとのことです。
それまでも9度にわたり上杉軍の攻城を受け、
城主である昌綱は何度も降伏はしましたが、
上杉謙信を大いに手間取らせたとのことです。
この堅固さは評判となり
関東一の山城と賞賛されたとのことです。
唐沢山城 遠景 
上杉氏と決別し孤立化した佐野氏は、
天正15年(1587年)に
北条氏康の五男・氏忠を養子に迎え
北条氏と和議を結んだのでした。

けれども天正18年(1590年)、
豊臣秀吉による小田原征伐では、
当主の佐野房綱は豊臣方に付き
城内の北条勢を一掃したのでした。
文禄2年(1593年)、
豊臣氏家臣富田一白の二男・信種を養子に迎え、
豊臣秀吉の偏諱を賜り
佐野信吉と名乗ったのでした。

慶長5年(1600年)の
関ヶ原の戦いでは信吉は
徳川家康方に付き
3万5千石の旧領を安堵され
佐野藩が成立しました。

慶長7年(1602年)、
麓に佐野城が築かれこれにて
平安時代より続いた唐沢山城は
その歴史に幕を閉じたのでした。
なお廃城に至った説として、
江戸に火災があったとき、
山上にある唐沢山城より
これを発見し早馬で江戸に駆け参じましたが、
江戸を見下ろせる所に
城を構えるは何たることかと
徳川家康の不興を買ったと
言う逸話があるとのことです。
また、江戸から20里(80km)以内の山城は
禁令されていたとの説もあるとのことです。

<天狗岩からの眺め>
唐沢山城 天狗岩からの展望

明治16年(1883年)、
有志により本丸跡に
唐沢山神社が建立されました。

昭和30年(1955年)、
栃木県立自然公園開設。
昭和38年(1963年)
栃木県唐沢青年自然の家開所。

平成26年(2014年)3月18日、
城跡が国の史跡に指定されました。

平成29年(2017年)4月6日、
続日本100名城(114番)に
選定されました。




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<続日本100名城スタンプ設置場所>
・唐澤山神社社務所(唐沢山城本丸跡)
御城印(御朱印)があります。
城内の唐沢山神社でも
御朱印を頂けるとのことです。
<電話番号・神社>
0283-24-1138
※受付時間は未確認。

【所在地】
〒327-0801 栃木県佐野市富士町1409

【トイレ】
男女別の水洗トイレがあります。

【駐車場】
唐沢山城 駐車場 入口

【レストラン・休憩所】
唐沢山レストハウス
<電話番号>
0283-23-1939

<唐沢山城からのお願い>
唐沢山城からのお願い

【交通アクセス】
(電車・徒歩)
東武佐野線「田沼」駅から
本丸まで徒歩約45分或いは
車で約10分程度。
JR両毛線・東武佐野線
「佐野」駅より車で約20分
(車)
北関東自動車道「佐野藤岡」ICから
車で約20分
東北自動車道「佐野田沼」ICから
車で約10分

滞在所要時間:30分~
※ハイキングコースになっており、
行程次第では1日かかるかもしれません。

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