城跡

高岡城(越中国)~「高岡」の地の名付け親、前田利長公が築いた城、日本100名城です。

高岡城



スポンサーリンク



【高岡城

高岡城(たかおかじょう)は、
富山県高岡市古城(旧・越中国射水郡関野)
にあった日本の城(平城)。
日本100名城のひとつです。
現在、城跡は高岡古城公園(たかおかこじょうこうえん)
として整備され、市民の憩いの場となっており、
国の史跡に指定されています。
桜の名所としても有名で
日本さくら名所100選に選定されています。

<高岡古城公園 案内図>
高岡古城公園 案内図

【城郭構造】
梯郭式平城

【天守構造】
不明

【築城主】
前田利長

【築城年】
慶長14年(1609年)

【主な改修者】
不明

【主な城主】
前田利長

【廃城年】
元和元年(1615年)

【遺構】
堀、石垣

【指定文化財】
国の史跡

【歴史】
慶長10年(1605年)6月28日、
富山城に隠居した
初代加賀藩主である前田利長は
4年後の慶長14年(1609年)、
富山城下の町人地から出火した
火災の類焼により
城内の建築物の大半を焼失したため、
前田利長は魚津城に移り、
大御所徳川家康と将軍徳川秀忠
火災の報告と、関野に築城の許可を貰いました。

前田利長は築城の方針に伴うため、
資材調達を小塚秀正ら、
現地奉行を神尾之直らに命じ、
魚津城から築城の指揮を取り、
同時に城下町の造成も始めました。
縄張(設計)は
当時の前田家の客将だった高山右近とされています。
同年9月13日、前田利長は
「関野」を「高岡」と改め、
未完成の高岡城に入城しました。
殿閣は先代の前田利家豊臣秀吉から賜った
豊臣秀次失脚に伴い破却された
伏見城秀次邸の良材を使って
建てられたとも伝えらています。
しかし、慶長19年(1614年)5月20日に
前田利長は53歳で死去。
隠居城として使われたのはごく短期間でした。

その翌年の元和元年(1615年)は一国一城令により、
大坂夏の陣からの利常凱旋を待って
高岡城は廃城となりました。
その代わり加賀国に小松城を築くことが許されました。
ただし、廃城時期については
寛永15年(1638年)とする異説もあります。

しかしながら、廃城後も高岡町奉行所の管理下で、
加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれ、
軍事拠点としての機能は密かに維持されました。
これは加賀藩の越中における
東の拠点であった魚津城も同様でした。
街道の付け替えの際には、
濠塁がそのまま残る城址を
街道から見透かされるのを避けるため
町屋(定塚町)を移転して
目隠しにしたといわれています。
また、廃城後に前田利長の菩提を弔うために
建立された瑞龍寺や周囲に堀を備える
前田利長の墓所自体も
高岡城の南方の防御拠点としての機能を
併せ持つものとして配置されたと考えられています。
なお、江戸時代の古図の中には
城址を「古御城」の名称で
記しているものがあります。




スポンサーリンク



城内におかれた米蔵等は文政4年(1821年)の
高岡大火の際にほぼ全焼しましたが、
その後再建され明治に
射水郡議事堂が建設されるまで
あったということです。

2006年(平成18年)4月6日、
高岡城は日本城郭協会により
「日本100名城」に
富山県内から唯一選ばれました。

【構造】
郭は、本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸の五つです。
ですが現在では、「御城外」とされている
小竹藪や梅林(当時の郭名は不明)も、
これに加えるものと考えられています。
なお本丸以外を馬出とする見方もあります。
水濠は本丸西側のみが一重で
他面は二重ですが、
これは現在は市街地化しているものの、
かつては本丸の北から北西にかけてが沼沢地で、
それを背面の護りとして本丸を他の郭で
コの字型に囲む形の縄張りであったためです。
基本的なプランは前田利長の
先の居城であった富山城との類似性が見られ、
その発展型とみることができます。
今なお築城当時の濠塁をほぼそのまま残しており、
総面積の約21万m2(71,261坪)の内、
約3割(24,400坪)が人工の堀です。

<中の島>
北内濠から中の島です。
高岡古城公園 中の島

本城の縄張りは高山右近によるものとするのが
従来の通説でしたが、
近年、富山城とともに聚楽第型に分類し、
高山右近が手がけた高槻城、船上城などの
縄張り手法との比較から、
それを疑問視する説も提示されているそうです。

【交通アクセス】
【電車】
あいの風とやま鉄道線
JR氷見線・JR城端線
「 高岡」駅より徒歩約15分。
JR氷見線「越中中川」駅より徒歩5分
(急患医療センター前より徒歩3分)
万葉線広小路や末広町などから徒歩約10分。

【バス】
「古城公園」または「中川」
バス停前下車徒歩1分

<氷見・七尾方面より>
・わくライナー【和倉温泉↔高岡】
(高岡駅前バス停より徒歩15分)

<城端・五箇山方面より>
・世界遺産バス【白川郷↔高岡】
(高岡駅前バス停より徒歩15分)

【駐車場】
小竹薮駐車場
北口駐車場

日本100名城スタンプ設置場所:高岡市立博物館(鍛冶丸跡)

【所在地】
〒933-0044 富山県高岡市古城1−9

富山城~築城は畠山氏家臣の神保氏、上杉氏や佐々氏との攻防を経て富山加賀藩として明治まで存在。

前田利家とまつ~加賀百万石の礎を築いた二人は従兄妹同士~まつの生き方が凄い!!

金沢城~加賀百万石の城~歴史的建造物と再建造物の素晴らしさを堪能できるお城です。

徳川家康~「麒麟」を連れて戦国時代を終わらせた天下人~その生涯を手短に!

末森城跡~末森城攻防戦の地~前田利家VS佐々成政、前田利家の加賀・能登統治の基礎構築の場。

穴水城跡~畠山七人衆で、加賀八家である長一族の元々の本拠地~ご先祖は長谷部信連

津幡城~平維盛が砦を築き、富樫氏が戦い、上杉謙信が布陣、前田利家が末森城の合戦の軍議を開いた城。

越中国守館跡~越中国~大伴家持が赴任し暮らした館、万葉集を中心に良く歌に詠まれた国 

尾山神社~主祭神は加賀藩の藩祖前田利家と妻のまつ~ギヤマンのある神門

高岡山 瑞龍寺~前田利長公の菩提寺~国宝、江戸初期の禅宗寺院建築が見事です。

兼六園~日本三大名園・国の特別名勝~前田藩庭から市民の庭、そして世界の庭へ

TEKリトルパーク・万葉線で大活躍した「デ5022号」が復元展示されています。

高岡大仏を訪ねて~日本三大大仏~

和倉温泉~開湯1200年~白鷺が癒し、畠山氏が保護、前田利常公が整備した湯の湧く浦

和倉港より出発!七尾湾イルカウオッチング&クルーズ、ミナミバンドウイルカの家族に会いに行こう!!動画あり。

七尾城跡~国史跡の日本五大山城~能登畠山氏の本拠地。上杉謙信、前田利家も登場する能登の歴史攻防の城。

関連記事

  1. 頭陀寺(頭陀寺城跡) 頭陀寺城跡~松下氏の居館跡、若き豊臣秀吉が仕え、井伊直政が養子に…
  2. 谷貝城(茨城県) 谷貝城~築城は室町時代でその後は真壁氏の家臣である藤田氏の居館で…
  3. 国府台城跡 里見広次亡霊の碑 国府台城~下総国の大激戦の地~国府台合戦、里見氏VS小田原北条氏…
  4. 長尾城跡 長尾城跡(大船)・鎌倉氏系長尾氏発祥の地、南北朝から戦国時代おい…
  5. 下野 藤沢城址 下野・藤沢城~下野の島津氏~佐野氏家臣、鍋山衆としての小曾戸氏
  6. 稲毛重成と枡形城~秩父一族で畠山重忠とは従兄弟、相模川の橋を架橋…
  7. 二俣城址 二俣城~水運に恵まれた街道上の要衝で武田VS徳川の激しい攻防の舞…
  8. 山田城山 山田城山~源義朝の家臣である鎌田政清の居館とされる場所



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 斎藤三存とは 斎藤利三の5男【麒麟がくる】 斎藤三存

ピックアップ記事

  1. 古渡城跡(常陸国)
  2. 大樹寺
  3. 古河公方館跡
  4. 春日大社
  5. 檜原城跡 遠景
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP