城跡

富山城~築城は畠山氏家臣の神保氏、上杉氏や佐々氏との攻防を経て富山加賀藩として明治まで存在。




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富山城

富山城(とやまじょう)は、
越中国新川郡富山、
現在の富山県富山市丸の内にあった
日本の城(平城)です。
「浮城(うきしろ)」
「安住城(あずみじょう)」とも称されていました。
続日本100名城の一つです。

【別名】
安住城、浮城
【城郭構造】
梯郭式平城
【天守構造】
不明

【模擬天守】
<天守>
複合連結式望楼型3重4階
<小天守>
2重2階
(1954年 RC造)

【築城主】
神保長職、水越勝重?

【築城年】
天文12年(1543年)

【主な改修者】
佐々成政前田利長、前田利次

【主な城主】
神保氏、飯田氏・小島氏など(上杉氏)、
佐々氏、津田氏、前田氏

【廃城年】
明治4年(1871年)

【遺構】
石垣、堀

<石垣1>
富山城 石垣1

<石垣2>
富山城 石垣2

<富山城址公園 案内図>
富山城址公園 案内図

【富山城の地形】
加賀前田家の分家であった越中前田家の居城です。
神通川(現在の松川)の流れを
城の防御に利用したため、
水に浮いたように見え、
「浮城」の異名をとり、
難攻と言われました。

<水面に浮かぶ城>
富山城 浮城

<松川>
富山城 松川

当時の神通川は富山城の辺りで
東に大きく蛇行しており、
その南岸に富山城は築かれました。
現在、本丸と西の丸の一部が残り、
富山城址公園となっています。
富山は北陸街道と飛騨街道が交わる
越中の交通の要衝でありました。

<富山城址公園・芝生広場>
富山城址公園 芝生広場

<富山城公園・橋と鯉>
富山城址公園 橋と鯉

【中世】
室町時代の越中守護は三管領の畠山氏でしたが、
越中には来任せず、
東部を椎名氏、
西部を神保氏を守護代として
治めさせていたのでした。




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富山城は天文12年(1543年)頃に、
越中東部のおよび新川郡への
進出をもくろむ神保長職(じんぼう ながもと)が、
椎名氏の支配地であった
神通川東岸の安住郷に、
家臣の水越勝重(みずこしかつしげ)
に命じて築城したとされてます。

【遡る築城時期】
けれども最近の発掘調査により、
室町時代前期の遺構が発見され、
創建時期はさらにさかのぼると考えられています。
また、神保氏時代の富山城は今の場所ではなく、
約1キロメートル南方の
小高い所にあったとする説もありましたが、
この発掘結果によって、
ほぼ現在の位置にあったことが
明らかとなったのでした。
なお、天文年間(16世紀中期)の名称を
「安住の館(あずみのやかた)」
とする研究者もいるとのことです。

慶長年間以前に成立したことが
確実な「富山之記」という往来物には、
神保氏時代の富山城と
城下の発展の様子が詳細に書かれており、
中世の富山城を知るための
貴重な史料となっているそうです。

【富山城の攻防】
神保長職は永禄3年(1560年)、
椎名氏を支援する上杉謙信の攻撃により
富山城に火をかけ逃亡します。
神保長職は増山城に逃れて抵抗しましたが、
永禄5年(1562年)、
上杉氏に降伏し、
射水・婦負二郡の支配権は認められました。
最も砺波郡は増山城に神保長職の在城自体は
認められたものの、
城将として、吉江宗信などが入っています。
神保長職の子とされる神保長住は、
引き続き富山城に在城しましたが、
永禄11年(1568年)に城から追われ、
のちに能登も上杉謙信に征服されました。
そのため、
神保長住は織田信長に仕えたとみられています。

天正6年(1578年)、
上杉謙信の急死を契機として
神保長住は信長から佐々長穐らの兵を与えられて、
月岡野の戦いで河田長親・椎名小四郎ら
上杉氏の越中衆に大勝して、
富山城に再び入城したのでした。
けれども、天正10年(1582年)3月、
神保長住は上杉方についた
小島職鎮唐人親広らに富山城を急襲され、
城内に幽閉されて失脚します。
替わって富山城主となったのが、佐々成政でした。




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【佐々成政の富山城主となった時期】
織田信長が佐々成政を
越中に封じた時期については、
前年2月の上杉方による
小出城攻囲への救援の功を賞して
天正9年に既になされていた
とする説があります。

【桃山時代】
【富山の役】
富山城に拠点を構えた佐々成政は、
富山城の大規模な改修を行いました。
本能寺の変で織田信長が死去すると、
豊臣(羽柴)秀吉と敵対した佐々成政は、
天正13年(1585年)8月、
豊臣(羽柴)秀吉自ら率いる
10万の大軍に城を囲まれ降伏し、
富山城は破却されたのでした。

豊臣秀吉の富山城の入城】
この際に、豊臣(羽柴)秀吉は
本陣を富山城西方4kmの
白鳥城まで進めたものの、
富山城には入らず
帰還したとするのが従来の定説でした。
が、佐々成政が降伏した直後の
天正13年(1585年)閏8月1日に
富山城に入城していたとする説が
新たに提起されています。
同年、恩賞で越中三郡を得た前田家は、
前田利長を守山城に入れています。

文禄4年(1595年)には
前田利長に越中の残る新川郡も加増され、
青山吉次が上杉家の
越中衆(土肥氏・柿崎氏・舟見氏など)から
郡内の諸城を受け取ります。
その後、前田利家から
家督と加賀の所領を譲られた前田利長は、
尾山城(金沢城)に入城しました。

関ケ原で東軍につき、
加賀藩の太守となった前田利長は富山城を再建、
大改修を行い金沢城から移り住み隠居城としました。
けれども慶長14年(1609年)に、
建物の主要部をことごとく焼失したため、
岡城を築いて移り、
富山城には家臣の津田義忠が城代として入城しました。

【江戸時代、富山藩の成立】
寛永16年(1639年)、
加賀藩第三代藩主前田利常が
次男の前田利次に10万石を与えて分家させ、
富山藩が成立しました。
翌年の寛永17年(1640年年)、
前田利次もそのころ加賀藩領内にあった
富山城を仮城として借り越中に入ったのでした。

当初、居城として、
婦負郡百塚に新たに
城を築く予定だったそうですが、
藩の財政がそれを許さなかったため、
万治2年(1659年)に
加賀藩との領地交換により
富山城周辺の土地を自領とし
富山城を居城としたのでした。

【前田正甫】
前田 正甫(まえだ まさとし)は、
越中富山藩の第2代藩主。
初代藩主・前田利次の次男として生まれました。
出生地は家老の近藤善右衛門の下屋敷であり
幼少期は城下の近藤宅で養育されたそうです。
延宝2年(1674年)、
父の死去により家督を継いで藩主となりました。
病弱であったとされ、ゆえに薬学に興味を持ち、
江戸城腹痛事件で名をあげたとされる
富山の反魂丹などの製薬業を
奨励して諸国に広め、
越中売薬の基礎を作ったとのことです。

<前田正甫公の像>
前田正甫公の像

<前田正甫公の説明看板>
前田正甫公の像

【明治維新まで続いた富山前田氏13代】
万治4年(1661年)、
幕府の許しを得て富山城を本格的に修復し、
更には城下町を整え、
以後は富山前田氏13代の居城として
明治維新を迎えるまでの基礎となったのでした。

安政5年2月26日(1858年4月9日)、
飛越地震が発生しました。
富山城も被災し、本丸や二の丸、
三の丸が破損したほか
石垣が崩れるなど大きな被害を出したそうです。




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【千歳御門】
千歳御門(ちとせごもん)は、
もともと、埋門(うずみもん)
と呼ばれていたそうです。
平成20年(2008年)10月29日に
富山市指定文化財に指定されています。

嘉永2年(1849年)、
前田利保が隠居のために
富山城内に造営した
千歳御殿の正門として建てられました。
千歳御殿の本体は安政2年(1855年)の大火で
焼失して現存はしていません。
千歳御門はこの焼失から免れ、
残った建物で、
富山城唯一の現存建築遺構となります。

<千歳御門>
脇にあるのは「平成の石垣」です。
2008年(平成20年)に完成した石垣です。
幅11メートル、高さ7メートル、
奥行き12メートルで、
富山城の石垣に使用された
早月川の御影石を用いているそうです。
千歳御門

【明治時代】
明治4年(1871年)、
廃藩置県により廃城となり、
翌年に建築物は払い下げとなりました。
本丸御殿は県庁舎〔明治32年(1899年)焼失〕、
二の丸二階櫓御門は小学校〔明治16年(1883年解体〕
として現地でそのまま利用されました。
他の大部分は千歳御殿を含めて
その際に解体されてしまいました。
城の周囲を巡っていた水堀も、
本丸と西の丸の南側部分を除き、
1962年(昭和37年)までに
順次埋め立てられました。

明治33年(1900年)には
富山城址内に2代目県庁舎が竣工し、
1930年(昭和5年)に
焼失するまで使用されました。

明治34年(1901年)に開始された
水害対策のための河道の付け替えの後、
城の堀の一部であった
神通川の旧河道の一部は松川となり、
城址の北側を流れることとなりました。

【続日本100名城】
2017年(平成29年)、
続日本100名城(134番)に選定されました。
⇒スタンプ設置場所は富山市郷土博物館です。

【所在地】
〒930-0081 富山県富山市本丸1−62

【交通アクセス】
【公共交通】
富山駅より徒歩約10分 又は
◆環状線(セントラム)「国際会議場前」から
徒歩約2分 又は
市内周遊ぐるっとバス南周りルート
「城址公園」下車徒歩約2分
【車】
北陸自動車道富山ICから車で約15分

【駐車場】
城址公園地下に有料駐車場あり
(1時間 320円)
大型バス・マイクロバスは、
城址公園バス専用駐車場あり(事前予約が必要)

【富山市郷土博物館】
(とやましきょうどはくぶつかん)

富山城の内部にある富山市郷土博物館。
4階の天守展望台からは、
江戸時代の富山城の範囲を
実感することができるそうです。
前田利長が使用したといわれる、
高さが140cmもある兜があります。

【電話番号】
076-432-7911

【営業時間】
午前9時~午後5時
(入館は午後4時30分まで)

【休業日】
年末年始(12/28~1/4)、
展示替えなどの臨時休館日

【料金】
大人210円
(団体:170円) 
高校生以下は無料
※()内は20名以上の団体料金
※特別展開催中は料金を変更します。
⇒新型コロナウイルス感染防止の為
今年度は中止となります。

<来館する際の注意事項>
(富山市郷土博物館より)
◆マスク着用。
◆互いに適切な距離を保つ。
◆咳やくしゃみをする際には、
『咳エチケット』にご協力ください。
◆発熱や咳などの風邪症状がみられる方、
体調に不安がある方の来館は、ご遠慮ください。
◆当面の間、団体での来館はご遠慮願います。
◆直近2週間の海外渡航歴のある方
およびその方と濃厚接触のある方の来館はご遠慮ください。
◆アルコール消毒液での手指消毒、
手洗いなどの感染症予防にご協力をお願いいたします。
◆展示室内の混雑緩和のため、
やむを得ず入館制限を行う場合があります。

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