城跡

猪苗代城 ~三浦一族で蘆名氏と同族の猪苗代氏が築城し約400年間支配、江戸時代は会津藩の重要拠点でした。

猪苗代城



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【猪苗代城】

猪苗代城(いなわしろじょう)は
福島県耶麻郡猪苗代町
にある日本の城です。
別名は亀ヶ城とも称します。
福島県指定史跡です。

猪苗代城(亀ヶ城)公園案内図

【別名】
亀ヶ城

【構造形態】
平山城

【築城主】
猪苗代経連

【築城年】
鎌倉時代初期?

【主な城主】
猪苗代氏

【廃城年】
慶応4年(1868年)

【遺構】
曲輪跡、堀跡、土塁跡・石垣

<蒲生時代とみられる大手口の石垣>
蒲生時代とみられる大手口の石垣

【指定文化財】
県指定史跡

【猪苗代城の歴史】
【鎌倉~戦国時代】
猪苗代城の築城については、
奥州合戦によって会津を与えられた
相模国の御家人佐原義連の孫である経連が
鎌倉時代初期に築いたといわれていますが、
真偽は不明です。
ただ、経連の子孫は代々猪苗代氏を名乗り、
地頭として一帯を治めていたため、
その過程において築城されたのは
間違いないと見られています。

ちなみに会津盆地を治めていた蘆名氏
佐原義連の血統で、
猪苗代氏とは同族となります。
猪苗代氏は本家・蘆名氏に対しては、
反逆と従属を何度も繰り返し、
最終的には、天正17年(1589年)の
摺上原の戦いの直前に、
当時の当主であった猪苗代盛国が
伊達政宗に内応し、
蘆名氏を滅亡に追い込むことと
なったとされています。

【猪苗代氏の支配の終焉】
豊臣秀吉の奥州仕置によって
伊達氏が会津を離れると、
猪苗代盛国も猪苗代を離れ、
約400年にも及ぶ
猪苗代氏の支配が終焉したのでした。

【安土桃山~江戸時代】
その後、会津領主は蒲生氏郷
上杉景勝、蒲生秀行、蒲生忠郷、
加藤嘉明、加藤明成と続きましたが、
猪苗代城は会津領の重要拠点として、
江戸幕府の一国一城令発布の際も
その例外として存続が認められ、
それぞれの家中の有力家臣が
城代として差し置かれていました。
寛永20年(1643年)に
保科正之が会津藩主となると、
猪苗代城には城代が置かれ、
また、保科正之の死後は
その墓所(正之は城の北、土津神社に葬られた)
の守護という重要な役目も担ったとされています。

【幕末】
慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際、
母成峠の戦いで西軍(薩摩藩・長州藩など)が
東軍(会津藩・新撰組など)を破って、
会津領へ侵入すると、
当時の城代であった高橋権大夫は
城を焼き払って若松へ撤退し、
建物は全て失われ、
ここに猪苗代城の城としての
役割は終わったのでした。




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【近現代】
戊辰戦争後、
猪苗代城跡地は荒廃したままの状態でした。
明治38年(1905年)に
町内の有志が日露戦争の
戦勝記念として桜を植樹し、
その後、公園として整備されました。
現在も春になると、
花見でおおいに賑わっているとのことです。
また、野口英世は幼少時代に
城跡でたびたび友人と遊んでいたということです。
平成13年(2001年)に城跡は
「猪苗代城跡 附鶴峰城跡」として
福島県指定史跡に指定されました。

【構造】
猪苗代城は、
街の中心部の小高い丘に築かれた
平山城で南北250m、東西200m、
比高差30mの規模をもっています。

猪苗代城

現在は、本丸・二の郭・帯郭・
石垣・土塁・空堀が残り、
保存状態が比較的良好とのことです。

構造は、丘の最上部の平坦地が本丸で
周囲は土塁で囲まれており、
その南側の一段下がったところが二の郭、
さらに南に下ったところに南帯郭、

見晴らしの丘(南帯郭)

<搦手道>
猪苗代城 搦手道?

<二ノ郭>
野口英世の頭像があります。
猪苗代城 二ノ郭

<黒門>
猪苗代城 黒門

<本丸跡と会津磐梯山>
本丸跡と会津磐梯山

本丸北と西の一段下った箇所に
北帯郭と西帯郭があります。

<土塁・西帯郭>
猪苗代城 土塁・西帯郭

大手口は城の東麓部分で、
ここには石垣を利用した
巨大な枡形虎口が造られています。

猪苗代城址 散策路

<枡形虎口>
猪苗代城 枡形虎口

遺構としては巨大な枡形虎口や
穴太積みの石垣が残っており、
これらは蒲生氏の時代に造営されたと思われます。
なお、この大手口の石垣は
穴太積(あのうづみ)という技法が
用いられていることから、
蒲生氏によって造営されたと見られています。

猪苗代城 大手口の石垣

【城周辺】
【鶴峰城】
猪苗代城の北西の丘陵は
鶴峰城と呼ばれる城跡です。
土塁や空堀、石塁等の遺構が残されています。
史料から推察すると、
猪苗代氏の隠居城として
用いられたと考えられています。
猪苗代城が近世以降も
城として使用されたために、
近世城郭へ改変されているのに比べ、
鶴峰城は猪苗代氏が去った後は
廃城となったため、
戦国時代の城郭の構造を
そのまま現在に伝えているとのことです。

【所在地】
〒969-3123 福島県耶麻郡猪苗代町古城跡

(亀ケ城城址公園)
〒969-3123 福島県耶麻郡猪苗代町古城跡7150

【交通アクセス】
(電車)
JR磐越西線「猪苗代」駅から徒歩30分
(車)
磐越自動車道「猪苗代磐梯高原」ICから10分




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【駐車場】
◆亀ヶ城公園駐車場(冠木門)<東側>
◆図書歴史情報館和みいな駐車場<南側>
⇒猪苗代城のパンフレット類があるそうです。

【トイレ】
図書歴史情報館和みいなの横にあります。
男女別でとても綺麗なトイレです。

<会津磐梯山>
会津磐梯山

<磐梯山ジオパーク>
磐梯山ジオパーク

<旧山内家住宅>
翁島地区の山内家より
昭和48年に移築復元した
村役人層の住宅で、
文化8年(1811年)
建築の茅葺屋根の直屋です。
旧山内家住宅

◆春は桜にツツジ
◆夏は猪苗代湖
◆秋は見事な紅葉
◆冬は深い雪

1年それぞれ楽しめる場所です。

【猪苗代氏】

猪苗代氏(いなわしろし)は、
桓武平氏、三浦氏の流れを汲む
日本の武家氏族です。
蘆名氏の支流です。
三浦氏の一族の佐原氏
佐原盛連の長子で
蘆名光盛(蘆名氏の祖)の兄である
猪苗代経連が鎌倉時代中期に
陸奥国耶麻郡猪苗代を本貫とし、
猪苗代氏を称したのが始まりとされています。
本家の蘆名氏からは独立の傾向が強く、
室町時代から戦国時代にかけて、
たびたび合戦をしています。
猪苗代経元の代で後継がなく、
蘆名氏から養子として盛清を迎えています。

猪苗代城 搦手道 紅葉

猪苗代盛清の子である
猪苗代盛国は、隠居した後に
家督を再奪取した上で伊達政宗に通じ、
蘆名氏の衰退を見てついに
伊達政宗に寝返り、摺上原の戦いで活躍しました。
猪苗代盛国の子である猪苗代盛胤は
廃嫡された後は父と敵対し
蘆名氏の味方をしたとされています。
伊達政宗は小田原征伐参陣の後、
一部領地替えとなり、
猪苗代氏の領地も替えられました。

猪苗代城 紅葉

幕末まで仙台藩士として伊達家に仕えていました。
野口英世の父「佐代助」の実家
「小桧山家」は子孫に当たるため、
野口英世は猪苗代氏の子孫となります。

所要時間:約40分間(猪苗代城のみ)
鶴峰城を含めると1時間30分はかかるかと思います。

佐原義連と相模・佐原城、一ノ谷の合戦「鵯越の逆落とし」一番乗りの武勇で有名、会津・蘆名氏の祖です。

会津若松城(鶴ヶ城)~日本100名城、蘆名氏が築城、伊達・上杉・蒲生・加藤・保科・松平と続いた天下の名城。

向羽黒山城(続100名城)~蘆名盛氏が築き、上杉景勝・伊達政宗・蒲生氏郷も改修した東北最大級の要害です。

会津新宮城跡~三浦一族の佐原盛蓮の六男である新宮氏が築城、国の史跡です。

藤倉舘~三浦一族の佐原盛蓮の三男・藤倉盛義の居館と伝えられています。

会津・北田城跡~三浦一族・佐原盛蓮の次男の佐原広盛が築城し、北田氏を名乗り7代続きました。

三浦義澄~源頼朝を支えた宿老の一人で13人の合議制のメンバーで相模守護。三浦一族の栄枯盛衰。

三浦義村~鎌倉幕府の創設期から執権政治の確立まで仕え権謀術数に優れた策略家

矢部禅尼~三浦義村の娘で北条泰時の正室、子供達は相模三浦氏や戦国大名の蘆名氏につながる。

新井城址・相模三浦氏とは?伊勢盛時から3年間持ちこたえた断崖の要害

伊達政宗~独眼竜・東北の覇者~内向的だった子供が成長し、とことん人生を楽しんだ生涯!

摺上原(磨上原)古戦場跡~蘆名氏VS伊達政宗の決戦地!会津の歴史が大きく変わりました。

鴫山城~約600年前に築城された長沼氏の城跡、自然の地形を巧みに利用した山城です。

三浦義明と衣笠城合戦~長老は自らの命を盾に三浦一族の未来を守りました。

芦名城~戦国大名・蘆名氏の発祥の地であり、三浦一族の本拠地である衣笠城の支城でした。

翁島駅(旧駅舎)と日本硫黄沼尻軽便鉄道の車両(静態保存)~猪苗代湖畔の緑の村にあります。

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