城跡

石見浜田城 ・続日本100名城~立派な石垣、自然の地形を生かした縄張り、絵になる本丸からの眺めと良港。

浜田城 石垣



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【浜田城】

浜田城(はまだじょう)は、
石見国浜田(現:島根県浜田市殿町)
に存在した日本の城です。
江戸時代には浜田藩の藩庁が置かれていました。

<浜田城>
浜田城址

【別名】
亀山城

【城郭構造】
梯郭式平山城

【天守構造】
独立式望楼型三重(非現存)

【築城主】
古田重治

【築城年】
元和5年(1619年)

【主な城主】
古田氏、本多氏、越智松平家

【廃城年】
慶応2年(1866年)

【遺構】
石垣、土塁、移築門(他所より移築)

【指定文化財】
島根県指定史跡

【説明】
浜田市中心部にある浜田川に囲まれた
標高68メートルの独立式丘陵に築城されました。
この丘陵は別名、亀山と呼ばれています。
本丸の下に狭い二の丸・三の丸・出丸が配されています。
北部を松原湾、東部を浅井川、
南部・西部を浜田川によって天然の掘割としていました。
浜田城を藩庁とした浜田藩は、
最初の藩主であった古田氏以外は
譜代・親藩が入れ替わり治め、
長州藩に対する山陰側の押さえの最前線とされました。

<説明板>
浜田城 説明板

<伝・柿本人麻呂 終焉の地 説明>
伝・柿本人麻呂 終焉の地 説明

2017年に続日本100名城に選定されました。
<スタンプ設置場所>
◆濱田護國神社社務所(午前8時~午後4時)
◆浜田市浜田城資料館(午前9時~午後5時)

【建物】
建物は長州征伐で長州藩軍に攻められた際、
(当時の浜田藩主は松平武聡)、
城を捨てて藩兵が火を放ち殆どが焼失してしまいました。

<浜田城図>
浜田城図

【現在】
現在は城山公園として、
本丸から三の丸にかけて階段状に石垣が残り、
登城口に津和野藩武家屋敷より
移築された門があります。
しかしながら、往時此処には門は存在してはいません。
また、登城口には小説家司馬遼太郎の碑文
「浜田藩追懐の碑」があります。

浜田藩追懐の碑

<護国神社>
ここまで車で来られます。
ここから本丸までは10分~13分程です。
浜田城 護国神社

【浜田城の歴史】
元和5年(1619年)⇒
古田重治が大坂の陣の功績により
浜田に5万4000石を与えられ入封。

元和6年(1620年)2月⇒築城開始。

元和9年(1623年)5月⇒城と城下町が完成。
慶安元年(1648年)⇒

2代・重恒、お家騒動(古田騒動)を起こし改易。

慶安2年(1649年)⇒
松平(松井)康映が5万石で入封。
5代にわたって在封。

宝暦9年(1759年)⇒
5代・康福、下総国古河藩に転封。
本多忠敞が5万石で入封。

明和6年(1769年)⇒
3代・本多忠粛、三河国岡崎藩に転封。
同地より松平(松井)康福が再び55400石で入封。

天保7年(1836年)⇒
3代・松平康任の時、
清・朝鮮との密貿易(竹島事件)が発覚。
松平康任は隠居し、
4代の松平康爵は陸奥国棚倉藩へ転封。
上野国館林藩より松平(越智)斉厚が6万1千石で入封。




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慶応2年(1866年)⇒
第二次長州征伐。
長州藩の大村益次郎が進軍。
藩主・武聡は戦わずして逃走。
この際に、敗残の兵が浜田城、
浜田の街に放火し同時に灰燼に帰した。

昭和37年(1962年)6月12日⇒
県指定史跡に指定される。

昭和42年(1967年)⇒
浜田県庁正門(津和野藩武家屋敷の門)を浜田城の山麓に移築。

平成29年(2017年)4月6日、
続日本100名城(170番)に選定されました。

【縄張】
浜田市中心部にある浜田川に囲まれた
標高約68メートルの
独立式丘陵の頭頂部を平坦にして
本丸が築かれました。
その本丸の南側に狭い
二の丸・三の丸、
西側に出丸が配された梯郭式平山城です。
北部を松原湾、東部を浅井川、
南部・西部を浜田川によって
天然の掘としていました。
城下町は城の周囲に武家屋敷を、
浜田川以南に町屋を設けられていました。
本丸には天守がありました。

浜田城復元CGI

<松原湾>
浜田城 松原湾

<海と浜田城>
海と浜田城

【本丸】
本丸の規模は南北約60メートル、
東西約50メートルの約0.3ha。
本丸は北西隅に三重櫓、
南東隅に本丸御門と六間長屋があり、
中央付近に玉蔵が置かれていました。
周囲は塀で囲われていました。

<本丸へ 石垣>
浜田城 本丸への道 石垣

<本丸へ 石垣など>
浜田城 もうすぐ本丸

<本丸より市街地を臨む>
本丸より市街地を臨む

【天守(三重櫓)】
本丸の北西隅に置かれた独立式望楼型三重櫓。
ただし天守台は最初から造営されることはなく、
本丸に礎石を置いて天守が建てられていました。
天守の高さ約14メートルで
鯱の大きさは約1.4メートルでした。
上層階の広さは四方約9.1メートル、
中層階は四方約12.7メートル、
下層階は南北約9.1メートル、
東西約16.44メートルあったそうです。
明治時代初期頃まで存在していました。

<三重櫓>
三重櫓

【本丸御門(ほんまるごもん)】
浜田城本丸の正門(南側)の
役割を果たしていた門です。
通称は本丸一の門と呼ばれていました。
東側に存在した六間長屋と隣接していました。
石垣が現存しています。

<日本遺産 外の浦(とのうら)港>
日本遺産 外の浦港

<外の浦港 説明板>
外の浦港 説明

【六間長屋(ろっけんながや)】
本丸の南東隅に存在した多聞櫓。
倉庫としての役目を持っていました。
西側に存在した本丸御門と隣接していました。




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【玉蔵(たまぐら)】
本丸の中央付近に存在した蔵。
広さは約5坪で、
鉄砲の弾丸などの武器類を収納していました。

【二の丸】
本丸の南側に位置する郭です。
山麓にも二の丸が存在し、
焔硝蔵や本丸常番所、
時打番所、中ノ門などが置かれていました。

【二ノ門 (渡門)】
二の丸に存在した櫓門です。
虎口は枡形で、進路を阻む構造になっていました。
浜田城内最大の門で、
内部の規模は四方南北約3.6メートル、
東西約5.4メートルありました。
門の脇の石垣上には
二ノ門の上階にある長屋と接して塀が廻っていました。
現在は門の石垣が現存していますが、
一部だけ石垣が崩落して
土塁となっている箇所があるそうです。

二ノ門 (渡門)跡

【三の丸】
二の丸の南側に位置する郭です。
二の丸と同様に山麓にも三の丸が存在し、
御殿や諸役所、御用米蔵、大手門などが置かれていました。

【出丸】
本丸の西側に位置する郭です。
別名、本丸脇千人溜りとも称するそうです。
規模は東西約24.2メートル、
南北23.9メートルです。
出丸への通路は北側と二の丸へと繋がる
通路が南側に1ヶ所ずつあるそうです。
二の丸と同様に山麓にも出丸が存在し、
城の南側にある小高い独立式丘陵にあったそうです。
通称、夕日ノ丸と呼ばれており、
現在は本丸の西側にある出丸と同様に藪や林になっています。

【出丸木戸(でまるきど)】
出丸の北側に存在した出入り口です。
出丸木戸を出ると、
本丸の石垣の周囲を廻る道に出るそうです。
けれども現在は藪や林になっているため、
辿り着くのは困難であるそうです。

【遺構及び現存建造物】
本丸や二の丸の二の門などの
石垣や土塁が現存しています。
慶応2年(1866年)、
第二次長州征伐の際に
城の建造物は全て焼失してしまいました。
其の後、山麓に津和野藩武家屋敷の門が
移築されています。

津和野藩武家屋敷の門

【所在地】
〒697-0027 島根県浜田市 殿町123−10

【交通アクセス】
【電車】
◆JR西日本・山陰本線「浜田」駅(北口)より
西へ徒歩約20分
◆JR浜田駅より
周布方面行きバス停「城山公園前」下車 徒歩5分
◆JR西日本・山陰本線 「西浜田」駅より
北東へ徒歩約60分

【車】
◆浜田自動車道・山陰自動車道
「浜田IC」より西へ約5分程度
◆山陰自動車道 「浜田東IC」より西へ約15分

【駐車場】
普通車:数台  
※バスは浜田市浜田城資料館の駐車場をご利用ください。

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