城跡

甲斐・白山城~武田信義が築城し、戦国時代にはその子孫が城主となった山城で国史跡です。

甲斐・白山城



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【甲斐・白山城】

白山城(はくさんじょう)は、
山梨県韮崎市神山町鍋山に
所在した日本の城です。
形式は山城で築城者は不明ですが、
武田信義とも云われています。
山麓にある武田信義館の
詰城として築かれたとのことです。
文治2年(1186年)に
武田信義が死去すると、
居館とともに一時廃城になった模様です。
その後、武田信義の次男である忠頼を祖として
武田信光の次男である
武田(一条)信長が再興した一条氏、
武田信光の嫡男の子孫である
武川衆の青木氏、
山寺氏が城主となったとされています。

「白山城」の名は城山中腹に鎮座する
白山権現に由来しています。
別名に鍋山砦、「甲斐国志」では
「要害城」と伝えています。
国の史跡です。

甲斐・白山城跡(航空写真)

【別名】
鍋山砦、要害城

【城郭構造】
山城

【天守構造】
なし

【築城主】
不明(武田信義か?)

【築城年】
不明(平安時代末期か)

【主な城主】
武田信義・武川衆
一条氏、青木氏、山寺氏

【廃城年】
寛文年間(1661年-1673年)

【遺構】
曲輪、土塁、虎口、
横堀、竪堀、堀切、土橋

【指定文化財】
国の史跡

【立地と歴史的景観】
白山城が所在する韮崎市神山町鍋山は
県北西部に位置しており、
甲府盆地の北西端にあたります。
「城山」と呼ばれる赤石山地北東の
巨摩山地・甘利山地に属する
独立峰状の尾根に立地しています。
標高は約573m。
釜無川右岸で釜無・塩川の合流地点に近く、
釜無川が七里岩の崖下に押し付けられ
回廊状となった地形の末端部にあたります。
前面には開削された段丘が広り、
谷底平野が形成されています。

甲斐・白山城跡の範囲(地図)

白山城周辺の釜無川右岸地域には、
武田信義の居館跡があり、
韮崎市神山町宮地には
武田信義の菩提寺である願成寺や
武田八幡宮など甲斐源氏や
武田氏にまつわる史跡が分布しています。
なお七里岩上の韮崎市中田町中條には
戦国末期に武田勝頼が築城した
新府城が所在しています。




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【隣接する二つの山城】
白山城跡の南に隣接する尾根には
南烽火台(ムク台烽火台)、
北に隣接する尾根には
北烽火台と呼ばれる山城が存在しています。

甲斐・白山城跡の説明板

【諸街道の存在】
周辺の往還としては、
信濃方面から西郡地域を経て
盆地南部の河内路へ通じる
西郡路(国道52号線)の道筋が存在するほか、
甲州街道の一部である河路や
韮崎宿から七里台上を経て
八ヶ岳山麓の信州蔦木宿へ通じる
原路など諸街道が存在しています。

【武田信光の子孫の武川衆】
「甲斐国志」によりますと、
白山城は「城山」と呼ばれ、
甲斐源氏の祖である源清光の子の
武田信義が要害として築城したとしています。
武田信義の子である武田信光の
子孫となる武田信時の系統は
巨摩郡武川筋に土着しました。
戦国期には在郷武士団である武川衆が登場します。
「寛政重修諸家譜』によりますと、
白山城は武川衆の一族である青木氏が領有し、
武田信縄から武田信虎と武田晴信に仕えた
八代信種が「鍋山城」を守備し、
これが白山城にあたると考えられています。
後に青木氏から分かれた山寺氏が
領したということです。

一方で中世期の文書や記録史料には
白山城に関するものは見られず、
近世期の地誌類や家譜などに見られるとのことです。
寛永20年(1643年)「寛永諸家系図伝」、
寛政3年(1791年)「寛政重修諸家譜」所載の
青木・山寺両氏の家譜においては
戦国期に武川衆の青木・山寺両氏が
武田氏から「鍋山の砦」の
守備を任されたとしています。

甲斐・白山城跡(遠景)

【文献・史料に見られる「鍋山八幡」】
「裏見寒話」では、
武田八幡宮の南に
「鍋山八幡」の存在が記されています。
「裏見寒話』では「鍋山八幡」を
源為朝伝説に付会した説を取り、
これは白山神社及び為朝神社に
比定される可能性が考えられています。

<登城口と為朝神社方面>
甲斐・白山城の登城口と為朝神社方面

武田八幡宮⇒為朝神社⇒白山城跡⇒白山神社⇒
白山温泉(大村美術館)⇒武田八幡宮ルートがお勧めとか。
為朝神社~白山城跡の間、白山神社~白山温泉の間に
防獣ゲートがあります。
手動で開閉してくださいとのことです。

南東山腹にある白山神社に登城道があります。

【甲斐・武田氏の滅亡】
戦国期の天正10年(1582年)3月、
織田・徳川連合軍の武田領侵攻により
武田氏は滅亡し、武田勝頼は新府城を退去して
家臣である小山田信茂の郡内領へ逃れる途中に、
田野(甲州市大和町)において滅亡しました。

天正壬午の乱
同年6月、本能寺の変織田信長が死去すると
甲斐・信濃の武田遺領を巡る
天正壬午の乱が発生します。
甲斐では三河国の徳川家康
新府城を本陣に七里岩台上に布陣し、
若神子城に本陣を置く北条氏直と対峙しました。




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徳川家康に臣従した武川衆】
天正壬午の乱において
武田遺臣の一部は
徳川家康に臣従しています。
白山城には武川衆の
青木氏及び山寺氏が配置され、
諏訪口の監視を行ったとのことです。
白山城は天正壬午の乱において
修築されていると考えられています。

江戸時代初期の寛文年間(1661年-16733年)に
廃城となりました。

武田信義館跡からの甲斐・白山城

【遺構】
白山城跡には山頂を中心とし
中腹や背後の尾根に
曲輪、土塁、横堀、堀切、竪堀などの
遺構が残されております。
左右に烽火台・物見台が配置された
山梨県内でも類例の少ない
中世城郭の遺構と考えられています。

山頂に位置する本丸は約25m四方程の
広さがある方形の主郭部で、
南東と北西に虎口が開き、
土塁が巡らされているとのことです。
この南側には一段下がって二の丸が存在し、
本丸と二の丸の間には横堀が掘られ、
西側には堀切が2本見られるとのことです。

【白山城と白山権現】
白山城跡の南東には
白山権現(白山神社)が所在しています。
慶応4年(1868年)
「甲斐国社記・寺記」によりますと、
かつて当社には慶安2年の徳川氏朱印状が伝来し、
その頃には神社としての態勢が
整えられていたと考えられています。
神主は大村氏です。
また、「社記」では、
貞享2年(1684年)の史料に
社領2石8斗が安堵され、
9通の徳川氏朱印状が伝来していたということです。

享保15年(1730年)鍋山村村明細帳では、
諏訪大明神はじめ末社8社(のちに14社)が存在し、
鍋山村で最も社格の高い神社となっていたとのことです。
なお、「甲斐国志」でも「社記」所載と
同様の由緒を記しているとのことです。
江戸時代末期には武田氏の家紋である
武田菱の由来となる菱岩伝承が
白山城に結び付けられ、
甲斐源氏が甲斐国へ進出した
平安時代には当社が存在したとする
由緒が形成され、
白山城の主郭部に
城主尉大明神・城翁稲荷大明神が
勧請されたとのことです。

【史跡指定と保存活動・研究史】
昭和58年(1983年)には
ムク台烽火台の一帯において
土石採取の開発が予定されていましたが、
地元住民や歴史・考古学者らが中心となった
「武田発祥の地を守る会」が設立され、
開発は中止となりました。
1996年には再び土石採取が予定され、
再び保存運動が起こります。
1992年(平成4年)には県史跡の指定を受け、
2001年(平成13年)1月29日には
「白山城跡」の名称で国の史跡に指定されました。




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1997・1998年度には
考古学・文献私学・民俗学・歴史地理学など
諸分野からの総合的な学術調査が実施され、
測量調査による実測図の作成や
縄張り・遺構の確認調査、
周辺の史跡に関する調査や文献調査が行われました。

なお、「クマ出没注意」の看板が
あちこちにあります。
登城される方は、万全の対策で登城されてください。

【駐車場】
武田八幡宮
白山神社
<白山神社・所在地>
〒407-0043 山梨県韮崎市神山町鍋山2584

武田義清(源義清 (武田冠者))~常陸国出身で配流となった先の土地に根差して甲斐源氏の祖となりました。

武田信義~甲斐源氏であり武田氏の初代当主となり、武田信玄の遠いご先祖様です。

武田信義館跡~甲斐武田氏の祖である武田信義が館を構え、縁の地名も伝えられています。

武田八幡宮~創建は平安時代、甲斐武田家の氏神として尊崇されてきました。

躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。

徳川家康~「麒麟」を連れて戦国時代を終わらせた天下人~その生涯を手短に!

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