史跡・城跡

武田義清(源義清 (武田冠者))~常陸国出身で配流となった先の土地に根差して甲斐源氏の祖となりました。

武田義清 甲斐源氏旧蹟之碑



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【武田義清(源義清 (武田冠者))】

源 義清(みなもと の よしきよ)は、
平安時代後期の武将です。
「尊卑分脈」では、
河内源氏の一族で
甲斐源氏の祖となる
源義光(新羅三郎義光)の三男(次男とも)です。
母は平清幹の娘(平成幹の姉または妹にあたる)。
また、信濃源氏の祖となる
源頼季(父である源義光の叔父)の
子である井上満実は彼の従兄弟に当たります。

「尊卑分脈」では源義光には七男がおり、
武田義清の兄には
佐竹氏の祖となった義業、
石井氏の祖となった源実光、
弟には盛義(形部四郎・平賀冠者)、
親義(形部五郎・岡田冠者)、
祐義(形部六郎・覚義(寺阿闍梨)がいます。

幼名は音光丸。
通称は刑部三郎・武田冠者で、
「形部」は源義光が形部丞であったことに
由来していると考えられています。
武田義清或いは逸見義清とも。
子に清光(逸見清光)、
師光、加賀美遠光、安田義定らがいます。

【生誕】
承保2年4月16日(1075年5月3日)

【死没】
久安5年7月23日(1149年8月27日)

【改名】
音光丸(幼名)⇒義清

【別名】
武田義清、逸見義清、
通称:刑部三郎、武田冠者

【氏族】
河内源氏義光流

【父】
源義光

【母】
甲斐守知実の娘

【兄弟】
義業、実光、義清、
盛義、親義、祐義、覚義

【妻】
源兼宗の娘

【子】
清光、師光、加賀美遠光、安田義定ら

父の源義光は常陸国の平清幹の娘を
嫡男である源義業の室とし、
源義業の子孫は佐竹氏として常陸へ土着しました。
源義光は続いて清幹から
常陸国那珂郡武田郷(茨城県ひたちなか市武田)
を譲り受けると源義清に与え、
源義清は「武田冠者」を名乗ります。
源義清は祖父である源頼義の弟である
頼清(陸奥守)の三男・源兼宗(上野介)
の娘を室とすると、
天永元年(1110年)には嫡男である
源清光が生まれます。
大治2年(1127年)10月20日には
父の源義光が死去しました。

源師時日記「長秋記」や「尊卑分脈」では、
大治5年(1130年)に源清光は
武田郷と隣郷の境界を巡り紛争を起こし、
平清幹の嫡男でもある常陸の
在庁官人・大掾盛幹と敵対します。
源義清・源清光はこの抗争において敗北し、
天承元年(1131年)には
勅勘を蒙って甲斐国の市河荘へ配流となりました。

武田義清館跡にある大クヌギ

義光・義清は甲斐国へ赴くと、
巨摩郡平塩岡
(山梨県西八代郡市川三郷町市川大門)に
館を構えたということです。

武田義清館跡

源義清は長承2年(1133年)頃において
市河荘司となっています。
なお、安田義定を源義清の子息とした場合、
安田義定は甲斐において
長承3年(1134年)に誕生しています。
49才頃に甲斐の目代になったといわれています。




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その後、源義清と源清光親子は
八ヶ岳南麓の巨摩郡逸見郷へ進出すると、
多麻荘若神子に本拠を構え、
若神子城を築城したということです。
逸見の地に移ったことで
逸見冠者と呼ばれるようにもなりました。

正覚寺過去帳」によりますと、
源義清は久安元年(1145年)7月23日に
市河荘で死去したとのことです。
別の説では久安5年7月23日ともされています。

源義清と源清光が当初本拠とした
市河荘の荘域は
現在の昭和町に及んでいたと
考えられていますが、
昭和町西条に所在する義清神社は、
「甲斐国志」等によりますと、
源義清が晩年に居住した
居館跡とする伝承があります。
さらに、義清神社の近在には
源義清の墳墓と伝わる義清塚があります。
源義清の子孫は甲府盆地の各地に土着し、
源清光以降脈々と続く
甲斐源氏の始祖となりました。
その末裔には武田氏を筆頭として、
南部氏、小笠原氏、三好氏といった
諸族が現れ出ています。

【武田義清館跡】
銅碑の「甲斐源氏旧跡碑」は
三条実美の揮毫で、明治18年(1885年)
郡長依田孝氏らによって建てられました。

武田義清館跡と甲斐源氏旧跡碑

又、次のような歌碑があります。
いととしく埴生の小屋のいぶせきに千鳥なくなり市川の森 義清朝臣
山里は月に心を松風の、声より外にしるべあらしな 機山公
(看板資料より)

【甲斐源氏旧蹟之碑】
寛治元年(1087年)、
八幡太郎義家の弟新羅三郎源義光が
官を辞し軍兵を従えて奥州に下り
兄の陣(後三年の役)に加わり武功をたてました。
その功績により甲斐守に任ぜられたのが
源義光の三男(刑部三郎源義清)です。
その源義清が12世紀のはじめの
天永年間(1110年~1113年)に
甲斐の国へ下向し、
峡南市河(市川)庄青嶋の庄司として
平塩へ館を築き、
甲斐源氏勃興の基を開いたのでした。

甲斐源氏旧蹟之碑

平塩の丘よりはるかに望む
八ヶ岳の山麓は広大な逸見庄で
牧草が密生し放牧の最適地でした。
そこで源義清は長男の源清光と共に
この地に移り駒の飼育に精進します。
やがて甲斐の黒駒と云われる
名馬の産地となり毎年優秀なものを
朝廷に献上する例となりました。

市河庄

源清光は逸見庄に根拠を置いたので
逸見冠者とも黒源太とも云われ、
父である源義清と共に智略に富んだ
勇猛な武将でした。
源義清は久安5年7月23日、
市河庄平塩の館で75才の生涯を閉じています。

法号・正覚寺殿陽山清公大居士

これより約400年を経て
甲斐は武田氏の時代となるのでした。

武田二十四将

【所在地】
〒409-3601 山梨県西八代郡市川三郷町市川大門5154

【交通アクセス】
(電車)
JR身延線「市川本町」駅より徒歩10分

(車)
車:中央自動車道「甲府南」ICより約20分

【駐車場】
大門碑林公園駐車場あり。
大門碑林公園より徒歩5分

【義清神社】
甲斐源氏の祖で新羅三郎義光の子
刑部三郎義清を祀っています。
源義清公が隠居後に住んだ
館跡を社地としている。
今も堀の一部が残り、
境内西にある「おこんこん山」は
源義清公の墳墓と伝えられています。

義清神社

<おこんこん山>
おこんこん山(伝武田義清墳墓)

<義清神社とおこんこん山の位置関係>
義清神社とおこんこん山の位置関係
※「おこんこん山」には駐車場がありますが
訪れた日は鎖がかかって入れませんでした。
義清神社からは徒歩6分強です。




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【所在地】
〒409-3866 山梨県中巨摩郡昭和町西条4265

【交通アクセス】
(電車)
JR身延線「国母」駅から徒歩10分
(車)
中央自動車道「甲府昭和」ICから5分程度。

武田氏館と湫尾神社~ひたちなか市武田は甲斐武田氏発祥の地でした。

武田信玄~風林火山の軍旗のもとに、戦に明け暮れ駆け抜けていった53年の人生でした。

武田勝頼~甲斐源氏・戦国大名としての甲斐武田氏最後の当主、素質と環境が合わず悲劇が訪れます。

武田信義~甲斐源氏であり武田氏の初代当主となり、武田信玄の遠いご先祖様です。

武田八幡宮~創建は平安時代、甲斐武田家の氏神として尊崇されてきました。

小田野城(小田野山城)(甲斐国)~甲斐源氏である安田義定が築城したと伝わる山梨県内最古の部類の山城。

加賀美遠光~甲斐源氏で武田信義の叔父又は弟、小笠原氏・奥州南部氏の祖でもあります。

浅利与一義成(浅利義遠)~甲斐源氏の一族で弓の名手であり武田信義・加賀美遠光とは兄弟です。

秋山光朝~加賀美遠光の長男、甲斐源氏の勢力拡大を恐れた源頼朝に疎まれ謀殺されます。

小笠原長清~弓馬四天王と称され、武家の有職故実を伝える小笠原一族の始祖です。

大弐局 ~加賀美遠光の娘で兄弟には小笠原氏・南部氏がおり、源頼家・源実朝の養育係を務めた女性です。

甘利氏館と扇子平山城~甘利氏は甲斐源氏で、戦国時代には武田家臣の譜代家老を務めました。

武田信成~武田信時の系統で安芸守護武田氏から甲斐国守護武田宗家となりました。

武田信春公館~甲斐源氏第12代及び武田氏9代当主であった武田信春の居館跡です。

躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。

恵林寺~1330年に開山された武田氏の菩提寺である臨済宗の古刹、庭園は国の名勝に指定されています。

甲斐・上野城(甲斐・椿城)~築城は小笠原氏の子供の上野氏でその後に秋山氏、大井氏の居城となります。

中野城・雨鳴城~秋山光朝築城の連郭式山城で、悲劇の武将の物語が今も残っています。

甲斐・白山城~武田信義が築城し、戦国時代にはその子孫が城主となった山城で国史跡です。

積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100名城です。

湯村山城~躑躅ヶ崎館の西の守りの詰めの城として武田信虎が築城しました。

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