史跡・城跡

武田信春公館~甲斐源氏第12代及び武田氏9代当主であった武田信春の居館跡です。

武田信春公館(千野 慈徳院)



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【武田信春公館跡】

千野の慈徳院の境内が
武田信春館と言われている所です。
寺院の山門の脇には
「武田信春公館跡」と
刻まれた石碑が建てられています。
また寺院の奥には
武田信春の供養塔である宝篋印塔があります。
またその背後には家臣の墓もあるとのことです。

寺院の周囲は一段高くなっていて
石垣で囲まれていますが、
この石垣は後世
のものであるとのことです。
南東側には堀跡と思われる川が
流れています。

館の範囲は100m×150m
ほどの長方形といわれております。
この地の居館としては
かなり大きなものとなるとのことです。
 
武田信春は武田信成の子です。
南北朝時代から室町時代初期にかけて
活躍した武将でした。
武田信春は父である
武田信成と共に
北朝の幕府方に所属して
各地を戦い、
後に甲斐に入部してきたとのことです。
その後、甲斐の守護となり、
この地に居館を構えたというです。

【所在地】
〒404-0041 山梨県甲州市塩山千野3653

【武田信春】

武田 信春(たけだ のぶはる)は、
南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。
甲斐源氏第12代当主。
武田氏9代当主。
信時流武田氏の子孫で
武田信成の子です。
官途名は兵庫助、修理亮及び伊豆守。

兄弟に基信、武春、布施満春、
栗原武続がいます。
子は信満、穴山満春(武田信元)、
下条信継、市部信久、吉田成春、
観音寺遠大西堂、法弥陀仏(一蓮寺住持)、
上杉禅秀正室、小笠原長基正室、
武田信繁室などとされています。
(「円光院武田家系図」を
はじめとする武田家系図類より)。

【生涯】
安芸国守護であった
祖父の武田信武は
北朝・足利尊氏に近侍し、
観応2年9月以前には
甲斐国の守護に任じられています。
「太平記」によりますと、
武田信春は父の武田信成とともに
北朝(幕府)側に属して戦い、
武田信武に代わり
甲斐へ在国したということです。
文和4年(1355年)4月、
柏尾山に陣を構えて
甲斐国内の南朝勢力を駆逐しました。
延文4年(1359年)7月13日
もしくは康安2年(1362年)7月晦日には
武田信武が死去しています。




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「一蓮寺過去帳」「上総武田氏系譜」では、
明徳5年/応永元年(1394年)には
父の武田信成が死去となります。
「一蓮寺過去帳」や「大聖寺甲斐源氏系図」
「武田源氏一統系図」「武田源氏一流系図」
などの過去帳・系図類によりますと、
甲斐守護職を継承したと
見られているとのことです。

これに対して、
康安2年(1362年)の武田信武の死後に
父である武田信成を飛ばして
孫の武田信春が
甲斐守護職ならびに
武田氏家督を継承したとする
新説があるとのことです。
武田信成が甲斐守護であることを
示した史料が存在しないことや
武田信武が名乗っていた
官途名は武田信成に引き継がれず、
武田信春の代になって
兵庫助や伊豆守といった
武田信武ゆかりの官途名
(特に伊豆守は武田氏家督と
密接に関係するとされる)
を名乗っていることを指摘して、
武田信春が祖父から
直接家督を継いだとする説と
なるとのことです。
武田信春は文和4年(1355年)2月に
足利尊氏の近習に任ぜられたとのことです。

南北朝時代以後、
甲斐守護となった武田氏は
守護所を甲府盆地東部の東郡に設置し、
武田信春も青梅往還沿いの
山梨郡千野郷
(現在の山梨県甲州市塩山千野)
に館を構えていました。
貞治4年(1365年)には、
菱山の地を大善寺
(甲州市勝沼町勝沼)に
寄進しているのをはじめ、
多くの寺領寄進を行っています。
武田信春公館(千野 慈徳院)

「甲斐国志」や「塩山向獄禅菴小年代記」
によりますと、応永20年(1413年)には
乱により館が陥落してしまいます。
そこで萩原山へ逃れ、柳沢に砦を築いたとされています。
西胤俊承「真愚稿」には、
同年10月23日に同所で死去したとのことです。
後を子の武田信満が継いだと見られています。
「甲斐国志」によりますと、
甲州市塩山茅野の慈徳院は
武田信春の菩提寺であり、
境内には武田信春館跡があります。

武田信成~武田信時の系統で安芸守護武田氏から甲斐国守護武田宗家となりました。

栗原氏館跡(甲斐国)~甲斐守護・武田信成の子である武続が始祖となる栗原氏の館跡です。

甲斐・琵琶城~武田氏第13代当主武田信満の庶子である倉科信広が築城したとのことです。

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