【時國家(下時国家)】
平安時代末期、平清盛によって栄華を極めた平家は、
文治元年(1185年)壇ノ浦の合戦で
源義経率いる源氏軍勢に破れ、
この時、平家団結の象徴であった安徳天皇は八歳で
二位の尼に抱かれ入水しました。
平家方生存者の殆どは、
鎌倉幕府の厳しい追求の中、離散の生活を始めました。
生存者中最高重臣であった平時忠は、
源義経との約束により能登の地へ配流され、
文治5年2月24日にこの地で亡くなりました。
当家の初代は文治元年(1185年)、
能登に配流された平時忠です。
平時忠の子である平時国の代より
この地で農耕を営み、時国村を成しました。
時を経て天正9年(1582年)、
能登は加賀前田藩領になり、
その後慶長11年(1606年)には
時国村の一部が越中土方領となり、
時国家は二重支配を受けることとなりました。
寛永11年(1634年)、
13代藤佐衛門時保は時国家を二家に分立し、
自身は加賀藩領に居を定めました。
時国家(本家・上時国家)~能登平家の郷~祖先は平大納言時忠。源義経との関係は??
江戸時代を通して、山廻役、御塩懸相見役、
御塩方吟味人役など藩の役職を代々受け継ぐとともに、
農業、塩業、廻船業などを営んでいました。
重要文化財は邸宅と庭園にあります。
邸宅の構造は、
木造平屋建て、間口十三間、奥行き八間、
総面積108坪、茅葺入母屋造りです。
大戸口を入ると40坪の土間があり、
一尺五寸角の太い大黒柱や
巨大な梁組みは豪壮です。
また、特異な部分として
屋根裏に「かくし倉」があります。
1963年に国の重要文化財に指定されました。
庭園は2000坪あります。
自然の地形を巧みに利用し、
椎の古木がうっそうと茂る
廻遊式庭園です。
【交通アクセス】
【車】
輪島市街より国道249号線を東へ
約20km。
曽々木信号を右へ曲がる(約20分)
【バス】
輪島駅ふらっと訪夢より
北鉄バス宇出津行きに乗車。
下時国バス停で下車。
【飛行機】
能登空港より車で約40分。
【無料 駐車場 】
普通車:50台
大型バス:10台
【料金】
(平成28年4月1日現在)
大人:500円(団体:400円)
中・小学生:200円(団体:100円)
※団体は20名以上です。
【 開館時間・期間 】
(平成31年4月1日現在)
<開館時間>
午前10時~午後4時
<開館期間>
4月~11月の土・日曜日
5月3、4、5日
<休館日>
月~金曜日
5月25日、26日
12月~3月(冬期休館)
※屋内の修理が必要な為、
2020年8~9月は引き続き休館となります。
【所在地】
〒928-0205 石川県輪島市町野町2−1
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