鎌倉殿の13人

頼朝一杯水~源頼朝が伊豆山への逃避中に休息し水を飲んだと伝わる場所です

頼朝の一杯水



スポンサーリンク



【頼朝一杯水】

源頼朝は伊豆の配所の蛭ヶ小島で、
この地を中心に流人として20年を送りました。
源頼朝の有力な目付役である伊東祐親が、
中央権門の番役で3年程京都に上っている間に、
伊東祐親の娘である八重姫
頼朝との間に千鶴丸という男子が生まれていました。
帰郷しこれを知った伊東祐親は大激怒し、
平家への恐れより千鶴丸を滝に捨て、
更には源頼朝を殺そうとしました。
源頼朝は、伊東祐親の息子の佑清の助けもあって、
危難を逃れ伊東を脱出し、伊豆山へ逃れていきます。
その途中、険しい山路を登っていくと
喉が渇ききってしまい疲れてしまったそうです。
源頼朝は従者に「水はないか」と聞くと
「この上に5,6本の梅の木が見える、
あそこまで行けばきっと水があるでしょう」
と答えたそうです。
源頼朝はそれに力を得て
力を振り絞って山路をよじ登りましたが
水はありませんでした。
落胆して腰をおろした時、
腰に差していた刀の鐺が土に当ると
何とそこから水がにじみ出てきたというのです!
その場所を掘ると、
清水がこんこんと湧き出してきて、
こうしてその水で喉の渇きをうるおしたということです。

<頼朝の一杯水 水場と祠>
頼朝の一杯水 水場と祠

【千鶴地蔵】
水場には祠があり、
千鶴丸を祀った地蔵尊が安置されています。

【所在地】
〒413-0101 静岡県熱海市上多賀

【駐車場】
3台ほど駐車できる駐車場があります。
駐車場の後ろに階段がありますが、
こちらは水場にはたどり着くことができません。

【場所】
頼朝が逃げた時に飲んだという水場が
案内板より少し階段を降りたところにあります。
熱海の案内板と頼朝ライン

<案内板の階段・下る>
熱海の案内板と頼朝の一杯水への階段

【道路】
熱海と伊豆多賀を山通りで結ぶ
「頼朝ライン」のピーク付近に有ります。
小さな園地として整備されております。
熱海側から行った方がスムーズに駐車できます。
駐車場付近が坂道とカーブになっているので
走行車両などにお気をつけ下さい。
ちなみに「頼朝ライン」はこの
「頼朝一杯水」から名づけられたそうです。




スポンサーリンク



【現状】
水はいまでも少しですが湧き出ています。
東屋状に整備された水場となっています。
木々が生い茂り、視界は良くないですが、
ベンチが設置されており、
水の音、木の葉がゆれる音などがして
休息するにはなかなか良い場所です。

頼朝の一杯水 水場拡大

【古道あり】
古道「東浦路」が通り、
伊豆多賀側に古道を辿る事も出来るとのことですが、
荒廃が進んでおり熟達者向きであるそうです。

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

伊豆山神社~頼朝が伊東祐親より逃げ込み、政子との逢瀬を重ねた伊豆の地名の発祥の地

真珠院・八重姫御堂~八重姫とは?父親たちの選択によって明暗を分けた娘たち。

最誓寺(伊東市)~伊東家のお墓及び千鶴丸の菩提寺として~伊東七福神巡りは寿老人です。

音無神社~源頼朝が八重姫との逢瀬を重ねた伝承の地~ひぐらしの森で待ちわびて音無の森で密会♪

日暮八幡神社~源頼朝が八重姫に会うために待ったひぐらしの森~日暮遺跡(弥生時代)の場所でもあります。

稚児ケ淵~頼朝と八重姫の子・千鶴丸が沈められたと伝わる場所~松川の上流です。

蛭ヶ小島~源頼朝が20年間過ごし北条政子と夫婦となった配流地~

女塚史跡公園~八重姫の5人の侍女たちの終焉の場所と伝わる処です

関連記事

  1. 将門塚(平将門首塚) 将門塚~平将門公の首を祀る塚で大都会の超一等地に鎮座し、現在も静…
  2. 近江・田中城 近江・田中城、明智光秀・文献初登場の舞台とされる城
  3. 伊達行朝(伊達行宗)~伊達氏7代当主で南朝側の武将として各地を転…
  4. 三方原古戦場碑 三方ヶ原(三方原)古戦場~徳川家康の生涯において「伊賀越え」と並…
  5. 相良城跡 相良城跡~相良氏館⇒相良古城⇒相良御殿⇒相良陣屋⇒老中・田沼意次…
  6. 武田信春公館(千野 慈徳院) 武田信春公館~甲斐源氏第12代及び武田氏9代当主であった武田信春…
  7. 法隆寺 敷地内 門 桜 土御門通親~村上源氏の嫡流で九条兼実を失脚させ、やがては朝廷政治…
  8. 史跡 長田父子磔の松 長田屋敷跡と長田父子磔の松~野間大坊近くにある源義朝を裏切り討ち…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 天王山龍華院(掛川古城跡)~築城は朝比奈氏で徳川家康が掛川城攻めの本陣とした説があります。 掛川古城

ピックアップ記事

  1. 五所八幡宮(中村荘司御殿跡付近)
  2. 中久喜城址(下野国)
  3. 土浦城
  4. 京都と線路
  5. 大宝城跡(茨城県)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP