平安時代

ちやは(藤原為信の娘)~紫式部の生母、藤原為時との間に一男二女を授かりますが若くして亡くなります。

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【ちやは(藤原為信の娘)】

藤原為信女(ふじわらのためのぶ の むすめ、
生年不詳 -没年は974年とも?)は
平安時代の女性です。
紫式部の母親と伝わっています。
正式は名前は不詳です。

2024年NHK大河ドラマ
光る君へ」ではその名を
「ちやは」として登場します。

【生涯・経歴】
父は摂津守・藤原為信です。
母親は不詳です。
天禄初年(970年)とも
天禄年間(970年~974年)頃に、
播磨権少掾を
勤めていた藤原為時と結婚し、
紫式部藤原惟規ら一男二女を
授かったとのことです。
結婚したその翌年には長女が、
さらに次の年に次女が
生まれたとのことです。
この次女が紫式部であるとのことです。
それから二年後に長男の藤原惟規も
生まれたとされています。
なお、藤原惟規については
紫式部の兄か弟か不明であると
されていましたが
近年では弟説がでています。
体が弱かったらしく、
長男である藤原惟規を生むと
すぐに亡くなってしまったとも
されていますが亡くなった年は
正式には不明であるとのことです。

君】
紫式部の姉は
彼女が25歳頃のころに
亡くなってしまいます。
死因は詳細は不明ですがおそらく
当時の流行病であるとみられています。
紫式部にとって母を同じとする
姉妹は姉一人でした。
生まれてからずっと
一緒に暮らしていたので、
その存在は非常に
重要な人物であったとのことです。
それを裏付ける事柄として、
紫式部は姉が亡くなると、
他人をその身代わりにして
姉君と呼んでいた、とのことです。
特にこの姉妹との関係は、
源氏物語」の登場人物である
宇治の大君」と「宇治の中君」に
その面影が写されているとも
言われているそうです。




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<宇治の大君>
「源氏物語」の登場人物です。
五十四帖中、第三部「宇治十帖」の
「橋姫」から「総角」まで登場します。
薫の思い人であります。
宇治八の宮と北の方に生まれた長女で、
思慮深くしっかりした性格の
上品で気高い姫君。
母北の方死去の後は
父と妹中君と共に、
宇治の別荘で
世捨て人のように
ひっそりと暮らしていました。

<宇治の中君>
五十四帖中、第三部「宇治十帖」の
「橋姫」から「蜻蛉」まで登場します。
匂宮の妻です。
宇治八の宮と北の方の間に
生まれた次女です。
母北の方は中君を出産後に死去、
父八の宮の手で2歳上の姉大君と
共に宇治で育てられました。
姉妹共に美しいですが、
姉の大君が物静かな性格の優雅で
気高い女性であるのに対し、
妹の中君は可憐さで優るとされています。

【藤原為信】

藤原為信(ふじわら の ためのぶ、
生没年不詳)は、
平安時代中期の官人。
藤原北家長良流で、
従三位参議藤原清経(長良の6男)の後裔。
中納言藤原文範の次男。
母は越前守藤原正茂女。
備中守藤原為雅の同母弟。
子に筑前守藤原理明・康延・
藤原為時室(紫式部の母)
らがいました。
紫式部の外祖父にあたる人物です。

康保2年(965年)、
蔵人所雑色より、村上天皇の六位蔵人に
補任されました。
その後、越前守・右近衛少将・
右馬頭・摂津守・常陸介などを歴任し、
極位は正四位下(従四位上とも)でした。
永延元年(987年)1月13日に出家
しましたが、その後の消息は
不明であるとのことです。
(「小右記」より)

2024年NHK大河ドラマ
「光る君へ」では
役名を「ちやは」として
国仲涼子(くになか りょうこ)さんが
演じられます。

紫式部~世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を執筆した女流小説家で平安時代きっての才女。

大弐三位(紫式部娘・藤原賢子)~母からは和歌や文才を、父からは明朗で自由快活な気性を受け継ぎ、行動力溢れ長寿を全うしました。

藤原為時~漢詩の才能に長け、人格形成で紫式部に影響を与えたとされており、子らに先立たれる。

藤原惟規~紫式部の兄弟で和歌の才能があったが、越後にて父より先に亡くなる。

さわ~紫式部(まひろ)の友人、史実では平維将の娘である従姉妹の筑紫の君の可能性あり。

源雅信~皇室の血筋で源倫子の父、藤原兼家にとっては邪魔な存在、宇多源氏の始祖で子孫は近江源氏・出雲源氏へと繋がっていく。

藤原兼家~熾烈な権力闘争に勝ち、のちの藤原氏最盛期を築いた人物です。

藤原頼忠~従兄弟の兼通とは親しく兼家とはライバル、天皇の外戚になれず失意のうちに世を去る。

藤原実資~藤原北家嫡流の小野宮流の家領を継ぎ「賢人右府」と呼ばれ、貴重な資料である「小右記」を残す。

藤原道隆~藤原道長の長兄、容姿端正、明朗で豪快、気配り上手な優れた跡継ぎでしたが病で急逝します。

藤原道兼~父は藤原兼家、兄は藤原道隆、弟は藤原道長、待望の関白に就くも数日でこの世を去る。

藤原道長~初めは目立たずも後に政権を掌握、「一家立三后」をなし「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠む。

源倫子~6人の子供に恵まれ、夫である藤原道長の外戚政権を 実質的に完成させた女性です。

藤原詮子~藤原道長の姉、国母となりやがて日本最初の女院となって、権力を握り政治に介入する。

藤原時姫~藤原兼家の妻で藤原道隆・道兼・道長・超子・詮子の生母、一条・三条両天皇の祖母です。

高階貴子~身分は高くないが和歌と漢詩に秀でた才媛で藤原道隆の嫡妻、百人一首54番の情熱的な和歌が有名。

藤原宣孝~性格も女性関係も華やかで20歳以上も年上であった紫式部の夫。

藤原穆子~源倫子の母親で藤原道長の才能を見抜き結婚を勧めた女性で紫式部とは遠縁です。

清少納言~末娘で父親からとても可愛がられて育ち、定子に仕え世界最古の随筆である「枕草子」を執筆します。

いと~まひろ(紫式部)と弟の惟規の乳母、平安朝の乳母について

乙丸~まひろ(紫式部)に仕えている従者、平安貴族の女性の暮らしは?

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