平安時代

藤原時姫~藤原兼家の妻で藤原道隆・道兼・道長・超子・詮子の生母、一条・三条両天皇の祖母です。

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藤原時姫

藤原 時姫(ふじわら の ときひめ、
生年不詳 – 天元3年1月15日(980年2月4日))は、
平安時代中期の女性です。
摂津守藤原中正の娘。
摂政太政大臣・藤原兼家の正室、で
一条・三条両天皇の祖母となります。
贈正一位。

【生涯】
藤原兼家に嫁いで藤原道隆
道兼・道長・超子・詮子らを生みますが、
夫の藤原兼家が摂政になる前に死去しました。
なお、時姫死去時の
藤原兼家の官位は正二位・右大臣でした。
孫の一条天皇の即位後の永延元年(987年)に
正一位を贈位されました。
また、中級官人であった
兄の藤原安親も
天皇の外戚として
参議に任じられて公卿に列しました。

【「蜻蛉日記」の描写】
また、藤原兼家の妻の1人であった
藤原道綱母の「蜻蛉日記」には、
直接名指しはされてはいませんが、
藤原時姫と推測される女性が登場し、
作者がライバル意識を抱いている
描写が存在しているとのことです。
後に藤原時姫とその子供達が
藤原兼家の邸宅東三条殿に
招かれた事も書かれているとのことです。
ですが、藤原時姫のほうが
結婚は先であったとされています。
藤原道綱母が結婚した時にはすでに
藤原道隆は生まれていたとのことです。

【時姫所生の根拠】
また藤原道長ら兄弟の生母を
藤原兼家の側室の1人であった
藤原安親の娘(時姫の姪)
とする異説もありますが、
藤原安親と時姫の長男とされる
藤原道隆の年齢差(31歳)を
考慮しますと、両者は
伯父・甥の関係として、
藤原道隆らを時姫所生とするのが
妥当とする反論があるとのことです。
また、没日についても、
1月21日とする説もあるなど、
夫や子供の出世以前に
藤原時姫が没したために
詳細な伝記については
不明な部分が多いとのことです。




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妻問婚
妻問婚(つまどいこん)とは
婚姻の一種で、
夫が妻の下に通う
婚姻の形態のことをいいます。
招婿婚ともいうとのことです。
日本に置いて妻問婚は、
飛鳥・奈良時代に先立つ
古墳時代に一般的であったと
考えられているとのことです。
妻と夫はそれぞれの氏族で居住し、
妻の財産は妻方の氏族が、
夫の財産は夫方の氏族が
管理したとのことです。
各氏族内では氏族長として
氏上がいました。

子の養育は母の一族が行うものであり、
夫方の一族が介入することは
できなかったとのことです。
離婚も簡単で、
夫が妻方に通わなくなったら
「床去り」「夜離れ」といって
離婚となった模様です。
また通ってきた夫を
妻が返してしまえば
それもやはり離婚となったとのこと。
従って、何らの宣言も届け出もない
古代の離婚は大変あいまいなものでした。
そのような状況なので
一夫多妻はもとより
多夫多妻となる婚姻も
珍しくなかったとのことです。

【妻問婚と摂関政治
妻問婚は平安時代中期まで継承され、
これが摂関政治成立の
原因のひとつとなったと
いわれています。
藤原氏を妻に持つ天皇の子は、
母の一族である藤原氏のもとで養育され、
その子が長じて天皇になった場合に、
藤原氏の意向に従う存在となるのは
当然の帰結でした。
けれども平安時代中期より
制度に変化が見られ、
生まれた子供の養育を
父の一族で行う慣例となり、
これが後三条天皇以降の
摂関政治の衰退の原因となったとのことです。

【原則は一夫一妻】
では、平安時代の貴族は
一夫多妻であったかというと
決してそうではなかったとのことです。
夫が最初に婚姻を結んだ女性を
嫡妻あるいは前妻(こなみ)と
呼んだとのことです。
そして複数の正室を迎える場合が
あったとしても、
嫡妻と法的に認められるのは
1人だけであり、
貴族の子弟の立身を定めた
蔭位においては嫡妻が産んだ長男が
嫡子と呼称されて
父の後継者とする制度が
法制度として存在していたとのことです。
正室は律令制の元では
嫡妻(ちゃくさい)と
呼ばれていたとのことで、
原則として1人であったとのことです。
法的には一夫一妻であとは
側室(妾)、といったところでしょうか。
しかしながら、
平安時代後期以後には
蔭位制度が形骸化し、
代わって父が
自らの地位・財産の継承者として
嫡子を選択するようになったため、
嫡妻の法的意味が
失われていくことに
なっていきました。
したがってこのころになると
事実上の一夫多妻に
なってしまったのかもしれません。




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嫁迎え婚(嫁入り婚)
一方、平安時代中期以降から
鎌倉時代にかけての
武士の間ではその所領地が
一族の生活基盤そのものであり、
結婚してもその土地を離れる訳には
いきませんでした。
こうした事情などから、
女性が男性の家に入り同居する
「嫁迎え婚(嫁入り婚)」が
徐々に増えていったということです。

当時の「嫁迎え婚(嫁入り婚)」では、
源頼朝の妻の北条政子のように、
女性は結婚しても姓は変わらず、
財産も自ら持つなど独立性が
高かったとのことです。

2024年NHK大河ドラマ
光る君へ」では
三石琴乃(みついし ことの)さんが
演じられます。

藤原兼家~熾烈な権力闘争に勝ち、のちの藤原氏最盛期を築いた人物です。

円融天皇~政治に関与し兼家と疎隔・対立するも、藤原詮子との間に後の一条天皇が誕生します。

藤原道隆~藤原道長の長兄、容姿端正、明朗で豪快、気配り上手な優れた跡継ぎでしたが病で急逝します。

藤原道兼~父は藤原兼家、兄は藤原道隆、弟は藤原道長、待望の関白に就くも数日でこの世を去る。

藤原道長~初めは目立たずも後に政権を掌握、「一家立三后」をなし「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠む。

藤原詮子~藤原道長の姉、国母となりやがて日本最初の女院となって、権力を握り政治に介入する。

藤原彰子~真面目で努力家で控えめな少女は成長して国母となり政治力を発揮し「賢后」となりました。

藤原伊周~藤原道隆の嫡男、急速に出世するも叔父・道長との政争に敗れ失意のうち世を去る。

藤原隆家~藤原道隆の四男、「刀伊の入寇」で武勇を挙げ政敵・道長も一目置いた気骨ある人物です。

源雅信~皇室の血筋で源倫子の父、藤原兼家にとっては邪魔な存在、宇多源氏の始祖で子孫は近江源氏・出雲源氏へと繋がっていく。

源倫子~6人の子供に恵まれ、夫である藤原道長の外戚政権を 実質的に完成させた女性です。

源明子(源高明の娘)~藤原道長の妾妻で源俊賢の異母妹、明子の家系はやがて五摂家に繋がっていくのです。

藤原穆子~源倫子の母親で藤原道長の才能を見抜き結婚を勧めた女性で紫式部とは遠縁です。

高階貴子~身分は高くないが和歌と漢詩に秀でた才媛で藤原道隆の嫡妻、百人一首54番の情熱的な和歌が有名。

藤原定子~朗らかで才気に満ち華やかで美しい女性、父道隆の死で状況は一変し若くして散る。

藤原寧子(藤原道綱母)~藤原兼家の妻の一人で、女流日記の先駆けと評されている「蜻蛉日記」の作者です。

藤原道綱~藤原道長の異母兄で母は「蜻蛉日記」の作者、おっとりとした性格で才に恵まれず。

清少納言~末娘で父親からとても可愛がられて育ち、定子に仕え世界最古の随筆である「枕草子」を執筆します。

紫式部~世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を執筆した女流小説家で平安時代きっての才女。

藤原為時~漢詩の才能に長け、人格形成で紫式部に影響を与えたとされており、子らに先立たれる。

藤原宣孝~性格も女性関係も華やかで20歳以上も年上であった紫式部の夫。

藤原頼忠~従兄弟の兼通とは親しく兼家とはライバル、天皇の外戚になれず失意のうちに世を去る。

藤原公任~藤原北家小野宮流で政治的・芸術手的にも名門の出で「お坊ちゃま」、藤原道長とは同い年で四納言。

藤原実資~藤原北家嫡流の小野宮流の家領を継ぎ「賢人右府」と呼ばれ、貴重な資料である「小右記」を残す。

ちやは(藤原為信の娘)~紫式部の生母、藤原為時との間に一男二女を授かりますが若くして亡くなります。

直秀~町辻で風刺劇を披露する散楽の一員、散楽とは奈良時代に大陸から移入された大衆芸能の起源

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