平安時代

藤原寧子(藤原道綱母)~藤原兼家の妻の一人で、女流日記の先駆けと評されている「蜻蛉日記」の作者です。

弁天沼



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【藤原寧子(藤原道綱母)】

藤原 道綱母(ふじわらの みちつなのはは、
承平6年〈936年〉?⇒
長徳元年5月2日〈995年6月2日〉)は、
平安時代中期の歌人。藤原倫寧の娘です。
2024年NHK大河ドラマ
光る君へ」では
藤原寧子(ふじわらのやすこ)としています。

「尊卑分脈」に「本朝第一美人三人内也
(=日本で最も美しい女性三人のうちの一人である)」
と書かれているとのことですが、
尊卑分脈は間違いも多く
根拠は判然としないとのことです。
なお、「榻鴫暁筆」(室町時代後期)
によりますと、他の2人は、
藤原安宿媛(光明皇后)と
藤原明子(染殿后)であるとのことです。

藤原兼家の妻の一人になり、
道綱を産みました。
また、藤原兼家の旧妻である
源兼忠女の娘を引き取り
養女にしています。
藤原兼家との結婚生活の様子などを
「蜻蛉日記」につづりました。
晩年は摂政になった夫に
省みられる事も少なく
寂しい生活を送ったと
言われていますが詳細は不明です。
「蜻蛉日記」は没年より約20年前、
39歳の大晦日を最後に
筆が途絶えています。

小倉百人一首では
右大将道綱母とされています。




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【和歌】
「拾遺和歌集」以下の勅撰集に
36首が採られ、
弟・藤原長能や
一子・藤原道綱と共に
中古三十六歌仙に選ばれています。
家集に「傅大納言母上集」があります。

なげきつつ ひとりぬる夜の
あくるまは いかに久しき ものとかはしる

「拾遺和歌集』恋四・912、
小倉百人一首・53番

また、清少納言らと共に
女房三十六歌仙の1人にも選ばれています。
道綱母の兄・藤原理能は
清原元輔の娘、すなわち清少納言の姉を
妻に迎えており、そのこととの関連性は
不明ではありますが「枕草子」では
道綱母が詠んだ以下の歌が
紹介されているとのことです。

たきぎこる ことは昨日に尽きにしを
いざ斧の柄は ここに朽たさむ

「拾遺和歌集」哀傷・1339
「今昔秀歌百撰」では30番に
蜻蛉日記から

あらそへば思ひにわぶるあまぐもに
まつそる鷹ぞ悲しかりける

選者:速水博司(元目白大学短期大学部教授)
「更級日記」の作者である菅原孝標女は
道綱母の妹が母であり、
道綱母から見て姪に当たるとのことです。

【蜻蛉日記】

「蜻蛉日記」(かげろうにっき、
かげろうのにっき、かげろうにき)は、
平安時代の女流日記文学です。
作者は藤原道綱母です。
天暦8年(954年)⇒ 天延2年(974年)の
出来事が書かれており、
成立は天延2年(974)前後と
推定されています。
上中下の3巻よりなりたちます。
題名は日記のなかの文
「なほものはかなきを思へば、
あるかなきかの心ちするかげろふの日記
といふべし」より。

【概要】
夫である藤原兼家との結婚生活や、
藤原兼家の嫡妻である
時姫(藤原道長の母)との競争、
夫に次々とできる妻妾について書き、
また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの
旅先での出来事、上流貴族との交際、
さらに母の死による孤独、
息子である藤原道綱の成長や結婚、
藤原兼家の旧妻である
源兼忠女の娘を引き取った
養女の結婚話と
その破談についての記事があります。
藤原道綱母の没年より約20年前、
39歳の大晦日を最後に筆が途絶えています。

歌人との交流についても書いており、
掲載の和歌は261首です。
なかでも
なげきつつひとりぬる夜のあくるまは
いかに久しきものとかは知る

は百人一首にとられています。
女流日記のさきがけとされ、
源氏物語」をはじめとする
多くの文学に影響を与えたとのことです。
また、自らの心情や経験を
客観的に省察する
自照文学の嚆矢(こうし)ともされています。

<嚆矢>
物事の初めの意。




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【あらすじ】
天暦8年(954年)秋 
兼家と和歌の贈答がある。
9年 道綱が生まれる。
9月 兼家は他の女に通い始める。
10月 嘆きつつ一人寝る夜のの歌。

天徳元年(957年) 
兼家の女が子を産んだと聞き嫉妬する。
兼家から頼まれた衣を縫わずに返す。
いさかいが絶えない。
2年 兼家の女が捨てられたと
聞きよろこぶ。
このころから自然美に眼を開く。

康保元年(964年) 
母を亡くし、悲しさのあまり、
道綱を連れて山にこもる。

2年 母の一周忌の法事を、
ありし山寺で行なう。
この秋、頼もしき人の遠くにいくを送る。

3年 春3月、をば君の病が重くなり、山寺に上る。
とある夕べ、をば君を山寺に訪れ、
しめやかに語らう。5月、兼家と双六をうち、
勝って物見に出ると約束する。
秋、ふとしたいさかいの果てに、
鐘鋳を怒らせる。

4年 6月、村上天皇の崩御、
兼家はまもなく蔵人頭になる。
天皇の寵愛あつかった女御に
同情の和歌を送る。
7月、兵衛佐という人が
山に上って法師になり、
若い美しい妻も
その後を追って尼になると聞き、
同情の和歌をその尼に送る。

安和元年(968年) 9月、初瀬に行く。

2年 正月、兄とこといみなどして遊ぶ。
3月3日、節供など試み、
ここかしこの人を招く。
3月25、6日のころ、
西の宮の大臣高明の流罪を悲しむ。
6月15日、兼家は御嶽詣を思い立ち、
道綱を連れて出発する。
愛児の旅路の安泰を祈る。

天禄元年(970年) 
3月10日のほど、内裏で賭弓のこと。
道綱がそのなかに加わり、
勝ったことを聞き喜ぶ。
6月、唐崎に祓いに向かう。
兼家の愛がしだいにうすらぐ。
7月、亡母の盆のこと。
石山の10日ばかりこもる。
11月、道綱元服。
12月、人の心は次第に
遠ざかりていわむ方もない。

2年 正月元日、兼家来ず。
近江という女のもとに通うといううわさ。
2日ばかりして兼家が来るが、
ものも言わない。
2月、呉竹を庭に植えて寂しさを慰める。
4月、道綱と長精進を始めようと思う。
このころいちじるしく感傷的になる。
6月、西山に渡る。
兼家は迎えに来るが従わない。
とある日、たのもしき人のために
むりやり連れられて京都に帰る。
ふたたび初瀬に思い立つ。
10月20日、
屋根におく霜の白さに
驚きの目を見張る。
12月、雨の激しく降る日、兼家が来る。
愛児の成長を見て
母らしい喜びを味わう。
25日、つかさめしに兼家は大納言になる。

3月詩人らしい眼で春を見る。
かつて兼家の通ったことのある
源宰相兼忠の女の腹に、
美しい姫君のあると聞き、
その姫君を迎え、
養女としようとする。
6月、庭をはく翁の言葉に、
詩人らしい耳を傾ける。




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天延元年(974年) 
2月、紅梅の枝を兼家に送る。
9月、中川に遊ぶ。
12月、田上に詣でる。
祓殿のつららに驚きの眼をはなつ。

2年 正月15日、
道綱の雑色の男の子らが儺をして騒ぐ。
2月、右馬頭が養女に懸想し、
作者にとりなしを頼む。
11月、臨時の祭の日、
ひそかに物見に出て、
貴公子らしくふるまっている
道綱の姿を見て父が衆人の中で
面目を施しているのを見る。
(引用元:ウキペディアより)

2024年NHK大河ドラマ
「光る君へ」では
藤原寧子(ふじわらのやすこ)の役名で
財前直見(ざいぜん なおみ)さんが
演じられます。

藤原道綱~藤原道長の異母兄で母は「蜻蛉日記」の作者、おっとりとした性格で才に恵まれず。

藤原兼家~熾烈な権力闘争に勝ち、のちの藤原氏最盛期を築いた人物です。

藤原時姫~藤原兼家の妻で藤原道隆・道兼・道長・超子・詮子の生母、一条・三条両天皇の祖母です。

藤原道隆~藤原道長の長兄、容姿端正、明朗で豪快、気配り上手な優れた跡継ぎでしたが病で急逝します。

藤原道兼~父は藤原兼家、兄は藤原道隆、弟は藤原道長、待望の関白に就くも数日でこの世を去る。

藤原道長~初めは目立たずも後に政権を掌握、「一家立三后」をなし「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠む。

藤原詮子~藤原道長の姉、国母となりやがて日本最初の女院となって、権力を握り政治に介入する。

紫式部~世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を執筆した女流小説家で平安時代きっての才女。

和泉式部~和歌の才能にあふれた恋多き自由奔放な女性、娘への哀傷歌が有名です。

清少納言~末娘で父親からとても可愛がられて育ち、定子に仕え世界最古の随筆である「枕草子」を執筆します。

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