鎌倉殿の13人

北条時子~足利義兼の正室で北条政子の同母妹、身の潔白の為に自害。お腹が膨れた原因は寄生虫の可能性あり。

鑁阿寺 鐘楼




北条時子

北条 時子(ほうじょう ときこ、生没年未詳)は
平安時代末期から鎌倉時代前期の
北条氏一族の女性です。
鎌倉幕府初代執権である
北条時政の娘で
北条氏得宗義時流。
御家人である足利義兼の正室で、
足利義氏、野田朝氏室の母です。
北条時子の生母は未詳ですが、
北条政子の同母妹とみられています。
他に兄弟は、宗時、義時、時房、
阿波局、時房、政範などです。
実名は未詳で、
時子と伝承されてはいますが、
その典拠は不明で保子との説も有ります。
法号は智願院殿です。

【夫は足利義兼】
「吾妻鏡」によりますと、
治承5年(1181年)2月1日、
同母姉とされる北条政子の夫である
初代鎌倉将軍源頼朝の意向で、
足利義兼の妻となったとのことです。
足利義兼は源頼朝と同じく
河内源氏義家流であり、
源頼朝の門葉とされています。
更に足利義兼の母と源頼朝の母とは
義理の姉妹で血縁としては
叔母姪にあたり、
北条時子との婚姻により足利義兼は、
源頼朝と相婿という
更に強い関係で結ばれ、
幕府内でも高い地位を得ていったのでした。

鑁阿寺 本堂

【源頼朝死後の足利宗家】
源頼朝死後、
北条時政の他の娘達が
縁付いた有力御家人や門葉の
畠山重忠、稲毛重成、阿野全成
平賀朝雅、河野通信が、
北条得宗が幕府権力を争奪する
過程における権力闘争により
次々と粛清されたり失墜していきました。
けれどもその中で足利氏は、
北条時子の子である足利義氏を
最盛期として幕府への影響力は
低下していくのですが、
源家将軍断絶後も
執権北条氏とは
一応の協調関係を保ち、
代々北条氏から室を迎えるなど、
鎌倉期歴代当主は
北条氏所生の嫡男が
家督を継いでいくこととなりました。
但し、
6代目当主の足利家時とその孫にあたる
8代目当主の足利尊氏
側室の上杉氏の所生です。
足利家時は霜月騒動の余波で切腹し、
足利尊氏は北条氏を滅ぼすことになります。

足利家時ほか一族の墓(やぐら)

【北条時子の子供たち】
足利義兼との間には、
足利家当主となった嫡男である義氏と、
一時は3代将軍源実朝
正室候補にもあげられた
熱田大宮司野田朝氏室をもうけました。
また夭逝した瑠璃王と薬寿御前も
時子の子と伝えられています。
運慶作と伝わる光得寺(足利市)と、
2008年3月に真如苑が
ニューヨークの競売で落札した大日如来像2体は、
足利義兼の発願に拠るものとされており、
「鑁阿寺樺崎縁起並仏事次第」には
台座に瑠璃王と薬寿御前の遺骨が
納められたと記されています。
更に系図によっては
畠山義純も北条時子所生
とするものもあります。





【帝釈山法玄寺】
所在地〒326-0805 栃木県足利市巴町2545
にある帝釈山法玄寺には
伝北条時子姫五輪塔があります。
これは源姓足利氏二代目の
足利義兼の長男である畠山義純が、
母である北条時子の菩提を弔うために
建立したと伝えられる五輪塔です。
また、帝釈山法玄寺は北条時子の
菩提寺であります。
五輪塔・台石とも凝灰岩製ですが、
台石は多少後年のものと考えられます。
最上部の空風輪は一つの石からできており、
火・水・地輪の幅はほぼ等しく、
古い時代の様式を示しています。
足利源氏ゆかりの石塔であり、
保存状態もよく貴重であるとのことです。
この五輪塔は昭和6年にお寺が
無縁祭壇を造るための工事を行った際に
発見され、推定年代が
鎌倉時代と判明したとの事です。
それまでは、
北条時子の死については
伝承とされておりましたが、
この五輪塔の発見により、
伝承が事実であると判明したとのことです。
足利市の重要文化財になっております。

法玄寺は、夫の足利義兼または
畠山義純が北条時子の菩提を弔うために
建立したとのことです。
北条時子の没年は不明ですが、
法玄寺の縁起にある「蛭子伝説」では、
建久7年(1196年)6月8日とのことです。

【蛭子伝説】
北条時子の死に関しては
以下のような伝説が、
足利氏の本領足利庄の存在した
栃木県に伝承されています。

夫である足利義兼が、
北条時子を足利庄に置いて
鎌倉に出府していた間のことです。
北条時子が野外にて、
井戸から侍女の藤野が
汲んできた生水を飲んだところ、
しばらくして北条時子の腹が膨れて
妊娠したような状態に
なってしまったとのことです。
これを藤野が足利義兼に、
北条時子が足利忠綱(藤姓足利氏)と
不義密通して子を孕んだと告げたため、
足利義兼は北条時子を疑ってしまいます。
そうした夫の態度に対して
北条時子は「死後わが身体をあらためよ」
と遺言して、建久7年に自害したのでした。
遺言のとおりに、
北条時子の遺体を改めると、
腹からは大量の蛭が出てきたのでした。
足利義兼は大いに悔み悲しんで
北条時子を篤く弔い、
井戸を塞ぎ、
藤野を牛裂きの刑に
処したということです。

【蛭子塚・お蛭子さま】
北条時子の墓である
「蛭子塚」がある法玄寺では、
昭和に入ってからの工事で
鎌倉時代推定の五輪の塔が発掘されています。
「お蛭子さま」と称されて
足利市重要文化財に指定を受け、
伝承には事実が含まれているとする他、
足利義兼建立の鑁阿寺にも
蛭子伝説は「蛭子堂(智願寺殿御霊屋)」
「開かずの井戸」となって
伝承とされ安産の神として
信仰を集め、
足利市指定有形文化財になっています。

なお伝承では幾つかの変種や
相違点も見られます。
藤野が足利義兼に虚偽を告げた理由を
足利忠綱との情の縺れからくる
腹いせとするものや、
藤野を侍女ではなく
足利義兼の側妻とする、などです。

(藤野は足利義兼を思慕していた事は
確かかもしれませんね。)

【足利忠綱(藤姓足利氏)のその後】
法玄寺内の「蛭子塚」案内版や
鑁阿寺の「蛭子堂」看板では、
藤野が北条時子の不義の相手として
名指しした人物を
藤姓足利氏の
足利又太郎忠綱としています。
不義密通という虚言に惑わされ怒った
足利義兼から遁走しましたが
追い詰められ自害、
または斬殺されたとして、
「逆藤天満宮」(足利市)の
「逆さ藤天神」の伝承とも
絡められているとのことです。

【北条時子の症状(現代より)】
北条時子の症状から、決して不義密通ではなく
日本住血吸虫
(にほんじゅうけつきゅうちゅう)
という寄生虫による
ものとされる説があります。
症状として、伝承には
北条時子が藤野が井戸から
汲んできた生水を飲んだこと、
飲んだ後にお腹がかなり膨満してしまった事、
がありますが、それは正に
日本住血吸虫の寄生による
症状と一致しているとの事です。

【日本住血吸虫】
中間宿主は淡水(水田や側溝、ため池)に生息する
小型の巻貝のミヤイリガイ(別名カタヤマガイ)で、
最終宿主はヒト、ネコ、イヌ、ウシなどの
様々な哺乳類であるそうです。
分布は日本を含む東アジア、東南アジアです。
かつては日本が分布の北限であったそうです。

2000年前の中国のミイラから
日本住血吸虫卵が見つかったとの記事が
1989年10月12日付朝日新聞に
掲載されていたとのことです。





【日本住血吸虫の寄生による症状】
紐状の形の、細長い吸虫で、
ヒトを含む哺乳類の
血管(門脈)内に寄生し、
赤血球を栄養源にしているとのことです。
症状の末期として、
肝硬変のほか、
貧血、脾腫、消化器障害などを
併発するそうです。
肝硬変が顕著な例では、
門脈の血流が鬱滞して腹水がたまり
腹部膨満をきたすとのことです。
また脳においては、てんかん、
痙攣などの症状が現れるそうです。
症状を放置すると
最終的には衰弱し死に至るそうです。

【日本での終息宣言】
1996年2月、
国内最大の感染地帯であった
甲府盆地の富士川水系流域の
有病地を持つ山梨県は、
日本住血吸虫病流行の終息を
宣言しました。

西日本における主要な感染地帯であった
筑後川流域では、
2000年に終息宣言を発表しました。

【注意喚起は怠らずに!】
現在でも千葉県小櫃川流域
及び最大の有病地であった
山梨県甲府盆地北西部の釜無川流域では、
継続的に生息が確認されているとのことです。
世界で感染したヒトが野糞をすると、
再流行する可能性はあり、
安心というわけではない、そうです。

【中国、東南アジア】
中華人民共和国や、フィリピンをはじめとする
東南アジアではいまだに
感染地域が残っているそうです。
プラジカンテルに対する
耐性の出現も報告されているとのことです。

【住血吸虫たち】
またアフリカ等ではマンソン住血吸虫、
ビルハルツ住血吸虫、
東南アジアではメコン住血吸虫の感染も
問題になっているとのことです。
ワクチンによる予防手段はないので、
感染地では淡水の生水を
皮膚に接触させないことが重要とのことです。

【北条時子さん、不憫】
北条時子さん、何とも不憫です。
身体の症状から察するに、
かなりお辛かったことと思います。
そして夫の言葉で精神的にも大ダメージ・・。
それではもう生きる気力など皆無になります。

現在でも沢の水など、
うっかりそのまま飲まないように!
北条時子さんからのメッセージですね。

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