鎌倉殿の13人

阿野全成~源頼朝の異母弟で源義経の同母兄~妻の実家側について甥の源頼家とやがて対立する。

大泉寺(沼津市)




【阿野 全成】

阿野 全成(あの ぜんじょう / ぜんせい)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、
源義朝の七男で源義経の同母兄及び
源頼朝の異母弟となります。
阿野氏の祖です。
通称は醍醐禅師、
もしくはその荒くれ者ぶりから
悪禅師とも呼ばれたと「平治物語」で記されています。

【時代】
平安時代末期 – 鎌倉時代初期

【生誕】
仁平3年(1153年)
【死没】
建仁3年6月23日(1203年8月1日)

【改名】
今若丸(幼名)⇒隆超⇒全成

【別名】
醍醐禅師、悪禅師(通称)、阿野法橋全成

【墓所】
静岡県沼津市井出の大泉寺

【幕府】
鎌倉幕府

【主君】
源頼朝、頼家

【氏族】
河内源氏為義流阿野氏

【父】
源義朝、

【母】
常盤御前
【兄弟】
義平、朝長、頼朝、義門、希義、範頼、
全成、義円、義経、坊門姫

【妻】
阿波局(北条時政の娘)

【子】
頼保、頼高、頼全、時元、
道暁、頼成、
女子(四条隆仲室)、
女子(藤原公佐室)

阿野全成の生い立ち】
7歳の時の平治元年(1159年)、
平治の乱で父義朝が敗死したため
幼くして醍醐寺にて出家させられます。
隆超(または隆起)と名乗り、
ほどなく全成と改名しました。

【寺を抜け出し東国へ】
治承4年(1180年)、
以仁王の令旨が出されたことを知ると
密かに寺を抜け出し、
修行僧に扮して東国に下りました。
(「吾妻鏡」治承4年10月1日条)。
石橋山の戦いで異母兄の
源頼朝が敗北した直後の8月26日、
佐々木定綱兄弟らと行き会い、
相模国高座郡渋谷荘に匿われたとのことです。

【源頼朝との対面】
10月1日、
下総国鷺沼の宿所で源頼朝と対面を果たしました。
兄弟の中で最初の合流であり、
源頼朝は泣いてその志を喜んだとのことです。

北条政子の妹の阿波局と結婚】
源頼朝の信任を得た阿野全成は
武蔵国長尾寺(現在の川崎市多摩区の妙楽寺)を与えられ
(「吾妻鏡」治承4年11月19日条)、
源頼朝の妻の北条政子
の妹である阿波局と結婚します。
阿波局は建久3年(1192年)に源頼朝の
次男である千幡(後の源実朝)の乳母となりました。
(「吾妻鏡」建久3年8月9日条)。
養和元年(1181年)以降、
阿野全成は「吾妻鏡」文治元年(1185年)12月7日条と
建久3年(1192年)8月9日条に所見しますが、
藤原公佐(阿野全成の娘婿)や
阿波局の関連で言及されているだけで、
源頼朝期には本人は登場は一切見当たりません。





なお「玉葉」寿永2年(1183年)11月6日条では
「能保悪禅師の家に宿すと云々。
頼朝の居を去ること一町許りと云々」
とあり、鎌倉に亡命してきた源頼朝の妹婿である
一条能保の滞在先は阿野全成の邸だったということです。

<大泉寺の境内>
大泉寺の境内

【有力御家人として】
駿河国阿野荘を領有し
鎌倉幕府の有力御家人として
将軍家につかえました。

源頼家と対立】
正治元年(1199年)に源頼朝が死去し、
甥の源頼家が将軍職を継ぐと、
阿野全成は源実朝を擁する
舅の北条時政及び義兄弟の北条義時と結び、
源頼家一派と対立するようになります。
建仁3年(1203年)5月19日の子の刻(深夜0時頃)、
先手を打った源頼家は武田信光を派遣し、
阿野全成を謀反人として捕縛し御所に押し込めました。

【源頼家の命で殺される】
阿野全成は5月25日に常陸国に配流され、
6月23日、源頼家の命を受けた
八田知家によって誅殺されました。
享年は51歳でした。
7月16日には三男の
播磨公(はりまのきみ)頼全(よりまさ/らいぜん)が
京都の東山延年寺で源仲章によって殺害されています。

【墓所】
阿野全成の墓は静岡県沼津市の大泉寺に
嫡男(四男)の阿野時元のものと
並んで現存し、市の史跡に指定されています。
阿野全成と阿野時元の墓

<説明板>
阿野全成・阿野時元の墓 説明

【阿野時元】

阿野 時元(あの ときもと)は、鎌倉時代初期の武将。
源頼朝の異母弟である阿野全成の四男です。
「尊卑分脈」では隆元(たかもと)と称されています。

【生涯】
母が北条氏であるため、
四男ですが嫡男とされています。

源頼朝が伯父であり、
源義経も叔父となります。

父の阿野全成(源義経の同母兄)は
建仁3年(1203年)、
甥で鎌倉幕府第2代将軍の
源頼家と対立して殺害されました。
阿野時元はこの時、
外祖父である北条時政や
伯母の北条政子の尽力もあって
連座を免れ、父の遺領である
駿河国東部の阿野荘に隠棲しました。
阿野荘は現在の静岡県沼津市から富士市にかけての
地域となります。

建保7年(1219年)1月、
従兄弟に当たる第3代将軍である
源実朝が殺害されると、
将軍の座を望んで翌月(承久元年2月11日)に挙兵しました。

けれども思うように
兵を集めることができないうちに、
執権である北条義時の命を受けた
金窪行親(またもや!)の手勢に討ち取られました。
「承久記」では、最期は自害であったと伝えています。

【やむを得ず、の挙兵の可能性】
源実朝死後、
清和源氏嫡流の血筋を引く男子が
複数存命でしたが、
北条政子や北条義時は
親王将軍の迎え入れを
後鳥羽上皇院政下の朝廷に要請し、
源氏の血統が次々と粛清されています。
阿野時元の事件もその一環として
起こったという側面がある、とのことです。

鎌倉幕府側の「吾妻鏡」は
「謀反」(お決まりの)
と表現していますが、
鎌倉時代史研究者の永井晋氏は、
討手が向けられたことを知って
決起した可能性を指摘しています。

【子孫】
武家としての阿野氏は
阿野時元の系統に受け継がれました。
その子孫は南北朝期までは
確実に存在したことが
記録に残っていますが、
同じ河内源氏の系統に繋がる
足利氏などと比べて、
守護にも任命されることがない
小勢力でしかなかったそうです。
その一方、阿野全成の娘は
藤原公佐
(滋野井実国の養子、実父は藤原成親)
と結婚しており、阿野荘の一部を相続し
その子である阿野実直は
母方の阿野全成の名字を称し
公家としての阿野家の祖となっています。
後醍醐天皇の寵愛を受け、
後村上天皇の母となった
阿野廉子はその末裔であるとのことです。
また、幕末に活躍した
玉松操(玉松 真弘(たままつ まひろ)、国学者)
もこの阿野家の末流に連なっています。





【大泉寺】
大泉寺(だいせんじ)とは、曹洞宗の寺院。
山号は士詠山。本尊は聖観音です。
阿野全成が源頼朝挙兵時に参加に加わり
功績をあげ、阿野荘を賜まり館を建てました。
更にこの地で、先祖の霊を弔うために
大泉寺を建立しました。
阿野全成の弟の源義経が、
兄の源頼朝に追われ
奥州に逃れた際に、
大泉寺に立ち寄り、
阿野全成と涙ながらに
語り合ったといわれています。

大泉寺の阿野全成の墓には首のみが埋葬されています。
首掛松の口伝も残っています。
源実朝暗殺後、阿野全成の息子である阿野時元が、
将軍になるべく深山に城を築き
準備を進めていましたが、
討ち滅ぼされ、今は
父子の墓が並ぶように埋葬されています。

今川義元の時代にも供養】
寺院にはいくつかの古文書が残されています。
その内容が
「沼津市史資料編 古代・中世」に載っています。
そのうち資料番号263・340は
それぞれ天文5年(1536年)と
永禄元年(1558年に
今川義元が寺領安堵・諸役免除を保証した判物で、
その中に法華院殿祭礼分参石とあるとのことです。
この法華院殿が阿野法橋全成のことであるそうです。
少なくとも、今川義元が存命していた時代に
阿野全成の供養が行われていることがわかります。

<所在地>
静岡県沼津市東井出744
(根方街道沿い)

国道一号線、原東町の交差点を曲がり、
突き当たりの根古屋で左折。
約800m先セブンイレブン手前にあります。
(大泉寺のHPより)

最寄り駅はJR「沼津」駅。

2022年NHK大河ドラマ
鎌倉殿の13人」では
新納 慎也(にいろ しんや)さんが演じられます。

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

阿波局(北条時政の娘)~梶原一族滅亡の火付け役?夫は源頼朝の弟で源実朝の乳母だが姉同様に我が子を失う

源範頼~ひそやかに育てられ、兄の源頼朝のために尽力するも嵌められて消えてゆく

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北条政子~いちずに恋した乙女は幾多の悲しみと困難を乗り越え尼将軍となった。

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木曾義仲(源義仲)河内源氏の一族で源頼朝とは従兄弟、美男子で信義と情を備えていたが武骨で公家文化には疎かった

興国寺城~国指定史跡~(伝)伊勢盛時の旗揚げの城であり今川・小田原北条・武田・豊臣・徳川と領地争奪戦の城。

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