鎌倉殿の13人

渋谷氏長後居跡~河崎基家が館を構え、その子である河崎重家、さらに孫である渋谷重国が居住しました。

渋谷氏長後居跡(長後天満宮)




渋谷氏長後居跡】

神奈川県藤沢市長後にある長後天満宮。
ご祭神は菅原道真公です。
元はこの地を支配していた渋谷氏が
居城の中に作った社であったといわれており、
周囲で空堀の跡も見つかっているとのことです。
境内の石灯籠は旗本朝岡丑之助が
寛永19年(1642年)に寄進した
当時の面影を残している貴重なもので、
市の指定重要文化財とされています。
貞亨3年(1686年)に奉納された
社裏手にある狛犬も、
市の指定重要有形民俗文化財となっています。

【渋谷氏長後居跡の地理地形】
渋谷氏長後居は、
神奈川県藤沢市長後にある平城(丘城)で、
渋谷氏館、渋谷家城とも呼ばれています。
現在ある長後天満宮の場所が、
渋谷氏が長後に構えた
館跡・居館跡であると伝わっています。
地形は南側は、引地川に面した
台地の先端と言う感じです。
引地川の下流には大庭御厨、
そして鵠沼海岸へと繋がっており、
江ノ島へ、小舟などで
行き来できた可能性もあることと思います。

引地川

秩父党の秩父氏】
菅原道真を祀る長後天満宮のご由緒では、
秩父党である秩父武綱の弟である
河崎基家から話が出てきます。
秩父党からは、
秩父氏からは小山田氏、川越氏、
江戸氏などを輩出していますが、
河崎基家(小机六郎)の所領は、
武蔵・河崎荘、荏原郡、小机郷です。
そして、川崎駅に近い、
武蔵・河崎氏館が本拠だったようですが、
平安時代の1115年に、河崎基家が、
相模国渋谷荘長後村に館を構えたとのことです。

【天満宮の由緒】
相模国高座郡渋谷荘は、平安時代後期、
河崎基家の父である秩父武綱(平武綱)が
前九年の役で源頼義に従った際の
恩賞として、与えられていたとのことです。
そして、敷地内に、
菅原道真公の廟を建立したとのことです。
なお、武蔵・川崎城(河崎氏館)には、
河崎(渋谷)重家と2代に渡って
住んだと推定されています。
相模国高座郡渋谷荘は、
現在の神奈川県綾瀬市・藤沢市・大和市となります。

長後天満宮の五輪塔

【渋谷氏へ】
河崎冠者基家の嫡男である河崎(渋谷)重家は、
中山付近を領し、その次男は
中山重実(中山次郎重実)と称しています。
そして、中山重実の兄で
河崎(渋谷)重家の嫡男である河崎重国が、
1161年頃に、河崎から現在の
綾瀬市西部を流れる目久尻川河畔に開けた
相模・渋谷荘(高座郡渋谷村)の
荘司になったと考えられ、
河崎重国は渋谷重国と
称するようになり、
正式に渋谷荘を領したとされています。





【渋谷氏の複数の館】
なお、渋谷氏の舘とされる城跡・館跡は、
相模・早川城
浜田歴史公園(浜田館・大谷館)、
相模・大谷館、曾司館、恩馬館、
相模・吉岡氏館(相模・吉岡館)など、
いくつかあります。

【佐々木秀義親子を匿う】
平治の乱では源義朝の陣に従っています。
「吾妻鏡」によりますと、
源義朝が敗れたのち、
所領を失って陸奥国へ逃れようとした
佐々木秀義とその子らを
渋谷荘に引き留めて援助し
佐々木氏は実に約20年間も
渋谷氏の世話を受けていたのでした。
後に佐々木秀義を婿に迎えています。
そして、佐々木秀義の子である
佐々木定綱と、佐々木盛綱らは、
伊豆に流罪となっていた
源頼朝に仕えるようになりました。

治承4年(1180年)8月の
源頼朝挙兵では
佐々木秀義の息子たちは源頼朝に従っています。

石橋山の戦い
渋谷重国は石橋山の戦いでは
渋谷重国は源頼朝から
加勢を打診されましたが、
平氏に対する旧恩から
平家方の大庭景親の軍に属しました。

【佐々木兄弟と阿野全成
石橋山の戦いで源頼朝が敗れた後、
大庭景親が渋谷重国のもとを訪れ、
源頼朝に従った佐々木兄弟の妻子を
捕らえるよう要請します。
渋谷重国は拒否し、
大庭景親はそのまま戻っています。
夜になって佐々木兄弟は途中で行き会った
阿野全成を伴って渋谷重国の館へ帰着しました。
渋谷重国は喜んで彼らを匿って
もてなしたということです。

【御家人となる】
その後、源頼朝に臣従して
所領を安堵され、
子である渋谷高重と共に御家人となりました。

【長後舘の次の当主】
なお、吾妻鏡によりますと、1181年、
渋谷重国の次男である渋谷高重が、
源頼朝から、所領・渋谷下郷
(現神奈川県藤沢市長後付近)の
年貢を免除されています。
この年貢免除の地が、長後ですので、
渋谷氏館(渋谷氏長後居跡)の館主は、
この時点では、渋谷高重であったと推定できます。
なお「吾妻鏡」に見える渋谷重国の最後の記録は、
建久5年(1194年)12月15日条の
導師を迎える馬の割り当て記事となります。

【渋谷重国の嫡男】
渋谷重国の嫡男である渋谷光重の
本拠であるとは断定できませんが、
相模国渋谷庄内の浜田館(浜田歴史公園)が、
渋谷氏の中心であった可能性があるとのことです。
渋谷重国の子である飯田家義は、
飯田郷(横浜市泉区)を与えられて、
富士塚城などに入ったと考えられています。





【渋谷家の家督を継いだ次男と横山党
のち、渋谷重国が亡くなると、
相模・吉岡館主になっていた
渋谷高重が渋谷家の家督を継いだ模様です。
なお渋谷高重の妻は
横山党である横山時広の娘となりますので、
侍所別当を歴任した和田義盛や、
梶原景時とも縁戚でした。

和田合戦
その渋谷高重は、和田義盛に味方して、
1213年の和田合戦にも参じますが、
渋谷高重、一族の中山重政、渋谷行重らは、
討死しました。
そのため相模国渋谷荘を没収され、
それが後に渋谷重国の長子である
渋谷光重に与えられました。

【渋谷光重が家督を継ぐ】
その後、渋谷光重が、
渋谷氏の家督を継いでいましたが、
承久の乱・宝治合戦で、
執権である北条得宗家に味方して、
薩摩に加増を受けました。

【薩摩へ行った五人の子供たち】
なお宝治元年の合戦の恩賞として、
北薩摩の祁答院・東郷・鶴田・入来院・
高城の地頭職を得て、
長男の渋谷重直を本領の相模国にとどめ、
それぞれの地に兄弟を下向させたのでした。
そして、1248年、
長男・渋谷重直(舟木重直)のみを相模に残し、
他の子供は、薩摩の領地に下向させ、
東郷(早川実重)、祁答院(吉岡重保)、
鶴田(大谷重茂)、入来院(曽司定心)、
高城(落合重定)を統治させました。
なかでも五男とされている渋谷定心は、
入来院氏となって清色城を本拠として、
国衆として成長し、
一族の内部では最有力な存在になったのでした。

【江戸時代の長後】
江戸時代に入ると、長後は、
旗本・朝岡丑之助の所領となりました。
朝岡氏は徳川家に三河以来の歴任した旗本であり
天正18年(1590年)、
徳川家康の関東入国ののちに
この地を知行地として与えられて、
代々それを受け継ぎ幕末まで及んだとの事です。
朝岡丑之助が地頭として
長後の鎮守である天満宮に
寛永19年(1642年)、
石燈籠を奉納し、
今も大切に保管されています。

<長後天満宮の石燈籠>
朝岡丑之助奉納の石燈籠

【所在地】
〒252-0801 神奈川県藤沢市長後1412





【交通アクセス】
小田急江ノ島線「長後」駅より
徒歩20程度(ゆっくりめの速度)。

<行き方>
長後駅「東口」から、線路沿いを歩いて行き、
踏切を渡って行くと、高低差が少なく、ラクです。
舘跡の高低差を感じるには、
引地川のほうからだと良いです。
駐車場は、長後天満宮境内が利用できるとの
事前調査でしたが、訪れた当日は
閉ざされており、残念ながら、
駐車場は利用できませんでした。

河崎氏館について~渋谷氏の祖でありやがて近江源氏の佐々木氏を援助し間宮氏に続く

富士塚城址~飯田五郎家義の居館跡で、石橋山の戦いで源頼朝を救った武将で渋谷重国の子です。

権現山城~京急「神奈川」駅より徒歩2分。青木城跡と併せて訪れたい街中の古戦場・城跡です。

和田義盛と和田合戦~三浦一族~鎌倉幕府創始の功臣だが北条義時に嵌められる

渋谷城~都会の繁華街の片隅にひっそりと存在する古城跡~城主は渋谷氏

横山党館~八幡八雲神社(八王子)・横山党は武蔵七党の一つで関東最大勢力の武士団です。

清水山城・高島七頭惣領・高島氏の居城

阿野全成~源頼朝の異母弟で源義経の同母兄~妻の実家側について甥の源頼家とやがて対立する。

石橋山の戦い~源頼朝旗揚げの地!300VS敵3000!大敗するも真鶴から安房へ逃れて再挙を図る。

大庭景親~坂東八平氏の鎌倉氏の一族~最期まで平家に忠誠を尽くした人物です。

上浜田中世建築遺構群(浜田歴史公園)、渋谷一族の大谷館の可能性があります。

泉の森・引地川の水源地を訪ねる~水源の動画あり~

大和市ふれあいの森から湘南台までを歩く~引地川散策~アスレチックや温水プール、花のお寺に千本桜あり!

円行公園から南下して歩いた記事です⇓⇓
引地川沿い散策~湘南台・円行公園から大庭・引地川親水公園まで~

更に下流にある大庭城址公園の東側にある引地川沿岸の公園です⇓⇓⇓
引地川親水公園散策~桜・藤・ツツジ~大庭城址や大庭景親、古道に吾妻鏡記述の地名など歴史がいっぱい!!

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