鎌倉殿の13人

渋谷城~都会の繁華街の片隅にひっそりと存在する古城跡~城主は渋谷氏

渋谷城の石垣のひとつ



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【渋谷城】

渋谷城(しぶやじょう)は
現在の東京都渋谷区に存在した日本の城(平山城)です。

渋谷 ハチ公前

【別名】
金王丸城
【形態】
平山城
【築城主】
渋谷氏
【築城年】
平安時代末期
【主な城主】
河崎基家、渋谷金王丸
【廃城年】
大永4年(1524年)頃
【遺構】
特に無し
「渋谷城・砦の石」と伝わる石塊が残っています。

【城の歴史】
平安時代末期から渋谷氏が住んでいました。
城には渋谷川を水源に水堀がめぐらされていたそうです。

【平安時代】
河崎重家が没した後、
息子の渋谷金王丸(しぶやこんのうまる)が
この城の城主になりました。
渋谷金王丸は土佐坊昌俊とも言われていますが、
渋谷金王丸と同一人物である資料は現在の処
発見されてはいません。
渋谷金王丸は武勇に優れ、
源義朝と源頼朝に仕えました。

【室町時代】
大永4年(1524年)、
北条氏綱による関東攻略の際に、
この城は小田原北条氏の別働隊によって焼失し、
渋谷氏は滅びました。

【現代】
現在は金王八幡宮になっており
遺構は残っていませんが、
境内には城の石とされる石が1点、
保存されています。
また、神社の前に有る道路は
堀を兼ねた小川であったとも言われているとの事です。

金王八幡宮 鳥居

<金王八幡宮 ご由緒>
金王八幡宮 ご由緒

【交通アクセス】
JR山手線、埼京線、湘南新宿ライン渋谷駅東口・新南口より徒歩5分
JR山手線、埼京線、湘南新宿ライン恵比寿駅北口より徒歩20分

【所在地】
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3丁目5−10

<場所>




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【金王八幡宮】
金王八幡宮が鎮座する東京都渋谷は、
土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)の祖父であり、
桓武天皇の孫である高望王の子孫と名乗る
秩父党の河崎冠者基家が、
前九年の役での武功により
永承6年(1051年)に与えられた
武蔵国豊島郡谷盛庄にあたります。
河崎冠者基家は渋谷氏の祖となる人物でした。
渋谷氏を名乗ったのは嫡子の重家からでした。
また同神社は渋谷氏歴代の居城渋谷城の一部で、
寛治6年(1092年)に河崎冠者基家が
城内の一角に創建したと伝えられています。
今も神社の一隅には
金王丸を祀る金王丸御影堂があります。

<金王丸御影堂>
金王丸御影堂

<境内の御神木>
渋谷城址 神木

【渋谷城周辺の地形】
渋谷城址、現在の金王八幡宮は丁度小高い丘になっています。
この場所から見て西・東・南側は低地となっており、
ここに渋谷川を利用した水堀を
巡らしていただろうと推測されています。
現在の渋谷警察署辺りは堀の跡と言われています。
渋谷城があった場所には金王丸産湯の井戸をはじめ、
水質の良い井戸があり、館の周辺には
湧水がいくつかあったとのことです。
それらの地域は湿地帯でもあったようです。
北東側には黒鍬(くろくわ)谷と称されていた谷地があり、
南東側には渓谷があったそうです。

【渋谷氏】

渋谷氏(しぶやし、旧字体: 澁谷氏)は、日本の氏族のひとつ。
桓武平氏秩父氏の一族から分派し、
日本全国へと広まりました。

【概要】
渋谷氏の人物は、
平安時代末期の河崎基家、渋谷重家(河崎重家)、
渋谷重国、渋谷金王丸が挙げられます。

【河崎基家】
渋谷氏の祖となります。
父親は、で秩父別当平武基です。
平武基は、
桓武天皇の曽孫である高望王の後裔となります。
後三年の役(1083年⇒1087年)で
源義家の軍に一番で参向し、
仙北金沢の柵(秋田県仙北郡金沢)を攻略しました。
その大功により武蔵谷盛庄を賜りました。
渋谷城の築城と、
のちに金王八幡宮となる八幡宮を勧請しました。

【渋谷重家】
河崎基家の嫡子です。
禁裏の賊を退治したことにより
堀河天皇より渋谷姓を賜った人物です。

【渋谷重国】
渋谷(河崎)重家の子供です。
渋谷重国の孫の代より
相模渋谷氏と薩摩渋谷氏に分かれていきます。

【渋谷光重】
渋谷重国の次男である渋谷高重が
和田義盛の乱に加担したため
相模国渋谷荘を没収され、
それが後に重国の長子光重に与えられました。
渋谷光重はさらに、
宝治合戦の恩賞として
薩摩国の高城郡・東郷別府・
入来院・祁答院を下賜されました。
渋谷光重はそれらを自らの6人の男子に分割、
長男の重直に相模国の渋谷荘を与え、
のちに相模渋谷氏として存続し、
次男の実重に薩摩国の東郷別府を、
三男の重保に同国の祁答院を、
四男の重茂(重諸とも)に同国の鶴田を、
五男の定心に同国の入来院を、
六男の重定に同国の高城を与えたのが
薩摩渋谷氏の始まりとなります。




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【相模渋谷氏】
現在の神奈川県大和市・藤沢市・綾瀬市一帯に勢力を張った一族。
渋谷氏の祖である河崎冠者基家が賜った土地である
現在の東京都渋谷区一帯も領地としておりました。
小田急江ノ島線の駅名、高座渋谷は、
旧・高座郡渋谷村に由来しています。

【薩摩渋谷氏】
渋谷光重の子、
または孫が宝治2年(1248年)に薩摩に移住し、
それぞれ薩摩東郷氏、
祁答院氏、鶴田氏、入来院氏、高城氏となりました。
なお、彼らは最初から
東郷氏や入来院氏、祁答院氏を称したわけでなく、
現在の姓に改姓した具体的な年はわかっていません。
それでも系図は、
領地を分与された渋谷光重の子らを初代に数えています。

また、東郷氏の分流の白浜氏の一族は
江戸時代に渋谷氏に復しています。
この一族の渋谷貫臣の娘は薩摩藩藩主島津宗信の生母でした。

そして、日露戦争の海軍元帥であった東郷平八郎
渋谷氏の末裔となります。

高崎城跡~井伊直政が築城し改修は安藤重信~元は鎌倉時代から存在し戦国時代を耐えた和田城

河崎氏館について~渋谷氏の祖でありやがて近江源氏の佐々木氏を援助し間宮氏に続く

渋谷氏長後居跡~河崎基家が館を構え、その子である河崎重家、さらに孫である渋谷重国が居住しました。

富士塚城址~飯田五郎家義の居館跡で、石橋山の戦いで源頼朝を救った武将で渋谷重国の子です。

上浜田中世建築遺構群(浜田歴史公園)、渋谷一族の大谷館の可能性があります。

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