【鎧神社】
鎧神社(よろいじんじゃ)は、
東京都新宿区北新宿3丁目にある神社です。
旧称「鎧大明神」。
当社の創建は、約千百年前に遡ります。
醍醐天皇の時代(898年~929年)、
理源大師の徒弟である筑波の貞崇僧都、
行基作と伝えられる
薬師如来像がこの地に祀られ、
円照寺が創建されました。
当時は神仏習合といって、
神社と寺が密接につながっていた時代でした。
その際、寺の鬼門鎮護のため
鎧神社が創建されたと伝えられています。
【伝説】
また創建以前から、
この地は一つの伝説が
伝えられていました。
その伝説とは、以下の通りです。
武の神様として名高い
日本武命が天皇の命によって
東国の平定に向かったとき、
当地に甲冑六具を蔵めたというのです。
【平将門公と藤原秀郷】
<1>
天慶3年(940年)、
関東に威をとなえていた平将門公が
藤原秀郷によって討たれると、
この地の人々はその死を悼み、
天暦元年(947年)、
平将門公の鎧もまた
当地に埋めたと言われています。
<2>
平将門公を討った後、
重病となった藤原秀郷が、
平将門公の神霊の崇りであると恐れ、
薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、
平将門公の鎧を埋め、
祠を建ててその霊を弔ったところ、
病気がたちまち治ったとも言われます。
それを聞いた人々はその御神徳に恐れ畏み、
以後、村の鎮守の社として
近隣の尊崇をうけてきたとのことです。
これらのことから、
「鎧」の社名が起こったとも伝えられています。
江戸名所図会には、
「相伝ふ、藤原秀郷将門を誅戮し凱旋の後、
将門の鎧をこの地に埋蔵し、
上に禿倉を建てて鎧明神と称すというふ。
社前に兜松と称する古松あり。
これも兜を埋めたる印と云ふ。」
と記されているそうです。
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【鎧神社摂社】
<天神社>
祭神:菅原道真公
祭日:11月25日
由緒:
元々北柏木公園(北新宿四丁目)の地に
鎮座しており、
成子天神社の元の社でもあるので
元天神とも称しています。
<稲荷神社>
祭神:宇迦御魂命
祭日:2月2の午の日
<三峯神社>
祭神:伊弊諾命、伊芽冊命
祭日:2月2の午の日
<子の権現>
祭神:大国主命
祭日:2月2の午の日
【交通アクセス】
JR「大久保」駅から徒歩11分程度。
JR・都営大江戸線「東中野」駅から
徒歩14~20分程度。
<車は回避>
鎧神社付近の道路は大変狭く、
曲がり角も多く
またコインパーキングも
限られているため、
車による神社へのお越しは回避した方が無難です。
【所在地】
〒169-0074 東京都新宿区北新宿3-16-18
※トイレはありません。
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