平安時代

后神社(桜川市)~平将門の妻で平真樹の娘とされる「君の御前」を祀っています。

后神社(桜川市)



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【后神社】

后神社は、桜川市大国玉にある神社です。
平将門の妻「君の御前」と
大國玉神社の御祭神である
オオクニヌシの妻「スセリヒメ」を
祀っています。
后神社(桜川市) 説明

【ご祭神】 
須勢理毘売命 
君の御前
后神社(桜川市)
この神社は二柱の女神を祀っています。
ご祭神の一柱はスサノオの娘で
オオクニヌシの妻である
スセリビメです。
もう一柱のご祭神である
「君の御前」は平将門の妻であり、
平真樹(たいらのまさき、まき、またて)
の娘とされています。
平真樹はこの地を本拠とする豪族で、
承平6年(936年)に
源護の訴えにより
平将門とともに召喚された人物です。

「将門記」によりますと、
平将門の妻は承平7年(937年)8月19日に
平将門と伯父(叔父)の
平良兼との戦いで「妻子も同じく共に討ち取らる」、
つまり子供とともに殺害されたということです。
この妻が平真樹の娘「君の御前」であり、
故郷の后神社に祀られたとのことです。

けれどもこの話には別の説、
解釈があるとのことです。
「妻子も同じく共に討ち取らる」の後に
「妾の舎兄等が謀を成し、
九月十日を以て、竊(ひそか)に
豊田郡に還り向わしむ」
という記述があるとのことです。




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「討ち取られぬ」を「捕らえられた」
とするのであれば、
妻と妾が同一人物という解釈です。
この場合、平将門の妻は
伯父(叔父)である平良兼の娘であり、
強制的に実家に戻されましたが、
また平将門の許に
戻ったということになります。

一方で「討ち取られぬ」を文字通り
「殺された」とすると、
妻と妾は別の人物となります。
赤木宗徳「新編将門地誌」(筑波書林)では
その解釈で、妻は平真樹の娘「君の御前」であり、
妾は王宿(おやど、香取市牧野)の娘
「桔梗の前」としています。
平良兼は捕らえた桔梗を口説いたものの、
これに応ぜず「死ぬ」とまで言うので、
親元に帰したということです。

【ご神体】
御神体は、平安時代の「五衣垂髪」
(「五衣(いつごろも)」、
いわゆる「十二単」の着物に、
背に長く垂らした髪型である「垂髪」の
女人木像であるとのことです。
これは茨城県坂東市所在の
「國王神社」の御神体である平将門公の木像と
対のものであるということです。

【合祀から戻る】
幕末、水戸藩士・青山延光が
「后神社考」で、「后神社」のご祭神は、
式内社「大國玉神社」の祭神・大国主命の后である
須勢理毘売命(スセリビメ)だという説を提唱。
村人たちはこれを信じ、明治に入ると
「大國玉神社」に合祀してしまいます。
すると、村に疫病が流行したため、
「将門様の祟りだ」と恐れて
「后神社」を元に戻したところ、
疫病は治まったという伝承があるそうです。

【所在地】
〒309-1244 茨城県桜川市大国玉1840

【交通アクセス】
「大国小学校」東側から
茨城県道343号線
(木崎雨引停車場撰)を東に約200m。
駐車スペースがあります。

平将門~困っている人を放っておけない面倒見の良い大将は東国に新国家を創ろうとした。

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