城跡

坂戸城(常陸国)~宇都宮氏家臣の小宅氏の居城、この城を巡り宇都宮氏と小田氏で激戦が繰り広げられました。

坂戸城(常陸国)桜川市



スポンサーリンク



【坂戸城(常陸国)】

坂戸城(さかどじょう)は、
茨城県桜川市西飯岡字伊勢代
(かつての常陸国)にあった
日本の城(山城)です。
宇都宮氏家臣小宅氏
小田氏家臣信太氏などの居城でしたが、
最初の築城は南北朝に遡るとも
言われています。

【城郭構造】
山城

【天守構造】
なし

【築城主】
小宅高国

【主な城主】
小宅氏、信太氏

【遺構】
土塁、堀

【登城口】
ゴルフ場の上段の駐車場背後から
登道が付いているので、そこから
登城できます。

【地理地形】
北関東自動車道の北、
標高217.8mの城山に
築かれています。
主郭はよく整備され、
土塁や櫓台が明瞭に見てわかります。
宇都宮家臣である
小宅高国が築城し
小宅氏の居城としていました。
城山のほとんどは
「筑波学園ゴルフクラブ」の
敷地となっていますが、
山頂の城址部分はうまく
残されているとのことです。

【城の構造】
ゴルフクラブの上の駐車場から見ると、
山に上がっていく道が見えます。
切通しの道を上がり、道が左に曲がると、
その上が2郭となります。
さらに左側に上がっていくと、
左下に竪堀らしきものがみえます。
ここでまた道が右に曲がり
左に向かい始めると、
正面に1郭が見えてきます。
1郭は2郭よりも
6~7mほど高くなっています。
1郭に向かう途中に、土塁と空堀で
固めた虎口が途中にあり、
それを抜けると
1郭の虎口にたどり着くとのことです。
1郭は30m×50mほどの郭で、
周囲を土塁が囲んでいます。
郭内の東北部に2mほどの高さの
櫓台があるそうです。
この上に神社が建っています。
坂戸城(常陸国) 桜川市

【築城】
坂戸城の築城は
「新編常陸国誌」によりますと、
応永年中に下野の氏家城を守っていた
小宅高清の子である小宅高国と
されており、代々小宅氏が
城主となっていますが、
一説には、南北朝期の
1339~1343年迄の間、
常陸南朝方として奮闘した
常陸国司春日顕国
城主であったとされる
中郡城のことではないかとも
言われているとのことです。
この城の古い形式からすると
確かに南北朝時代の古い時期のもの
かもしれないと納得できるそうです。




スポンサーリンク



常陸国司春日顕国の城だったとすると
後年小田氏が攻めてきたのも
更に納得してしまいます。
南朝でしたしね・・・。

小栗城の攻略】
小宅高国はその後、
鎌倉公方に叛いた
小栗判官満重の小栗城を
足利持氏に従って攻め落城させ、
小宅氏は小栗城も
併せ持つようになったと
云われています。
足利持氏は永享の乱で
上杉憲実に殺されます。
それから結城合戦で殺された
安王春王の弟、足利成氏
古河公方となり京都の足利将軍に叛き
関東管領上杉憲実と争います。
足利成氏に従った小宅高田は武蔵国で討死、
その子景時は小栗城へと移り、
常に宇都宮氏の戦陣として、
その頃北関東へも勢力を伸ばしてきた
北条氏康の軍と戦い武名を
挙げたと伝えられています。
 
戦国期
戦国時代中期には
宇都宮氏と小田氏の間で
この城を巡り激しい争いが
繰り広げられていました。

天文18年(1549年)に
古河公方足利晴氏の要請を受けた
宇都宮尚綱とともに
喜連川に布陣して那須高貴の軍と
対持しましたが、
宇都宮尚綱が
那須方の弓矢を受けて戦死したため
宇都宮の大軍は総崩れとなりました。

小宅尚時も小栗城に逃れましたが、
宇都宮の敗北を知った結城氏
小栗城は奪われ、その時に坂戸城も
小田政治に攻められてしまい、
小田家臣の信太氏が城主となります。
天文年間に期されたと云われる
小田家臣の資料に、
坂戸城主信太(信田)掃部介
(信太掃部助頼範)が
誌されています。
その後小宅尚時は、
上杉謙信関東出兵に際して
小栗城を奪還します。
永禄7年(1564年)、上杉謙信の
小田北條攻めに応じて
坂戸城主信太(信田)掃部介を攻め、
再び坂戸城主になったのでした。
同年、小田家臣の信太頼範の軍勢が
攻め込んで来ており城主の小宅尚時は
主家の宇都宮広綱に救援を出し籠城しますが、
坂戸城は攻め落とされ小田氏の手に渡り、
小宅尚時は小栗城へ逃れました。
その後、再び宇都宮勢の反攻に遭い
坂戸城は再び落城し信太頼範は討死、
あるいは自刃したともされています。
こうして小宅氏は再び坂戸城の城主と
なったのでした。

<信太頼範の死亡時期>
別の資料では、
信太頼範は永禄3年に戦い敗れて
自害となっています。
系図を見ると信太頼範を跡を継いだ
信太範勝も「信太(信田)掃部介」となっており、
永禄7年・坂戸城は
もしかしたら信太範勝かもしれません。
また信太頼範が亡くなった場所も
永禄7年・坂戸城、
永禄7年・小田城陥落時
永禄3年・常陸山王堂
となっています。




スポンサーリンク



【所在地】
〒309-1201 茨城県桜川市大泉 字城山

【所在地・筑波学園ゴルフ倶楽部】
〒309-1221 茨城県桜川市西飯岡1312

【交通アクセス】
北関東自動車道 「桜川筑西IC」より約3km

<筑波学園ゴルフ倶楽部のアクセス>
※ 要所要所に看板があります。
「桜川筑西」ICを出て、信号を左折。

二つ目の信号を左折。
※信号の左側手前に看板あり

最初の交差点を左折。
※交差点の左側手前に看板あり

一つ目の信号を過ぎ、
左手の「坂戸小学校」を過ぎて、
まもなくクラブハウス入口。
※看板あり

宇都宮城~800年の歴史を誇る関東七名城~宇都宮氏が築城し本多正純が築いた城下町

常陸・富岡城~坂戸城主小宅氏の家臣である稲川土佐氏が城主とされています。

小田城跡(つくば市)~鎌倉初期に八田知家が築城し、戦国時代の小田氏15代の居城でした。

山王堂の戦い~上杉謙信VS小田氏治の野戦で激戦、上杉勢の「神速」で小田勢は敗退し小田城が陥落。

小栗城~坂東平氏の流れをくむ常陸小栗氏が築城、室町期の関東地方の激動の渦にのまれていきました。

結城城~結城朝光が築城、室町時代の結城合戦の舞台、その後廃城になるも水野宗家が入り幕末まで続きました。

大宝城(茨城県)~関東最古の八幡宮である大宝八幡宮境内にあり下妻氏によって築城された城です。

古河公方館跡~古河公方の存在とは?関東における戦国時代の幕開けの存在でした。

大国玉神社 (桜川市)~平将門の妻「君の御前」の父である平真樹の館がありました。

后神社(桜川市)~平将門の妻で平真樹の娘とされる「君の御前」を祀っています。

御門御墓(平将門居館?)~平将門の供養塔とされる五輪塔があり付近には妻を祀る后神社があります。

真壁城~大掾氏の一族である真壁氏が支配、江戸時代に浅野長政が真壁藩5万石を与えられます。

谷貝城~築城は室町時代でその後は真壁氏の家臣である藤田氏の居館でした。

関連記事

  1. 大友城(千葉県) 大友城~千葉氏の祖である平良文の居城と伝わり、平常持、常将、常長…
  2. 大田和城址 横須賀 大田和城址~大多和氏は三浦義明の三男である大多和三郎義久が築城し…
  3. 古木江城跡(愛知県愛西市) 古木江城~伊勢長島の一向宗の抑えとして織田信長の弟である織田信興…
  4. 中村城・模擬天守 中村城~高知の小京都・四万十市街を一望できる眺めの良い城~
  5. 長山城址(南常陸) 常陸・長山城~大掾氏の庶流行方氏の一族の長山氏が居城し、同族の島…
  6. 鵜丸城 温泉津 鵜丸城(うのまる)・温泉津~当時の最先端技術で築城された毛利水軍…
  7. 下原城 金仙寺 下原城~金仙寺北側に位置する南北朝時代に築城された城で戦国期には…
  8. 亀穴城址(滝山城址)と宮崎神社 奥平貞勝と亀穴(滝山)城~松平氏・今川氏・織田氏・徳川氏・武田氏…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 五番領城~高島七頭・山崎氏(愛智氏系)の城~ 五番領城 八幡宮

ピックアップ記事

  1. 土壁 奈良
  2. 駿府城本丸跡と晩年の徳川家康公の像
  3. へいほう石 パネル 広場
  4. 逗子
  5. 國王神社(坂東市岩井)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP