城跡

石見城~世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」、芋代官「井戸平左衛門正明」とは?

石見城



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【石見城】

石見城(いわみじょう)は、
銀山から日本海に至る街道沿いにあり、
仁摩方面の街道を守り、
銀山を押さえる拠点となっていました。

城は竜嵓山(りゅうがんざん)の頂上に築かれ、
城手前は奇岩そびえる絶壁の天然要害になっています。

麓には
「石見八幡宮」と芋代官で有名な
井戸平左衛門遺澤の碑があります。

【遺構】
曲輪、土塁、堀切、竪堀
(主に山頂付近)

【所在地】
島根県大田市仁摩町大国宮村

【井戸平左衛門(井戸正明)】

井戸 正明(いど まさあきら、
寛文12年(1672年)⇒
享保18年5月26日(1733年7月7日)は、
江戸時代中期の幕臣、大森代官、笠岡代官でした。
享保の大飢饉の際に石見銀山領を中心とする
窮民救済のため数々の施策を講じた人物です。
なお、その名については「正明」とする文献が多いですが、
「正朋」とする文献もあります。
石見地方では通称の
「平左衛門」のほうが一般的であり、
現在でも井戸正明は「芋代官」あるいは
「芋殿様」と呼ばれ慕われています。

寛文12年(1672年)、
御徒役・野中八右衛門重貞(重吉とも)
の子として江戸で生まれました。
元禄5年(1692年)に幕府勘定役の
井戸平左衛門正和の養子となりました。
井戸正和の死後遺跡を継ぎ小普請役に組み込まれ、
元禄10年(1697年)に表火番、
元禄15年(1702年)に御勘定に昇進しました。
勘定所における長きにわたる忠勤が認められ、
享保16年(1731年)9月13日、
60歳にして第19代大森代官に着任し
天領の銀山領6万石を支配しました。
更に直後に笠岡代官
(現・岡山県笠岡市)も兼務となりました。




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この年、享保の大飢饉となり、
領内の窮状を目の当たりにします。
そこで領民たちを早急に救うため
幕府の許可を待たず年貢の減免、年貢米の放出、
商人から寄付金を募り、
さらに官金や私財の投入などを断行しました。
翌年の享保17年(1732年)4月、
井戸正明は石見国大森地区(島根県大田市)の
栄泉寺で薩摩国の僧である
泰永からサツマイモ(甘藷)が
救荒食物として適しているという話を聞き、
早速、種芋を移入しました。
その年に種付けを試みましたが、
種付けの時期が遅かったことなどもあり、
期待通りの成果は得られませんでした。
けれども、邇摩郡福光村(現・大田市温泉津町福光)の
老農であった松浦屋与兵衛が収穫に成功します。
栽培に成功した理由として、
領内出身(現・江津市渡津町)の医師の青木秀清が
蘭方医学を学びに長崎に留学し、
サツマイモの栽培法を習得し
持ち帰ったという話も伝わっています。
また、栽培の普及には井戸の手代の
伊達金三郎の活躍もあったことも伝わっているそうです。

石見城 岩石ではない方 

その後、サツマイモは石見地方を中心に
救荒作物として栽培されるようになりました。
そして多くの領民を救ったということです。
この功績により井戸正明は領民たちから
「芋代官」あるいは「芋殿様」と称えられ、
現在まで顕彰されているとのことです。

享保18(1733年)5月26日、
備中笠岡の陣屋で死去しました。
死因については、
救荒対策の激務から過労により病死したとする説と、
救荒対策のために幕府の許可を待たず
独断で年貢米の放出などを断行したことに対する
責任から切腹したとする説の二つがあるということです。
墓所は岡山県笠岡市の威徳寺にあります。
井戸正明の死後、石見地方を中心に
近隣各地さらには益田市沖の高島にまでも
頌徳碑(芋塚)が建てられたそうです。
大田市大森町には井戸正明を祀る井戸神社があるとのことです。

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