城跡

田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。

田丸城 天守台からの眺め



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【田丸城】

 
田丸城(たまるじょう)は
中世から近世をとおして
現在の三重県度会郡玉城町田丸字城郭
にあった日本の城です。
南北朝時代に南朝方の拠点として
北畠親房北畠顕信によって
築かれたといわれる平山城であり、
三重県指定史跡です。
田丸城 城内案内図

<説明>
田丸城 説明

かつての城内に、
玉城町役場および
玉城町立玉城中学校があります。
田丸城と中学校
桜が多く植えられており
花見シーズンには花見客で賑わいます。
田丸城 本丸

【城郭構造】
平山城

【天守構造】
三層

【築城主】
北畠親房、北畠顕信

【築城年】
南北朝時代

【主な城主】
田丸氏北畠氏織田信雄ほか

【廃城年】
明治初期

【遺構】
堀、石垣、富士見門ほか
田丸城 石垣 堀

【指定文化財】
三重県指定史跡

【概要】
野面積みの石垣が美しい
南北朝時代の城址です。
北畠親房・顕信父子が
玉丸山に城塞を築き、
南朝の拠点としたと伝えられます。
田丸城 虎口 石垣
伊勢神宮を抑える
戦略的要衝として
争奪戦が繰り広げられましたが、
康永元年(1342年)、
足利尊氏によって落城しました。
田丸城跡
その後、伊勢国司となった
北畠氏の手によって再建されました。
北畠家の庶流で、
第5代北畠政郷の四男顕晴が
度会郡田丸城に入り、
田丸氏を名乗りました。
田丸城 本丸からの眺め
戦国時代、田丸直昌は
織田信長の伊勢侵攻に伴い
北畠具教の養嗣子となった
織田信雄に田丸城を明け渡し、
織田信雄に仕えました。
田丸城は織田信雄の居城として
天正3年(1575年)に改築され、
三層の天守を備えた
近世城郭へと生まれ変わり、
織田氏の伊勢支配の中心拠点となりました。
田丸城 天守台(天守閣)

三瀬の変
天正4年(1576年)11月には、
織田信長の意向を受けた
織田信雄の命により田丸直昌は、
長野具藤、北畠親成ら同族である
北畠一門の主だった者を
田丸城に招き寄せ、
殺害しています。
田丸城 天守台からの眺め
1580年に火災で天守を焼失しています。
織田信雄は松ヶ島城へと移りました。




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天正12年(1584年)、
小牧・長久手の戦いののち、
松ヶ島城主となった
蒲生氏郷の支配下に入ります。
天正18年(1590年)の
奥州仕置において蒲生氏郷が
陸奥国会津に移封されると、
妹婿となっていた田丸直昌も
与力大名として陸奥に移動しました。
江戸時代初頭には稲葉道通が入り
田丸藩となります。
稲葉氏転封ののち
藤堂氏の支配地になりますが、
元和5年(1619年)、
徳川御三家の一つである
紀州徳川家の治める
紀州藩の所領となりました。
田丸城 天守台からの眺め
遠江久野城城主であった
付家老久野宗成は
駿府藩主であった
徳川頼宣に付属させられ、
徳川頼宣の紀州転封(紀州徳川家の成立)
の際にもそのまま付随となり、
紀州へ移ってきました。
徳川頼宣はこの久野宗成に1万石を与え、
田丸城城主として
田丸領6万石を領させました。
久野氏は、家老として
和歌山城城下に居を構えたため、
田丸城には一族を
城代として置き、政務を執らせました。
久野氏はその後八代続き、明治維新に至りました。
田丸城 天守台より本丸・二の丸方面
また、江戸時代の名奉行・幕臣として
著名な大岡忠相が山田奉行時代に起こった、
天領(山田領)と
紀州藩田丸領の争いの
舞台のひとつとなりました。

春には桜、夏には大賀蓮、
秋には紅葉、冬にはライトアップと、
一年を通じて、景観が楽しめます。
2017年4月6日、
続日本100名城(154番)
に選定されました。
<スタンプ設置場所>
玉城町教育委員会窓口
(村山龍平記念館内)
スタンプ可能時間
(営業時間)
午前9時~午後5時
(土曜・日曜・祝日は午後4時30分まで)
<所在地>
度会郡玉城町田丸114番地1
田丸城 ライトアップ時間

【遺構】
明治維新に伴い
田丸城の建造物はほとんど
取り壊されましたが、
天守台や石垣、外堀、
内堀、堀切、空堀などの遺構は
今も整備されて残されております。
他所へ移築されていた富士見門、
三の丸の奥書院なども再度移築され、
往時の面影を偲ばせています。




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田丸城はその成り立ちから、
織豊系の近世城郭と
南北朝時代の中世城郭の
遺構を併せ持つ興味深い城です。
昭和36年(1961年)頃の田丸城 航空写真

<本丸虎口>
田丸城 本丸虎口

<礎石>
田丸城 礎石

<本丸虎口・説明>
田丸城 本丸虎口 説明

<虎口と門 説明>
田丸城 本丸虎口と門 説明

<北の丸・空堀方面>
鳥居方面が北の丸でその間に空堀があります。
田丸城 北の丸・空堀方面

【旧三の丸御殿 奥書院】
江戸時代二百数十年間に渡り
田丸を支配した久野家は、
代々紀州藩の家老職にあったため、
田丸には城代家老がおかれ、
一代のうち数度入城するに
過ぎませんでした。
この御書院は、
久野城主が田丸入城の際、
居間、寝所の間として使われたものです。
築170年以上の姿が
今もそのまま残っています。
旧三の丸御殿 奥書院
(田丸城)

【玄甲舎】
弘化4年(1847年)に
田丸城の家老であった
金森得水が建てた茶室兼別邸で、
数寄屋造りの貴重な建物が
当時のままで残っています。
表千家茶道で免許皆伝を受けた得水は、
しばしばここで茶会を催し、
士族をはじめ当代一流の
各界名士を招き、
交遊を深めたと伝えられています。

【富士見門】
田丸城が廃城になった
明治維新の当時、
城内には8つの門が残されていました。
富士見門は江戸中期のもので
当時の原型をとどめています。
かつては、門の両側に
長屋が付いていたことから
長屋門ともよばれました。
富士見門(田丸城)

<田丸城 三の丸 金明水 銀明水>
田丸城 三の丸 金明水 銀明水

<三の丸 金明水 銀明水について>
織田信雄が田丸城へ入り、
外城田川の流れをかえて、
城下町を囲む外濠にすると
命令を出しました。
その命令は突然のもので、
秋の取入れが始まって一年で最も
忙しい時であるのに
農民の声を聞こうとはせず、
多くの農民がかり出されようとしています。
しかし、それにさからう訳にもゆかず、
朝早くから、農民達が休む暇もなく
働かされ、いく日もかかって
大規模な工事が行われました。
ところが外濠を掘ったために
水質がかわって、
民家の井戸水が濁り、
赤黒い水だけしか出なくなり、
飲み水にはなりません。
そんなある日、
城のぬけ穴を掘っていた人夫が、
城内二の丸の南石垣下で
不思議な水が湧き出てくるのを見付けました。
田丸城跡 二の丸下

汲んでも汲んでも透明な水が溢れてきます。
金明水・銀明水と命名され
この水は神の水とされました。
このうわさは町中に伝わり、
困っている人々には救いの水となりました。
やがて町かどの水槽に運ばれた
神の水はみんなの飲み水となり、
たいへん助かったということです。
この金明水・銀明水は、
どんな旱魃の時でもかれることなく
湧き出てきたということで、
茶人にはもっとも喜ばれたということです。
そして月日は流れ、水道が通るまで
この水は使用されたそうです。
(引用元・参考:玉城町公式サイトより)




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【交通アクセス】
JR東海参宮線「田丸」駅下車徒歩約10分
(車)
伊勢自動車道玉城I.C.から約10分

【駐車場】
15台

【トイレ】
男女別の水洗トイレがあります。

【所在地】
〒519-0415 三重県度会郡玉城町田丸字城郭114−1

滞在所要時間:30分~

蒸気機関車C58 414(三重県度会郡玉城町)・C58・359(三重県亀山市)、静態保存

大河内城~大河内御所と呼ばれた北畠三御所の中でも代々の筆頭格で、 宗家が絶えた際には継ぐ立場でした。

岩出城~北畠氏の一族である田丸直昌が築城、後に蒲生氏郷に従い、会津へ付き従いました。

北畠氏館跡・美杉リゾート(三重県)~奈良旅⑮

三瀬館 ~北畠具教の隠居所で北畠氏が滅亡する「三瀬の変」 の舞台になった場所です。

笠木館~笠木御所とも呼ばれ北畠氏の一門である坂内氏の居館、県内屈指の中世の居館跡となります。

織田信雄~織田信長の次男、散々な目に遭うも長生きしその血筋は明治維新まで受け継がれました。

藤堂高虎~渡り奉公人の代表格で主君とは対等に近し、築城三名人と称され藩政も長けていました。

松坂城~蒲生氏郷が築城し、中でも壮大な石垣が実に見事な日本100名城及び国の史跡です。

須賀川城跡~二階堂氏が室町時代に築城、やがて伊達氏と争い去っていきます。

木造城~北畠氏領域の最北端に位置し木造氏は北畠一族だが織田信長に従い北畠氏攻略の先駆けとなった。

紀伊・長島城~北畠氏の家臣である加藤氏が南北朝に築城、奥村氏に時を超えて数度裏切られる。

伊勢・千種城~後醍醐天皇に仕えた千種氏の子が築城、中世の典型的な山城の形状が残っています。

安濃城~中世末期として県内最大級の丘陵城郭、築城は長野一族の細野氏、出自は工藤祐経の三男。

新宮城~源行家の姉の丹鶴姫が住んでいた地、続日本100名城で国の史跡。

赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。

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