史跡・城跡

仁右衛門島~源頼朝が身を隠し潜んだ場所で、頼朝一行を洲崎から案内したとも伝わる平野仁右衛門氏の島です。

仁右衛門島



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仁右衛門島

仁右衛門島(にえもんじま)は、
千葉県鴨川市太海の沖合
約200mにある島です。
仁右衛門島 案内図

全島砂岩よりなる周囲約4kmの島で、
千葉県では最も大きな島かつ
唯一の有人島となります。
源頼朝日蓮の伝説で知られており、
個人所有ではありますが
千葉県指定名勝となっているほか、
新日本百景にも選ばれています。

仁右衛門島

【島の名前の由来】
島主である平野仁右衛門の名に因み、
この名前になったといわれています。
夏涼しく冬暖かい風光明媚な自然の楽園です。
金銀針茄子(キンギンハリナス)という
珍しい植物もみられます。
島の南側は荒々しい海岸線がみられ、
自然の防波堤の役割も果たしています。

仁右衛門島 海岸線

【仁右衛門島と源頼朝伝説】
代々島主は平野仁右衛門を名乗り、
現在の島主が推定で38代目となるそうです。
治承4年(1180年)、
石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、
平野仁右衛門に助けられ、
この島で平家軍から一時身を隠し、
巻き返しを図ったと言い伝えられています。
現在に至るまで平野仁右衛門一族が
この島を守り伝えているとのことです。
島には源頼朝のかくれ穴と伝わる岩屋があります。

源頼朝のかくれ穴(仁右衛門島)

一方、一戦場での戦いの後に滞在し、
そこから軍勢を整えるべく、
安西氏の居館に向かったとも云われています。
更に洲崎に辿り着いた源頼朝御一行を案内し、
鋸南の竜島にも案内したとも
いろいろと言い伝えがあります。

仁右衛門島より勝浦方面

しかし、「仇討ち事件と房総のアワビ漁」
(北総ふるさと文庫)によりますと、
花房藩の資料に平野家は
江戸時代に和泉国から
太海の地にやってきたという
記述があるそうです。




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最も、源頼朝は「河内源氏」で、
「和泉の国」と「河内」は
かなり近い場所です。
江戸時代に「河内源氏」との
何らかの縁があった人物の
子孫がやってきても不思議ではないし、
平野仁右衛門さんも元々は
そちらの出自で「河内源氏」に
仕えてた人物であったかもしれませんね。

【島の説明】
島の東部には、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、
夜襲を避けて潜伏したとされる洞窟や、
日蓮が朝日を拝したと伝えられる神楽岩があり、
正一位福女稲荷大明神が祀られています。

<源頼朝のかくれ岩・入り口>
源頼朝のかくれ岩・入り口

<正一位福女稲荷大明神>
正一位福女稲荷大明神

<神楽岩>
神楽岩 仁右衛門島

<とんび岩>
とんび岩 仁右衛門島

<仁右衛門島・波の音>

【平野家の家屋】
平野家家屋は、元禄16年(1702年)の
大津波で流失してしまいましたが、
現在の住宅はその時に残された木材を使って、
宝永元年(1704年)に
建て直されものであるとのことです。

<表門>
平野仁右衛門邸 表門

柱はツガ、天井はクワ、
障子の腰板には神代スギが使われており、
大ソテツや老松とともに
古い家柄をしのばせています。

平野仁右衛門邸 内部

家屋の内部には入れませんが、
外から見学できるようにと
観光客に公開されています。

平野仁右衛門邸と奥庭

【植生】
夏涼しく冬暖かく、
四季を通じて植生が豊かで花が咲き乱れています。
特にキンギンハリナス(ナスビ)
(金銀針茄子)という
珍しい植物をはじめ、
イソギク、ハマカンゾウなどの海浜植物、
ソテツなどの暖地性植物も豊富に見られます。

なお、キンギンナスビはナス科ナス属の1年草で
種子島でも見られるそうです。
原産地は熱帯アメリカで帰化植物とのことです。

【地理】
面積:約0.03km2
標高:不明

【観光名所】
◆神楽岩
◆島主(平野家)住居
◆芭蕉塚
◆亀岩
◆源頼朝のかくれ穴
など

【交通アクセス】
島までのアクセス
太海漁港の乗船場より手漕ぎの渡し舟での渡船。

手漕ぎ舟 仁右衛門島

5分程度となります。
料金は仁右衛門島の船着き場の建物内で支払います。

<乗船場>
乗船場 仁右衛門島

<船着き場・建物>
船着き場・建物 仁右衛門島
建物の隣に男女兼用トイレがあります。
(昔ながらの汲み取り式)

<営業時間>
気象条件によって、
渡船が運航できない場合は休業となります。
出航時間は特に決まってはないとのことです。
営業時間もリーフレットには
午前8時30分~午後4時30分とありますが
訪れた日は下の通りでした。

仁右衛門島 渡船営業時間

<料金>
(往復乗船料、島の観覧料)
仁右衛門島 料金

【渡船場までの交通アクセス】
JR内房線「太海」駅より徒歩15分程度。
(JR安房鴨川駅から路線バス、タクシーが有ります。)

(車)
国道128号線日東バス
「仁右衛門島入り口」より
乗船場まで徒歩5分程度。

【駐車場】
旧太海フラワーセンター
(現在は太海フラワー磯釣りセンター)
<所在地>
〒299-2863 千葉県鴨川市太海浜67
料金:
ハイシーズン:有料
それ以外:無料開放

滞在所用時間:40分~2時間程度

三浦義澄~源頼朝を支えた宿老の一人で13人の合議制のメンバーで相模守護。三浦一族の栄枯盛衰。

清澄寺 ・日蓮宗四霊場~地理的には安房と上総の分水界、本土で最も早く初日の出が拝める場所です。

源頼朝公上陸地の碑と矢尻の井戸と洲崎神社~館山市洲崎、「義経記」に書かれています。

源頼朝上陸地の碑と神明神社~ 安房郡鋸南町竜島、吾妻鏡に記載されています。

安房勝山城~里見水軍の本拠地の海城、安房に逃れた源頼朝を迎え入れた安西氏の出城との伝承有り。

野島崎・伝説の岩屋~安房に逃れた源頼朝が武運再興の願掛けをした「隠れ岩屋」です。

一戦場古戦場 ~安房に逃れた源頼朝が奇襲にあい、合流した三浦義澄が討ち取った古戦場

勝浦城~築城は真里谷氏、後に正木氏の城で、最後の城主はお万と三浦為春の父の正木頼忠。

名熊の二本杉~源頼朝が地にさした箸が立派に成長して日本の杉になりました。

硯山長福寺~開山1200年の歴史を持つ古刹で源頼朝伝説と伊八彫刻のお寺で有名です。

上総広常~房総平氏の惣領家で源義朝の郎党~平家政権の打倒よりも関東の自立を目指し殺される

千葉常胤~桓武平氏の流れをくむ千葉氏の中興の祖~鎌倉幕府成立に大きく貢献した人物です。

野島崎~房総半島最南端の地・ダイナミックな波の響きと風光明媚な景勝地です。

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