鎌倉殿の13人

上総広常~房総平氏の惣領家で源義朝の郎党~平家政権の打倒よりも関東の自立を目指し殺される

桜並木 河原




【上総広常】

上総 広常(かずさ ひろつね)は
平安時代末期の武将で豪族でした。
上総権介平常澄の八男(嫡男)です。
上総介広常(かずさのすけひろつね)
の呼称が広く用いられています。

房総平氏惣領家頭首であり、
源頼朝の挙兵に呼応して
平家との戦いに臨みました。

【時代】
平安時代末期

【生誕】
不明

【死没】
寿永2年12月20日(1184年2月3日)

【別名】
介八郎、平広常

【墓所】
横浜市金沢区朝比奈町の五輪塔?

【氏族】
桓武平氏良文流、房総平氏、上総氏

【父】
平(上総)常澄

【兄弟
伊西常景、印東常茂、匝瑳常成、佐是円阿、
大椎惟常、埴生常益、天羽秀常、広常、
相馬常清、臼井親常、時田為常、金田頼次

【子】
能常、平時家室、小笠原長清室

【上総氏とは?】
上総氏は上総介あるいは
上総権介(かずさごんのすけ)として
上総・下総二ヶ国に所領を持ち、
大きな勢力を有していました。
上総は親王任国であるため、
介が実質的な国府の長であるとのことです。

【平治の乱・家督争い】
上総広常は、鎌倉を本拠とする源義朝の郎党でした。
保元元年(1156年)の保元の乱では
源義朝に属し、
平治元年(1159年)の平治の乱では
源義朝の長男である源義平に従い活躍しました。
義平十七騎の一騎に数えられていました。
平治の乱の敗戦後、
平家の探索をくぐって戦線離脱し、
領国に戻りました。

源義朝が敗れた後は平家に従いましたが、
父親の平(上総)常澄が亡くなると、
嫡男である上総広常と庶兄の
伊西常景や印東常茂の間で
上総氏の家督を巡る内紛が起こり、
この兄弟間の抗争は後の
源頼朝挙兵の頃まで続いています。
治承3年(1179年)11月、
平家の有力家人である
伊藤忠清が上総介に任ぜられますと、
上総広常は国務を巡って
伊藤忠清と対立し、
平清盛に勘当されました。

【源頼朝挙兵】
治承4年(1180年)8月、
打倒平家の兵を挙げ、
9月の石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、
安房国で再挙を図ると、
上総広常は上総国内の平家方を掃討し、
又従兄弟の千葉常胤とともに
2万騎の大軍を率いて源頼朝のもとへ参陣したのでした。
「吾妻鏡」では、「将門記」の古事をひきながら、
場合によっては源頼朝を討ってやろうと
「内に二図の存念」を持っていたとのことですが、
源頼朝の毅然とした態度に
「害心を変じ、和順を奉る」とあります。
なお、「吾妻鏡」には2万騎とありますが、
「延慶本平家物語」では1万騎、
「源平闘諍録」では1千騎です。





【金砂城の戦い】
同年11月の富士川の戦いの勝利の後、
上洛しようとする源頼朝に対して、
上総広常は常陸源氏の佐竹氏討伐を主張しました。
上総広常はその佐竹氏とも姻戚関係があり、
佐竹義政・秀義兄弟に会見を申し入れましたが、
佐竹秀義は「すぐには参上できない」
と言って金砂城に引きこもりました。
兄の佐竹義政はやってきましたが、
互いに家人を退けて2人だけで
話そうと橋の上に佐竹義政を呼び、
そこで上総広常は佐竹義政を殺めました。
その後、源頼朝軍は金砂城の秀義を攻め、
これを敗走させました。

【「吾妻鏡」に見る上総広常の振舞い】
「吾妻鏡」治承5年(1181年)6月19日条では、
源頼朝配下の中で、
飛び抜けて大きな兵力を有する上総広常は
無礼な振る舞いが多く、
源頼朝に対して
「公私共に三代の間、
いまだその礼を為さず」と下馬の礼をとらず、
また他の御家人に対しても
横暴な態度で、
源頼朝から与えられた水干のことで
岡崎義実と殴り合いの喧嘩に
及びそうにもなったこともあると
記述されています。
ただし、「吾妻鏡」は
鎌倉時代後期の編纂であり、
どこまで正確であるかは判断しかねるとのことです。

【上総広常、誅殺される】
寿永2年(1183年)12月、
源頼朝は上総広常が謀反を企てたとして、
梶原景時・天野遠景に命じ、
梶原景時と双六に興じていた
最中に上総広常を謀殺させたのでした。
嫡男である上総能常は自害し、
上総氏は所領を没収され、
千葉氏や三浦氏などに分配されました。
この後、上総広常の鎧から
願文が見つかりましたが、
その内容は謀反を思わせる文章はなく、
源頼朝の武運を祈る文書であったのでした。
願文を読んだ源頼朝は
上総広常を殺めてしまったことを後悔し、
即座に上総広常の又従兄弟である
千葉常胤預かりとなっていた一族を赦免しました。
上総広常の死後、千葉氏が房総平氏の当主を継承しました。

【関東の自立を望んでいた上総広常】
慈円の「愚管抄」(巻六)によりますと、
源頼朝が初めて京に上洛した
建久元年(1190年)、
後白河法皇との対面で語った話として、
上総広常は
「なぜ朝廷のことにばかり
見苦しく気を遣うのか、
我々がこうして坂東で活動しているのを、
一体誰が命令などできるものですか」
と言うのが常であったようです。
上総広常は、
平家政権を打倒することよりも、
関東の自立を望んでいたため、
殺させたと述べたことを
記しているとのことです。

【東国独立論VS朝廷との協調路線】
源頼朝政権内部では、
東国独立論を主張する
上総広常ら有力関東武士層と、
源頼朝を中心とする朝廷との
協調路線派との矛盾が
潜在していたとのことです。
東国独立派は以仁王の令旨を
東国国家のよりどころとしようとし、
朝廷との協調路線派は、
朝廷との連携あるいは
朝廷傘下に入ることで
東国政権の形成を図る
立場であったとのことです。

【朝廷との協調路線で行きます】
寿永二年十月宣旨により、
頼朝政権は対朝廷協調路線の
度合いを強めたとのことです。
その宣旨直後に
東国独立論を強く主張していた
上総広常が暗殺されたことは、
源頼朝政権の路線確定を
表すものと考えられています。

【源頼朝には脅威だった上総広常の存在】
また、上総広常は以仁王の令旨とともに
以仁王の遺児である北陸宮を
擁しようとした点では
「反朝廷」ではありませんでしたが、
北陸宮を擁する源(木曾)義仲との接近は
源頼朝にとっては警戒されるものでした。
上総広常のこうした行動は、
源頼朝と源義仲の関係が
破綻するだけではなく、
源頼朝が築こうとするものに
上総広常が壁となって
立ちはだかる存在となり、
その兆しとして「親義仲」となった
上総広常が誅殺されるに至ったとする
見解があるとのことです。

【上総広常の館跡】
上総広常の館跡の正確な位置は
今もって不明ですが、
1990年代に
千葉県夷隅郡大原町
(現いすみ市)や
御宿町一帯で
中世城館址の調査が行なわれ、
検討が進められました。

千葉県東金市松之郷の字「新山」
と字「城坂」にまたがる舌状台地に
「新山城」址があり、
この地に上総広常館があったと
伝わっているとのことです。





【布施の殿台】
「房総志料」は、
布施村
(現いすみ市下布施・上布施、御宿町上布施)
に館があったとの説を唱えています。
村内に山を背にした
「殿台」と呼ばれる平坦な土地があり、
ここが上総広常の館跡であると唱えています。
また同書は、かつて村内の川をせき止めるものがあり、
村民がこれを見たところ、
巨大なカニが近づいてきたので、
恐怖して逃げたとの伝承を
上総広常の霊であると説明しているとのことです。

「日本伝説叢書 上総の巻」でも、
「吾妻鏡」の内容を考えると、
安房の国東條の旅館から
上総広常の館に送られた使者が
2日ほどでたどり着ける場所として、
布施村以外にないとしているとのことです。
けれども、村民の中には、
伝承を上総景清(藤原(平)景清?)と混同していたり、
村内に実際にはないはずの
源頼朝の経過地を示す
伝承地があるなど、
混乱が見られるということです。

【一宮柳沢城】
「千葉大系図」では、一宮柳沢城に
上総広常の館があったとしています。
一宮町では、これを
町内の高藤山城のことだとしており、
城内に一宮藩主であった加納久徴が
上総広常の功績をたたえて作った石碑があります。
一方、「柳沢」を一宮に近い
「大柳」の誤記ととらえ、
睦沢町の大柳館のことだと考える説もあります。

【鎌倉の屋敷】
鎌倉における上総広常の屋敷跡は、
朝比奈の切り通し沿いにあり、
近隣には大刀洗の水や上総介塔などの
関連史跡があります。

2022年NHK大河ドラマ
鎌倉殿の13人」では
佐藤 浩市(さとう こういち)さんが演じられます。

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

しとどの窟(湯河原)・(真鶴)、隠れながら追手をかわして岩海岸から安房国へ船出しました。

梶原景時~鎌倉ノ本体ノ武士~文武両道で実務能力の高さ故に疎まれやがて滅ぶ。

千葉常胤~桓武平氏の流れをくむ千葉氏の中興の祖~鎌倉幕府成立に大きく貢献した人物です。

岡崎義実~代々源氏の家人で特に忠義心厚い人物。三浦一族だが中村党とも深い関係で真田与一の父親です。

本佐倉城~続日本100名城・国指定史跡で千葉氏の最後の拠点、下総の名族から戦国大名となった千葉氏の歴史とは?

大庭景親~坂東八平氏の鎌倉氏の一族~最期まで平家に忠誠を尽くした人物です。

後白河院(後白河院天皇)(後白河法皇)「治天の君」の地位を保持した「日本一の大天狗」の異名をとる人物。

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