城跡

皆川城~皆川氏の本拠地として鎌倉時代頃から戦国時代末期まで存在した城

皆川城跡



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【皆川城】


皆川城(みながわじょう)は、
下野国都賀郡皆川、
現在の栃木県栃木市皆川城内町にあった
中世の日本の城です。
栃木市指定史跡となっています。

【別名】
法螺貝城

【城郭構造】
山城

【標高(比高)】
147m(50m)

【築城主】
皆川宗員
または 皆川秀光

【築城年】
寛喜年間(1229年⇒1232年)
または応永元年(1394年)

【主な城主】
皆川氏

【廃城年】
天正18年(1590年)

【遺構】
土塁、空堀

【指定文化財】
市指定史跡

【城の歴史】
皆川氏の居城で、
螺旋状にできていることから
「法螺貝城」(ほらがいじょう)
とも呼ばれています。

築城年代は諸説あり、
寛喜年間(1229年⇒1232年)に
皆川宗員によって築かれたとも、
応永元年(1394年)に
皆川秀光によって築かれたとも言われています。

また当時の居館跡に
皆川公民館(栃木市役所皆川出張所)があり、
近くの金剛寺には皆川一族の墓所があります。

<皆川城(遠景)>
皆川城(遠景)

皆川氏は戦国時代に入ると、
北の鹿沼城を攻略した
宇都宮氏から圧力を受け、
従属と離反を繰り返しました。

天正18年(1590年)の小田原征伐では、
皆川広照は北条氏に与して
小田原城へ篭城したため、
皆川城は豊臣方の上杉景勝勢に攻められ、
5月8日に降伏しました。
なお、一説には戦わずに
明け渡したという説もあります。
けれども、皆川広照は
小田原城包囲直後に脱出して
徳川家康の陣所に駆け込み、
徳川家康の取り成しによって
豊臣秀吉に所領を安堵されました。
翌年、皆川広照は本拠を栃木城に遷し、
皆川城は廃城となったのでした。

1964年(昭和39年)5月19日に
皆川城址は市指定史跡となり、
栃木市が管理しています。
現在、標高147メートルの城山に
皆川城址公園が整備されています。

<皆川城址公園 案内板>
皆川城址公園 案内板

【駐車場・トイレ】
皆川公民館の広い駐車場があります。
トイレも駐車場の隅に設置されています。

【パンフレット】
裏手の入口には立派なパンフレットが
置いてあるそうです。

【所在地】
〒328-0067 栃木県栃木市皆川城内町628

<場所>
青印は皆川公民館の駐車場付近です。

【皆川氏】


皆川氏(みながわし)は日本の武家。
本姓は藤原氏。
家系は藤原北家の流れをくむ
鎮守府将軍藤原秀郷を祖先とし、
下野守護 小山氏の支流であったそうです。
鎌倉時代は阿波守護を務め、
室町時代は鎌倉府から屋形号を与えられ、
関東八屋形のひとつに数えられた
長沼氏の庶家にあたります。

【皆川氏成立から滅亡まで】
皆川氏は系譜上は室町時代の
長沼氏嫡流である長沼憲秀の子孫とされています。
しかしながら、
長沼憲秀の弟で
家督争いで敗れた次郎某の子孫とする説もあるそうです。




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【皆川氏の祖・その1】
更に、皆川氏は時代を遡ると、
鎌倉時代前期の武将及び御家人である
長沼 宗政(ながぬま むねまさ)にたどり着きます。
長沼氏・皆川氏の祖とされている人物です。
その長沼宗政の孫の宗員が
下野国都賀郡皆川(現在の栃木市皆川城内)に居住し、
その土地の名前から皆川姓を名乗っています。
こちらを皆川氏の祖・その1とします。
皆川宗員が築城した説も納得がいきます。
けれども「皆川氏の祖・その1」の系図は
鎌倉末期の元享3年(1323年)に
北条高時に背いて、一時断絶となったそうです。
その皆川氏は一族である長沼氏が
宗家を継いだとされています。

【皆川氏の祖・その2】
そして時代は流れて室町時代になります。
皆川宗員と兄弟であり、
長沼氏を継いだ長沼宗泰の子孫である
長沼憲秀の時代となります。
永享の乱の際に古河公方側について
同勢力の影響下にあった
下野国皆川荘(現在の栃木県栃木市)に
拠点を構えました。
下野国皆川荘と下野国都賀郡皆川が
同じ場所であるかはわかりませんが、
「皆川氏の祖・その1」に居住した
下野国都賀郡皆川は皆川城があった場所です。
時を経て、再び皆川の地へ戻ってきたと
見なしてもいいかもしれません。

そして長沼憲秀の子孫である
長沼氏秀より皆川の地を本拠地として、
長沼氏秀の子である
皆川宗成(みながわ むねしげ)から
皆川姓を名乗ったとされています。

【小山氏の一門であったが・・】
小山氏の一門として、
小山氏と同族結城氏との間のきわめて強い
同盟関係によって
その勢力を維持してきましたが、
宇都宮氏や関東の新興勢力である
小田原後北条氏との戦いの中で
大きく翻弄されてきたのでした。

【宇都宮軍を撃退す】
大永3年(1523年)、
下野守護である宇都宮忠綱は
鹿沼を切り従え、
その勝ちに乗じて
皆川領めざして侵攻してきました。
これに対する皆川宗成は、
弟の皆川成明とともに
川原田にて宇都宮軍を迎え撃ち、
同族の小山・結城氏の援軍によって
宇都宮軍を撃退したのでした。
この後、宇都宮氏に
従属と離反を繰り返していくことになります。

【宇都宮城を占拠する】
それから50年近くが経過した
元亀3年(1572年)1月14日、
皆川俊宗は宇都宮氏重臣の1人である
岡本宗慶を謀殺する一方で、
次男である皆川広照に命じて
宇都宮城にいた宇都宮氏当主の
宇都宮広綱を幽閉し、
翌日宇都宮城を占拠したのでした。

【皆川氏、失脚す】
皆川俊宗は小田原北条氏と結んで
一時専権をふるいましたが、
小田原後北条氏の進出を恐れた
佐竹・小山・結城氏が
宇都宮広綱や芳賀高継を助けて
皆川俊宗を攻めて失脚に追い込んだのでした。

【皆川俊宗の死】
その後、元亀4年(1573年)9月、
皆川俊宗は結城晴朝とともに
関宿城主簗田氏を救援して
北条氏政と戦ったが敗北し、
下総国田井にて討死したとされていますが、
反対に北条方として宇都宮氏と結ぶ
小山氏の粟志川城を攻めて
討死したとする説もあります。
以降、皆川氏は
小田原北条氏の傘下として
行動するようになるのでした。




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【豊臣秀吉の傘下へ】
天正16年(1588年)、
再び宇都宮国綱が皆川領に侵攻し、
皆川軍は清瀬川の右岸に布陣して
対抗しましたが、後退を余儀なくされ、
豊臣秀吉の天下惣無事令によって
関東の戦乱は終結し、
皆川氏は豊臣秀吉の傘下に入ったのでした。

関ヶ原では徳川家康方に】
豊臣秀吉の死後、慶長5年(1600年)、
天下の実権をめぐり勃発した
関ヶ原の戦いでは
東軍方の徳川家康に属し、
西軍の佐竹義宣を牽制しました。

松平忠輝の件で親子で改易】
慶長8年(1603年)、
徳川家康の六男 松平忠輝が
信濃国川中島藩18万石に封じられたとき、
その御附家老に任ぜられ、
信濃国飯山藩4万石に封じられました。
けれども、慶長14年(1609年)、
松平忠輝の行状がよろしからず、
それを幕府に訴えたところ、
逆に皆川広照は咎めを受け、
改易となってしまいました。
子の皆川隆庸も連座されました。

【常陸国府中藩として再封】
翌年、皆川氏は赦免され、
皆川広照は常陸国府中藩1万石で再封され、
子の皆川隆庸も
新治藩1万3000石で再封されました。
しかし、府中藩3代藩主となった
皆川成郷には子がなく、
皆川氏は無嗣断絶したということです。

【水戸藩士】
なお、皆川氏の支流として、
水戸藩士の皆川氏がいました。
また同じく水戸藩士である安島氏の
安島治左衛門信次の系図には、
信次の嫡男である安島七郎衛門信久は、
皆川源太夫栄俊の娘を妻にするとの記述があるそうです。

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