城跡

中野城・雨鳴城~秋山光朝築城の連郭式山城で、悲劇の武将の物語が今も残っています。

中野城・雨鳴城(遠景)



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【中野城】

【形態】
連郭式山城

【築城主】
秋山光朝

【築城年】
12世紀

【主な城主】
秋山氏

【遺構】
曲輪、土塁、横堀(空堀)

築城主である秋山光朝の館跡は、
麓の甲西トンネル南出口の熊野神社になります。
その秋山氏の後詰めの城として、
雨鳴城・中野城があります。
両城は同一尾根にあるため、
一括りの城として、扱われる場合もあります。

中野城は城山山頂一帯の南北に伸びる
細長い尾根状の地形を
利用して造られています。
特に、その東側は急峻な崖となっています。
けれども、山頂部分には
このような急峻な地形からは
想像できない程の平坦地が
各所に設けられています。
山頂の三角点付近には帯状の郭1があります。
これをとり囲むように高さ50cm程の
低い土塁が確認できるそうです。
この土塁と尾根の山道と交わる場所に
虎口が設けられ、
現在もその痕跡をはっきりと
見ることができるそうです。
後背の細尾根を約100mいったところに
また虎口があります。
更にその先には幅20mほどの
西下がりの平坦地が80m程続き、
40m×30mほどの郭に至ります。
その北側に、幅約4m程の帯状の郭と
虎口が認められ、その先は急な山道となります。
また、こうした山頂部分の
砦の南側約25m下にも郭2があり、
更に南東下にも平地が認められます。

中野城は、里から遠く比高差があり、
このように自然の地形をうまく取り込んでいます。

車で桜池付近まで行き、
北西登城口から中野城へ入るのが
定番になっているそうです。

県道伊奈ヶ湖線から
富士川町平林へ抜ける林道の
さくら湖手前から遊歩道が整備され、
山頂の城跡まではおよそ20~30分で
登ることができるそうです。

麓から雨鳴城を中継して
中野城に入城するルートもあるそうです。




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雨鳴城ルートで登城する場合は、
広域農道(ウエスタンライン)
から林道に入り、
雨鳴山森林公園から登城すると、
駐車場もあって便利とのことです。
季節的に林道ゲートが閉まっている場合でも、
ゲートから公園までのアクセスは
徒歩数分とのことです。
なお冬季はゲートが5月15日まで閉鎖されます。

【所在地】
山梨県南アルプス市中野
 

【雨鳴城】

中野城の築かれる城山と雨鳴山を結んだ
尾根の絶頂付近、
標高833メートルにある遺構を
雨鳴城(あまなりじょう)と比定しています。
この地は源氏秋山光朝が
源頼朝の追い討ちをうけ
自害した地として伝承されています。
山を下りたところに
秋山光朝館(現:熊野神社)がありました。
雨鳴城はその館の西側にせまる
雨鳴山の尾根上にあり、
さらに奥の城山山頂にある「中野城」とともに、
有事の際に立て篭もるための城だったといわれています。

雨鳴城は、秋山光朝の館跡(熊野神社)と
中野城とをつなぐ尾根上につくられています。
雨鳴城は、後の戦国時代にも
使われたといわれたとのことです。
従って現在残る遺構が
秋山光朝の頃のものかどうかは
断定はできません。
けれども秋山の館跡から
中野城にいたる古道を通じた
敵の侵入を防ぐようにつくられています。

城郭規模はあまり大きくはないそうです。
主に四つの郭が存在し、
堀切や土塁で隔ててあり、
平林方面を向くと
離れたところに
三角の小さな郭が確認できるとのことです。
四つの郭のうち主郭は
南端で幅25m、長さ30mの規模で、
現在でも南東の崩落を除き
痕跡が残っているとのことです。
北西の端には虎口が設けられ、
主郭とその北方面を隔てる堀は
竪堀となり西側から
登り上がってくる
敵の進行を防ぐためのものでした。
さらにその北側の郭を隔てる堀切は
堀底に湯沢・中野方面から
のぼってきた山道が通り、
北橋の郭は土塁によって隔ててあります。

【雨の前に「鳴く」山】
城の呼称は雨鳴山に由来し、
その山の名前は「甲斐国志」によりますと、
秋山光朝の父である加賀美遠光
鳴らしているとされ、
里人の間では「雨が降る前に鳴る」
と言われていたそうです。
また、この声は滅多に聴けないため
聞くと災いを齎すと考えられていたそうです。

【秋山光朝公の伝説】
雨鳴山は、雨が降ろうとするときに
「鳴る」ことがあり、
特に夏には雨の降る前には
必ず「鳴る」ことから
この名があるといわれています。
この地で没した秋山光朝公の霊魂が
この山鳴りをおこすといわれ、
悲劇の武将、秋山光朝の伝説を今に伝えています。
雨鳴山と秋山光朝公の物語は、
地域では身近な伝説として知られ、
甲西地区では秋山光朝公を偲ぶ
「雨鳴太鼓」や郷土民謡「ああ雨鳴山」
などといった地域芸能も伝えられているとのことです。




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【秋山光朝の館跡周辺】
秋山太郎光朝の館跡であったと
伝えられている熊野神社周辺には
光昌寺や秋山光朝の要害城であった
雨鳴城とともに
その遺徳を偲ぶ史跡が数多く所在しています。
またこの地より
円筒埴輪の一部が発見され
古墳であったとも言われています。
更に熊野神社境内からは
江戸時代前期に
銅製の経筒二点が
常滑焼の甕などと共に出土し、
そこに刻まれた銘文から、
源朝臣光経らが施主になって
一族の繁栄を願って
建久8年(1197年)に
埋納したことが判明したとの事です。

【構造形態】
山城

【遺構】
堀、堀切、尾根

【登城口】
天神社鳥居付近に駐車可能であるそうです。
鳥居を潜り小川を渡ると
石積みでできた虎口があるそうです。
周囲は石垣で段郭を
形成しているのが見られるそうです。
天神社の裏から尾根を登ると
すぐに主郭となるそうです。
主郭の手前は崩落しており、危険とのこと。
主郭は低い土塁に囲まれた卵形で狭いとのこと。
ニ郭との間は浅い堀切があるのみで、
その先には薬研に深く切り落とした堀切があるそうです。
更に進むと土橋があるそうです。

【所在地】
〒400-0425 山梨県南アルプス市湯沢

武田義清(源義清 (武田冠者))~常陸国出身で配流となった先の土地に根差して甲斐源氏の祖となりました。

秋山光朝~加賀美遠光の長男、甲斐源氏の勢力拡大を恐れた源頼朝に疎まれ謀殺されます。

加賀美遠光~甲斐源氏で武田信義の叔父又は弟、小笠原氏・奥州南部氏の祖でもあります。

甲斐・上野城(甲斐・椿城)~築城は小笠原氏の子供の上野氏でその後に秋山氏、大井氏の居城となります。

躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。

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