城跡

甲斐・上野城(甲斐・椿城)~築城は小笠原氏の子供の上野氏でその後に秋山氏、大井氏の居城となります。

甲斐・上野城(椿城)



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甲斐・椿城(甲斐・上野城)】

甲斐・椿城(甲斐・上野城)は、
山梨県南アルプス市上野にある平山城で、
標高は412m、比高は90mになります。
椿城は別名であって、
本来は南アルプス市上野の地に構えられた
「上野城」と呼びます。

椿城付近案内図

本重寺の境内に上野城の案内板と石碑があります。
北側の駐車場にも案内板があります。
駐車場の所にあるのが大井氏一族の墓で、
本丸はその北西側にあります。

椿城 大井一族の墓

本丸とされる畑の中に石塔群がありますが、
これは秋山氏の墓地だということです。

椿城(上野城)本丸跡にある秋山氏墓所

【地理地形】
北側に一ノ瀬川が流れており、
その絶壁は天然の要害で、東側も傾斜があります。
櫛形山の東麓に発達した市之瀬台地の上にあり、
北に市之瀬川、南に堰野川によって
はさまれた細長い舌状台地の上、
標高約412メートルに立地しています。
台地先端では比高差約100メートルの
崖線をもって扇状地と接しており、
眼下には、甲斐源氏小笠原家の本拠とされる
南アルプス市小笠原があります。
小笠原家の始祖である小笠原長清は
父である加賀美遠光とともに
鎌倉幕府において重用された
有力御家人のひとりです。

【築城者・上野盛長】
最初の築城は、小笠原長経の七男である
上野盛長(上野六郎盛長)が、
この上野の地を知行し、
甲斐・上野城を築いたとされています。
父である小笠原長経は、加賀美氏をおこした
加賀美遠光の2男となる小笠原長清(小笠原次郎長清)
の子となりますので、
甲斐源氏であり武田一族であります。

なお、小笠原長清は、源頼朝より
信濃守を任じられて、
のち信濃の小笠原氏の祖となりました。
この付近に椿の木が多かったことから、
別名となる椿城と呼ばれるようになったとされます。

小学生による案内

【秋山氏の居城となる】
上野氏は小笠原長清の子長経の七男、
六郎盛長が上野を本拠とし、
上野氏を称したことに始まるとされます。
しかし三代目となる上野政長の後に
男子の後継がなく、
秋山より養子を迎え、
そこから秋山に改称したといわれております。




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【秋山氏と本重寺】
秋山氏は加賀美遠光の長男である
秋山光朝が同じ市之瀬台地の秋山を
本拠としたことから始まります。
秋山光朝は源頼朝による
甲斐源氏の排斥によって
自害されたと伝承されています。
けれども、子孫はその後も発展し
鎌倉幕府の御家人として、
さらに全国各地で活躍していったのでした。
本重寺が創建されたのは
弘安年間(「甲斐国志」)あるいは
正中二年(1325年「寺記」)といわれています。

椿城、本重寺蔵板本尊

開基は秋山光朝の子の光定、
開山は日蓮の弟子日興と伝わっております。
日興上人から光定へ与えたとされる
「板本尊」(南アルプス市指定文化財)も現存しています。
また、前述した上野城にある五輪塔群の中には
「比丘尼妙意 嘉暦三(一三二八)年十月十三日」
の刻銘がある五輪塔があります。
天明4年(1784年)の
「当村古城跡由緒御尋ニ付書上」には、
秋山光定の後とみられる光吉とその妻についての
嘉暦年間(1326年から1329年)
の事件に関する記述があるため、
この事件に関しての
供養であることが想定されています。
この五輪塔群は現在も
上野に在住されている秋山氏によって
祀られています。

椿城本丸跡にある秋山氏の墓の五輪塔

【南北朝】
その後、南北朝時代になると、
武田氏10代・武田信武の次男である
武田信明が上野を領し、
大井信明と名乗るようになりました。

【戦国時代】
戦国時代になると、
大井信達(おおいのぶさと)が
甲斐・上野(甲斐・椿城)城主で勢力を誇りました。
そして、武田宗家と対立しましたが、
1515年、武田信虎
甲斐・富田城を攻めて、
大井信達を降伏させています。

【大井の方】
その和睦の証として、
大井信達の娘が、1517年頃に
武田信虎の正室として嫁ぎました。
この女性が「大井の方」で、
1521年に、武田晴信、
のちの武田信玄を産んでいます。

更に1525年には、
次男・武田信繁をもうけています。

大井信達も、戦上手の武田信虎にはかなわず、
1520年に今諏訪の戦いで再び敗れると隠居。
家督を嫡男の大井信業(おおいのぶなり)に譲りました。

【大井一族の墓】
本重寺の北側にある駐車場の脇には、
大井一族の墓があります。
下記の大きいのが「大井信達の墓」になります。
大井信達は大井宗芸、武田高雲斎とも号しました。

大井一族の墓

なお周辺には、地下式坑と言う
地下室がいくつかあるようです。
今でも陥没することがあり、
上野城(椿城)には
秘密の抜け穴があるとも伝えられています。




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【所在地】
〒400-0315 山梨県南アルプス市上野208

【交通アクセス】
(電車・バス)
「甲府」駅よりバス
「小笠原車庫」行き⇒バス停「小笠原車庫」下車
徒歩35分

【駐車場】
本重寺の駐車場があります。

武田義清(源義清 (武田冠者))~常陸国出身で配流となった先の土地に根差して甲斐源氏の祖となりました。

中野城・雨鳴城~秋山光朝築城の連郭式山城で、悲劇の武将の物語が今も残っています。

秋山光朝~加賀美遠光の長男、甲斐源氏の勢力拡大を恐れた源頼朝に疎まれ謀殺されます。

小笠原長清~弓馬四天王と称され、武家の有職故実を伝える小笠原一族の始祖です。

加賀美遠光~甲斐源氏で武田信義の叔父又は弟、小笠原氏・奥州南部氏の祖でもあります。

武田信成~武田信時の系統で安芸守護武田氏から甲斐国守護武田宗家となりました。

栗原氏館跡(甲斐国)~甲斐守護・武田信成の子である武続が始祖となる栗原氏の館跡です。

武田信玄~風林火山の軍旗のもとに、戦に明け暮れ駆け抜けていった53年の人生でした。

躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。

積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100名城です。

湯村山城~躑躅ヶ崎館の西の守りの詰めの城として武田信虎が築城しました。

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