【石橋城(慈昌院)】
石橋城は奥平家2代当主・奥平貞久の次男、
石橋弾正久勝の居城です。
石橋久勝の子である繁昌は主家である
奥平貞勝が二十代前半の若さで
当主になったことに不満を持ち、
謀反を企みましたが事前に露見し、
奥平貞勝の命を受けた
土佐定雄によって攻められ討ち死にしました。
現在城址には石橋山慈昌院が建てられており、
遺構として土塁を確認できます。
【縄張形態】
居館
【築城主】
石橋久勝
【築城年】
応永年間(1394年〜1428年)
【主な城主】
石橋奥平氏
【遺構】
曲輪、土塁、空堀
現在は慈昌院。
遺構は境内奥の土塁が一番分かりやすいです。
単郭の城(居館)でした。
【所在地】
〒441-1414 愛知県新城市作手清岳寺屋敷3
【交通アクセス】
(電車)
JR飯田線「新城」駅からバスに乗り
「つくで手作り村」バス停下車、徒歩1分
※バスの運行については最新の情報をご確認下さい。
(車)
新東名高速道路「新城IC」から30分程度
【駐車場】
●慈昌院駐車場
●道の駅「つくで手作り村」駐車場
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