史跡・城跡

石積出(いしつみだし)~武田信玄が築いたとされている治水工事で国指定遺跡です。

石積出二番堤



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石積出二番堤】

国指定史跡 石積出二番堤(六科将棋頭)

その名の通り、砂礫と石で造られた堤防で、
一番堤から五番堤まで残されている中の二番堤です。

地表に露出している部分だけでは、
1段積みの構造です。
水流があたる川表側に
補強の石積みが行われています。
釜無川と旧御勅使川のかつての
合流地点一帯を公園として設備したもので、
武田信玄が行った釜無川の
氾濫を治めるため築いたとされています。
信玄堤に並ぶ治水工事とされています。

釜無川の上流左岸にそびえる高岩と
呼ばれる崖の下に、
約630mに渡って
粘土上の土を盛り上げ堤防としました。

【御勅使川は暴れ川】
古くから暴れ川として有名だった御勅使川は、
大雨が降ると洪水を起こし
釜無川を押し出して
甲府盆地中央部まに大きな水害をもたらしました。

【将棋頭】
横からだとわかりにくいのですが、
上から見たときに将棋の駒をした
形になっていたので、将棋頭と呼ばれています。

現在は北側の堤防のみ残されています。

【石積出とは?】
石積出は御勅使川扇状地上流に
築かれた石積みの堤防です。
現存する1~5番堤のうち、
1~3番堤が将棋頭とともに
国の史跡に指定されています。
武田信玄が工事を命じた伝承が
伝えられていますが、
実は戦国時代の史料に「石積出」の記述がなく、
いつごろ造られたのかはわかっていません。

石積出二番堤

【石積出が村々を護る】
絵図や史料から少なくとも江戸時代には造られ、
有野の集落や水田だけでなく、
さらに下流の21もの村々を
守る役割を果たしていました。
石積出を含めた有野村の堤防が決壊すると、
小笠原村や寺部村など
遠く離れた人々の生活にまで
御勅使川の被害が及んだのでした。
このため有野村は堤防補修工事の際に、
下流の21ヶ村から人手を促す権利を
幕府から許されていました。
 
駒場浄水場内にある
石積出4番堤の発掘調査によって、
石積出に近代のさまざまな技術が
用いられていることがわかりました。

【石積出の技術】
堤防の土台には丸太を梯子状に組んで、
堤防が沈まない工夫(梯子土台)が施されています。
堤防の川表側には80cmもある石が積み上げられ、
隙間はコンクリートで固定されています。
堤防の川表側基底部には木枠を組み、
その中に石を詰めて堤防の根元が
水流に洗い流されるのを防ぐ施設(木工沈床)が
造られていました。
木工沈床のさらに川表側には、
鉄線を編んで中に石を詰めた蛇籠が縦に並べられ、
御勅使川の水流が堤防に直接当たるのを防いでいました。

【所在地】
〒400-0226 山梨県南アルプス市有野

【交通アクセス】
最寄り駅は甲府駅。

【駐車場】
石積出二番堤付近に駐車スペース有り。

躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)~武田信虎が築城し、信玄、勝頼と3代続いた戦国大名武田氏の中心地です。

甲斐・須沢城~南北朝・観応の擾乱にて落城、須沢城の悲劇として後世に語られる逸話があります。

積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100名城です。

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